第八話:和やかなお茶会
【迅速で効率的な文化交流】
上質な薬草茶の香りが満ちる王城のサロン。
白磁のカップに湯気が立ち昇り、淡い陽光がレースのカーテンを通して柔らかく差し込んでいた。
美しく整えられたティーテーブルを囲み、アヴェレート王族のマルガリータ王女、テオドール王子、そして招待客であるソレアン・アルモンドとフィオーネ・ナディアが席についていた。
「最近、どの分野でも珍妙なペンネームが流行しているわ」
話題を切り出したのは、マルガリータだった。優雅にカップを傾けながら、どこか呆れたような口調で続ける。
「画壇だけではなく、詩人や作曲家たちまでもが、やたらと大仰な名を名乗りたがるのよ」
「天空のリヴァイアサン、ってペンネームを聞いた時には、腹を抱えて笑ったね。空棲なのか水棲なのか、どっちなんだよって思わない?」
テオドールが朗らかに笑う。マルガリータも肩をすくめる。
「……頭が痛い話です」
ソレアンは、すでに半ば諦めたようにため息をついていた。
ゼファリス・デュヴァンの異名である†漆黒の画狂神†が大流行したことを皮切りに、王都の芸術家たちは競うようにして奇抜なペンネームを名乗り始めた。
もはや流行というより、悪ノリに近い。
詩人や音楽家までもが、†殉教の堕天使†だの†血盟の孤狼†だのとペンネームをつけ始めたと聞いた時には、ソレアンは本気で頭を抱えたものだ。
「その流行りだけは、ヴァルミールにもたらされませんように……」
フィオーネが、願うように小さく呟いた。
その切実な声に、ソレアンは「まったくだ」と心の中で深く同意した。
やがて、話題は歌劇へと移った。
「フィオーネ嬢の最新の歌劇を見たの。『乙女系貴公子とスパダリ王女』、とても面白かったわ。モーリスがだいぶ可愛くなってて笑ったわ」
「王女様のスパダリ感を表現したくて、貴公子を可愛い男性にしてみました」
「割と当たってるわよ、さすがね」
「姉上と婚約者殿のラブストーリーなんだってね? 僕は恐ろしくて見れないや……」
——一体どんな歌劇なんだ……。
ソレアンはまだその歌劇を見ていない。しかしソレアンは三者の反応に、好奇心をくすぐられるような、見るのが怖いような、不思議な気持ちを抱いた。
「私も貴国の歌劇を観劇いたしました。『無気力三男と策略猫の靴と成り上がりの日々』という演目です」
フィオーネがアヴェレート王国に来訪して二日目、ソレアンと共に観劇した歌劇である。そのタイトルに、テオドールが頷く。
「ああ、あの詐欺で領地を手に入れる猫の話ね!」
「ヴァルミールとの価値観の違いが如実に現れていて、興味深かったです」
フィオーネは観劇後の感想で、「全然ダメ」と評していた。しかしそれを、その国の王族の前で率直に言わないだけの良識はあった。
フィオーネのやんわりとした感想に、テオドールは無邪気に笑いながら言い放った。
「爵位詐称と脅迫なんて、後の禍根となるやり方を取るのは稚拙だよね。領地を円満に獲得したかったら、もっと内部から突き崩さないと」
「!?」
ソレアンのティーカップを持つ手が揺れる。
テオドールの言葉を受け、マルガリータが冷静に口を挟む。
「物騒なこと言わないでちょうだい。もっと平和的に考えなさい。その領主を婿入りさせればいいのよ」
「!?!?」
いよいよソレアンは硬直した。
テオドールは、政治的な視点から「領地を奪う手段」を考え、マルガリータは、より平和的かつ確実な「婚姻戦略」を示した。
どちらも、あまりに自然な口調で、当たり前のようにそれを語る。
「なるほど……これが、迅速で効率的な問題解決……!」
フィオーネが、何かを悟ったような声を漏らす。その表情には、驚きとともに、どこか納得したような色さえ浮かんでいる。
「いや違う!!」
ソレアンは、ほぼ反射的に声を張り上げた。
——領地の乗っ取りを語るな!!
——それを平和的な解決策として捉えるな!!
しかし、ソレアンの必死のツッコミは、悲しいことに王族たちと天才には届かない。
テオドールは涼しい顔で薬草茶を口にし、マルガリータは優雅に微笑んでいる。フィオーネに至っては、学びを得たかのように感心している始末だ。
王城のサロンに、穏やかな昼下がりの光が降り注いでいる。その場にいるのは、策略家の王族二人と、芸術界の天才、そしてソレアン。
——やはり僕は、場違いなのではないか?
ソレアンは、そっとカップを口に運び直し、何も言わずに薬草茶を飲んだ。その沈黙の意味を察した者は、誰もいなかった。
【天才と社会の接合】
「最近、ゼファリス・デュヴァンの活動状況はいかがかしら?」
マルガリータが、白磁のカップを傾けながら、穏やかに問いかける。
ゼファリス・デュヴァン。王家主催の美術展で審査員特別賞を受賞し、さらに『日向の道』という傑作を世に送り出したことで、一躍時の人となった。
ゼファリスの作品は、アヴェレート王国の美術界に衝撃を与え、その画風を模倣する者たちが次々と現れるほどの影響を与えている。
そのゼファリスの動向について尋ねられたソレアンは、軽く息を吐いた。
「『日向の道』を描いてからというものの、すっかり元の生活に戻ってしまっていますね」
どこか苦笑するような口調で続ける。
「魂の震えが起きないそうです」
「まぁ、仕方ないわね」
マルガリータは、特に驚いた様子もなく、穏やかに微笑んだ。
「天才の創作というのは、往々にしてそういうものだわ。彼にまた“震え”が訪れるまで、ゆっくり待ちましょう」
「……寛大なお言葉、痛み入ります」
ソレアンは、微妙な表情で礼を述べる。
天才の気まぐれに振り回され続けているパトロンとしては、「ゆっくり待つ」などという悠長なことは言っていられないのだが、王族の前では素直に同意するしかなかった。
そんなソレアンの様子に、テオドールが興味を抱いたように口を開く。
「魂の震え、ねぇ……僕にはよくわからない感覚だけど、彼ってロイヤルロマンスが好きなんだっけ?」
「いえ、そういう訳でもなさそうです」
ソレアンは首を横に振った。
「ただ、カレスト公爵とラグナル殿下に、何か特別なものを見出したようで……」
「……王都の推し活夫人たちみたいなことを言うね」
テオドールが苦笑いする。
推し活夫人とは、王都の貴族夫人たちの中でも、特にカレスト公爵と王弟ラグナルのカップルに“尊さ”を見出している一派のことである。
彼女たちは、王弟と女公爵の関係を熱烈に支持し、サロンや社交の場では彼らのロマンスを語り尽くし、時には“研究”と称して分析まで行っていた。
この一派の熱量は凄まじく、もはや一つの文化圏を形成していると言っても過言ではない。
彼女たちの間では、ラグナルの愛の言葉やアデルの理知的な態度すら「最高の関係性」として讃えられ、彼らの公の場でのやり取りが、貴族社会の尊き娯楽として機能していた。
「いっそのこと、ゼファリスを推し活夫人たちと仲良くさせてみたら?」
テオドールは冗談めかして提案する。
「……はぁ」
ソレアンは、完全に疲れた声を漏らした。
「考えてみます。ただ、あの気まぐれ型の天才が、受け入れられるかどうか……」
——正直、想像もつかない。
あの天才気質の塊が、推し活夫人たちの熱量についていけるとは、ゼファリスには到底思えなかった。
そんなソレアンの苦悩を余所に、マルガリータは静かに呟く。
「……天才と社会の接合をどうするか。それは、いつの時代にも付きまとう問題ね」
どんな時代であれ、天才はしばしば社会との軋轢を生む。その才能は時に革新をもたらすが、時に孤立を招く。
その間をどう取り持ち、どう調整するのか——それこそが、文化の担い手たちに課せられる使命なのかもしれない。
「その点、フィオーネ嬢はちゃんと社会性もあるよね」
ふと、テオドールがフィオーネに視線を向けた。
「え?」
思いがけない指摘に、フィオーネは一瞬戸惑った様子を見せる。
「天才気質の芸術家って、たいてい社会との軋轢を生むものだけど、フィオーネ嬢は、ちゃんとパトロンや観客のことも考えている。そういうところが、君の強みなんじゃないかな」
フィオーネは、目を瞬かせた。
「私は、元々自分に才能があるなんて思ってなかったですし、今でも、天才と呼ばれると少しこそばゆく感じます」
ソレアンが穏やかに言葉を添えた。
「そのフィオーネ嬢の謙虚さと真面目さが、内面で歌劇への情熱と社会への洞察を育んだのだろうね」
「え!? そ、そう見えるんですか?」
フィオーネが驚いたように目を見開く。
「うん、そんな気がしてるよ。的外れだったかな?」
「……的外れではない……かも……?」
フィオーネは、視線を落としながら、どこか戸惑ったように頬を染める。
そんな二人の様子を、向かいに座るマルガリータとテオドールは、何とも言えない表情で見つめていた。彼らは互いに視線を交わし、静かに薬草茶を口に運んだ。
そしてソレアンは、そんな三人の様子に特に気を留めることもなく、一つ息を整え、改めて話を戻す。
「ゼファリスが、僕だけの支援に依存していることを問題視しているんです」
先ほどまでの和やかな雰囲気とは異なる、真剣な声音。
ソレアンの言葉に、マルガリータが軽く首を傾げる。
「あら、どういう心境の変化?」
ゼファリスへの支援を、ソレアンが誰よりも情熱を持って続けてきたことを知る彼女は、少し意外そうな表情を浮かべた。
「もしも僕に何かあった時に、彼が芸術活動を継続できなくなる可能性に気づきました」
その言葉に、サロンの空気が少し変わる。
ソレアンは静かに続ける。
「今のパトロンのあり方は、各家の人的支援に依存しています。それぞれの貴族が、自分の判断で支援する芸術家を決め、その生活を支え、作品を広める。しかし、このやり方では、支援者がいなくなった時点で、その芸術家は路頭に迷うことになる」
ゼファリスに限らず、芸術の世界にはそうしたケースが多々ある。
そして過去には、フォルケン家の断罪により、多くの芸術家たちが支援を失い、活動を断念せざるを得なかった歴史もある。
それは、文化にとって大きな損失だった。
「そのため、僕はもっと持続性のある支援の仕組みを考えています。貴族の家ごとの支援ではなく、制度としての支援の道を模索しようと」
ソレアンの言葉がサロンに響いた瞬間——テオドールが、興味深そうに身を乗り出した。
「面白い話だね」
テオドールの黒い瞳が、鋭く輝く。
「詳しく聞かせてもらえる?」
王族とのお茶会は、ここからが本番だった。




