第六話:現代を代表する政治家アデル・カレスト
【文化論争③「芸術の源泉は外部刺激か内省か」】
アルモンド侯爵家のエントランスホール。
今日もまた、文化論争という名のソレアン争奪戦が繰り広げられていた。
「芸術家たるもの、己の内に生じた魂の震えに実直であるべきだ! 無駄な外部刺激など、その感性を鈍らせるだけだ!」
主張するのは、†漆黒の画狂神†ことゼファリス・デュヴァン。その緑の瞳は、フィオーネを鋭く睨んでいる。
「違うわ! 芸術は社会と共にあるもの! 人々の感情を動かし、歴史と共に語られるからこそ価値があるのです!」
負けじと声を張るのは、劇作家フィオーネ・ナディア。彼女もまた、ゼファリスに引けを取らない熱量で応じる。
テーマだけ聞けば極めて高尚な芸術論争だ。
しかしことの発端はこうだ。
ソレアンがフィオーネを伴い、カレスト公爵家に向かおうとしたところを、ゼファリスに見つかった。
「なぜこの女を連れていく!!」
第一声がそれだった。
ソレアンは冷静に「フィオーネ嬢の作劇の参考に、カレスト公爵にお会いしに行くんだよ」と説明したが、それが余計に火に油を注いだ。「芸術の源泉は外部刺激か、それとも内省か」という論争に発展した。
「人々の情熱が芸術の糧となるのよ!」
「そんなものに頼るから作品がブレるんだ!」
ちなみにゼファリスはかつて、「魂の震える場所へ連れていけ」とソレアンに言い出して、あげく森の中や花街まで連れて行かせたことがある。要は自分のことは見事に棚上げしていた。
言い争う二人を横目に、ソレアンはまたしても遠い目をした。
「遅刻してしまうから、早く終わらせてくれ……」
無駄と知りながらも、ソレアンはぼそりと呟く。しかし天才たちの耳には、やはり届かなかった。
【質実剛健のカレスト公爵邸】
結局、ゼファリスとフィオーネの言い争いは完全決着を見ぬまま、ソレアンとフィオーネはカレスト公爵家へと向かった。
母イレーネの文化サロンでマグノリア侯爵夫人と約束してから、たった二日後だ。
「領地帰還の直前の一時間なら良いわよ」
カレスト公爵がそう言い放ったことで、ソレアンは慌てて自身の予定を再調整することになった。
『問題解決においては巧遅よりも拙速を尊ぶ』という価値観を、人の形にするとカレスト公爵になるのだ、とソレアンは目を遠くした。
王都のカレスト公爵邸。その建築は質実剛健を極め、無駄な装飾を一切廃した洗練された佇まいだった。迎え入れられた応接室もまた、格式の高さと機能美を両立させた空間である。
そして、その主人がソレアンとフィオーネを迎え入れる。
艶やかな茶髪、光を湛える黒目、気高さを象徴する赤の唇。しかし、その美貌すら凌駕するのは、大貴族としての圧倒的な存在感。
アヴェレート王国で唯一の女公爵——アデル・カレスト、その人である。
「アルモンド侯爵令息とは何かとご縁がありましたが、こうして直接お話するのは初めてですわね」
「覚えていただけて光栄です。僕がパトロンを務める画狂神も、貴女には甚く感銘を受けております」
それは事実だった。
ゼファリスが初めて世に注目された美術展で、審査員特別賞として推薦したのが、カレスト公爵だった。
また、ゼファリスの代表作である『日向の道』は、カレスト公爵とそのパートナー王弟ラグナルが、王城での舞踏会にて大胆に公開告白をしたワンシーンを描いたものである。
カレスト公爵が微笑む。
「それに、隣国の人気劇作家のご令嬢まで連れて来てくださるとは。有意義な意見交換ができそうですわ」
フィオーネは気圧されながらも、精一杯の笑みを浮かべた。
「光栄です! カレスト公爵閣下のご高名は、ヴァルミールにも轟いております」
その言葉に、カレスト公爵はわずかに目を伏せた。
「……変な内容でなければ良いのだけど」
彼女は静かに呟いた。
【制度的支援の可能性】
「さて、早速ですが本題に入りましょう。アルモンド侯爵令息の問題意識から、お伺いしましょうか」
率直かつ的確な切り込み。大貴族らしい、遠慮のない問いだった。
ソレアンは姿勢を正し、慎重に言葉を選ぶ。
「芸術家支援の持続可能性について、懸念を抱いています」
「ほう?」
カレスト公爵が、興味深そうに片眉を上げる。
「アヴェレート王国は、過去に文化退廃を経験しました。その中で、パトロン文化も大きく後退しました。近年になり、ようやくパトロン活動を再開する貴族も増えましたが、基本的には各家の経済力に応じて、個々の才能を庇護しているに過ぎません」
「ええ、そうでしょうね」
「しかし、それではそのパトロンが失脚したときに、芸術家たちもまた路頭に迷うことになります。これはかつてフォルケン家が断罪された際、多くの芸術家が支援を失い、行き場をなくした例でも明らかです」
ソレアンはそこで一回言葉を切り、自らの思考を確かめるようにして、告げた。
「各家に依存するのではなく、もっと持続性の高い支援のあり方を模索できないか——そう考えています」
カレスト公爵は、ソレアンの言葉を静かに聞き、ふむと小さく息を吐いた。
「なるほど。であれば、人的支援ではなく、制度的支援を模索すべきでしょうね」
「制度?」
ソレアンは驚いたように問い返す。
「人が行動するのには、二つの側面があります」
カレスト公爵は、指を二本立てながら説明を始めた。
「一つは、心の内側からの情熱、責任感、あるいは恐怖など。認知や感情によって突き動かされるもの。今のパトロン活動は、これに根ざしていますわ」
「……確かに」
「もう一つが、外的制御によるもの。制度や規則を設け、それに基づいて人が行動するようにすることです。その制度に参加する限り、人は規則どおりに動く。例えば、私たちがこの国に税金を納めるのも、臣民としてその制度に組み込まれているからです」
ソレアンは、カレスト公爵の論理的な思考に引き込まれていく。
「制度に人々を参加させるには、理と利を用意する必要があります。例えば、今王家とカレスト公爵家で工事を進めている交易幹路」
カレスト公爵の言葉に、ソレアンはすぐに思い至る。
「確か、王都と北部地域をつなぐ新たな通路ですね」
「ええ。あれは有料の通路としますが、それは森を大きく切り拓いた初期投資の回収と、治安維持警備隊の配置という理のため。だけど、この交易幹路を使えば、従来の道よりも半分以下の時間で、かつ安全に王都と北部地域を移動できる。商人にとって、これほど魅力的な条件はないでしょう?」
「なるほど。南部地域からのワインのように重たいものを運ぶ商人なら、長く険しい無料通路を使うより、金を払ってでも交易幹路を使うはずですね」
「その通りですわ」
ソレアンは思わず唸った。徹底された合理性——カレスト公爵がこの国の中枢を担う政治家であることを、改めて実感する。
「私はパトロン活動を行っておりません。ずっと自助自立で生きてきましたから、誰かを庇護し面倒を見るなんて御免ですわ」
はっきりとした言葉に、ソレアンは僅かに瞠目する。
「そういう価値観の人間すら、『これなら参加しても良いかも』と思えるような理と利を、制度として用意できたら。貴方はきっと歴史に名を刻みますわ」
カレスト公爵の言葉に、ソレアンはパトロンとしての矜持が震わされるのを感じた。
「……ありがとうございます、カレスト公爵。僕が模索すべき道の方向性が、見えた気がします」
【ヴァルミールのパトロン事情】
二人のやり取りを聞いていたフィオーネは、カレスト公爵の思考に言葉を失っていた。
フィオーネは男爵家の令嬢であり、社交の場には出ることはあっても、これほど明確な政治の論理に触れたことはなかった。
「文化大国ヴァルミールでは、パトロン活動とはどのように行われているのかしら?」
カレスト公爵の問いに、フィオーネは一瞬戸惑いながらも答える。
「ヴァルミールでも、基本は人的支援です。ただ、文化として広く普及しているため、一人の芸術家に何人もの貴族が支援を行うことが多いですね。例えば、私も王立学園やローレント公爵家、グレイシア侯爵家、サヴィエール辺境伯家などから支援を受けています」
「なるほど。それだけ手厚いなら、一つの家がダメになっても、問題はなさそうですわね」
「ですが、パトロン間の要求が対立し、芸術家が面倒な目に遭うこともありがちです」
「まあ、それは大変ですわね」
カレスト公爵は僅かに苦笑する。
フィオーネはふと思いつき、勇気を出して尋ねた。
「もし、カレスト公爵が芸術家の立場なら、そのような局面をどう乗り越えますか?」
その問いに、カレスト公爵は一瞬考える素振りを見せ、さらりと答えた。
「いくらでもやりようはありますわ。折衷案を取ることもできる。あるいは、全く異なる三つ目の選択肢を用意してもいい。面倒な要求をしてこない大パトロンの存在を匂わせ、『貴方たちの支援など取るに足らない』とわからせることもできるわね」
そしてカレスト公爵は悪戯っぽく笑う。
「もしくは、パトロンたちの弱みを握って黙らせることも可能ですわ」
次々と繰り出される権謀術数に、ソレアンとフィオーネは言葉を失った。
【帰り道】
カレスト公爵邸を後にしたソレアンとフィオーネは、徒歩でアルモンド侯爵邸へと戻っていた。
アルモンド侯爵家とカレスト公爵家は同じ高位貴族の区画にある。歩いて帰れるほどの距離感であり、ご近所さんと言って差し支えなかった。
にもかかわらず貴族としての格の違いは、天と地ほどの開きがあると、ソレアンは改めて思い知らされていた。
王家に次ぐ大貴族であり、政治の中枢に立つカレスト公爵家。対して、金融と社交を得意としながらも、あくまで有力貴族の一角に過ぎないアルモンド侯爵家。
「濃密な一時間でしたね……」
隣を歩くフィオーネが、日傘の中でしみじみと呟いた。
「本当だね……カレスト公爵の思考に圧倒された」
ソレアンもまた、心の底からの本音を漏らす。
今回の訪問は、元々はフィオーネの作劇参考のためであり、ソレアンの訪問理由自体は建前のはずだった。しかし終わってみれば、アルモンド・シティバンクの芸術支援事業部門が目指すべき方向について、ソレアンは光を見出す心地になっていた。建前が、事業の転機へと昇格した瞬間だった。
「制度での支援……そんな発想、考えたこともありませんでした」
「僕もだよ」
フィオーネは、今日の出来事を反芻するように、静かに続けた。
「ソレアン様は、ゼファリス様のために、新たな支援を模索しているのですよね?」
ソレアンは、すこし歩調を緩めながら、考えるように視線を空へ向ける。
「……まぁ、そういうことになるかな」
曖昧に言いながらも、ゼファリスの未来を思う。
「もしも僕がパトロンを続けられなくなっても、ゼファリスが芸術家としてやっていけると良いのだけど」
しかし、その言葉を口にした瞬間、彼は頭の中で簡単に未来を予見してしまった。
——他のパトロンを振り回して愛想を尽かされるゼファリスの姿が見える……。
想像上のゼファリスは、豪奢なサロンの片隅で腕を組み、不満げに顔をしかめていた。
「おいソレアン、今度のパトロンは全然わかってない! 魂の震えを理解しない奴に絵を見せるのは拷問だ!!」
そして、次々とパトロンを困らせ、芸術界の厄介者として名を馳せるのが目に浮かぶ。
ソレアンは、想像上のゼファリスに心の中で呆れつつ、それでも彼の才能を思い、静かに言葉を紡いだ。
「ゼファリスの描き出す美は、今の社会の揺らぎを切り取り、絵の中で永遠に息づき、やがて未来を変える——僕はそう信じてやまないんだ」
その言葉に、フィオーネが少しだけ頬を膨らませながら、むくれた表情でソレアンを見上げる。
「……ゼファリス様が羨ましいです」
「え?」
不意の言葉に、ソレアンは驚き、フィオーネの顔をまじまじと見る。彼女は腕を組んでぷいっと横を向いてしまった。
その愛らしい仕草に、ソレアンは思わず笑ってしまう。
「君の才能を支援してくれる人は、他にもいっぱいいるから大丈夫だよ」
「そういうことじゃないです!」
フィオーネは、ますます頬を膨らませた。
アルモンド侯爵邸へと続く道は、心地よい夏の風がそよいでいた。
カレスト公爵の物語はこちら。
拗らせ女公爵と策略王弟の愛と希望の日々 〜政略と社交の狭間で愛し合ってみせます〜
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