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第五話:芸術家支援の持続可能性

【文化論争②「パトロンの支援はどうあるべきか」】


 アルモンド侯爵家、執務室。

 朝の光が柔らかく差し込む中、そこではまたしても文化論争が勃発していた。

「パトロンは芸術家の生活の面倒を見るだけでなく、ともに芸術を作るパートナーだ!」

 力強く主張するのは、†漆黒の画狂神†ことゼファリス・デュヴァン。彼は腕を組みながら、いつものように鋭い視線をフィオーネに向けていた。

「それではいつまで経っても『個の才能』の支援止まりですわ! もっと広い支援をしていかないと!」

 負けじと反論するのは、劇作家フィオーネ・ナディア。彼女もまた、ゼファリスに負けないほどの気迫で応じる。

 そして、二人の間に挟まれているのが、この執務室の主であるソレアン・アルモンドだった。

「君たちは本当に朝から元気だな……」

 心底疲れた顔で、ソレアンはため息をつく。


 二人がこうして言い争うのは、毎朝の日課になりつつあった。

 それが文化論争なのか、ソレアン争奪戦であるかは微妙なところだが、ソレアン自身は「どちらも同じ」と思っていた。

「芸術家というのは孤独の存在だ。芸術家が表現に専念できるよう、パトロンが全面的に支援するのが最良だ!」

「それでは一部の天才だけが支えられ、多くの文化が見過ごされてしまうではありませんか!」

「そもそも文化は個の才能によって築かれるものだ!」

「いいえ! 文化とは社会全体で支え、育てていくものですわ!」


 激しい応酬が続く。

 もはや議論の目的は「どちらが正しいか」ではなく、「どちらがソレアンの考えに影響を与えるか」に変わっているように見える。


 ——僕の意見を確認しようという気は、二人ともないんだろうか……。


 ソレアンは遠い目をした。


【イレーネのサロン】


 昼下がり。

 アルモンド侯爵家のサロンの時間である。

 侯爵夫人イレーネ主催のこのサロンには、貴族の夫人たちが多数集まっていた。彼女たちは皆、優雅な笑みを浮かべながら、会場に満ちる香り高い紅茶を楽しんでいる。

 そして本日のスペシャルゲストはフィオーネ・ナディアだ。

「まあまあ、あのナディア女史と交流できるなんて光栄ですわ」

「本当に……王都のサロンにおいて、これほど貴重な機会はありませんわね」

 そんな声があちこちから上がる。

 その中には、社交界の華と称されるロザリンド・マグノリア侯爵夫人の姿もあった。彼女は普段、自身が主催するサロン以外にはほとんど顔を出さない。その彼女がこうしてアルモンド侯爵家のサロンに参加しているという事実だけでも、フィオーネへの関心の高さが伺えた。


 その注目の中心であるフィオーネは、見事に貞淑なご令嬢の振る舞いを見せている。穏やかな微笑を浮かべ、優雅に会話を交わし、振る舞いの一つ一つが洗練されていた。

 ソレアンは、静かに胸をなでおろす。

 フィオーネがアルモンド侯爵家に滞在して以来、彼女の情熱的な一面を間近で見ることが増えていたが、こうして貴族の場で完璧に振る舞う姿を見ると、しっかりとした貴族令嬢だということがわかる。

 ちなみに、ソレアンは今日の午後は特に予定がなかった。

 しかし、母イレーネの「貴方もサロンにいらっしゃいな」という拒否権のない誘いによって、この場に駆り出されていた。貴族家の次男の扱いなど、こんなものである。


 やがて、サロンの話題は自然とフィオーネの歌劇へと移っていった。

「『いつか王子様が迎えに来てくれるなんて性に合いません!』は素晴らしい歌劇でしたわ」

「本当に……『愛の逸話』が、あのように斬新に再解釈されるとは」

 そう語る貴婦人たちに、フィオーネは微笑みながら尋ねる。

「愛の逸話、ですか?」

「ええ、ノイアス陛下とオクタヴィア様の婚約の時のエピソードのことを指しますの」

「ノイアス様がヴァルミールからオクタヴィア様を連れて来られたとき、我々の親世代の貴族たちは熱狂したと聞いておりますわ」

 その言葉を聞いた瞬間、フィオーネの瞳が輝く。

「なるほど……! ヴァルミールでは『いつか王子様が』と呼ばれるのですが、貴国では『愛の逸話』と呼ばれているのですね」

「ええ、その通りですわ」

「もっとも、アヴェレート王家の場合、物語になるようなロマンスが多すぎて、もはやどれが『愛の逸話』なのかわからなくなっていますけどね」

 その言葉に、サロンの貴婦人たちは明るく笑った。

 アヴェレート王家にはドラマティックな逸話が多く存在する。

 ノイアスとオクタヴィアの話だけでなく、最近だけでも王弟ラグナル、王太子レオン、王女マルガリータ、第二王子テオドール。あるいはその前の時代にも、多くの「伝説」が語り継がれてきた。

「アヴェレート王国は恋愛の国だと、ヴァルミールでも受け止められていますわ」

 フィオーネのその返事に、ソレアンは「偏見だ」と思いかけたが、「……いや間違ってないのか?」と迷い始めた。恋愛に関心の薄い自分の方が、この国では異端なのかもしれないと、自己認識を新たにした。


【芸術家たちの行方】


 優雅な笑い声が響くサロンの場で、話題はいくつか移り変わっていった。そして、その中でふと、マグノリア侯爵夫人が静かに口を開く。

「最近、フォルケン家の支援を受けていた画家を拾いましたの」

 その瞬間、場の空気が僅かに変わる。

「まあ! フォルケン家なんて懐かしい名前ですこと」

「もうあれから十年以上経ちましたが……」

 侯爵夫人の言葉に、貴婦人たちは驚きの声を上げると同時に、どこか複雑な表情を浮かべた。

 ソレアンもまた、思わず視線を上げる。

 フォルケン家——かつて文化的権威を誇った大貴族の家系。しかし、その家は巨額脱税を始めとした様々な罪により断罪され、一族は貴族社会から姿を消した。

 当時、フォルケン家は何十人もの芸術家を支援していた。しかしフォルケン家の断罪とともに、その芸術家たちは支援を失い、行き場をなくした。

 王国は文化退廃を経験し、それまで根付いていたパトロン文化も大きく後退した。


「彼は素晴らしい絵を描くのに、あの断罪以降、不遇な環境に身を落としてしまっていましたの。そういう方を見ると、ついお節介を焼きたくなるのですわ」

「さすがマグノリア侯爵夫人ですわ。これこそ貴族の矜持であり、責務ですわね」

 貴婦人たちの声が続く。

 ソレアンは、侯爵夫人の言葉に静かに耳を傾けながら、考え込んでいた。

 マグノリア侯爵家は複数の芸術家を擁するパトロンである。彼女のもとで活動する芸術家たちは、単に支援を受けているだけではない。彼女に高い忠誠心を持ち、積極的に芸術活動を行っている。

 芸術家たちの忠誠心の源泉は、マグノリア侯爵夫人の気高さと優しさなのだろう、とソレアンは感心した。

 そして、その瞬間、ソレアンにふと一つの考えがよぎる。


 ——もし僕が失脚したら、ゼファリスはどうなるのだろうか?


 ゼファリス・デュヴァン——天才ではあるが、あまりにも厄介な性質を持つ画家。

 彼の才能を信じ、支援し続けているのはソレアンただ一人だと言っても過言ではなかった。


 ——僕がいなくなっても、家族は、ゼファリスの支援を続けてくれるのだろうか?


 ゼファリスの才能が芽吹くまでの間、アルモンド侯爵家では一度、「ゼファリスの支援を続けるのは難しいのではないか」という話が持ち上がったことがある。


 ——あの時、もし僕が強く押し通さなかったら彼はどうなっていただろう?


 その不安は確かな切実さをもって、ソレアンの胸中に根を下ろした。

「……芸術家支援の持続可能性」

 ソレアンがぽつりと呟く。その問題意識は、彼が統括する芸術支援事業部門の取り組みに、相応しいテーマだった。

 そしてソレアンの呟きを、マグノリア侯爵夫人は聞き逃さなかった。


【マグノリア侯爵夫人の提案】


 そんなソレアンの様子に、フィオーネが気づいた。フィオーネはソレアンの表情を心配そうに窺う。

 そして更にその姿を見逃さなかったのが、マグノリア侯爵夫人である。

「フィオーネ嬢、アヴェレート王国での生活はいかがでしょうか?」

 マグノリア侯爵夫人が問う。

「え? あ、はい、とても楽しく有意義です。日々、文化の違いを感じて、執筆も捗ります」

 フィオーネが微笑みながら答えると、侯爵夫人は満足そうに頷いた。

「それは素晴らしいことですわね。ですが、アヴェレート王国の今をより強く感じるためにも、ぜひ貴女にお引き合わせしたい方がいるのですわ」

「引き合わせ……ですか?」

 フィオーネが首を傾げる。

「アデル・カレスト公爵。この国で唯一の女公爵であり、私の従姉ですの」


 ——カレスト公爵!?


 その名が出た瞬間、サロンの空気が変わる。その場の誰もが驚きに息を飲んだ。

 ソレアンも同様だった。

 アヴェレート王国の代表的な大貴族、カレスト公爵家。その当主であるアデル・カレストは絶大な影響力を持ち、国中からの畏敬と憧憬をほしいままにしている。

 立場・実力・名声、その全てを兼ね備えた、まさに「雲の上の人」だった。

「あの女公爵様の!?」

 フィオーネが驚いた声を上げる。

「ええ。貴女が描く女性自立の作風から言っても、アデルと会うことは、きっと良い刺激になるのではないかしら」

「ぜひお会いしたいです!」

 フィオーネの瞳が輝く。そんな彼女の様子を見て、マグノリア侯爵夫人は思案げに微笑んだ。

「それでは、彼女と日程調整しなくてはなりませんわね……でも、多忙な彼女の時間を得るには大義を用意しなければいけませんわ。彼女の知的好奇心と責任感をくすぐるような大義を……ああ、そうですわ」

 侯爵夫人が、ふとソレアンへと視線を向ける。

「——あの傑作『日向の道』を描いた画家のパトロンを務める、侯爵家の次男坊が、パトロン活動を社会に還元する道を模索している。そこでカレスト公爵の知恵を拝借したがっている」

「ええ!?」

 思わず声を上げるソレアン。

「彼女、貴族の弟君に甘いところがありますし、これで行けますわ」

 サロンに、くすくすと笑いが広がる。

 マグノリア侯爵夫人が「貴族の弟君」と指しているのは、カレスト公爵の旦那である王弟ラグナルのことだと、誰もが察していた。中には「尊い!」と言葉を発するご夫人たちもいた。


「マグノリア侯爵夫人の素晴らしいご提案、甚く感動いたしました」

 マグノリア侯爵夫人の隣で、イレーネが優雅に微笑む。

「ソレアン、フィオーネ嬢とともに、カレスト公爵家へお伺いしなさい」

「とても嬉しいです、ソレアン様、ぜひご一緒してください!」

 やはり、ここでもソレアンに拒否権はなかった。

 フィオーネのキラキラとした期待の眼差しに、ソレアンは観念する。

「ありがたき光栄、謹んでお受けします」


 そのやり取りを見ていたサロンの貴婦人たちは、ほのかに漂う甘酸っぱい空気に、微笑ましく笑い合うのであった。

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