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第三話:三角関係の始まり

【大人気作家】


 八月四日。ソレアン・アルモンドは、迎賓館の前に到着すると、目の前に広がる混乱の光景に思わず足を止め、首を傾げた。

 迎賓館の入口付近には、人だかりができていた。貴族らしき者たちに混じり、明らかに一般の文化人や劇場関係者とおぼしき人々が、ざわざわとした興奮の空気を纏いながら立ち並んでいる。

 何か特別な催しでもあるのかと、ソレアンは一瞬思ったが、違った。

「ナディア女史ー!」

 突然の歓声が上がる。その瞬間、群衆の目線が一斉に迎賓館の扉へと向かった。扉が開き、一人の女性が姿を現す。

 フィオーネ・ナディア。

 淡い金髪が陽の光に揺れ、青い瞳が戸惑いながらも誠実な笑みを浮かべていた。

「……まさか」

 ソレアンは、やっと事態を理解した。


 ——これは、彼女のファンたちか!


 ヴァルミールではすでに国民的な劇作家となっている彼女の評判は、アヴェレート王国内でも文化人たちの間で急速に広がりつつあったのだ。彼女が王都に滞在しているという噂が流れれば、ファンが押しかけるのは当然ともいえる。

 しかし、当の本人は明らかに困惑していた。

「えっと……皆さん、ご声援ありがとうございます……」

 フィオーネは礼儀正しく対応しながらも、戸惑いの色を隠せない。フィオーネは観客の反応を大切にする作家ではあるが、こうした直接的な注目を浴びることにはまだ慣れていないようだった。


 その時。

「ソレアン様!」

 フィオーネが、ソレアンの存在に気づき、嬉しそうに呼びかけた。

「え、アルモンド侯爵令息!?」

「まさか、あの画狂神のパトロンの!?」

 ファンたちの間に動揺が広がる。そして、次の瞬間、彼らは空気を読んで、驚くほどスムーズに道を開けた。


 ——あ、これ、確実に噂になるやつだ。


 ソレアンは、己の未来を直感し、目を遠くした。

 しかし、ここで動揺を見せるわけにはいかない。ソレアンは表情を崩さず、紳士らしくフィオーネのもとへと歩み寄り、彼女に手を差し出した。

「お待たせしました、ナディア女史。馬車へご案内いたします」

 フィオーネはその手を取り、微笑む。

「ありがとうございます、ソレアン様」

 彼女の笑みは、まるで花が咲いたかのような美しさだった。

 ソレアンは内心で再びため息をつきつつ、しばらく社交界の噂の的になることを受け入れるのだった。


【アルモンド侯爵家の晩餐会】


 同日の夜。アルモンド侯爵邸では、格式ある晩餐会の準備が整えられていた。

 広々としたダイニングホールには、美しく磨かれた大理石の床と、豪奢なシャンデリアが輝いている。食卓には、侯爵夫妻と長兄ワルター、ソレアン、そしてゲストとして招かれたフィオーネ・ナディア。

 しかし、その場にはもう一人、明らかに不機嫌な青年がいた。

 ゼファリス・デュヴァン。

 金髪に緑の瞳を持つ美貌の画家であり、ソレアンのパトロン活動の最重要人物。彼は長身をやや縮めるようにして、終始不機嫌そうな顔をしていた。

 ソレアンは、ゼファリスの態度に気づいていた。


 ——ゼファリス、明らかに機嫌が悪いな……。


 しかしそれを指摘しても仕方がないので、ひとまず放っておくことにした。

 フィオーネも何かを察したのか、ジッとゼファリスを観察していた。

「まぁまぁ、ようこそいらっしゃいました、フィオーネ嬢」

 侯爵夫人イレーネが優雅に微笑み、フィオーネを歓迎する。

「ご招待いただき、ありがとうございます。とても嬉しいです」

 フィオーネは礼儀正しく一礼し、席に着いた。


 料理が運ばれ、晩餐が始まる。イレーネは興味深げにフィオーネを見つめながら言った。

「アヴェレート王国でも、フィオーネ嬢の作品はとても人気ですわ。友達の夫人たちの間でも、いつも感想を言い合ってますのよ」

 フィオーネは驚いたように目を瞬かせた。

「まぁ……! それは光栄です。皆さんの心に残る作品を生み出せたなら、作家としてこれ以上の喜びはありません」

 フィオーネは、感謝の気持ちを込めて微笑んだ。ソレアンは、その様子を横目で見ながら思案する。


 ——やはり、ナディア女史は劇作家として、確固たる地位を築きつつあるな。


 貴族の夫人たちの間で話題になるということは、それだけ作品が社交界にも影響を与えている、と言えた。

 こうして、フィオーネとイレーネを中心に食卓の会話が弾んでいく。イレーネのテンポの良い会話回しに、時折りトレヴァーやワルターが交じる。

 しかしその穏やかな会話風景の一方で、ゼファリスだけは黙々と料理を食べ続けている。

 そんなゼファリスの態度を見て、ソレアンは内心で妙に引っかかるものを感じていた。


【ナディア女史、お引越し決定】


 温かいローストビーフの香りが漂う食卓で、和やかな会話が続いていた。アルモンド侯爵家の晩餐会は、豪華ながらも居心地の良い雰囲気に包まれている。

 そんな中、侯爵夫人イレーネが、ふとフィオーネに微笑みかけた。

「フィオーネ嬢は、今どちらに滞在されているのですか?」

「今は迎賓館に宿泊しております」

 フィオーネが答えると、イレーネは頷く。

「ああ、そうなのですね。あそこは静かで良い場所ですわね」

「ええ、そうなのですが……ただ、今ちょっと騒がしくなってしまっていますね」

「騒がしく?」

 イレーネが首を傾げると、ソレアンが肩をすくめながら答えた。

「ナディア女史が滞在しているのが、王都の民にバレてしまったみたいでさ。今、迎賓館前は彼女のファンでごった返してるよ」

 その言葉に、イレーネの目がきらりと光る。

「それは大変ですわね。フィオーネ嬢も落ち着かないのでは?」

「そうですね、ちょっとだけ。本当は静かな環境で新たな作品の執筆でもしようかと思っていたのですが……」

「まぁそれは困りましたわね」

 イレーネは優雅に紅茶を一口飲み、思案するように視線を落とした。そして、次の瞬間、何かを思いついたようにパッと顔を上げる。

「では、滞在先を我が家に移したらいかがかしら」


 ——何ですと!?


 ソレアンとゼファリスが同時に固まる。

「え、そんな……よろしいのですか?」

 フィオーネが驚いた様子で尋ねると、イレーネは微笑みながら頷いた。

「もちろん。芸術家を支援する家として、最高の執筆環境を提供することをお約束しますわ」


「ダメだ!!」

 突然、強い否定の声が響いた。

 食卓の視線が、一斉にゼファリス・デュヴァンへ向かう。彼は眉間に皺を寄せ、明らかに不機嫌そうに腕を組んでいる。

 イレーネが優雅に首を傾げる。

「ゼファリス、何をそんなに怒っているの?」

「当然だ!! 俺の気が散る!!」

 ゼファリスは食卓をバンと叩いた。

「せっかくの静かな環境が台無しになる!!」

「でも貴方、最近『魂が震えない』とか言って、特に作品を描いていないじゃない」

 イレーネの冷静な指摘に、ゼファリスは言葉を詰まらせた。

「ぐっ……!」

 そして畳み掛けるように、当主のトレヴァーが穏やかに口を開く。

「ゼファリスくんがこれだけ反対を示しているということは、つまり、それだけ魂が震えているということでは?」

「なっ……!?」

 ゼファリスはぐっと拳を握るが、鋭い指摘に反論できない。

「私は賛成です」

 長男ワルターが静かに言った。

「男ばかりの環境で申し訳ないが、フィオーネ嬢さえ良ければ、我が家に滞在していただくのは大いに歓迎すべきことです」

「ありがとうございます、ぜひ!」

 フィオーネは嬉しそうに微笑んだ。

 そして、ソレアンは思う。


 ——あれ、僕の意思確認は……?


 次男という立場の弱さがここで発揮され、何も言えずに話が決まってしまうのだった。


【嫁姑戦争勃発】


 翌朝、早速フィオーネの引っ越しが行われた。

 馬車から降りたフィオーネは、屋敷の壮麗な門を見上げ、感嘆の息を漏らした。

「お邪魔します!」

 その顔は、まるで新しい冒険に胸を躍らせる少女のようだった。

 ソレアンは内心でため息をつきながらも、紳士として彼女を迎え入れる。

「いらっしゃいませ、ナディア女史」

 しかし、隣から即座に不機嫌そうな声が飛んできた。

「本当に邪魔だがな!!」

 ゼファリスである。

 彼はソレアンの横にぴたりとくっつき、フィオーネを睨みつけるような視線を向けていた。

「わ、私、何か失礼なことをしてしまいましたか?」

 フィオーネは思わず後ずさる。ソレアンは肩をすくめながら言った。

「ああ、気にしないでください。こらゼファリス、ご客人に無礼な態度は取るなよ」

「ソレアン、こいつ、どう見てもお前のこと狙ってるぞ!!」


 ——!?


 ソレアンは硬直した。

 ゼファリスは鋭い眼差しでフィオーネを見つめながら、宣言する。

「いいか! ソレアンは俺のパトロンだ! お前がソレアンに近づく余地はないと思え!」

「あのな、ゼファリス……!」

 ソレアンが窘めようとするが、それよりも先に——。

「……気に入らない」

 低く響く地を這うような声が、その場を凍りつかせた。その声がフィオーネの口から出てきたことを理解するのに、ソレアンは数秒の間を要した。

 そしてソレアンは恐る恐るフィオーネを見る。

 そこには、青い瞳を静かに燃え上がらせたフィオーネ・ナディアがいた。

「ソレアン様が誰と共にあろうとするかは、ソレアン様が選択することですわ! 貴方が口出しすることではありません!!」

「え、ええ……?」

 フィオーネはゼファリスを指さし、堂々と宣言する。ゼファリスも負けじと声を張る。

「うるさい! お前にソレアンの何がわかる!」

「これから知っていくんですー!」


 ——決闘か!?


 言い争う二人の間で、ソレアンは挟まれたまま天を仰いだ。

「二人ともお願いだから……せめて屋敷の中で喧嘩してくれ……」

 そう、ここはアルモンド侯爵家の屋敷の門前。

 そして、すでに道行く人々が足を止め、興味津々にこの光景を見守っていたのであった。

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