第二話:迅速で効率的な問題解決
【文化交流です】
翌日の王都の中央歌劇場。その荘厳な建築は、アヴェレート王国の文化の象徴ともいえる場所だ。
白亜の柱が立ち並び、黄金の装飾が美しく輝く正面ファサード。大理石の階段を上る貴族たちの間に、一際目を引く人物がいた。
「うわぁ……!」
フィオーネ・ナディアは、劇場を前にして、感嘆の声を上げた。青い瞳をきらきらと輝かせながら、興味深そうに劇場の建築を見上げている。
「この劇場、美しいわね……! 細部の意匠に、貴族文化だけじゃなく市民文化との融合が見て取れるわ。ヴァルミールの王立歌劇場と比べると、より開かれた美意識を感じるわね……!」
早速、考察モードに入るフィオーネ。彼女はまるで学者のように熱心に劇場を観察し、その違いについて語り出した。
一方、その隣でソレアン・アルモンドは、フィオーネの楽しげな姿を見て安心しつつも、彼はすでに周囲の貴族たちの視線を感じ取っていた。
「ねえ、あの金髪に青い目……ヴァルミールの方じゃない?」
「アルモンド侯爵令息と一緒にいるってことは、もしかして……あの劇作家の?」
「建国記念日のパーティのときの『迎えに行く』宣言、まさか本当に?」
貴族たちが、ちらちらとこちらを見ながら囁き合う声が聞こえる。
——いや、やっぱり目立つよな!?
ソレアンは冷や汗をかいた。
まだフィオーネの顔はアヴェレート王国内で広く知られているわけではない。しかしヴァルミールの天才劇作家が王都を訪れているという噂は、文化人の間ではすでに広まりつつあった。
そして、そんな人物が、件の衝動的逆告白を経て、ソレアンと一緒にいる。
——これ、社交界でどう見られるんだ!? 友達で通じるのか!? 何か妙な憶測が広がったりしないか!?
貴族社会では「男女が二人で行動する」というだけで、余計な噂が立つものだ。
しかしここでソレアンがフィオーネを突き放すことなどできない。彼女はヴァルミールを代表する劇作家であり、文化交流の架け橋となる人物だ。
——そうだ、これは文化交流! 純然たる文化交流!!
ソレアンは無理やり自分に言い聞かせ、深呼吸する。そしてソレアンは、フィオーネに向き直り、笑顔を作った。
「ナディア女史、そろそろ中へ入りましょう」
「ええ!」
フィオーネは嬉しそうに頷き、ソレアンのエスコートを受けながら、劇場の扉をくぐった。
【劇場内:幕が上がる前】
中央歌劇場のサブホール。
ここでは、小規模〜中規模の予算の歌劇が披露される。作家の意欲作が多いが、当たり外れも大きい。メインホールではヴァルミール産の歌劇で占拠されることが多いため、アヴェレート王国産の歌劇を見たければ、このサブホールの歌劇が打ってつけだ。
劇場にはすでに多くの貴族や富裕層の民たちが集まり、開演を待っていた。
アヴェレートの劇場文化は、貴族文化と市民文化が交わる独特のスタイルを持っており、観劇は上流階級だけでなく、教養ある民たちの間でも人気の娯楽だった。
「すごい……!」
フィオーネは客席の装飾を食い入るように眺めながら、うっとりとした表情を浮かべた。
劇作家であるフィオーネにとって、ここはまさに天国のような場所だった。
ソレアンたちの席は、貴族専用のボックス席だった。ソレアンが手配した特等席であり、舞台を最も良い角度で見下ろせる位置にある。
フィオーネは、座るなり舞台のセットをじっくりと観察し始めた。
「この配置……! 背景美術の意図が分かるわ! おそらく、物語の展開と連動する仕掛けが施されているはずよ!」
彼女は細部のデザインや照明の配置を的確に分析し、すでに考察を始めていた。
——本当に舞台が好きなんだな……。
そんなフィオーネの姿に、ソレアンは思わず微笑みそうになった。
やがて、フィオーネがソレアンに尋ねる。
「今日の演目は何でしょう?」
ワクワクとした様子で尋ねるフィオーネに、ソレアンはプログラムを確認しながら答えた。
「『無気力三男と策略猫の靴と成り上がりの日々』です」
「まあ、面白そうなタイトルですね!」
フィオーネはプログラムを開き、作品のあらすじを確認する。
《無気力三男と策略猫の靴と成り上がりの日々》
とある地方領主の三男ライナーは、兄たちに財産を独占され、僅かな遺産として「一匹の猫」を譲り受ける。
失意に沈むライナーに、猫は言う。
『ご主人様、私はただの猫ではありません。とびきりの策を持つ、策略の申し子です』
そして、猫は一足の靴を手に入れると、ライナーを連れて王都へ向かった。
猫はライナーを「とある高貴な家門の嫡男」として仕立て上げ、巧みな話術と機転を駆使して、彼を貴族社会に食い込ませていく——。
「……なるほど、策略劇ね!」
フィオーネの声が弾む。
「策略劇は、観客の予想を超えて知的な展開を見せることが肝要だわ! 貴族社会の策略劇といえばオムレットがその源流に当たるけど、これもやはり宮廷での陰謀や復讐みたいな要素があるのかしら……!」
「お、おちついてください、ナディア女史……!」
ソレアンは小声で彼女を制しながら、ちらりと周囲を見回す。すでに劇場の貴族客たちが、フィオーネの熱量に気づき始め、好奇の目を向けていた。
ソレアンは、改めてフィオーネの「歌劇への熱意」の凄まじさを実感した。
「ま、まずは落ち着いて観ましょう。幕が上がります」
「ええ、もちろん!」
フィオーネは、興奮を抑えきれない様子で劇場の中央へと視線を向けた。
【怒れるフィオーネ】
歌劇の幕が下り、観客たちがざわめきながら劇場を後にしていく中、ソレアンとフィオーネは劇場のラウンジで向かい合っていた。
しかし、フィオーネの表情は——激怒していた。
「何よ、あの主人公!!」
彼女は拳をぎゅっと握りしめ、今にも床を踏み鳴らしそうな勢いで叫んだ。
「受け身! 棚ぼた! 自分で選択していない!!」
ソレアンは「まぁそうだよな……」と心の中で静かに嘆息する。この歌劇はソレアンから見ても、微妙な作品であった。
「言いたいことはわかりますが、そんなに怒らなくても……」
「怒るわよ!! だって、何よあれ!? 『策略猫』の助言なしには何もできない三男坊が、ただの操り人形のように貴族社会をのし上がるなんて!!」
フィオーネはズイッとソレアンに詰め寄った。
「彼、何一つ自分の意思で決めていないのよ!? 猫の指示通り動いて、言われるがままに振る舞って、気がついたら『よくやったな』って褒められてる!! それのどこが主人公なの!? 彼自身の葛藤も、成長も、まるでないじゃないの!! 巻き込まれ型主人公だとしても、もう少し自我があって然るべきじゃないの!?」
ソレアンは苦笑しながら肩をすくめる。
「確かに、それはごもっともですね……」
「それだけじゃないわ!!」
フィオーネは、今度は劇のヒロインについて語り出した。
「あの貴族令嬢!! 最初は全然乗り気じゃなかったのに、主人公がある程度の地位を得た瞬間に、態度がコロッと変わったじゃない!!」
「まあ……その辺りは、現実的な貴族社会の描写というか……」
「違う!!」
フィオーネは勢いよく首を振った。
「単なる態度の変化じゃないのよ!! 彼女は、相手の『地位』に恋をしたの!! まるで相手の人格や相手との関係性なんてどうでも良かったかのように!! 人間心理としてあり得る!?!?」
「それは……確かに、女性のトロフィー化ですね」
「そうよ!!」
彼女は真剣な表情で続けた。
「女性は、ただ男性の地位や名誉、成功を彩るだけの添え物じゃないわ! それぞれの人生があって、それぞれの選択があるのに、この劇ではまるで『成功した男のご褒美』みたいに扱われているのよ!!」
「……おっしゃる通りです」
フィオーネの勢いに押されながらも、ソレアンもまた感想を述べる。
「加えて……策略猫の策が、少々、強引すぎるというか……あれ、爵位詐称と脅迫罪ですよね?」
「そう!! 策略が全然洗練されてないの!!」
フィオーネは拳を握りしめる。
「策略猫が城主を騙して地位を手に入れた場面なんて、『頭脳戦』じゃなくて『詐欺と殺人』よ!!」
ソレアンは内心で「また過激なことを……」と思いつつも、確かにフィオーネの指摘は的を射ていると認めざるを得なかった。
「アヴェレート王国の価値観において、迅速で効率的な問題解決は最も尊ばれるものの一つでして……それを表現したかったのでしょうが、僕の目から見ても稚拙な出来でしたね」
フィオーネは興味深げにソレアンを見つめた。
「迅速で効率的な問題解決、ですか?」
彼女の瞳が知的な輝きを増す。
「はい。元々、このアヴェレート王国の成り立ち自体が、大国ヴァルミールに対抗するために、アヴェレート王家が東西南北の小国を速やかに統一して建国した背景がありますからね。問題解決においては巧遅より拙速を尊ぶ気風があります」
ソレアンの解説を聞き、フィオーネの表情がぱっと明るくなった。
「なるほど……! 歴史と文化の違いが、このような形で表れるのですね……!」
フィオーネはまるで新しい宝石を見つけたかのように、瞳を輝かせた。
——表情がコロコロ変わるなぁ。
フィオーネの無邪気な文化的好奇心が、表情に表れているようだった。その表情を、ソレアンは微笑ましく、眩しげに見つめた。
【アルモンド侯爵家の晩餐会計画】
その日の夜、ソレアンはアルモンド侯爵家の食卓に座っていた。
食卓には、侯爵夫妻、長兄、そしてソレアン。豪華な料理が並ぶ中、和やかな雰囲気で会話が弾んでいた。
しかし、そんな穏やかな空気を打ち破るように、母イレーネがふとソレアンを見て言った。
「そういえば、フィオーネ・ナディア嬢がアヴェレート王国にいらしてるとか?」
ソレアンの手が止まる。
「母上、一体どこからその話を?」
イレーネは優雅に微笑んだ。
「ご夫人たちのネットワークを甘く見ないことね」
社交界の情報網の恐ろしさを、ソレアンは改めて実感する。
「貴方が歌劇場を案内したヴァルミールの女子って、フィオーネ嬢よね?」
「まあそうだけど……」
イレーネは思案するように頷いた。
「そうね……近々、彼女を招待して晩餐会を開きましょう」
「え!?」
ソレアンは思わず声を上げた。
すると、父のトレヴァー・アルモンド侯爵が穏やかに笑う。
「それは良いな。うちにはゼファリスくんもいるし、芸術家同士で交流をさせたらお互いに良い刺激になるのでは」
「ええ!?」
さらに兄ワルターまでもが口を挟んだ。
「私も賛成です。我が家の名声にもなりますし、ソレアンも仲良くしているようですし」
「えええ!?」
驚愕するソレアンをよそに、晩餐会の開催が決定した。
夕食後、ソレアンは覚悟を決めるように息をつき、執事にフィオーネとの日時調整を指示した。




