最終話:自立自強令嬢は最愛王子を迎えに行く
【誓いの儀式】
雨季が明け、雲一つない夏の青空に、真っ白な太陽が下界を照らしていた。
アヴェレート王国の王城の大広間。ついにクレアとテオドールの婚約式の当日である。
格式高い空間の中心に、王家の人々が集まり、テオドールとクレアが向かい合う。
ヴァルミール王国の使節と、アヴェレート王国の重鎮たちが見守る中、誓約書が読み上げられた。
そして、二人が正式に署名を交わす。
これにより、クレア・サヴィエールは、テオドール・アヴェレートの婚約者となった。
そして、アヴェレート王国とヴァルミール王国の架け橋となる存在として、その一歩を踏み出した。
最後に、婚約指輪の受け渡しが行われる。
運ばれた指輪の台座には、息をのむほど美しい指輪が収められていた。
指輪の中央に輝くのは、エターニティ・アクアマリン。クレアのアイスブルーの瞳を映すような、最高品質のアクアマリンだった。
「クレア。君がこれを受け取ることを、僕は誇りに思う」
静かに、しかし力強く、テオドールはそう言った。
クレアは、指輪に目を奪われながらも、最後にはまっすぐにテオドールを見た。これは、婚約の証であり、二人の誓いの象徴。
クレアはゆっくりと手を差し出した。
そして、テオドールは、優雅な所作で指輪をクレアの左手の薬指にはめる。指輪がぴたりと収まった瞬間、未来への扉が、音もなく開かれた気がした。
クレアはそっと微笑んだ。
「これが、私の選んだ道なのね」
彼女の心は、少しの迷いもなく、ただ真っ直ぐに未来を見据えていた。
【建国記念日の宴】
アヴェレート王国歴161年の建国記念日。
この日は王国中が祝賀ムードに包まれ、王城では華やかな祝宴が催されていた。
そして、今年の祝宴にはもう一つ、大きな発表が控えていた。テオドール・アヴェレート王子とクレア・サヴィエール嬢の正式な婚約。
王宮の広間には、アヴェレート王国の貴族たちをはじめ、ヴァルミール王国からの招待客も多数訪れていた。
クレアの親族であるサヴィエール辺境伯家の面々、そして親友フィオーネ・ナディアもこの場に参列していた。
ヴァルミールの名家の令嬢がアヴェレート王国の王族と結ばれるというのは、両国にとっても一つの象徴的な出来事だった。
場の空気が一変したのは、王宮の楽団が奏でる美しい旋律が響き渡った瞬間だった。
王家の婚約発表の直後、テオドールとクレアが、最初のダンスのために舞踏の輪の中心へと進んだのだ。
アヴェレート王国の貴族たちが興味深そうに二人を見つめる。
テオドールの即興のリードは貴族たちの間でも有名だった。対して、ヴァルミールの舞踏はより型にはまった優雅な様式美を重視する。
——その両者が組み合わさった時、果たしてどうなるのか?
「ヴァルミールの貴族は型を重んじるはずだが……」
「それに、殿下のダンスは即興的な動きが多い。適応できるのか?」
貴族たちの囁きが広がる中、音楽が流れ始めた。テオドールがクレアの手を取り、優雅にステップを踏む。
そのリードに、クレアは完璧に応えた。
一歩も遅れず、隙なく、しなやかに。まるで、彼の次の動きを完全に読んでいるかのように、自然に舞い踊る。
「……なんという」
「まるで何年も殿下のパートナーを務めていたかのようだ」
「いや、それだけではない。彼女は、時折テオドール殿下のリードすら先回りしている……!」
驚きとともに、貴族たちの間から歓声が上がる。
クレアの踊りは、ただ従うだけのものではなかった。
彼女はテオドールのリードに適応しながらも、ヴァルミールの貴族らしい優雅さを崩さず、テオドールのリードにさえ微かに主導権を握る瞬間がある。
それを察したテオドールは、クレアの瞳を見つめながら微笑を浮かべた。
「君らしい」
テオドールとクレアのダンスが注目を浴びる中、ある二人組の反応にも静かなる関心が寄せられていた。王弟ラグナル・アヴェレート、そしてそのパートナーであるアデル・カレスト公爵だ。
アヴェレート王国の貴族社会の世論を決定づける二人が、クレア・サヴィエールをどのように評価するのか、貴族たちはその会話に耳を傾けていた。
カレスト公爵はダンスフロアに目を向けながら、杯を揺らす。
「彼女、外交官志望だとか」
その計算された雑談を受け、ラグナルは穏やかに微笑んだ。
「ああ。ヴァルミール王家の覚えもめでたいと聞く。ヴァルミールとの外交はより一層難しく……有意義なものになるだろうね」
「あのテオドール殿下と渡り合える少女ですものね。まぁでも、この国には、あのラグナル・アヴェレートがいますものね?」
カレスト公爵は、ラグナルに悪戯めいた微笑みを向ける。その笑みを、彼は愛しそうに見つめながら肩をすくめた。
「一体君は僕にどれほどの期待をしているのか。その手加減のなさ、身に余る光栄だよ」
「貴方が手加減を必要とするような人なら、私は今貴方の隣にいなかったのではないかしら、ねぇラグナル?」
「素直に僕に惚れてると言えない、拗らせた君も素敵だよ、アデル」
まるで見せつけるような甘い会話に、周囲のご夫人方は「今日も公式からの供給がもはや洪水ですわ……!」「あの空間に漂うスフィリナの香水になりたい……!」と涙ぐんでいた。その推し活夫人たちを横目に、他の貴族たちもざわつく。
王弟ラグナルとカレスト公爵が、クレア・サヴィエール嬢の才気を認めた。それがどれほど名誉あることか、アヴェレート王国の貴族でわからない者はいない。
やがて、クレアは最後のターンを終え、楽曲が静かに締めくくられる。二人の舞踏に、会場全体がどよめき、やがて拍手と喝采が巻き起こった。
「テオドール殿下の舞踏に、ヴァルミールの貴族令嬢がここまで対応するとは……!」
「いや、それだけではない。もはや彼女自身が、舞踏の主導権を握る場面すらあった……」
こうして、テオドール・アヴェレートと対等な関係を築く婚約者として、クレア・サヴィエールの名はこの日、アヴェレート王国中に深く刻まれることとなった。
【フィオーネと、ある侯爵令息】
その一方、会場の別の場所では、もう一人の注目を集める存在がいた。
ヴァルミールの天才女流劇作家、フィオーネ・ナディア。
すでにアヴェレート王国でも彼女の作品は話題となっており、貴族たちがこぞって彼女に話しかけていた。
「フィオーネ嬢、貴女の最新作を観劇いたしました! あの劇には、本当に感銘を受けました!」
「ぜひ、我が領の歌劇団でも貴女の作品を取り上げたい」
次々と寄せられる称賛に、フィオーネは微笑みながら対応していたが、その中に一人、彼女の興味を引いた人物がいた。
黒みの強い茶髪に、黒目。温厚な雰囲気を持ちながらも、王都の高位貴族として洗練された佇まいの男、ソレアン・アルモンド侯爵令息。
彼は、新進気鋭の天才画家のパトロンとして名を馳せる貴族だった。
そんな彼が、フィオーネに向けた言葉は、他の貴族とは一線を画していた。
「貴女の描く作劇からは、女性抑圧に対する激しい怒りと同時に、同じ女性へ勇気を与えようとする気概を感じます」
フィオーネの瞳が、大きく見開かれた。
——私が伝えたかったことは、それだったんだ。
自身ですら言語化できなかった心の底からの慟哭。フィオーネは驚きとともに、彼女の中で何かが弾けるような感覚があった。
気づけば、彼女の口から衝動的な言葉が飛び出していた。
「あの……迎えに行っても良いですか!?」
会場が静まり返った。
「えっ……?」
「え、いまのって——」
騒然とする貴族たち。
ソレアン自身も目を見開き、意表を突かれたようにフィオーネを見つめていた。そして少しの間を置き、狼狽えつつも誠実さを滲ませて返答した。
「そ、それではお友達からでどうでしょう?」
その一言は、国境を超えた新たな物語の始まりとして認知された。
後にアヴェレート王国の文化史における重要人物と、この時代を代表する劇作家となる二人の、最初の出会い。それはこの建国記念日の祝宴で、生まれたのであった。
【星降る夜の誓い】
華やかな祝宴が終わり、王城の中庭には静寂が訪れていた。夏の夜空には星の川が煌めき、涼やかな風が庭の花々を優しく揺らしている。
クレアは、中庭の噴水のそばで一息ついた。
——長い一日だった。
王国の貴族たちの前で舞踏を披露し、名実ともにテオドールの婚約者として認められた。その重みがようやく実感として降りてくる。
クレアが夜空を見上げていると、そっと背後から温かな気配が近づいてきた。
「……やっと二人きりになれたね」
テオドールだった。
彼はクレアの隣に立ち、同じように空を見上げる。その横顔はいつもより穏やかで、どこか愛しげな色を帯びていた。
「今日は、お疲れさま」
「……ええ、本当に」
クレアは微笑む。少し気を緩めると、自然とため息がこぼれた。
「疲れさせられましたわ。まさか貴方のせいで、国境を揺るがす一触即発の事態になろうとは!」
「やだなぁ。そんな大した話じゃないよ。エドバルド国王陛下の酒が進んで、つい冗談を言ってしまった。カレスト公爵もその冗談に乗っただけ。そういうことになったでしょ?」
そう言いながら、テオドールも珍しく声が震えていた。テオドールをもってしても、隠しきれない戦慄である。
事の顛末はこうだ。テオドールがエドバルドに、クレアをアヴェレート王国へ留学させないかと言い出し、エドバルドがその交換条件として王弟ラグナルの国外赴任の話を持ちかけた。それを聞きつけたカレスト公爵が、『ちょっとした冗談』を述べたのだ。
その冗談のせいで両国の国境が動きかけ、サヴィエール辺境伯家は辺境の家ではなくなりそうになり、クレアの外交官という進路の必要性が消え去りかけた。クレアがテオドールに怒るのも無理はなかった。
「はぁもう……カレスト公爵と言い、貴方の国の貴族たち、手強すぎる……」
「でも君も負けてなかったよ」
テオドールは、どこか楽しげに言った。
「貴族たちがあんなに驚くのを見るのは久しぶりだったよ。クレアが僕のリードに完璧に対応するたび、彼らの顔が少しずつ変わっていくのが見えてね」
「貴方の舞踏に翻弄されっぱなしでは、婚約者としての威厳が立ちませんもの」
「それなら、これからも翻弄していい?」
テオドールの言葉に、クレアは一瞬きょとんとした。
そして、すぐにその意図に気づき、苦笑する。
「貴方って、本当に——」
言いかけたその瞬間、彼はそっとクレアの手を取った。
指先が触れ合うだけで、心臓が跳ねる。まるで先ほどのダンスの余韻がまだ残っているかのように、彼の指が軽く絡む。
「君は、あと数日でヴァルミールに戻るんだね」
「ええ。学業がありますから」
「……また、君のいない日々を過ごすのかぁ」
その言葉は、クレアが聞いたことのないような切なさを伴って響いた。テオドールの黒いの瞳には、君を手放したくないと言わんばかりの想いが滲んでいる。
クレアは、その視線をまっすぐに受け止めた。
「待たせるけれど……」
彼女はそっと、自分の指に光る婚約指輪を見る。アクアマリンの煌めきは、まるで星の輝きを閉じ込めたようだった。
「私は、テオ様のもとへ戻ります」
それは約束だった。テオドールの隣に立つと決めた以上、この道は揺らがない。
彼の瞳が細められ、ふっと微笑がこぼれる。
「……そういうところ、本当に君らしい」
テオドールは、そっとクレアの頬に触れた。指先が滑らかに肌を撫で、優しく彼女の顔を引き寄せる。
そして、唇が触れた。
それは静かで、けれど確かな熱を持った口づけだった。テオドールらしい、迷いのない確信に満ちたキス。
ほんの一瞬、クレアの思考が止まる。
心臓の鼓動が耳に響き、体の奥から甘く痺れるような感覚が広がっていく。
——この人は、本当にずるい。
——抗うことも、言い逃れることも許さない。けれど、それが嫌ではない自分がいる。
唇が離れると、彼はクレアの額にそっと口づけを落とした。
「またすぐに、迎えに行くよ」
囁くような声に、クレアは微かに笑う。
「迎えを待つだけなんて性に合わないわ。だから、私もその未来を迎えに行きます」
夜風が二人を包み込み、満天の星が祝福するかのように瞬いていた。
そして、この誓いのキスとともに、彼らの物語は次なる幕開けへと進んでいく。
最終話ですが最後の話ではありません(哲学)
明日、最終挿話更新します。




