第四話:外交官クレア・サヴィエール
【エリオノーラ王女とのお茶会】
ある日、クレア・サヴィエールのもとに、一通の招待状が届いた。それは、ヴァルミール王国の王女エリオノーラ・フィーリスからのものだった。
王家の血筋を引く高貴な女性でありながら、エリオノーラ王女は単なる宮廷の花ではなかった。アヴェレート王国への留学を経て、「女性自立の旗手」としてその名を轟かせていた。彼女は自身の美貌や王族としての立場を利用するだけでなく、確かな知性と行動力をもって政治の場に影響を与え始めている。
かつては「フィーリス家の儚き深窓の姫」として、美貌のみが語られていた彼女が、いまや王国の未来を動かす存在となりつつある。その証拠に、一部の保守派貴族たちは彼女の影響力を警戒し、眉を顰めるほどだった。
そんな彼女からの招待に、クレアは政治的な意図を察する。しかし、迷うことなく返事をした。「ぜひ、出席させていただきます」と。
招待されたのは、王宮の一角にある優雅なサロンだった。
当日、クレアが訪れると、エリオノーラ王女は既にそこにいた。
金の髪をゆるく結い、淡い青のドレスを纏った彼女は、穏やかな微笑を浮かべていた。その胸元にはリボンの意匠が目を引く、インペリアルトパーズが輝いている。彼女の佇まいには威厳と余裕があり、ただの貴族の令嬢では到底醸し出せない、王族としての風格が滲んでいた。
クレアが席に着くと、侍女がティーカップに美しい琥珀色の茶を注いだ。
クレアは目を細め、静かにティーカップを持ち上げた。
「これは……アヴェレート王国の薬草茶ですね」
その言葉に、エリオノーラは微笑を深めた。それは、ただの歓迎の笑みではない。どこかクレアを試すような、探るような笑みだった。
「ええ、その通りです。よくご存知でしたね」
「一度、飲む機会がありまして。紅茶とは異なる独特の風味で、興味深いものだと感じました」
クレアは静かに答える。その目は、エリオノーラの意図を見極めようとしていた。
「では、この薬草茶の原産地は?」
エリオノーラが次の問いを投げる。
「アヴェレート王国北部、カレスト公爵領ですね。現在の当主、アデル・カレスト公爵閣下によって開発された品であると伺っています」
「正解。ならば、この薬草茶の原材料の名前もご存知かしら?」
「薬草スフィリナ。冷涼な地域でなければ育たない希少な薬草です。何でも、特殊な肥料を使わなければ量産できない、極めて栽培が難しい薬草だとか」
ここまでのやりとりを経て、エリオノーラは満面の笑みを浮かべた。
——試している。
クレアは確信した。
エリオノーラは、クレアの知識を試している。これは、単なる茶会ではない。王女は何かを見極めようとしている。
「今、ヴァルミールではこの薬草茶の輸入を制限するため、高い関税をかけています」
エリオノーラはそう切り出し、琥珀色の茶を一口含んだ。
「我が国の伝統的な紅茶産業に打撃を与えかねないからです。その点について、貴女のお考えを聞かせていただきましょう」
クレアは一瞬、思考を巡らせる。そして、淀みなく答える。
「産業保護の本質は、既存産業の永続ではありません」
エリオノーラが僅かに眉を上げる。クレアは続けた。
「競合産業に対してどう立ち向かうべきか、その盤面と実力を備えるための準備期間として捉えるべきです。この産業保護の間に、ヴァルミール産紅茶の産業戦略を固め、事業や労働のあり方を見直し、いずれは薬草茶と健全な競争をしていくべきでしょう」
エリオノーラの瞳がわずかに細められる。そして、満足げに頷いた。
「噂に違わぬご慧眼ですね」
そう言うと、エリオノーラは柔らかく笑う。
「貴女ほどの知性ある人材が、伝統的な女性の役割の中に埋没する可能性があったなど、国家の損失ですわ」
「恐れ多いお言葉、ありがたくお受けいたします」
「では——最後の質問ですわ」
もはや、クレアを試していることを、エリオノーラは隠そうともしていなかった。
「貴女はテオドール殿下と婚約内定の身。その立場を、貴女はなぜ望んだのでしょうか?」
真正面からの問い。
クレアは、静かにティーカップを置くと、エリオノーラの目をまっすぐに見つめた。
「第一に、このヴァルミールという国がこれからも自立発展する誇りある国であるために、私自らが、かの国の王族と対等なパートナーシップを体現するためです」
エリオノーラは、クレアのアイスブルーの目を真っ直ぐに射抜く。
「第二に、彼が優れた資質を持つ人材であり、私の旦那に相応しいと判断したからです」
クレアもまた、エリオノーラの青い目を見つめ返す。
「そして第三に——彼を愛しているからです」
クレアの声が少しだけ和らいだ。エリオノーラが静かに息を吐く。
「素晴らしい。貴女の矜持、しかと受け止めました」
エリオノーラは優雅に立ち上がり、クレアを見つめる。その表情には、確信めいた笑みを浮かべていた。
「クレア嬢、この後まだお時間はございますか?」
「ええ、特に他の予定はございませんが」
「では——私の父にもお会いいただきたいのです」
それはつまり、ヴァルミールの国王との謁見。
クレアは、驚きを隠しきれず、思わず目を丸くした。
【国王エドバルドとの謁見】
エリオノーラからの誘いに、クレア・サヴィエールは背筋を冷たいものが駆け抜けるのを感じた。
辺境伯令嬢という高位貴族の身分であっても、国王と直接謁見する機会など、そう簡単にあるものではない。ましてや、それが個人としての招待であるならば、なおさらだった。
しかし後退は許されない。
「かしこまりました」
クレアは表面上、平静を装いながらそう答えた。
エリオノーラ王女の手引きにより、謁見の間へと案内される。
王宮の奥深くにあるその間は、優美でありながら、無駄な装飾の少ない実直な空間だった。そこに座していたのは、ヴァルミール王国の主——国王エドバルド・フィーリス。
威厳に満ちたその姿は、ただそこにいるだけで周囲を圧倒する力を持っていた。玉座の横には重臣たち、後方には侍従たちが控えている。
クレアは歩みを進め、王の前で膝をつこうとした——その時。
「そのような礼はいらぬ」
重厚な声が響いた。
クレアが顔を上げると、エドバルドは彼女をじっと見下ろしながら、ゆっくりと続けた。
「テオドール殿下から、そなたの評判を聞いている。儂は、能力ある者に対して、明確に贔屓すると決めている」
クレアは、エドバルドの言葉に内心でたじろいだ。
王とは公平な裁定者であるべき存在。そう信じていた彼女にとって、国王自らが「贔屓する」と公言するのは、ある種の衝撃だった。
しかし、それは自身の固定観念に過ぎないと、すぐに思い直す。
——私はすでに知っている。固定観念に囚われない王子の存在を。
その名は、テオドール・アヴェレート。
ならば、この国王もまた、同じく固定観念の枠を超えた視点を持つ人物なのだろうと、クレアは素早く理解した。
エドバルドは、改めてクレアを見据えた。
「そなたの婚約者、テオドール殿下のことはよく知っている。彼は有能な男だ」
「……それは、私も存じております」
クレアは、淡々と、しかし確信を持って答えた。
すると、エドバルドは笑みを浮かべる。
「アヴェレート王家は、どいつもこいつも抜け目がない。だから儂はあの王家が好きなのだ」
クレアは、その言葉を聞いてようやく、エドバルドがアヴェレート王家と強固な関係を築いている理由を理解した。
それは単なる外交上の計算ではない。実力主義による信頼関係——それこそが、この王の政治理念だったのだ。
「有能であることは、それだけで価値だ。そして、そなたもその価値を持つ者かどうか——それを確かめたくて呼んだのだ」
クレアは息を飲みながらも、その緊張感に足を震わせないよう、しっかりと踏みしめた。
王は静かに問いを投げかけた。
「クレア・サヴィエールに問おう。夏に予定しているアヴェレート王家との婚約式。貴殿は、そこで何を成す?」
クレアは、一瞬だけ思考を巡らせた後、ゆっくりと口を開く。
——この問いに、私は何を答えるべきか。
けれど、それは迷うことではなかった。
彼女の胸に宿る信念。彼女の背中を押すもの。それらが、答えを導いていた。
クレアのアイスブルーの目が、まっすぐに王を見据え、はっきりと言葉を紡ぐ。
「ヴァルミールの矜持を示し、テオドール・アヴェレートと対等な婚約者であることを証明する所存でございます」
その瞬間、謁見の間に緊張が走る。
エドバルドは、無言でクレアを見つめた。その目は、試す者の目。鋭く冷静で、どこか愉しげでもあった。
重苦しい沈黙が流れる。侍従たちは、気圧されるように息を詰めた。
しかしクレアは、目を逸らさなかった。どれほどの圧力を受けようと、彼女の意志は揺るがない。
やがて、エドバルドが口を開く。
「なるほど」
彼は、一瞬だけ思案するように視線を逸らし、そして隣に立つエリオノーラに目を向けた。
「このような逸材が我が国にいたとは。のう、エリオノーラ?」
エリオノーラ王女は、誇らしげに微笑む。
「だから言ったでしょう、お父様。我が国の女性は優秀だと」
彼女の言葉に、エドバルドは豪快に笑った。その瞬間、張り詰めた空気がふっと解ける。
エドバルドは、改めてクレアを見据えた。玉座から降りることなく、しかし、威厳のある声で言葉を続けた。
「では、クレア・サヴィエールに命ずる。次の婚約式で、アヴェレート王国に、その名を刻め」
クレアは、言葉の意味を深く噛み締める。それは、国王の期待であり、信頼の証。
「これは貴殿の外交官としての最初の使命であると心得よ」
クレアは、静かに頭を下げる。
彼女自身が夢見ていた未来を、国王自らが承認した。クレアの胸の内に、奮い立つ喜びと、新たな覚悟が湧き上がる。
外交官の道は夢ではなくなった、ここから始まる使命なのだ、と。
「必ずや、そのご期待にお応えします」
クレアはその言葉に、未来への決意を込めた。
後にヴァルミールの名外交官と呼ばれるクレア・サヴィエールの、その誕生の瞬間であった。




