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第一話:それぞれの未来へ

【外交官としての決意】


 冬季休暇の間、クレアは実家のサヴィエール邸へと戻っていた。久しぶりの家族との団欒は温かく、屋敷は心地よい暖炉の火のぬくもりに包まれていた。そんな中、クレアは家族の前で、静かに、しかし確固たる意志をもって宣言した。

「私は卒業したら、外交官になります」

 一瞬の沈黙。そして、次の瞬間には家族が笑顔で彼女の決意を受け入れてくれた。

 父シグムントは「なるほど、それがクレアの選んだ道か」と満足げに頷き、兄のサミュエルも「まあ、クレアならやれるだろうな」と力強く後押しし、その決断を尊重してくれた。

「まあ、素敵! テオ君と結婚するのだし、花嫁修行としては最適ね! アヴェレート王国での人脈をしっかり作るのよ! 子育てにママ友は不可欠よ!」

 母ベアトリスは満面の笑みでそう言い放った。

 クレアはその場で脱力した。


 外交官キャリア=花嫁修行?


 ベアトリスの思考回路があまりにもポジティブすぎた。

 外交という仕事は人脈作りが肝要であることは確かに間違いではない。しかし、ベアトリスの脳内では「外交=夫の国での人脈作り=花嫁修行」と完全に変換されていた。

 シグムントが肩をすくめてクレアを見た。「ほらな?」と言いたげな視線だった。

 クレアは小さくため息をついた。

「……お母様、それは違いますわ」


【クレアが選んだ未来】


 クレアは、テオドールとの長い交渉の時のことを思い返した。

 クレアがいきなり持ちかけた婿入り提案は、当然、ブラフである。次期当主の兄サミュエルがいる以上、サヴィエール辺境伯家にとって、クレアの婿取りの必要はない。

 ドア・イン・ザ・フェイス——あえて大きな要求を断らせ、後の本命の小さな要求を飲ませる交渉テクニック。また、妥協点を探る最初の一歩にもなる。


 クレアの本命の要求。それは「テオドールと婚約・結婚する」と同時に、「両国の架け橋となる」ことだった。

 ヴァルミールとアヴェレート王国。どちらも一筋縄ではいかない国だ。

 アヴェレート王国は強大であり、合理的であり、そして手強い国。彼女が生まれ育ったヴァルミールとは、文化も価値観も異なる。

 そんな国と渡り合い、自国の理と利を守るためには——外交官という立場が最もふさわしいと、クレアは考えた。

 たとえ将来アヴェレート王国へ嫁ぐとしても、彼女はただの妻として収まるつもりはない。外交官という仕事を外れても、両国の架け橋となる活動は継続するつもりだった。

 ヴァルミールには、彼女の家族がいる。彼女を育ててくれた国がある。だからこそ、彼女はこの道を選んだ。


 ——自らの愛する国を、手放すことなく守るために。


 そしてこの選択を叶えるためには、テオドールの協力が不可欠だった。クレアは以下の三つを具体的に要求した。

 一、ヴァルミール王立学園をきちんと卒業したいこと。

 二、卒業後に、外交官に就職の上、アヴェレート王国に行きたいこと。

 三、自分のキャリアに満足するまで、婚姻はしないこと。


 一はすんなりとテオドールも受け入れた。

 二は、テオドール個人としては賛成だったが、国内で根回ししておく必要があるとのことだった。外交官がその赴任先で嫁入りすることは、スパイ活動と見られなくもないからだ。この根回しはテオドールが請け負った。

 最後の三が厄介であった。「具体的にどういう状態になったらその条件を達成したと言えるのか」「達成期限を切るべきではないか」「主観指標ではなく客観的に測定できる指標にすべきではないか」など——結局、落とし所としては、「二十五歳になるまでの間に、クレアがアヴェレート王家の外交窓口として正式に信任されること」を当面の条件とした。この条件が達成された場合、その時の状況に応じて、年限の見直し等を行うことになっている。

 尚、達成できなければ、「諦めて僕のお嫁さんになってね」とのことである。


 この長い交渉を終えたとき、テオドールは少し笑って、こんな言葉を返してきた。

「クレアが正式に外交官になったら、ヴァルミールとの交渉は格段にやりにくくなるね」

 それは、未来の外交官クレア・サヴィエールに対する最大級の賛辞だった。


【知の革命の始まり】


 時同じ頃、アヴェレート王国、王都の中心にそびえ立つ王城の一室。

 煌びやかな装飾が施された会議室には、四人の王族が集まっていた。


 アヴェレート国王アーサー・アヴェレート。

 宰相を務める王弟ラグナル・アヴェレート。

 王太子レオン・アヴェレート。

 そして、留学を終えて帰国したテオドール・アヴェレート。


 彼らはこれからの王国の未来について議論するため、王城の会議室に集まっていた。

 テオドールは、ヴァルミール留学での経験を報告していた。

「ヴァルミールの教育制度は見事です。しかし、貴族の思想統制を目的とした機関であり、教育体系に偏重がある。それが社会の停滞を招いているのも事実。その病理を目の当たりにしてきました」

 ヴァルミールの学園制度。

 彼らは知識の継承には熱心だったが、革新を促すことには消極的だった。

 貴族階級の思想を守るため、特定の学問が優遇され、実践的な知識や新たな理論の発展は二の次にされていた。

「王国に導入するなら、算術や薬学など、実践的な知識を扱う学問も取り入れるべきでしょう。そして学問の蛸壺化がないよう、新たな知の創出を促す苗床としてデザインすべきです」

 学問の「蛸壺化」。それは、各学問が閉鎖的に発展し、互いの交流が乏しくなる現象を指す。

 ヴァルミールでは法学や政治学が貴族の学問として尊ばれ、自然科学や工学の発展には後れを取っていた。

 しかし、アヴェレート王国では違う形を目指すべきだと、テオドールは提言した。

「なるほど、興味深いな」

 アーサーは顎に手を当て、考え込む。

「しかし、それだけの大改革なら、十年越しの計画が必要だろう」

 国の根幹に関わる変革を行うには、時間と準備が必要だ。急激な変革は貴族層の反発を招き、社会の不安定化を招きかねない。

「今から構想議論を始めるべきでしょうね。国内で既に貴族教育に携わる者たちの組織化を進めておくのもいい。教育の現場にいる者たちを巻き込み、改革の布石を打つべきでしょう」

 ラグナルが静かに言う。

「では、今王家が進めている国土開発がひと段落する頃に、本格的にプロジェクトとして立ち上げるのはいかがでしょう」

 レオンが提案した。

 現在、アヴェレート王国は国土開発政策としてインフラ基盤整備の最中にある。これは現在アーサーが進める「行政機能の再編、国土開発、経済発展」の中でも、最もヒト・モノ・カネのリソースを必要とする政策だ。それを完遂してから、というのは、王家のリソース管理の面でも現実的だった。

「そして、その導き手は、テオドールであるべきだ」

 レオンが真っ直ぐに弟を見つめ、そう断言した。テオドールはしばし沈黙した後、ゆっくりと頷いた。

「謹んで拝命します。国家の長期展望『千年の団結』の人材基盤として、そして兄上が目指す医療・教育・福祉の拡充による『安寧国家』の実現のため、必ずやお役に立てることでしょう」


 この会議は、後の世に「アヴェレート王国の知の中枢」と称される王立アカデミーの産声であった。


【変革の芽吹き】


 アヴェレート王国で教育改革の構想が進む中、ヴァルミール王国でもいくつかの変化が起きていた。

 その契機となったのは、ヴァルミールの姫、エリオノーラ・フィーリスの帰国直後、自身の17歳となる誕生日に発せられた声明だった。

 彼女は胸元のインペリアルトパーズが埋め込まれたブローチに、誓いを立てるように優しく触れながら、高らかに宣言した。

「私はこの国の未来を作る王女として、ヴァルミールにおける女性自立の支援をお約束します」

 アヴェレート王国への交換留学中、才媛アデル・カレスト公爵に触発され、王女マルガリータ・アヴェレートの影響を強く受けたエリオノーラは、国内の女性貴族たちとの交流を積極的に推し進め、自身のサロンを通じて女性自立の議論を巻き起こしていた。


 その追い風に、いち早く乗ったのがスカーレット・ローレント公爵令嬢である。

「ローレント公爵家の未来を牽引するのは、私の役目です」

 わずか十二歳にして、その機知に富んだ振る舞いで注目されていた彼女は、兄ヴィクトールの失脚後、次期公爵としての指名を獲得した。

 背景には、エリオノーラ・フィーリスの宣言、フィオーネ・ナディアやクレア・サヴィエールのような女性自立の先駆者の台頭、そしてローレント公爵家の評判が落ち、もはやまともな家が婚姻による再建を望まなかったことがある。

 しかしスカーレットはそのすべてを追い風として、自ら名乗りを上げたのだ。

 元々、王家と貴族の間を繋ぐパイプ役だったローレント公爵家。

 新たに公爵位を継ぐスカーレットと、ヴァルミール王女として未来を担うエリオノーラは、次代の盟友としての関係を深めていくことになる。


 さらに、モンテヴェール侯爵家の信用が失墜し、新たな貴族の調停役として王家から信を受けたのが、グレイシア伯爵家だった。

 元々、領地間の経済連携を得意としていた家系であったことから、その役割をさらに拡大せよ、ということだ。

 結果として、彼らは新たに侯爵家へと昇格を果たした。

 そして、そのグレイシア侯爵家の令嬢であり、サミュエルの婚約者でもあるミネルヴァは、この流れに戦々恐々としていた。

「……なんか女性自立の旋風に巻き込まれてる……?」

 そんな呟きを知ってか知らずか、サミュエルはミネルヴァに恍惚としながらこう告げる。

「時代が君の輝きを求めている、君は僕の誇りだよ」

「あんた本当に結婚する気ある!?」


 アヴェレート王国のアデル・カレスト公爵から始まった女性自立の萌芽は、隣国ヴァルミールでその花を開かせた。

 後の世に「才能が潰えぬ国・ヴァルミール」と呼ばれることとなる、その黎明であった。

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