挿話④:愛で繋がる者たち
【友に贈るブローチ】
冬の寒さが本格化する頃合い。黄金色の火を灯す暖炉の前で、マルガリータとエリオノーラはお茶を飲んでいた。窓の外では木枯らしが吹いている。
静かに茶器を置きながら、マルガリータがふっと微笑んだ。
「せっかく仲良くなれたのに、もうお別れの時期なのね。エリオノーラ、この半年の留学はどうだった?」
エリオノーラは、湯気の立つカップを手に取りながら、マルガリータの言葉を噛み締めるように目を細めた。
「とても学びが多くて、かけがえのない時間だったわ。特にマルガリータと友になれたことは、望外の喜びだった」
エリオノーラの言葉に、マルガリータは満足げに頷いた。
「私もよ。当初は、貴女のお姫様っぷりに、絶対に合わないと思ってたけど」
エリオノーラは、くすっと笑いながら肩をすくめる。
「おあいこね。私も、とっつきにくい王女様だと思ってたの」
二人は顔を見合わせて、くすくすと笑った。しかし、その笑いの中にも、どこか名残惜しさが滲む。
エリオノーラは、真剣な眼差しでマルガリータを見つめた。
「でも貴女の民を思う気持ちや情熱に触れて、なんて素敵な人だろうって思ったの。今では、貴女との友情が、私の誇りだわ」
マルガリータは、その言葉に目を細めた。
「ありがとう。私もよ。貴女が変わろうとしている姿を見て、とても心を打たれたわ。その成長を応援したいと思ったの」
互いの気持ちを率直に伝え合い、穏やかな空気が二人の間に流れる。
すると、マルガリータが思いついたように手を叩いた。
「ねえ、明日、ちょっと一緒に付き合ってくれる?」
翌日、マルガリータはエリオノーラを伴い、高級ジュエリー店「エテルニタ」を訪れていた。
店内に足を踏み入れた瞬間、エリオノーラは思わず息を呑んだ。
「噂には聞いていたけど……素晴らしいジュエリーね。こんなに気品に溢れ、繊細で、まるで宝石たちが囁き合っているような……」
展示されたジュエリーの輝きに、思わず恍惚のため息が漏れる。
そんなエリオノーラを見て、マルガリータはくすっと笑った。
「あんまり見惚れると、いつの間にか大人買いしてしまうから気をつけた方が良いわ」
それは、マルガリータなりのエテルニタへの賛辞でもあった。エリオノーラはその意を汲んで、微笑む。
すると、店主のヴィオラが奥から姿を現した。
「マルガリータ様、いつもありがとうございます。今日は特注品のオーダーですね」
マルガリータは微笑を浮かべながら頷く。
「ええ。私と、彼女とで、お揃いのブローチを作ってほしいの」
エリオノーラは、思わぬ提案に少し驚いた表情を見せた。
「お揃いの……?」
ヴィオラはマルガリータの意図を察したように微笑みながら、提案をする。
「なるほど、承知しました。それでは、お二人の心がいつでも繋がっているという意を込めて、リボンの意匠を入れたデザインなどいかがでしょう?」
マルガリータは、その案に目を輝かせた。
「まあ素敵。エリオノーラはどう思う?」
エリオノーラは、胸に温かいものを感じながら頷いた。
「ええ、とても良いわ。ぜひ、お願いしたいです」
ヴィオラは優雅に一礼し、続ける。
「かしこまりました。使う石はどうしましょうか?」
マルガリータは、ふとエリオノーラを見つめて微笑んだ。
「それぞれ、贈りたい石を選ぶのが面白いのではないかと思って」
宝石には、それぞれの意味を持つ宝石言葉がある。
エリオノーラはその意図をすぐに察し、目を輝かせた。
「それは素敵なアイデアね。ぜひ、選ばせてもらうわ」
エリオノーラの帰国が迫る中、ヴィオラは急ピッチで製作を進め、何とか間に合わせた。
完成したブローチを手に、二人は向き合う。
「マルガリータが選んだのは……ピンクオレンジのインペリアルトパーズ?」
「ええ。『希望、友情』の意味を持つの。貴女の成長は、たくさんの希望をもたらすわ。そして私たちの友情が、いつまでも続いてほしいと思っているの」
エリオノーラは、その言葉にじんわりと胸が温かくなるのを感じながら、自分の選んだ宝石を差し出した。
「私は……青紫のブルーゾイサイトを選んだわ」
「ブルーゾイサイト……『誇り高い、希望』の意味ね」
エリオノーラは静かに頷く。
「貴女の誇り高さに、私も奮い立つことができたの。貴女が私の目標であり、希望なのよ」
二人は、互いのブローチを交換し、しっかりと手を握った。
やがて、エリオノーラの帰国の日が訪れる。
城門前には、ヴァルミール王国へ帰還する彼女の馬車が用意されていた。エリオノーラは、マルガリータとの別れを惜しむように、彼女の顔を見つめる。
しかし、その瞳にはもう迷いはなかった。
「恋に浮かれるお姫様」ではなく、「ヴァルミールの王女」として、凛とした出立ちで。
風が舞い、エリオノーラの白金色の髪を揺らす。
彼女は最後に、胸元に輝くブローチをそっと指でなぞり、力強く馬車に乗り込んだ。
その姿を見送りながら、マルガリータは小さく微笑んだ。
「……また会いましょう、ヴァルミールの王女様」
二人の胸元には、同じリボンの意匠のブローチが輝いていた。
【乙女系貴公子とスパダリ王女】
今日もマルガリータの胸元には、リボンの意匠に青紫の輝きを宿すブローチがつけられていた。
そして、最近のマルガリータには、新たな習慣ができていた。モーリス・ウィンドラス公爵令息との月一回のお茶会。二人の婚約はすでに内定しており、モーリスが成人する来冬に正式に婚約する予定だった。
「婚約晩期化している世の中で、無理に婚約を進めなくとも問題ない」
これはウィンドラス公爵の意向だった。要するに、もはや形骸化したウィンドラス公爵家家訓『王家とは一定の距離を置くべし』をギリギリまで守るため、悪あがきをしているのだ。関係者全員、そんな公爵を生温かい目で見守っている。
「モーリス、もうお茶会も何度目かしら?」
いつものようにサロンでお茶を楽しみながら、マルガリータは優雅に微笑んだ。
モーリスは相変わらず、緊張を滲ませた表情で、カップをそっと置く。
「……ええと、六回目です」
「そうね。そろそろ慣れてもいい頃合いだと思うのだけど?」
くすっと微笑むマルガリータに、モーリスはますます顔を赤くした。
——本当に可愛い。
そう思うたびに、マルガリータは「私の旦那選びは間違ってなかったわ」と心の中で確信する。
以前、マルガリータはモーリスにこう尋ねたことがある。
「ねえ、いつから私のことを慕ってくれていたの?」
するとモーリスは、顔を真っ赤にして、小声で答えた。
「……貴女が、五歳の頃からです」
その言葉を聞いたときには、さすがのマルガリータも驚愕した。マルガリータは今十六歳。つまり、十年以上だ。
マルガリータも呆れを通り越して、思わず笑いそうになったほどだ。
——この一途で初々しい青年を、どう幸せにしてあげよう?
そう考える時間が、最近のマルガリータの楽しみであった。愛されるよりも、愛を与える方が、マルガリータの性に合う。「人知れず自分への愛を温め続けてきた彼にこそ、自身の寵愛を与えたい」、それがマルガリータのモーリスへの想いである。
「モーリス、これを受け取って」
マルガリータは、小さな箱を差し出した。モーリスは意表を突かれたように目を瞬かせながら、恐る恐る箱を開ける。
そこに収められていたのは、精緻な細工が施された、ダイヤモンドが埋め込まれたカフスボタンだった。
「これは……エテルニタ製ですね?」
「ええ。貴方に似合うものを用意してもらったの。気に入ってくれるかしら?」
モーリスは、箱の中のカフスボタンを大切そうに手に取る。その指先が、僅かに震えているのを見て、マルガリータは微笑んだ。
「もちろん、すごく嬉しいです……! ありがとうございます、マルガリータ様」
その純粋な喜びを浮かべた表情に、マルガリータの胸が温かくなる。
すると、モーリスもまた、小さな包みを取り出した。
「実は、僕も貴女に贈りたいものがあって」
マルガリータは、少し驚いたように目を瞬かせる。
「まあ、私にも?」
包みを開けると、そこには繊細なデザインのブレスレットが収められていた。
「エテルニタに特注したものです。貴女に似合うと思って」
そのブレスレットをよく見ると——モーリスに贈ったカフスボタンと、同じカッティングが施された、同じ宝石が埋め込まれている。
「……ダイヤモンド?」
「はい。宝石言葉は——『不変の愛』」
その言葉を聞いた瞬間、マルガリータはすべてを悟った。ヴィオラだ。
「まあ、偶然にしては出来すぎているわね」
「……偶然ではないかもしれません」
モーリスは、どこか恥ずかしげに目を伏せながら、しっかりとした声で言った。
「僕の気持ちは、最初から変わりませんでしたから」
その言葉を聞いて、マルガリータの胸がほんのりと熱を帯びる。
——王家と西武地域を繋ぐエージェントとしての役割だけではなく、私は、この青年と人生を共に歩みたい。
マルガリータはそっとブレスレットを手首に巻き、微笑んだ。
「ありがとう、モーリス。大切にするわ」
後日。
ヴァルミール王国では、新たな歌劇が流行していた。
『乙女系貴公子とスパダリ王女』
それは、マルガリータとモーリスのラブストーリーを手紙で知ったエリオノーラが、フィオーネ・ナディアに伝えたことで生み出された傑作だった。
劇中で描かれるのは、幼い頃から王女を慕い続けた貴公子と、彼を包み込むように愛を注ぐ王女の物語。
「王女様の愛し方、あまりにスマートで理想的すぎない?」
「でも、実在のモデルがいるのよ?」
「しかも、一途な貴公子は実際に存在する……!」
社交界の貴婦人たちは、この歌劇に夢中になった。こうして、マルガリータとモーリスの愛は、永遠に語り継がれることとなる。




