第八話:華やぐ年末、最後の悪あがき
【ダンスパーティの誘い】
学園の年末恒例行事、ダンスパーティ。
この時期になると、学園の雰囲気は一気に華やぎ、貴族の男女たちはパートナー選びに奔走し始める。
婚約者がいる者は、当然のようにその相手を誘い、まだ婚約を決めていない者は、少しでも良い印象を与えられるよう慎重に動く。
このパーティのダンスの相手選びが、後の婚約に影響を与えることも珍しくないのだ。
そして、テオドール・アヴェレート王子の場合。
「クレア、ダンスパーティのパートナーは当然、僕だよね?」
「ええ、もちろんですわ」
まるで、朝食のメニューでも確認するかのように、自然なやり取りだった。
もはや「誘う」「誘われる」という概念ですらない。当然のように誘い、当然のように受け入れる。それが二人にとっての、何より自然な選択だった。
まだクレアが正式にテオドールの求婚に返事をしていないとはいえ、二人の関係はすでに学園内で「実質恋仲」として受け入れられていた。
どこからどう見ても、テオドールはクレアを伴侶とするつもりで動いており、クレアもまた、彼を拒む様子はない。
そうなれば、周囲の貴族たちが察するのも当然だった。
【親友フィオーネ、人生最大のモテ期】
さて、クレアのパートナー問題があまりにも円満に決着した一方で、もう一人、注目を浴びている人物がいた。
フィオーネ・ナディア——ヴァルミール王国が誇る新進気鋭の劇作家にして、男爵令嬢。彼女はハロルドとの婚約破棄以降、まだ正式な婚約者を決めていない。そしてその才覚と名声は、学園内の貴族子弟の間で爆発的に高まっていた。
結果——人生最大のモテ期が到来したのである。
「フィオーネ嬢と、ぜひヴァルミールの歌劇文化について語り合いたい」
「どうか、歌劇のような美しい一夜の相手としての名誉にあずかりたい」
まだ婚約者が決まっていない令息たちが、次から次へとフィオーネのもとへ押し寄せる。
彼らはそれぞれに、知的な会話を持ちかけたり、彼女の才能を称えたり、果ては「貴族文化における芸術の重要性」について熱弁したり——とにかく、彼女を口説くのに必死だった。
そんな彼らを前にして、フィオーネはどんな反応を見せたか。
面白そうに微笑み、しかし、一言で片付けた。
「ヴァルミールの男では物足りないわ」
悪戯っぽく放たれたその一言。しかし、その言葉には、圧倒的な説得力があった。
フィオーネはすでに、ヴァルミール王国という枠組みを超えて、各国の劇団から注目を浴びる存在だった。
だからこそ、彼女が「物足りない」と言い切るその言葉には、誰も反論できなかった。
「…………はい」
「……は、はは……」
フィオーネに口説きを試みた男たちが、一瞬で撃沈する様子を見ながら、クレアは深く納得した。
「あれ、フィオーネが言いたいセリフだったのね」
文化祭での劇の、姫が発する最初のセリフ。フィオーネがずっとヴァルミールの男子に持ち続けていた不満だったのだ、と、クレアは今さら理解した。
そんなフィオーネを、クレアは呆れ半分、感心半分といった心境で、見守るのだった。
【ざまぁは舞台裏でスマートに】
年末のダンスパーティを控えた夜。
貴族子女たちが華やかな支度に忙しくする中、学園の裏手、ひっそりとした倉庫へと向かう一人の男がいた。ヴィクトール・ローレントである。
「クレア……僕を拒んだことを後悔させてやる」
彼の目には、焦りと執念が滲んでいた。
ヴィクトールが狙ったのは、パーティのウェルカムドリンク。最初にクレアの手元に届くグラスに、密かに薬を忍ばせる。それが彼の計画だった。
もちろん、そんなことを堂々とできるはずもない。彼は以前から取り引きしていた給仕に裏工作を依頼し、その薬を渡すため、学園の倉庫で待ち合わせをしていた。
しかし倉庫の扉を開けた瞬間、彼の目に映った光景は、想定していたものとは全く違っていた。
暗がりの中、捕えられた給仕が、縄で椅子に縛りつけられていた。そして、その前に立つのは、礼服に身を包んだ男。
「やぁ、ご機嫌いかがかな、ヴィクトール」
涼しげな声が響く。倉庫の薄暗い光の下、黒曜石のような瞳が、まっすぐにヴィクトールを見据えていた。
テオドール・アヴェレート。
その背後には、数名の部下が控えている。状況を察したヴィクトールは、反射的に逃げ出そうとした。
「くそっ——」
しかし、次の瞬間、背後で音を立てて、倉庫の扉が閉じられた。
「逃げ道はないよ」
テオドールの言葉とともに、彼の部下たちが一斉に動き、ヴィクトールの両腕をがっちりと掴んだ。
「放せ! 俺はローレント公爵家の嫡男だぞ! 貴様、ローレント公爵家を敵に回す気か!」
ヴィクトールは必死にもがきながら叫ぶ。
しかし、テオドールの表情は微塵も揺るがない。むしろ、僅かに口元に笑みを浮かべながら、彼は静かに言い放った。
「あいにく、ローレント公爵からは、こう言付けされているよ」
そう言うと、テオドールは懐から一通の書状を取り出し、ヴィクトールの目の前に突きつけた。
「『その者は公爵家とは無関係だ』ってね」
それは、ローレント公爵直筆の言葉。つまり、ヴィクトールへの破門宣告だった。
「な……!」
ヴィクトールは愕然とし、言葉を失う。
「君も大概しつこいね。まさか直接クレアに危害を加えようとは」
その言葉に、ヴィクトールは歯ぎしりし、テオドールを睨みつける。
「お前が! お前が邪魔さえしなければ!」
その叫びに、テオドールは肩をすくめた。
「君が何を逆恨みしようと君の勝手だけどね」
静かに、しかし明確な威圧感を込めて、彼は一歩前に出た。
「クレアを傷つけるようなら、容赦しない」
その声には、余裕と冷酷さが同居していた。
「君の命すら保障しないよ。11年前、僕の実家は大貴族の首を落としたことを、ゆめゆめ忘れないように」
テオドールの瞳が、ひどく冷えた光を帯びる。彼が匂わせたのは、歴史的事実だった。
11年前、アヴェレート王国は国内の大貴族フォルケン家を断罪している。国家内乱罪が適用されたその家は、裁判にすらかけられることなく、断頭台の露と消えたと、ヴァルミール内でも語り継がれていた。
「……っ!」
ヴィクトールの顔が、恐怖に歪む。
——この男は、本当にやる。
ヴィクトールの本能が、警鐘を鳴らした。
「……ああ、青ざめてしまってかわいそうに。体調が悪そうだね」
テオドールは、まるで同情するように首を傾げ、そして軽く指を鳴らした。
「僕の部下が、君を自室まで送り届けてあげよう」
そう言うと、テオドールの間者たちが、乱暴にヴィクトールの腕を取り、動きを封じた。
「なっ……やめろ! 放せ!」
「今日のところは、パーティを休むといい」
ヴィクトールの抗議も虚しく、彼の身体は容赦なく引きずられる。倉庫の扉が開かれ、彼はそのまま、自室へと連行されていった。
テオドールは、それを静かに見送ると、微かにため息をついた。
「……やれやれ。こんなところ、女性たちには見せられないからね」
呟いたその声には、微塵の情もなかった。
【裏側で動くテオドール】
年末のダンスパーティを控えた頃。その裏では、テオドールが密かに動いていた。
きっかけは、アヴェレート王国での大規模な裏ルート摘発だった。
アヴェレート王国の教会管理下にある薬草ルートで、違法な劇薬が流通していることが発覚。摘発された関係者の証言から、「ヴァルミール国内の貴族にも流れていた」との情報が浮上した。ただし、具体的な名前は判明していない。
これを受け、アヴェレート王家は留学中のテオドールに極秘の警戒指示を送る。
「念のため調査・警戒を怠るな」
王族である以上、たとえ留学先であろうとも、身の安全には最大限の注意を払う必要があった。
そこで、テオドールはヴァルミール王宮と秘密裏に連携し、学内での調査を進めることとなった。
とはいえ、王宮側もこの問題を大事にはしたくなかった。下手に公にすれば、関与している貴族が高位貴族であった場合、その家ごと断罪せざるを得ない。それは王国全体にとっても大きな痛手となる。
だからこそ、テオドールはあくまで水面下で学園内の調査を進めた。
すると、ある一人の名前が浮かび上がった。
ヴィクトール・ローレント。
調査の中で、彼の金の流れが異常であることが判明する。さらに、学園の給仕と接触しているという証言も得られ、彼の目的がクレアにあることも見えてきた。
——このまま放置すれば、学園内で何かが起こる。
本来なら、王宮に報告すべき案件だった。しかし、王宮が動けば、公爵家ごと断罪されるのは避けられない。もしもヴィクトール個人の問題として処理できれば、公爵家への影響は最小限に抑えられる。
テオドールは冷静に判断を下した。
「ならば、これは個人的な問題として処理しよう」
王宮ではなく、彼自身の手で。
表向きは「学生間のトラブル」として処理し、貴族社会に大きな波を立てることなく、静かに片をつける。
それが、王族としての務めであり、そしてクレアを守るための最適解だった。
ダンスパーティの開幕の時間になった。
会場は華やかな光と音楽に包まれ、貴族の男女が優雅に踊りを楽しんでいた。クレアは、テオドールの差し出した手を取り、自然に彼の隣を歩く。
つい先ほど、ヴィクトールの最後のあがきが密かに潰されたことなど、彼女は知る由もない。
テオドールもまた、まるで何事もなかったかのように、いつも通り余裕の微笑を浮かべ、クレアをエスコートする。
ヴィクトールの策謀は、クレアに届くことすらなく、静かに闇へと消えていった。




