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第七話:それぞれの暗躍

【追い詰められた鼠】


「クソ! クソ! クソッ!!」

 荒々しく壁に拳を叩きつけながら、ヴィクトール・モンテヴェールは、貴族にあるまじき言葉を吐き散らしていた。

 寮の、ヴィクトールの自室。かつては堂々と学院の廊下を歩き、誰もが彼を将来有望な貴族として認めていたはずだった。

 しかし今の彼は、まるで追い詰められた鼠だ。彼の策はことごとく失敗していた。

 クレアの名誉を貶めようと仕掛けた策はことごとく失敗し、アヴェレート王家の第二王子が介入してきた。

 文化祭ではクレアの名声がかつて以上に高まり、その影響は彼の実家にも及んだ。父であるローレント公爵は、露骨にヴィクトールを支援しない姿勢を見せ始め、妹のスカーレットがむしろ公爵家の娘として存在感を出し始める始末。

 だからこそ、彼は最後の手段として、自らの最大の武器を使った。投資予測による情報操作。

 ヴィクトールは、アヴェレート王国のデフレーションからの経済不安を煽り、テオドールに打撃を与えようとしたのだ。しかし、その試みは完全に裏目に出た。


 カレスト公爵家の新薬発表。

 当然、ヴィクトールもカレスト公爵家の動向は注意深く追っていた。薬剤師との連携。夏の香水開発。それらの動きから、更なる研究開発を進め、新薬の可能性があることは察していた。


 ——だが、まさか本当に市場に流通させるとは思わなかった……!


 ヴィクトールの予測は、ここで決定的に誤っていた。

 彼は、「どうせ新薬は超高級品として販売され、王族などの一部の特権階級に独占されるだろう」と考えていた。新薬のような画期的なものが生まれる際に、よくあることだ。

 であれば、王国全体の経済には何ら影響を与えない。むしろ、薬草茶の価格下落のほうが、市場全体にとっては深刻な問題となる。

 ヴィクトールは理解していた。カレスト公爵家の実力を。しかし同時に見誤った。カレスト公爵の気高さを。

 結果、ヴィクトールは社交界から締め出され、モンテヴェール侯爵家からも見放されることとなった。

 

 ヴィクトールは苛立ちを抑えきれず、机の上に積まれた書類を乱暴に払い落とした。

 もはや、今のヴィクトールでは、クレアを貶めることも、手に入れることもできない。しかし、それを素直に受け入れるほど、彼は殊勝な男ではなかった。


 ——全ては、クレアのせいだ。


 ヴィクトールの思考は、どこまでも外部へと責任を求める。

 自分がこうなったのは、クレアが自分に抗ったせいだ。従順に自分のものになっていれば、こんなことにはならなかった、と。


 ——このままでは終わらせない。


 追い詰められた鼠が次に取る行動。

 それは、猫の口に放り込まれる前に、なんとか猫の血肉に噛みついてやろうとする、自身の命をかけた報復。

「まさか、このルートを使うことになるとはな……」

 ヴィクトールは机の引き出しを開け、一通の手紙を取り出した。

 それは、闇の中に隠された取引への招待状だった。

 彼が社交界の有望な若手貴族であり、有名投資家であったがゆえに、怪しい輩からの接触も少なくなかった。ヴィクトールは、基本的にはそうした者たちを無視してきたが、「万が一」のために、そのようなコネクションも保持していたのだ。

 そして今こそ、その「万が一」を利用するときだった。


 数日後、王都の広場。

 ヴィクトールは、何の変哲もない、どこにでもいるような紳士風の男に接触した。相手は深く帽子を被り、特徴を残さないよう細心の注意を払っていた。

 ヴィクトールは、周囲を慎重に見回した後、低い声で言った。

「遅効性の昏睡薬が欲しい。飲んでから三時間ほどで効き目が出るものがいい」

 その言葉に、男は無表情のまま、わずかに頷いた。何も言わず、手早く合図を交わし、二人は離れる。


 そして、さらに数日後、ヴィクトールのもとに、目当ての品が届いた。

 その陶器の小瓶を手に取ると、ヴィクトールの口元がゆっくりと歪む。


 ——これで、クレア・サヴィエールは終わりだ。


 彼はほくそ笑む。その中に潜む悪意に、気づく者はまだ誰もいなかった。


【アヴェレート王家は年中無休】


 時同じ頃。テオドール・アヴェレートの元に、実家——アヴェレート王家——より、連絡が入った。手紙の内容を、テオドールも寮の自室で静かに読んでいた。

「え、お祖母様が、カレスト公爵に命題を出した? これをクリアできなければ叔父上との婚約を認めないって? 何それ、すごい面白いことになってるじゃん」

 テオドールは、ラグナルとカレスト公爵の話題で、初めて素直に面白がることができた。テオドール自身は二人の婚姻に賛成である。しかし彼らがちょっと困らされていると思うと、これまで人知れずダメージを負わされていた身としては胸がすく思いであった。


 ——それに、カレスト公爵なら、どうせ難なくクリアするだろうし。


 テオドールの、カレスト公爵への信頼は揺るがない。次にカレスト公爵に会ったときには、「貴女を信じたおかげで、僕の婚約者にまとわりつく虫を追い払うことができました!」と報告してやろうと、テオドールは考えていた。テオドールは人の意表を突くのが好きだ。きっと一瞬目が点になるに違いない、と、カレスト公爵の反応を想像して、テオドールは無邪気にほくそ笑んだ。


 手紙を読み進める。夏の減税政策の、その後の顛末についても触れられていた。

「あの減税が、交易の呼び水になって、北部地域と南部地域の交易活性化に繋がり、結果として税収が……増えた!?」

 テオドールが夏以来の、素っ頓狂な声を上げた。

「嘘でしょ!? 税率を下げたら取引量が爆増して、結果的に税収も上がったってこと!? 減税政策で市場の活力が解放されたってこと!? こんな短期間でそんなにうまく行く!? まだ半年も経ってないでしょ!? つまりカレスト公爵、最初からこうなると読んでたの!? 怖い!! あの人どこまで先を見据えてるの!? え、めっちゃ怖い!!」

 手紙を読みながら、テオドールの数々の疑問と畏敬が、ツッコミという形で溢れ出る。一頻り叫んだ後、テオドールは深呼吸をした。


 ——財政学でのプレゼンテーマは、これにしよう。


 テオドールは腑に落ちない気持ちを抱えつつ、そう心に決めたのであった。


 一通り手紙を読み終えると、最後の便箋は一行だけ、テオドールの健康を願う旨が書かれていた。その大きな余白に、テオドールは迷いなく、便箋を蝋燭の火の上にかざした。そうして浮き出る、茶色の文字。炙り出し用に使われる特殊なインクだ。

 このような仰々しい仕掛けで伝えられる内容は、いつだってテオドールに警戒と行動を促すものだ。テオドールは無表情に、その内容を読み進めた。

 そしてそれを全て読み終えた後、テオドールはその便箋を持ち、王宮のエドバルドの元へと向かった。エドバルドはすぐさまテオドールのために時間を取る。二人は執務室へと向かう。


「なるほど、相わかった。テオドールの身の安全の確保のためにも、学内での調査を許そう」

「ご理解いただき、ありがとうございます。まぁ、これが単なる杞憂で済めば良いのですが」

「杞憂の八割は当たらない、なんて言葉もあるが、残り二割は絶対に当たって欲しくないものであることが多いと、儂は長年の経験から学んでおる」

 エドバルドが肩をすくめた。それを受け、テオドールは「同感です」と苦笑いする。

「できるだけ穏便に事を運びます。国王陛下も、お気をつけて」

「心配はいらぬ。こっちのことはこっちで預かる」

 その言葉を最後に、その場は解散となった。テオドールはすぐさま学園へと戻る。学業期間の最中であっても、アヴェレート王国の王子というテオドールの本業が休暇になることはないのだ。

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