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第四話:クレアが出した結論

【異文化理解】


 クレアは、なおも疑問を拭いきれず、紅茶のカップを置いて、改めてテオドールに問いかけた。

「テオ様、婚約者などは、いらっしゃらないんですよね?」

 率直な問いだったが、貴族社会においては微妙な話題だ。婚約は家同士の結びつきであり、単なる個人の問題ではない。ヴァルミールの高位貴族なら、幼少期から婚約者がいることもある。クレア自身、四歳のときには、ヴィクトールと婚約内定していた。

「安心して、いないよ。祖国では婚約晩期化が進んでるから、僕たちくらいの年齢なら、いないことの方が普通なんだよね」

 その言葉に、クレアは目を見張る。婚約晩期化――その概念はクレアも聞いたことがあったが、まさか王族にまで及んでいるとは思っていなかった。

「噂には聞いていましたが、本当なんですね。でも……貴方の一存で婚約の申し入れなどしてしまって、ご家族の問題はないのですか?」

 クレアは、そこが最も気になっていた。貴族の婚姻には、家の意向が強く絡む。ましてや王族ならなおさらだ。テオドールの意志が本物であっても、王家の決定には逆らえないだろうことは、貴族であれば自明の理だ。

 しかし、テオドールは気にする素振りもなく、紅茶を一口含んでから、気楽に言った。

「今、うちの兄が、両親の命で自力で婚約者を探してる最中なんだよね。第一王子ですら選択権が与えられるなら、第二王子の僕に許されないはずがない。ちょっと時期が早まっただけだよ」

 さらりとした言葉だったが、クレアの中で衝撃が走った。


 ――第一王子ですら、自分で婚約者を選ぶ?


 ヴァルミールでは考えられない。王家の婚姻は国家の未来を左右する問題であり、本人の意志よりも政略が優先される。親の決めた相手と結ばれるのが当然であり、そこに個人の選択など入り込む余地はない。

 しかし、アヴェレート王家は違うという。少なくとも、婚約の選択権が第一王子にすら与えられているなら、テオドールが自分で伴侶を決めることも、王家として許容される範囲なのだろう。

 進歩的すぎやしないか、と、クレアは内心で舌を巻く。そして同時に、考察を進める。


 ――とはいえ、王族の婚約が完全に自由とは思えない。もしかしたら、その相応しい相手を見極める判断力への期待こそが、当事者に選択させるということの本質ではないか。

 ――その基準を満たす者として、彼が私を選んだのなら、それは軽率な気まぐれではなく……。


 クレアは改めて、目の前の少年を見つめた。


 ――この人は、本気なのかもしれない。


 そう思うと、胸の奥がほんの少しだけ、落ち着かない感覚に包まれた。


【初恋の駆け引き】


 クレアはテオドールへの質問を続けた。

「私が、最終的に自分の矜持を選んだ場合、テオ様はどうなりますか?」

 クレアが問いかけると、テオドールは一瞬、意外そうな顔をした。まるで、そんな質問が来るとは思っていなかったかのような表情だった。

「へえ、自分のことじゃなくて、僕のことを聞くんだ」

 彼は興味深そうにクレアを見つめる。クレアは、そんなテオドールの反応を不思議に思いながらも、淡々と答えた。

「それは、まぁ。だって、私がどうなるかは、私が決めること。でも、貴方のことは、聞かないとわかりません」

 テオドールの黒曜石のような瞳が、わずかに驚きを含んだ色を見せた。そして、次の瞬間には、満足そうに微笑んでいた。

「いいね。ますます気に入った」

 その言葉に、クレアは困惑しながらも、何となく嫌な気はしなかった。しかし、その気持ちをクレアが内省するよりも、テオドールが答えを返す方が早かった。

「僕の初恋が終わるだけだよ」

 そう言って、彼はほんの少しだけ寂しそうな表情を見せた。

 クレアは、その表情に思わず胸が高鳴った。初恋――そんな単語が、彼の口から出るとは思ってもいなかった。

「……初恋、なのですか?」

 思わず問いかけてしまう。テオドールは、微笑んだまま頷いた。

「うん。自覚したのは昨夜だけどね」

 クレアは、何とも言えない気持ちになった。彼の言葉がどこまで本気なのかはわからない。けれど、あの場で堂々と介入し、今こうしてまっすぐに話をしている彼の態度からは、軽い気持ちだけで言っているわけではないように思えた。

「でも、安心していいよ。僕、祖国では人気あるから、婚約候補者には困らないし」

 テオドールは軽やかにそう言い、紅茶を口に運んだ。クレアは本日何度目かの、眉を顰める仕草をした。


 ――何それ。


 クレアは自分でも驚くほど、理不尽な感情を抱いた。なぜそんなことを思うのか、自分でも理解できない。ただ、その言葉を聞いた瞬間、心の奥に刺々しい違和感が生じたのは確かだった。

 テオドールは、そんなクレアの表情を見逃さなかった。ふっと微笑むと、わざと軽い調子で問いかける。

「嫉妬した?」

「は?」

 クレアは一瞬、呆気にとられた。その意味を理解するのに数秒を要する。そして、ようやく言葉の意味が脳に届いた瞬間、思わず声を大きくした。

「そんなわけないでしょう!」

 その反応に、テオドールはますます満足げに微笑む。

 クレア自身、なぜこんなにも強く否定したのか、自分でも説明がつかなかった。ただ、今ここで認めてはいけない何かを、本能的に悟っただけだった。


 ――私は、何に対してこんなに必死になっているの?


 その問いの答えを見つける前に、テオドールはさらりと言った。

「可愛いね、クレア嬢」

「……っ!」

 クレアは、一瞬で顔が真っ赤に染まるのを、自分の内側から感じた。テオドールはそんな彼女の反応を楽しむように、余裕たっぷりの笑みを浮かべている。


 ――こんな挑発、受け入れられるものですか!


 クレアは椅子から立ち上がると、息を整え、しっかりと彼を見据えた。


「今、貴方の求愛を絶対に受けないと、心に決めました!」


 その宣言を最後に、クレアは東屋を颯爽と後にする。まるで、自身の火照り顔を隠すかのように。


 テオドールは、そんなクレアの背中を見送ると、楽しそうにクツクツと笑った。

「あれ、わざとかな? 天然かな?」

 彼はカップを傾けながら、独りごちる。

「……その方が俄然、やる気出るんだけどなぁ」


【絶対に負けられない】


 東屋を出て足早に歩きながら、クレアは頬の熱を必死に冷まそうとした。夏の風が肌を撫でるが、どうにも火照りは収まりそうにない。

「……まったく、何なのよ」

 クレアは無意識に呟く。感情が乱れたままでは冷静な判断ができない。クレアは外回廊で一旦立ち止まり、深く息を吸った。


 ――整理しなければ。


 紅潮した頭を冷やすように、彼との会話を一つずつ思い返していく。

 クレアは第一に、テオドール・アヴェレートは、この求愛ゲームに本気で挑んでいると判断した。

 彼がクレアを欲する理由が合理的であったこと、他に婚約者がいないこと、後出しで「両親の意向でこの話はなかったことに」などという理不尽な展開にはならなさそうなことが、彼女の判断を確たるものにした。


 ――本気なのよね、彼は。


 自覚すればするほど、何かがクレアの胸の奥でざわめいた。けれど、それを今は深く考えないようにする。


 第二に、もしもクレアがテオドールを断った場合も、問題ないと判断した。

 テオドールが言っていた、「祖国では人気がある」という言葉。クレアはなぜか、その言葉に一切の疑いを持たなかった。そしてその確信には、微かな腹立たしさが伴っていた。


 ――どんな結果になろうとも、彼にはダメージはない。


 クレアはそっと握り拳を作る。


 ――だったら、絶対に負けられない。


「口説き落とす」と宣言された以上、クレアは、容易く落ちるわけにはいかなかった。国境を守るサヴィエール辺境伯家の矜持としても、すっかり彼のペースに乗せられたことへの個人的な反発心としても。

「……いいわ、受けて立つ」

 テオドールがどんなに真摯であろうと、どんなに余裕たっぷりの笑みを浮かべていようと、クレアは彼に主導権を渡すことを認められなかった。テオドールの挑戦を、クレアは本気で迎え撃つ覚悟を決める。


 ――王子様だからって、そう簡単に願いを叶えられると思わないことね。


 クレアは静かに息を吐くと、再び足を踏み出した。今度は、ペースを乱すことなく、まっすぐに。

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