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第二話:恋心と矜持のコンセンサス

【王子のお茶会】


 文化祭の成功を祝して、テオドールが主催する小さなお茶会が開かれた。

 参加者は、クレアをはじめとする歌劇部の面々。彼らの尽力をねぎらうため、テオドールが用意した場だった。

 貴族の世界では、こうした「労いの席」は珍しいものではない。しかし王子自らが催すお茶会となれば話は別だった。

 生徒たちはどこか緊張しつつも、並べられた茶器と菓子に目を輝かせていた。

「今日は皆、お疲れ様。文化祭での演劇は、見事だったよ」

 テオドールが微笑みながら言うと、歌劇部の部員たちが顔をほころばせる。

「ありがとうございます、殿下! いやあ、こんな機会があるなんて……!」

「王族のお茶会に招かれることなんて滅多にないから、めっちゃ緊張する……!」


 そんな歓談が弾む中、ふと、並べられた茶器から独特の香りが立ち昇った。

 それは、ヴァルミールでは珍しい香りだった。

「このお茶……」

 一人がカップを手に取り、そっと口をつける。

 その瞬間、彼は目を見開いた。

「すごい、これ……! なんだろう、この風味、紅茶とは全然違うのに、ものすごく飲みやすい!」

 次々とカップを手にする歌劇部の面々。口々に驚きの声が上がる。

「このお茶は、アヴェレート王国が誇る名産品、スフィリナの薬草茶だよ」

 テオドールが楽しげに説明する。

「噂には聞いていたけど、実際に飲むのは初めて! 美味しい!」

「薬草茶……? なるほど、確かにハーブっぽい香りがするわ」

 クレアもカップを手に取り、一口含む。

 紅茶のような渋みや深いコクはないが、すっきりとした爽やかな飲み口。ハーブの柔らかい甘みと、わずかに感じるスパイスのような風味が心地よい。


「テオ様、この薬草茶って、やはり東部地域の品なんですの?」

 クレアが尋ねる。アヴェレート王国の東部地域は、薬草の名産地として知られている。これほど特徴的な風味を持つ茶葉なら、東部産の可能性が高い——そう考えたのだ。

 しかし、テオドールは軽く首を振る。

「いや、これは北部地域のカレスト公爵領の名産品だよ」

「……カレスト公爵領?」

「例の、僕の叔父のパートナーの領地だね」

 クレアの脳裏に、その名が刻まれた貴族の姿が思い浮かぶ。

 カレスト公爵。アヴェレート王国を代表する才媛であり、名領主。そして王弟ラグナルの恋のお相手でもある。

 最近になって、その関係を公表したことで、ヴァルミールでは新たな歌劇の題材として流行していた。

 彼女の人生は、まさに劇的だった。才気溢れる女公爵として、王弟殿下と共に数々の困難を乗り越え、ついに公に認められた——そんな美しい物語が人々の間で語られている。


「カレスト公爵の……」

 クレアは、静かにカップを置いた。

「僕が尊敬する数少ない政治家の一人さ。この薬草茶一つとっても、彼女の戦略眼と領地経営のセンスについて、小一時間は語れるよ」

 テオドールは、何気なくそう言った。

 クレアは、思わず眉を上げた。テオドールが、政治家として尊敬する人物。それほどの評価を受けるほど、カレスト公爵は優れた領主であるということ。

 しかし、クレアの胸に浮かんだのは、それだけではなかった。

 夏季休暇中のこと。サヴィエール辺境伯家を訪れたテオドールが、何気なく語った言葉。彼は、カレスト公爵と、そのパートナーである王弟について、「理想的な関係であり、見習いたい」と評していた。


 ——テオ様が伴侶に求めるレベルって、あの女傑並みってことなのよね……。


 クレアの胸に、じわじわと冷や汗が滲んでいく。

 カレスト公爵は、まぎれもない傑物だ。領主としての手腕はもちろんのこと、王弟のパートナーとしての存在感も圧倒的である。隣国の一公爵に過ぎないというのに、ヴァルミール国内でも彼女の絵姿はよく知られていた。艶やかな茶髪、光を湛える黒目、気高さを象徴する赤の唇。

 政治と恋愛の両方で成功を収めた、まさに理想の「王族の伴侶」だった。そんな女性と王弟の関係を、テオドールは「理想」と言った。

 クレアはそっと視線を逸らし、カップを口元へと運んだ。

 すっきりとした薬草の香りが鼻を抜ける。しかし、その味わいをじっくり堪能する余裕はなかった。目の前で穏やかにお茶を飲むテオドールの姿が、なぜかやけに遠く思えた。


 ——この人、それを私に求めて、私のことを口説いてるの……?


 そう心の中で呟きながらも、クレアは黙って茶を啜ったのだった。


【二人きりの時間】


 お茶会が終わると、自然な流れでクレアとテオドールは二人きりになっていた。

 歌劇部の面々が退出し、使用人たちが片付けを進める中、二人は庭園のベンチに腰を下ろしていた。

 柔らかな夕暮れの光が降り注ぎ、心地よい風が髪を撫でる。

 そんな静かなひとときの中、テオドールがふと口を開いた。

「……僕の留学も、残り2ヶ月だ」

 その言葉に、クレアの指がわずかに強張った。

 当然のことではある。テオドールがヴァルミールに滞在しているのは、王族同士の交換留学のためだ。

 もともとテオドールの留学は年末までの予定であると、クレアも知るところだった。


 ——なのに、どうしてこんなに寂しい気持ちになるのか。


 そんな自分の感情を誤魔化すように、クレアはそっと紅茶のカップを手に取る。しかし、それを口に運ぶ前に、テオドールが微笑みながら言った。

「少しは君の心を揺らすこと、できてるかな?」

 クレアの動きが止まる。


 ——少しどころか、今この瞬間でさえ。


 テオドールの何気ない仕草、穏やかな声、言葉の端々——そのすべてが、彼女の心を揺らしていた。それは、もう否定しようのないほどに。

『お友達作戦』は、あの文化祭の日の舞台の上で、劇とともに閉幕していた。

 あの舞台の上で、テオドールは数々のアドリブを披露した。


「権利だけでは物足りない」

「貴女の心そのものを貰い受けたい」

「気高く美しく……どこまでも自由に高みを目指せる貴女の、隣で歩む名誉を私に」


 そして極め付けの、腕の中での手の甲へのキス。ふわりと優しく、それでいてクレアを絶対に逃すまいとする情熱。

 演技と本音の境界が蜃気楼のように揺らぎ、その中に浮かび上がる、あの日のテオドール。その姿が、クレアの意識から離れない。

 クレアは、認めざるを得なかった。


 ——私は、テオ様に恋をしている。


 あの王子様らしい振る舞いに。時折見せる無邪気な笑顔に。為政者としての知性に。自分を翻弄し、けれど常に対等に接してくれる彼に。

 テオドールと歩む道を想像して、クレアは王子様に憧れる少女のように、胸を高鳴らせた。


「……まだ、この求愛ゲームを終えたつもりはありませんわ」

 しかしクレアは、微笑みながら、意地でも冷静さを装って答えた。

 テオドールは、一瞬だけ驚いたように瞬きをする。そしてすぐに楽しげな表情へと変わった。

「そっか、それは楽しみだ」

 彼は、どこか満足げに頷く。クレアの胸が、また大きく波打った。自分の心が掴まれているということが、これほどにも甘やかで、落ち着かないことを、クレアは知らなかった。

 それでも尚、クレアが素直になれない理由は、恋愛の駆け引きではなかった。


 ——私は、差し出された選択肢を享受することしか、できないの?


 ヴィクトールとの婚約、そしてその破棄に至るまで、クレアに選択肢はなかった。そんな矢先に、自分自身を選択肢として提示してきたのが、テオドールだった。

 テオドールを選ぶことについて、クレアには何の障害もない。家族、貴族社会、そしてクレア自身の恋心が、もうテオドールを認めている。


 ただ、その選択肢そのものが、クレアではない誰かによって与えられたものであることについて、クレアはまだ腹落ちしていなかった。

 自分の人生を決める上での、納得の欠如。自分の恋心が、自分の矜持にどれだけ説得を試みても、コンセンサスを得られない。それが、クレアを思いとどまらせていた。

 それでも結論を出さねばならない。残された時間はあと二ヶ月。「いずれ月に帰らなくてはいけない、誠実な王子様」、親友フィオーネの言葉が、やけにクレアの胸を焦らせていた。

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