第一話:新たな局面
【文化祭後の貴族社会】
文化祭の熱狂が冷め、学園が再び静かな日常を取り戻し始めた頃——貴族社会では、ある変化が生じていた。
それは、クレア・サヴィエールに対する評価だった。
以前まで、彼女の行動を「アヴェレート王家への擦り寄り」と揶揄していた貴族たちも、二学期に入ってからの彼女の動向を見て、その認識を改めつつあった。
「サヴィエールの令嬢は、単にアヴェレート王家に媚びているとは言えないのでは?」
「むしろ、アヴェレート王家と対等に渡り合える才覚があるのではないか?」
二学期以降、クレアとテオドールの伝説的な討論、そして二人の関係を象徴するような歌劇を通じて、クレアの動向は学内の生徒たちだけでなく、ヴァルミールの貴族社会全体に知られるところとなった。
貴族社会は、基本的に保守的な価値観を重んじる。しかし、それでもなお、彼女の実力と影響力を認めざるを得ない空気が生まれていた。
この変化に対し、サヴィエール辺境伯家もまた、明確な見解を示していた。
「サヴィエール家は、クレアを単なる嫁入り道具とするつもりはない。彼女は、一人の貴族として育てている」
その発言は、ヴァルミール貴族たちの間で、瞬く間に話題となった。
クレアの学園での活躍は、決して彼女一人の意志だけではなく、サヴィエール辺境伯家としての方針でもある——そのことが明確になったのだ。
「クレア・サヴィエールは、自分の意志で行動し、自らの価値を証明している」
「サヴィエール辺境伯家は、そうした教育を施してきたのだろう」
貴族社会では、結婚は家と家との結びつきとして扱われるため、令嬢の役割は「相応しい家へ嫁ぐこと」だと考えられていた。
しかし、クレアの活躍は、その枠を超えたものだった。
彼女は「ただ嫁ぐ」存在ではなく、「一人の貴族として立つ」存在だった。
サヴィエール辺境伯家の見解は、ヴァルミール貴族たちにとっても好意的に受け止められた。
「サヴィエール辺境伯家が、彼女を貴族の一員として育てているというなら、それは素晴らしいことではないか」
「もしも彼女が、どこかの家に嫁ぐことになれば、その家は優秀な貴族を迎えることになるだろう」
この発言により、クレアは「一人の貴族」として認められると同時に、「将来、有望な貴族家に迎えられる可能性が高い令嬢」としての評価も高まった。
一方、ローレント公爵家にもまた、注目が集まっていた。
きっかけは、文化祭の後、スカーレット・ローレントが放った何気ない一言だった。
「クレア様は本当に素晴らしいですわね。同じ女性として、見習いたいと思いますの。お父様にも、『私も彼女のようになりたい』とよくお話ししていますのよ」
その言葉は、一見すると無邪気な称賛に過ぎなかった。
しかし、貴族たちはすぐに気付いた。この発言は、ローレント公爵家がサヴィエール辺境伯家に対して敵意を持っていないことを公に示すものだったのだ。
「婚約破棄騒動も、もはや過去のことということか」
「それならば、クレア嬢を貶めようとする噂の出所は、一体……?」
この発言によって、貴族たちの間には一つの認識が広がった。
『今後、クレア・サヴィエールに関する不穏な噂は、ローレント公爵家の関与するところではない。少なくとも、公爵家としては、彼女を敵視する立場にはない』
つまり、今後クレアを陥れようとする動きがあった場合——その責任をローレント公爵家に帰することはできない、ということだ。
そしてもう一つ、重要な点があった。
スカーレットは、単なる公爵令嬢ではない。彼女は、この発言によって、ローレント公爵家の一員として、社交界における存在感を示したのだ。
「スカーレット嬢は、状況をよく把握している」
「ただの幼い令嬢ではないな……」
貴族社会は、言葉一つで状況が動く世界だ。この少女は、たった一言でローレント公爵家の立ち位置を明示してみせた。
そして文化祭を経て、思わぬ勢力が生まれていた。
「クレア様とテオドール殿下……あの舞台を見たら、もう誰も否定できないでしょう?」
「エリオノーラ姫も大絶賛したらしいわ!」
「王子様とお姫様……いや、彼らはもっと特別な関係に思えるわ」
文化祭での舞台の影響は、予想以上に大きかった。
演劇の中でのクレアとテオドールのやり取りは、まるで現実とリンクしているかのような臨場感を生み、観客たちを魅了した。
「テオドール殿下がクレア様を迎えに来るシーン……本当に素敵だった」
「それにクレア様が最後に放った言葉……! あの二人なら、本当に対等な関係を築けるかもしれない」
特に、若い貴族令嬢たちの間では、「クレアとテオドールの関係を見守りたい」という声が増えていた。
「このまま結ばれたら、まさに理想の関係じゃない?」
「一方的に守られる姫ではなく、対等なパートナー……それって素敵よね」
文化祭を経た今、クレアとテオドールの関係は、ただの噂話ではなく「応援される関係」へと変わりつつあった。
こうして、文化祭後の貴族社会は、クレア・サヴィエールにとって追い風の状況となっていた。
【新進気鋭の女流劇作家】
クレア以上に大きく状況が変わったといえば、フィオーネ・ナディアである。
文化祭の歌劇を通じて、その脚本を生み出した彼女は、今や新進気鋭の女流劇作家として、ヴァルミールの社交界と歌劇界を席巻していた。
「『いつか王子様が』という、もはや五十年分の手垢のついたモチーフで、あのような新解釈を生み出すとは。まさに天才の所業だ」
「自立した女性の恋愛といえば、アデル・カレスト公爵がその走りだろう。その新しい潮流を、古典に逆輸入したと言えるな」
「エリオノーラ姫も、わざわざ一時帰国して観劇したそうだ。『新しい時代の女性像を見た』と絶賛されていたとか」
人々は口々に彼女の才能を称賛する。複数の歌劇団が彼女と接触を図ろうと、ナディア男爵家やヴァルミール王立学園へ連絡を取っていた。
では、そのフィオーネ・ナディア本人はというと。
「クレア! 聞いて!」
中庭のティーテーブルに身を乗り出し、紅茶を片手に、まるで戦場のような勢いで吠えていた。
「今度劇になるという小説を先に読んだの! そのタイトルは『レジーナ・ルナ』よ!!」
「月の女王……とても美しい響きのタイトルね……」
「だけど設定が頭おかしいの!! このルナ姫、竹から生まれてるのよ!! その時点でもう人間じゃなくて妖の類よ!!!」
「竹から!? 斬新ね……」
「普通、そんな怪しい出自なら社交界では距離を置かれるじゃない? でもこのルナ姫、絶世の美女だから、そんなことお構いなしに五人の貴公子が求婚してくるの!! もうこの男たち、どんだけ美女に弱いのよ!?!? しかもね!! 正妻が妊娠中の既婚者もいるのよ!?!? 不誠実にも程がない!?!?」
クレアは紅茶のカップを傾けながら、静かに感想を述べた。
「……見た目が良いに越したことはないけど、確かにちょっと短絡的ね……」
「でもね、ここからが痛快なの!! ルナ姫はその誰にも靡かず、むしろ無理難題を突きつけるのよ!! それに対して、不誠実な貴公子たちは、あの手この手で卑怯な手を使って、どうにか誤魔化そうとするの!! でもルナ姫は騙されない!! ちゃんと見抜いて男たちの鼻を明かすのよ!! そして『こんな男たちに私は渡らない!!』って言って、誰とも結婚しなかったのよ!!!!」
クレアの手が止まる。
「……なんか、かっこいいわね……」
「そう!! これは『不誠実な男たちに警告を与える物語』なのよ!!!!」
「なるほど……!」
「でね!? ここからが大事なの!! ルナ姫の評判を聞きつけた王様がやってくるんだけど、この王様はね、五人の貴公子とは違うの!! 彼女を見た目だけで求めるんじゃなくて、ちゃんと人間として交流を深めていくのよ!! ようやく誠実な男性が現れるの!! 王様と姫は、ちゃんとお互いを尊重し合うの!! ルナ姫も、王様に対しては心を開いていたのよ!!!!」
「あら、それは良かったわね」
「でもね!!!!」
バン!!
フィオーネは思い切りテーブルを叩いた。カップが揺れる。
「最後に月の民が迎えに来て、姫は王様と引き裂かれちゃうの!!!!!!」
「ええっ!?」
「姫はね、地上の人間じゃなくて月の女王様だったの!! でも本当は地上にいたかったの!! だけど彼女の運命は決まっていて、どうしても月に帰らなきゃいけなかったの!!!!」
クレアは眉根を寄せる。
「……それってつまり……?」
「これは、『誠実な男女の運命による別れの物語』なのよ!!!!」
「悲恋だった!!」
「そしてね!? 一番衝撃的なのは、このラスト!!!!」
「……まだ何かあるの?」
「王様は、姫を迎えに行こうとするの!! でも、結局それは叶わなくて、姫から『不老不死の薬』を受け取るの!! この国において、不老不死は誰もが願う至上の望みなの!! 栄華を極めた王侯貴族にありがちよね!?!? でも王様、その薬を燃やしちゃうのよ!!!!」
「うわあああ!!」
クレアは、すっかりフィオーネの熱に充てられていた。
「王様はね、姫がいないなら、永遠の命なんて意味がないって思ったの!! 姫と一緒に生きられないなら、そんなもの要らないって!!!! 王様は、不老不死よりも姫への愛を選んだのよ!!!!」
「うわああああ!!!!」
「これは、『誠実でない者は報われず、誠実な者もまた報われない、哀しき運命の物語』なのよ!!!!」
フィオーネは涙ぐみ、クレアもまた、沈痛な面持ちを見せた。
しかし、フィオーネの語りがひと段落したその瞬間、彼女は静かにクレアに問いかけた。
「クレアは何を選ぶのかしらね」
「え?」
「貴女のそばに、いずれ月に帰らなくてはいけない、誠実な王子様がいるでしょ?」
「なっ……!」
クレアは、一瞬にして言葉を失った。「そんな関係ではない」という言葉が、ついぞ出てこなかった。
まるで、未来をすでに見ているかのようなフィオーネの青い瞳。そこに映るのは、何か確信めいたものだった。
「貴女の運命が、貴女に微笑んでくれることを願っているわ。でも、その運命を掴み取るのもまた、貴女自身なのよ」
クレアはたじろいだ。フィオーネの言葉が胸に深く突き刺さる。まるで、その未来が決して遠い話ではないかのように。




