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第十二話:選ばれなかった男の末路

【熱狂の後の自供】


 文化祭が終わり、学園が日常を取り戻したある日のこと。一人の男子生徒が、教員室にて自らの罪を告白した。

「……歌劇部のドレスをズタズタにしたのは、僕です」

 彼は震える声でそう言い、教員たちの前で頭を垂れた。犯人は、フィオーネ・ナディアの元婚約者、男爵令息ハロルド・ツェルナーだった。

 驚愕の報せは、すぐに学園中を駆け巡った。なんと、ハロルドとフィオーネは文化祭の準備期間中に婚約を解消していたという。

「元婚約者が、自分を選ばず、文化祭を優先したのが許せなかった……」

 彼の自供は、あまりにも身勝手だった。

 自分との関係が悪化している中、その修復に努めようとせず、文化祭準備の後回しにされたことが許せなかった。

 だから彼女の大切にしていたものを壊したという。

 その理由を聞いた誰もが、呆れと失望の入り混じった眼差しを向けた。


 結果的に、彼の卑劣な行為は失敗し、歌劇は大成功を収めた。彼は、自らが犯した罪の愚かさを悟り、後悔の末に自首したのだった。


【フィオーネ・ナディアの選択】


「まったく、最低ね」

 フィオーネから一連の顛末を聞いたクレアは、呆れたようにため息をついた。

 二人は、学園の中庭で腰を下ろしていた。

「……それにしても驚いたわ」

 クレアは、柔らかな風に揺れるフィオーネの金髪を見ながら言った。

「貴女が婚約破棄されていたなんて、知らなかった」

「言わなかったからよ」

 フィオーネは、自嘲気味に笑う。

 フィオーネの家は、もともとクレアの家とは深い関係ではなかった。しかし、クレアの婚約破棄騒動の後、ツェルナー男爵家はヴィクトール側についていた。

 それに対し、フィオーネの家はクレア側を選んだ。それは単に家の利益を考えた上での選択ではない。姑息なやり方で相手を貶めるような婚約破棄を許すべきではないという、理の面での判断でもあった。

 当然、それがハロルドとの関係に亀裂を生むことは避けられなかった。


「ハロルドとは、あの頃からすでに上手くいっていなかったの。家同士で意見が割れてるのだもの、当然よね」

 フィオーネは、静かに語る。

「そんな時、ヴィクトール・ローレントが、私に近づいてきたの」

 クレアは、一瞬、眉をひそめた。

「彼が、貴女に?」

 フィオーネは、ゆっくりと頷く。

「この劇を中止にするなら、婚約者との仲を取り持つ。でも、そうでなければ貴女はクレアと同じ目に合うだろう——そう言われたわ」

 ヴィクトールの言葉の意味は、火を見るよりも明らかだった。文化祭で演劇を続行すれば、クレアと同じく婚約破棄を余儀なくされる。

 貴族の女性にとって、婚約破棄とは人生を左右する重大な出来事だ。

 才気があり、自力で道を切り開けるクレアならともかく、自分にはそんな力がない。そうなったらどうなるのか——その恐怖に、フィオーネは震えた。


「私は、自分でクレアを演劇に誘った負い目があったわ」

 フィオーネは、まっすぐにクレアを見つめる。

「それに、もしサヴィエールの家に迷惑をかけることになったら、と思うと、貴女にも、誰にも相談できなかった」

 クレアは、彼女の言葉を静かに受け止めた。フィオーネは、ふっと小さく笑った。

「そんな時に、クレアが舞台練習で『私の道は、私が選ぶのですわ!』って叫んだとき——胸が熱くなったの」

 彼女は、拳をぎゅっと握りしめる。

「クレアを見て、思ったの。私も、自分の人生を選びたいって」


 その日のうちに、フィオーネは父に手紙を書いた。

『もし先方が婚約破棄を告げてきたら、そのまま応じていただいて構いません。私の人生は私が責任を取ります。家には迷惑をかけません』

 彼女は、己の人生の舵を、自らの手で握ることを決めたのだ。

 そして、その決意の通り、彼女は文化祭で最優秀賞を受賞した。それは、単なる学園内の栄誉に留まらない。次代の文化の担い手として学外からも注目される。

 ヴァルミールの歌劇文化は、歴史と伝統を誇るものだ。その中で、新進気鋭の女流劇作家として、フィオーネは脚光を浴びることになった。


「だから、私はもう後悔しない。だって、私は私の道を選んだから」

 クレアは、彼女の誇らしげな横顔を見つめながら、静かに口元を緩めた。

「ええ。フィオーネの選択を、私も誇りに思う」

 フィオーネは、今やただの歌劇部員ではない。彼女自身の人生を選び取った、新たな時代の劇作家なのだ。


 元婚約者の妨害も障害にさえならず、フィオーネは、未来へと歩みを進めていく。


【舞台裏でも休めない王子様】


 フィオーネの元婚約者による自供——それは表向きの話だ。その裏側で、テオドールが動いていた。

 文化祭の前夜から、彼は自身の配下の間者を学園に潜ませ、密かに見張りを続けていた。そして、文化祭当日の未明、ついに決定的な証拠を押さえた。

 作戦は決まっていた。歌劇部の部室に近付いてくる不審者がいれば、フィオーネが用意した囮のドレスの足元に、間者が床と同色のペンキを薄く広げる。そしてその行動を影から監視する。

 文化祭準備中で、ペンキが使われるのは不自然ではない。しかも、床に溶け込むような色合いであれば、暗がりでは気づきにくい。犯人が知らぬ間に足跡をつけるように仕向けることができる。犯人を陥れるための、積極的な証拠づくりだ。


 そしてテオドールの予想は見事に的中した。

 男爵令息——フィオーネの元婚約者は、憎悪に突き動かされるまま、歌劇部の衣装部屋へと忍び込んだ。

 フィオーネが文化祭を優先し、自分をないがしろにし、あまつさえ婚約破棄すらあっさりと受け入れたことへの苛立ち。

 すべてが彼の行動を突き動かし、冷静さを奪っていた。

「こんなものがあるから……!」

 彼は目の前のドレスを執拗に切り裂き、黒い液体を振りかけた。その行為が、どれほど幼稚で愚かなものであるかなど、彼は考えもしなかった。

 その凶行の興奮に飲まれていた彼は、既に罠の中にいたなどと夢にも思わない。

 足元の床に撒かれたペンキに気づかず、靴裏にペンキをつけたまま現場を去っていたのだ。


 朝日が窓から差し込み始めた頃、テオドールは間者とともに歌劇部部室へ向かった。

「さて、結果は?」

「ご覧ください、殿下」

 間者のが指し示した床には、乾いたペンキの足跡が、はっきりと残っていた。「犯人はここを通りました」と教えてくれるかのようだ。

「……まるで愚か者の道標だね」

 テオドールは、肩をすくめながら呟いた。

「犯人の正体は?」

「フィオーネ嬢の元婚約者の、ハロルド・ツェルナー男爵令息です」


 文化祭が無事に終わったその日、テオドールはハロルド・ツェルナー男爵令息を、犯行現場へ静かに呼び出した。

 ハロルドは、焦燥に駆られた顔で部屋に入ってくると、テオドールの前に立ち尽くした。

「……な、なんですか……?」

 テオドールは、無言のまま彼の靴を指差した。

「その靴の裏を見てみるといい」

 ハロルドはぎくりと震えた。そして、足元を確認した瞬間——顔面が蒼白になる。ペンキの痕跡が、そこに残っていた。

「君の足跡も、現場に残っているよ」

 テオドールは淡々と告げる。

「これを証拠に、君の家を巻き込んで正式に罪を問うこともできる。アヴェレート王国の王子が関与する劇での犯行を」

 ハロルドは、唇を噛んで震えた。

 もしアヴェレート王家が正式に追及してきたら、彼の家が責任を問われることは間違いない。ハロルドは、『アヴェレート王家公認』の意味を深く考えもせず、あくまで学生同士のトラブルの枠組みで捉えた。そして軽率に、その引き金を引いてしまったのだ。

 テオドールは、冷たく微笑んだ。

「自供する? それとも外交問題にする?」


 結果、彼はあっさりと白状したのだった。


【見え隠れする黒幕】


 この一件の背後に、ヴィクトールの影があることを、テオドールは確信していた。

 彼は、フィオーネの心理状態を見極め、彼女を追い込み、劇を中止させようとした。しかし彼女は屈しなかった。ゆえに、最終的にこの男爵令息を“駒”として動かしたのだろう。

 しかしテオドールは、これ以上事を荒立てるのは得策ではないと判断した。

 間者を学園内に連れ込んだことは、自分自身の立場を危うくする行為でもある。これ以上深入りすれば、学園内での諜報活動が問題視されかねない。

「……ヴィクトール・ローレント、ね」

 彼は、瞳を細めながら、静かに呟く。テオドールは、ヴィクトールのクレアに対する異常な執着と、その心性を見抜いていた。肥大化した自己愛が、自身を周囲から抜きん出た特別な存在と確信させ、あらゆる者を支配下に置きたがる。自らに従わない相手に対しては、過剰で執拗な攻撃で追い詰めようとする。しかも、その執着の根源にあるのは、『自分が間違っていた』と認めることができない歪んだプライドだ。

 故に、ヴィクトールはまだ何かを仕掛けてくるはずだと、疑わなかった。

「男の未練ほど、カッコ悪いものもないね」

 テオドールは、軽く肩をすくめながら呟いた。

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