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第十話:いつか王子様が迎えに来てくれるなんて性に合いません!

【ヴァルミールの姫の退屈】


 舞台上、ヴァルミールの宮廷。

 煌びやかなシャンデリアの光の下、貴族たちが舞踏会の音楽に合わせて優雅に踊る。そしてその中心に、一人の姫が立っていた。

 クレアが演じるヴァルミールの姫。彼女の白金の髪が、舞台照明の下で輝く。

 姫の前には、ヴァルミールの青年貴族役の男子生徒が立っていた。

『姫、一曲踊っていただけませんか?』

 ぎこちない手つきで差し出された手に、クレア——いや、姫は退屈そうに自身の手を重ねた。


 音楽が流れ始め、二人はゆっくりと踊り出した——のだが。

 青年貴族のリードはぎこちなく、足の運びは妙に硬い。

 最初のターンでつまづき、次のステップでクレアのドレスの裾を踏みそうになり、挙げ句の果てには手の位置がずれてバランスを崩しかける。

 この時点で、観客席から笑いが漏れ始めた。


 しかし、姫は優雅な笑みを崩さない。

 相手の拙いステップに合わせて、軽やかに体を流し、あたかも最初からその動きが正しいかのように見せていく。

 ぎこちなさが、彼女の流れるような動きによって次第に「舞」として成立していくのだった。

 観客席から「ほう……」と感心したような声が上がる。

 青年貴族が、最後のターンでバランスを崩して派手に転びそうになった瞬間——姫は、その腕をさっと取ると、一度体を回転させ、エレガントなポーズでダンスを締めくくった。

 青年貴族は、ぎこちなく息を整えながら姫に感謝の視線を送る。

 そして、姫は観客に向けて、ゆったりと微笑みながら、劇中の台詞を口にした。


『ヴァルミールの男では物足りないわ。私の旦那に相応しい男はいないものかしら?』


 先ほどまでのダンスの展開を見ていた観客たちは呟く。

「それは、仕方ない……」

「むしろ説得力がすごい……」

 納得せざるを得ないといった空気の中、笑いと拍手が巻き起こる。


【アヴェレート王国の舞踏会】


 舞台の背景が変わる。ヴァルミールから遠く離れた異国の地、アヴェレート王国の宮廷の風景が広がる。

 貴族たちが集う舞踏会の場面だ。

 ヴァルミールとは違い、舞台に立つ者たちの髪は皆、茶色や栗色ばかり。

 そんな中で、姫役のクレアの白金の髪はひときわ目立ち、まるで舞踏会に迷い込んだ妖精のようだった。

『姫、どうか貴女の一曲目のお相手として私を』

『いやいや、ぜひ私とともに』

 アヴェレート王国の貴族たちが、次々に彼女へと手を差し出す。

 しかし——姫は、明らかに退屈そうに、わざとらしく欠伸をした。


『……ふぁぁ……』


 観客席からクスクスと笑い声が漏れる。


 その時。舞台袖から、黒髪の王子が現れた。

 その瞬間、観客席が一気にざわめいた。

「わっ……!」

「……すごい、これが黒髪の王子……!」

「これは……理想そのものじゃない……?」

 黒髪、黒目——それは、ヴァルミールの少女たちが一度は夢見た「理想の王子様」の姿だった。

 彼が、ゆっくりと歩みを進める。


『美しく手強いお姫様。貴女のその退屈を、私が紛らわせてみせましょう』


 そう告げる王子役テオドールの声音は、まるで夢の世界の誘いのようだった。

 姫は、軽く顎を上げ、目を細める。


『あら、少しは楽しめそうな男が出てきたじゃない。良いわ、私の期待を裏切ったら同盟破棄よ』


 瞬間、観客席が爆笑に包まれた。

「いや、政治的に過激すぎるでしょ!」

「婚約破棄された令嬢が言うセリフとして強すぎる!」

「ブラックユーモアがすぎる……!」

 クレアの台詞が、観客のツボを突いた。


 そして音楽が変わる。

 テオドールは、クレアの手を取り、ダンスへと誘う。優雅なリード。しかし、自由奔放なアレンジが随所に入り込む。

 時折、予想外の動きが入るが——クレアは全く乱されない。むしろ、彼の動きに即座に応じ、完璧に流れるようなステップを刻んでいく。


 舞台上の二人は、まるで“真剣勝負”のようだった。互いに出方を探り合いながら、それでも、二人の視線が交わるたびに微笑み合う。

 その様子に、観客席の少女たちが、恍惚とした声を漏らした。

「夢を見ているみたい……」

 優雅で、熱を帯びたダンス。即興性に満ちた自由な動きの中で、二人はどこまでも自然だった。

 クレアが放つ強さと、テオドールが引き出す華やかさ。

 そのどちらもが、舞台の光に映えて、観客たちは目を離すことができなかった。


【夜の鐘と終幕の誘い】


 舞台の中央、クレアとテオドールのダンスが華麗に締めくくられる。

 貴族たちが見守る中、優雅な旋律がゆるやかに終わりを迎えた。


 ——ゴォォォォン……


 深夜を告げる鐘の音が響く。それは、舞踏会の終わりと、物語の新たな展開の訪れを告げる音だった。

 舞台の照明がわずかに落ち、仄かに幻想的な雰囲気が広がる。ダンスを終えた二人は、互いに向き合い、どこか名残惜しげな表情を浮かべていた。


『姫、もう一曲、私とのダンスをしていただけませんか?』

 王子が、低く甘やかな声で告げる。

 姫は、ゆっくりと微笑む。その微笑みには、余裕と優雅さが滲んでいる。

『宵も更けてまいりました。この先の時間は、貴方にはまだお早いわ』

 そう言いながら、姫はゆったりと手を伸ばし、髪に差していた髪留めを外す。

 きらめくクリスタルの装飾が、舞台の光を受けて輝く。クレアの白金の髪の毛が、ふわりと舞うように流れ落ちた。

『貴方が私を口説き落とせた日には——』

 姫は、その髪留めをそっと王子の掌の上に置く。そして、一歩、彼に近づいた。


『髪留めではなく、私の伴侶となる権利を与えましょう』


 大胆不敵な微笑み。まるで、駆け引きを楽しむかのような、挑発的な仕草だった。

 観客席からは、静かな息を呑む音が広がる。完璧な演技。クレアが演じる姫は、まさに舞台の支配者だった。


「権利だけでは物足りない」


 突然、テオドールが微かに口角を上げて囁いた。

 その瞬間、クレアの表情がわずかに硬直する。


 ——そんな台詞、脚本にはなかったはず。


「貴女の心そのものを貰い受けたい」


 彼の言葉に、観客席がざわめく。

 この舞台において、テオドールは完全なアドリブを放ったのだ。

 クレアは、内心で驚きを隠しながらも、表情には出さず、静かに彼を見つめる。


「貴女の退屈な心を紛らわせる男は、この私しかいないでしょう」


 テオドールの黒曜石のような瞳が、クレアの視線をまっすぐに捉える。

 まるで、舞台の台詞ではなく、彼自身の本音のような——そんな熱を帯びていた。


【挑発と応戦】


 クレアは、一瞬の沈黙の後、ゆっくりと目を細め、微笑んだ。


 ——アドリブには、アドリブで返すしかない。


「それは素敵ね。だけど私は、自分の退屈さえも、他人の手に委ねる気は無いわ」


 優雅な身のこなしで、クレアはテオドールから一歩だけ距離を取る。

 観客席の少女たちは、まるで目の前の駆け引きに酔いしれるかのように、静かに唇を噛んだ。


「私は王子様を待つだけの女ではない——」


 クレアの声が、舞台全体に響き渡る。


「私の道は、私が選ぶのですわ!」


 その瞬間、観客席の空気が震えた。

 演技ではない。それは、クレア自身の信念そのものだった。

 観客席の誰もが、彼女の言葉に圧倒され、息を呑む。そして、彼女の台詞に応えるように、テオドールが笑う。


「気に入った!」


 舞台上の光が、再び二人を照らし出す。


「では、貴女の選ぶ道に、必ず私がいることを証明してみせましょう」


 低く、しかし確信に満ちた声。

 彼の言葉が、舞台の上で誓いのように響いた。


【観客たちの衝撃】


 その瞬間、観客席からどよめきを伴う、感嘆の声が漏れた。

 それは単なる舞台の台詞ではない。まるで現実の“求愛ゲーム”を舞台の上で繰り広げているような、圧倒的な臨場感。

「……この二人、完全にやり合ってる……!」

「こんなの、ただの劇じゃない……」

「いやもう、これはテオドール殿下の求婚では……?」

「……あれ? 私たちは何を見せられているの?」

 クレアとテオドールの“駆け引き”に、観客席は完全に魅了されていた。

 拍手が、ゆっくりと、しかし確実に広がっていく。やがてそれは、熱狂的な喝采へと変わった。

 舞台のクライマックスへと向かう中、観客たちは誰もが確信していた。


 ——この劇は、もはや学園の文化祭のレベルではない。

 ——これは、一つの「物語」として語り継がれるべきものだ。


 舞台の幕は、まだ下りない。

 しかし、すでにクレアとテオドールの演技は、誰もが忘れられないものになっていた。


【舞台袖の熱狂】


 舞台の上で繰り広げられる、クレアとテオドールの一進一退の攻防。

 観客席はもちろんのこと、それを見守る舞台袖もまた、大きく盛り上がっていた。


「いやいや、今のテオドール殿下のアドリブ、めっちゃ盛り上がってるじゃん!」

「あれ完全に『台本外』だけど、最高すぎる……!」

「それに対応するクレア嬢も、場慣れしすぎだろ! なんであんな自然に返せるの!?」


 歌劇部員たちは、息を呑みながら舞台を見つめ、今まさに歴史に残る瞬間を目撃しているかのような興奮を覚えていた。

 そんな中、一人の少女が静かに拳を握りしめていた。

 フィオーネ・ナディア——この歌劇の総合演出兼脚本担当。

 彼女の瞳は、舞台の上で煌めくクレアとテオドールを映しながら、微かに潤んでいた。

「これだわ……私はこれが見たかったの……!」

 彼女の胸に去来するのは、確信。

 これは、ただの文化祭の出し物ではない。これは誰もが心を奪われる、本物の”物語”だ。


【迎えに来たのではない、選ばれに来た】


 そして、舞台はクライマックスへと突入する。

 ヴァルミールの宮廷。そこに現れたのはアヴェレート王国の王子。

 黒髪黒目の王子は、隣国からやってきた。彼がこの地を訪れたのは、ただ一つの目的のため。


「僕は貴女を迎えに来たのではない」


 舞台中央、テオドールはゆっくりと進み出る。彼の声は、会場の隅々まで響き渡った。


「貴女に選ばれに来た」


 その瞬間、客席から小さな歓声が上がる。

 王子の言葉には、まるで現実の感情が宿っているかのようだった。

 そしてテオドールは、クレアへと手を差し伸べる。


「気高く美しく……どこまでも自由に高みを目指せる貴女の、隣で歩む名誉を私に」


 それは、テオドールのほんの少しのアドリブ。しかし、それは単なる演技の範疇を超えた、彼の本心の一端のように思えた。

 クレア自身もまた、その言葉の中に、テオドールの本気と覚悟を感じ取っていた。


 ——彼は、今、この舞台の上で何を考えているのか。彼の中で、どこまでが”演技”で、どこからが”本音”なのか。


 クレアがその答えを知ることはできない。けれど、確かに言えることがあった。

 彼の言葉に、彼の視線に、彼の差し伸べた手に。クレアの心は確かに、動かされていた。


【最上の選択】


 クレアは、ほんの一瞬だけ瞳を伏せ、ゆっくりと息を整える。

 そして、ふっと微笑みを浮かべた。


「勘違いしないでくださいね」

 彼女の声は、柔らかく、それでいて芯のあるものだった。

「私の最上の選択が、たまたま貴方を旦那にすることだったのよ」


 その台詞に、観客席から笑い混じりのどよめきが起こる。クレア演じる姫らしい、堂々たる台詞。

 クレアは、ゆっくりとテオドールの手を取る。本来、ここで舞台は終幕を迎えるはずだった。

 テオドールは、クレアの手を引いた。そして、ゆるやかに腕の中へと抱き止める。

「——!?」

 クレアの身体が、わずかにこわばる。その展開は、脚本にはない。

 次の瞬間——テオドールは、クレアの手の甲に、ゆっくりと唇を落とした。


 観客席の空気が、一瞬で熱狂へと変わる。

「キャアアアアアアア!!」

「きゃーーーーーー!!」

「王子様ーーーー!!!!」

 まるで劇場が崩れ落ちるのではないかと思うほどの歓声。舞台袖も、例外ではなかった。


「いやいやいや!? そんな演出あった!?」

「ない! ないけど、もうこれでいい!!」

「ていうか最高!!」

「最高!!!!」


 部員たちが興奮で飛び跳ねる中、幕が静かに降りていく。観客席からは、惜しみない拍手と歓声が響き続けた。


【止まる心臓と、真っ白な思考】


 クレアの心臓は止まりかけていた。彼の腕の中、彼の手の温もり、そして手に残る、彼の唇の感触。


 ——え? え?


 クレアの思考がまとまらない。頭の中が真っ白になる。


 舞台の幕が閉じて、ようやく意識が戻る。

 テオドールは、いたずらっぽく微笑んでいた。

「劇は終わったよ、お姫様」

 クレアは口を開くことができなかった。

 ただ、一つだけ確かなことがあった。舞台の上の熱狂が終わっても、クレアの胸の高鳴りは、まだ止まらなかった。

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