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第五話:不敬罪ギリギリの演劇練習

【過酷な演劇練習】


 翌日から、文化祭に向けた演劇の練習が始まった。まずは台本の読み合わせだ。

 クレアは、何とか脚本に書かれた台詞を形にしようと奮闘していた。

 しかし——


「違うわクレア!!」


 歌劇部の部室に響き渡る、力強い叱咤。クレアは思わず身をすくめた。

 フィオーネが、クレアに向かって厳しい眼差しを向けていた。

「貴女はヴァルミールの姫なのよ!? もっと気高く、美しく、そして拗らせるの!!」

「だからそれ、不敬罪一歩手前だからね!?」

 クレアは、思わずツッコミを入れる。

 何より、普段は物静かで落ち着いたフィオーネが、まるで別人のように熱血指導を繰り広げていることに、彼女は衝撃を受けていた。

 フィオーネは、そんなクレアの抗議を軽く受け流し、情熱的に続ける。

「いい? このオクタヴィア姫は、ただの姫じゃないの。ヴァルミールの誇りを背負いながらも、現状に満足せず、より高みを目指す女性なのよ! だからこそ、もっと堂々と、そして感情をこめて!」

 フィオーネの顔は、真剣そのものだった。

 彼女にとって、この舞台は単なる学園の演劇ではなく、一つの物語を魂を込めて届ける場なのだ。

 クレアは大きく息を吸い込み、もう一度台詞を口にする。

「『ヴァルミールの男では物足りないわ。私の旦那に相応しい男はいないものかしら……』」

「うーん、まだ足りないわね! もう一回!」

「……うぅ、これ、何度やらされるの……」

 クレアは、心の中で静かに涙した。まさか、フィオーネがここまで演技指導に熱を入れるとは思っていなかった。

 彼女の情熱に押される形で、クレアも必死に演技を磨くしかなかった。


【王子様は貫禄が違う】


 一方、対照的な存在がいた。それは主役のもう一人、テオドール・アヴェレートである。

 彼は、クレアが何度もダメ出しを受ける中、一度だけ台詞を読み上げた。


「美しく手強いお姫様。貴女のその退屈を、私が紛らわせてみせましょう」


 その瞬間、歌劇部の女子部員たちの間に、甘いため息が広がった。

「はぁ……」

「王子様すぎる……」

「完璧……」

 誰もが、陶酔した表情を浮かべている。テオドールは台本から顔を上げ、何でもないことのように微笑んだ。

「これでいいの?」

「……納得いかない」

 クレアは、心の底から呟いた。

 クレアが必死に演技指導を受けている傍ら、テオドールはただ一度台詞を読んだだけで、一発OK。

 しかも、まるで全てのセリフがテオドールのために用意されていたかのような自然さをもって、耳に響くのだった。

「なぜ貴方は、何を言っても様になるの……?」

 クレアが呟くと、テオドールは肩をすくめながら、軽く笑う。

「僕は王子だからね」

 それは、事実に過ぎない。しかし、その事実がクレアにとってはあまりにも悔しい。

 クレアは、心の中で「これは演劇よ、勝負じゃない」と必死に言い聞かせるが、理不尽な格差に対する不満は、どうにも拭えなかった。


 こうして、クレアの厳しい演劇修行は、まだまだ続くのだった。


【アヴェレート王家のタブー】


 午後の演技練習がひと段落し、部室内には一時的な静けさが戻っていた。

「つ、疲れた……」

 クレアは部室の椅子に座り込みながら、ぐったりとした表情を浮かべた。

 朝から続いたフィオーネの熱血指導に加え、何度も繰り返される台詞の練習に、心身ともに消耗していた。

 すると、目の前に差し出される水筒。

「お疲れ様、クレア」

 差し出したのは、テオドールだった。

「ありがとうございます、テオ様」

 クレアは素直に礼を述べ、水を一口含む。冷たい水が、乾いた喉を潤していくのを感じながら、ふとぼやく。

「それにしても……この脚本って、本当に大丈夫なんですの……?」

 クレアは、未だに不安が拭えなかった。

 王族の恋物語を題材にしているとはいえ、フィオーネの脚本は、従来の王家の逸話とは大きく異なる解釈を持っていた。

 しかし、テオドールは軽く肩をすくめながら、涼しい顔で答えた。

「この程度なら大丈夫だよ。実はこの王家の婚約エピソードは、全て策略で仕組まれていたことでした! ……なんて言わなければ」

「それは興味深い解釈ですけど……さすがに突飛ですわね」

 クレアは、思わず苦笑する。

 そのクレアの反応に、テオドールは何も言わず、ただ微笑を浮かべるだけだった。


【逃げ道のない主役】


 テオドールは、水筒をテーブルに置きながら、ふと問いかけた。

「ところでクレアこそ、よくこの主役を引き受けたね?」

 クレアは、ため息混じりに応じる。

「……逃げ道がなかったのですわ……」

 歌劇部の面々の期待に満ちた目、そしてフィオーネの熱烈な説得。あの場で断る選択肢は、最初から存在しなかったようなものだった。フィオーネの策略に、クレアがしてやられた格好であった。

 クレアは水をもう一口飲みながら、思いを巡らす。

 もし、あの場で自分が断っていたら?

 当然、主役は別の誰かに回ることになる。そして、王子役であるテオドールと共演するのは、自分ではなく——

「……」

 そこまで考えて、クレアは自分の思考を振り払うように、そっと首を振った。


 ——何を考えているのだろう、私は。


 すると、テオドールが、すぐ隣で静かに微笑む。

「僕も、君が相手で良かった」

 その一言に、クレアは思わず顔を赤らめた。

 けれど、すぐに気を取り直し、余裕を装って応じる。

「それは貴方の立場ならそうでしょうね」

 求愛ゲームを仕掛けている相手が姫役なら、テオドールにとってこの上ないチャンスである。そんな当然の前提に立ち返りながら、クレアはできるだけ冷静に振る舞った。

 しかし、テオドールは微笑を浮かべたまま、何気なく言葉を続ける。

「だって、この役の元ネタ、僕のお祖母様だからさ」

「……?」

「お祖母様とクレアは、よく似てるから、違和感ないよ」

「……!」

 クレアは、一瞬、言葉を失った。

 自分が予想していたものとは、全く異なる返答だった。

 もっと気障な言葉を返してくるのかと構えていたのに、まさかの「祖母と似ている」発言。

 ロマンティックな雰囲気も何もあったものではない。

「クレア、どうかした?」

「……何でもありませんわ……!」

 クレアは内心で、どこか肩透かしを喰らったような気分になっていた。

 テオドールの言葉が悪いわけではない。むしろ、オクタヴィア前王妃と似ているとは、光栄を超えて恐れ多い言葉だった。オクタヴィアは、若き姫だった頃は「フィーリス家の妖精」、アヴェレート王国へ渡ってからは「蒼玉の賢妃」と、王妃の名声をほしいままにした女性だ。そのような女性と自分が似ていると、その孫息子から言われるのは、クレアにとってはこの上ない名誉である

 しかし、テオドールの言葉を受けて、ほんの少しだけ、クレアの心に寂しさが生じていた。そんな感情に気づいてしまいながらも、クレアはそれを押し込めるように、ただ黙っていた。

 そして、隣にいるテオドールは、そんなクレアの微妙な心の揺れを知ってか知らずか、ただ穏やかな笑みを浮かべたままだった。


 休憩が終わり、再び練習へ戻る時間がやってきた。クレアは、水筒を置くと深呼吸し、気を引き締める。

「さて……もう一度やるわよ」

 しかし、その決意を踏みにじるように、フィオーネが朗々と叫んだ。

「クレア! もっと魅惑的に!! 貴女はヴァルミールの誇り高き姫なのよ! そんなに素直そうでどうするの!」

「素直なのは美徳では!?」

「そんなもの、王族には不要だわ!」

 フィオーネの拗れた王族観と、情熱的な指導に、クレアは目を回しながらも、台本を読み直す。

「ヴァルミールの男では物足りないわ……」

 しかし、その隣で読み合わせをしていたテオドールは、余裕の笑みを浮かべながら、あっさりと返した。

「それは嬉しいね」

 クレアの演技、台無しになる。

「ちょっと! テオ様! そんなアドリブはやめてください!」

「だって、自然と口をついて出たんだ」

「もう!!」

 ともに読み合わせを行っていた歌劇部の女子たちが、「王子様……!」と尊死しかけていた。

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