第四話:波乱の予感の文化祭
【主役のオファー】
新学期開始とともに、学園では文化祭の準備が本格化していた。
この祭典は、貴族子女たちが学業の傍らで培った芸術や文化を披露する場であり、王都の名士たちも観覧に訪れる一大イベントである。
クレアは、特に部活動に所属しているわけではなかったため、この一連の騒ぎを横目で眺めるだけの立場だった。
「文化祭か……観客としてゆっくり楽しめるわね」
そう呟きながら、校舎の中庭を歩いていると、不意に背後から勢いよく呼び止められた。
「クレア!!」
耳をつんざく勢いの声に、クレアは思わず足を止める。
「……フィオーネ?」
振り返ると、息を切らしながら駆け寄ってくるフィオーネの姿があった。
「お願い、クレア!! 貴女しか適任者がいないの!!!」
開口一番、フィオーネはクレアの手をがっしりと握りしめ、切実な表情を浮かべている。
「ちょ、ちょっと落ち着いて。何の話?」
フィオーネは荒い息を整えながら、真剣な眼差しで言った。
「歌劇部の主役をやってほしいの!!」
クレアは一瞬、耳を疑った。
「は……?」
「お願い、クレア!! どうしても貴女じゃなきゃダメなの!!」
フィオーネはなおも必死の形相で訴えてくる。クレアは必死に待ったをかけた。
「いや、ちょっと待って。どう考えても私には無理でしょう? 私、演劇なんてやったことないのよ?」
「大丈夫、大丈夫!!」
フィオーネは勢いよく首を振ると、真剣な表情でクレアの手を力強く握りしめる。
「私が作った脚本なの……」
その一言に、クレアの眉がわずかに跳ね上がる。
「えっ……フィオーネが!?」
フィオーネは少し恥ずかしそうに頷いた。
「初めてのことだったんだけど……親友の貴女をイメージしたら、不思議とスラスラ書けたの」
その言葉に、クレアの胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。フィオーネは、自分を想って物語を紡いだのだという。
「だから……どうしても貴女に演じてほしいの」
フィオーネの青い瞳は、真っ直ぐだった。クレアは、軽く息を吐きながら目を閉じる。
「……そこまで言うなら、わかったわ」
目を開くと、フィオーネの顔がぱっと輝いた。
「本当に!? ありがとう、クレア!!」
フィオーネは感激のあまり、思わずクレアに抱きついた。クレアは困惑しながらも、親友の熱意に押され、観念する。
「……その代わり、まずは脚本を見せてちょうだい。どんな役なのか、きちんと確認したいわ」
「もちろん! それなら歌劇部の部室に行きましょう!」
そう言って、フィオーネはクレアの手を引いて歩き出した。
【歌劇部の歓喜】
学園の一角にある歌劇部の部室に到着すると、そこにはすでに数人の部員たちが集まっていた。
彼らは、フィオーネと共にクレアの到着を待っていたらしく、彼女が姿を現すや否や、驚きと歓喜の声が上がった。
「クレア・サヴィエール嬢が主役に!? 本当ですか!?」
「おお……ついに正式に決まったのですね!」
「やったぁぁぁ!」
部員たちは、一様に喜びの表情を浮かべていた。
クレアは、あまりの熱烈な歓迎ぶりに、少しばかり後ずさる。
「えっと……皆さん、ちょっと落ち着いて……」
「クレア嬢、私たちは貴女に感謝しています!」
「貴女なら絶対に最高の舞台になるはずです!」
「この劇は、フィオーネ様が魂を込めて書かれたものなのです。主役をお願いできるのは、貴女しかいません!」
歌劇部の部員たちは、口々に熱弁を振るう。
クレアは苦笑しながら、フィオーネをちらりと見やる。
「ねぇ……これ、断る選択肢って、最初からなかったんじゃないかしら?」
「うふふ……気付いちゃった?」
フィオーネはいたずらっぽく微笑んだ。クレアはため息をつきながら、椅子に腰を下ろす。
「まあいいわ。とりあえず、その脚本を見せてちょうだい」
「もちろん!」
フィオーネは机の上に置かれた厚めの台本を手に取り、クレアの前に差し出した。
【脚本の中の姫】
クレアは、フィオーネから手渡された脚本を慎重に開いた。タイトルを目にした瞬間、その手が思わず止まる。
《いつか王子様が迎えに来てくれるなんて性に合いません!》
――えっ?
眉をひそめながら、クレアは表紙をめくる。そして、序盤のあらすじを読み進めるうちに、次第に困惑を深めていった。
物語の主人公は、一人の姫。
彼女は、伝統的な「おしとやかな姫君」とは正反対の気質を持ち、王子様が迎えに来るのをただ待つのではなく、自ら動いて未来を切り拓いていく。
しかも、その姫のモデルは――
「……ちょっと待って。この姫って、まさかあのオクタヴィア姫?」
クレアは、フィオーネをまじまじと見つめた。
フィオーネは自信満々に頷く。
「そうよ。オクタヴィア姫とノイアス王太子の実話を、私なりに再解釈したの」
オクタヴィア姫といえば、ヴァルミールの国王エドバルドの叔母であり、アヴェレート王国の前王妃でもある人物だ。そしてヴァルミールの女子が一度は憧れた、『いつか王子様が』のエピソードの本人でもある。
アヴェレート王国に外遊していたオクタヴィアが、当時のアヴェレート王家の王太子だったノイアスにダンスパーティで見初められた。オクタヴィアが落としたクリスタルの髪留めをノイアスが拾い、後日落とし物を届けにヴァルミールへ訪問、そのままノイアスはオクタヴィアを婚約者としてアヴェレート王国へ連れ帰った。
これが皆が知る、歴史的事実である。
しかしフィオーネの再解釈脚本は、これまで誰も見たことのない内容だった。クレアは、台詞の部分に目を通し、唖然とした。
「……いやいやいや、ちょっと待って。これ、大丈夫!? 不敬罪ギリギリじゃない!?」
脚本の内容は、伝統的なおとぎ話とは全く異なるものだった。
ヴァルミールの姫は、王子様をただ待っていたのではなく、むしろ自ら戦略的に「旦那探し」をし、アヴェレート王国に乗り込んで王太子を籠絡した、という筋書きになっていたのだ。
――待つのではなく、手練手管で王子を落としに行く。
それは、まさに「攻めの姫」。
クレアは、何度か脚本をめくり直した。
「これ、本当に舞台にしていいの? 誤解を招かない!?」
「大丈夫よ!」
フィオーネは、ニッコリと笑う。
「だってアヴェレート王家の第二王子、テオドール殿下のお墨付きだもの!!」
その言葉に、クレアは一瞬言葉を失う。
「……えっ」
まさかの展開に、思わず脚本を持つ手が震えた。
「もしかして……この王子様役って……」
不安を抱えながらフィオーネを見やると、そのタイミングで歌劇部の部室の扉が開いた。
「王子様役は僕だよ、よろしくねクレア」
そこに立っていたのは、テオドール・アヴェレート。彼は、満面の笑みを浮かべながら、余裕たっぷりの態度でクレアを見つめていた。
クレアは、信じられないという表情で声を上げる。
「そりゃ適任ですわね!?」
部室内が、笑いと歓声に包まれた。
【王子様のノリの良さ】
部室の中は、テオドールの登場によってさらに賑やかになっていた。しかし、クレアだけは頭を抱えたくなるような気分だった。テオドールが満面の笑みで「よろしくねクレア」などと朗らかに言ってのける状況が、どうしても理解できない。
彼女は半ば呆然としながら、隣にいるフィオーネに詰め寄った。
「ちょっと待って。なぜテオ様がこの企画に関わっているの?」
するとフィオーネは、きらきらとした瞳で答える。
「脚本の許可をもらおうと思って見せたら、気に入ってくださったの! そのまま主役まで引き受けてくださったわ!」
「テオ様、ノリ良すぎではありませんか!? アヴェレート王家の皆様、本当に怒ってませんの!?」
王族の実話を再解釈すること自体、なかなか大胆な企画である。
ましてや、内容が「姫自ら乗り込んで王太子を籠絡した」だなんて、王家の名誉に関わる話ではないのか。
このまま上演したら、アヴェレート王家からクレームが入るのではないかと、クレアは真剣に心配になった。
しかし、当の本人は、まるで気にする様子もなく、いつもの飄々とした態度で肩をすくめる。
「大丈夫だよ。父が怒るのはいつものことだし、母が宥めてくれる。あと叔父は大体僕の決断を誉めてくれる。兄は苦笑いして、姉は面白がってることが多いかな」
クレアは、言葉を失った。
テオドールの父、現アヴェレート王が怒ることを、“いつものこと”で済まされるのはどうなのか。
しかも、王妃が宥め役で、叔父が彼の決断を誉め、兄が苦笑いして、姉が面白がっている――
「ロイヤルファミリーってそんな感じなの……?」
クレアは、じわじわと現実を受け止めきれなくなり、呆然と呟いた。
彼女の知る限り、王族というものは、格式と威厳に満ち、緻密な政治的計算のもとに振る舞う存在だったはずだ。
ところが、目の前のアヴェレート王家の一員は、どうにもそうしたイメージとはかけ離れている。
テオドールは、どこか楽しげに微笑んだ。
「そういうわけで、この舞台はアヴェレート王家公認ってことでよろしく」
「……いやいや、いくら何でもノリが軽すぎますわ……!」
クレアは思わず突っ込みを入れたが、歌劇部の部員たちは大喜びだった。
「アヴェレート王家公認の舞台になるなんて、素晴らしいです!」
「ますます気合いが入りますね!」
フィオーネも満面の笑みを浮かべ、クレアの手を取る。
「これで準備は万端ね! クレア、貴女がいてくれて本当に良かったわ!」
「もう、どうにでもなれって気分よ……」
こうして、クレアは意図せず、文化祭最大の話題作に巻き込まれることとなったのだった。




