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第十話:お友達作戦の成果

【別れの時、揺らぐ境界線】


 テオドールの視察を終え、ヴァルミール王宮へと帰還する日が訪れた。サヴィエール辺境伯家の屋敷の前では、一家総出でテオドールを見送り、帰路へと送り出す準備が整っている。

 澄み渡る青空の下、サヴィエール家の者たちは整然と並び、礼儀正しく見送りの場に臨んでいた。屋敷の前には馬車が待機し、護衛たちも出発の合図を待っている。

 テオドールは、その整った姿勢の中に立ち、深々と頭を下げた。


 シグムントが一歩前に出て、テオドールへと向き合う。

「殿下のご滞在が無事に終わり、何よりです。我が領を訪れていただき、光栄でした」

 儀礼的な挨拶ではあるが、シグムントの口調には、テオドールへの敬意が込められていた。

 テオドールもまた、落ち着いた笑みを湛えながら、礼儀正しく応じる。

「こちらこそ、辺境伯殿。貴家の皆様には、この数日間、大変お世話になりました。とても有意義な時間でした」


 そこへ、ベアトリスがにこやかに歩み寄り、朗らかな声で言った。

「テオくん、またいつでも遊びに来てちょうだいね! 第二の実家だと思ってくれて構わないわ!」

 その言葉に、テオドールはほんの一瞬だけ目を細めたかと思うと、すぐに優雅な微笑みを浮かべた。

「はい、お義母様。今度はぜひ、アヴェレート王国にいらしてください」

「まぁ、嬉しいわ!」

 ベアトリスは嬉しそうに笑い、クレアの肩を軽く叩く。

 クレアは、隣で繰り広げられるこの和やかな会話に、がっくりと項垂れた。


 ――第二の実家、って……。


 自分の母とテオドールが、こうも自然に親しげなやり取りを交わしていることに、クレアは頭を抱えたくなった。


 そんな彼女をよそに、今度はサミュエルが前へ出る。

「テオくん、妹と今後も仲良くしてやってくれ」

 さらりとした口調でそう言いながら、サミュエルは優雅に微笑んでいる。

 その言葉に、クレアは驚きのあまり兄を振り返った。


 ――お兄様まで、何を言って……!


 しかし、テオドールは何の迷いもなく、落ち着いた声で応じた。

「もちろんです、兄上」


 ――兄上!?


 クレアの動揺はピークに達した。サミュエルが満足げに頷く一方で、クレアは動揺を隠せずにいた。


 そんなクレアの様子をよそに、テオドールはゆっくりと手を差し出した。

 その動作は堂々としていて、まるで次の一手を示すかのような確信があった。

「素晴らしい時間をありがとう」

 まっすぐに向けられたその言葉に、クレアは息を呑んだ。その誠実な眼差しを前にして、クレアが無視することなどできるはずもない。

 クレアは意を決して、そっとテオドールの手を取った。

「こちらこそ、テオ様のお考えや視座の高さを知ることができて、とても有意義でした」

 その瞬間、彼の手が優しく握られる。

 温もりを感じるほどの強さではないが、けれど、しっかりとした存在感を持つ手だった。


 ――これで終わり。お友達作戦の一環。そう、ただの握手。


 そう言い聞かせるように、クレアはゆっくりと手を引こうとした。しかし――

「僕も、君の魅力と可能性を知れて、ますます目が離せなくなったよ」

 彼は、あくまで淡々と、しかし確信を持って言葉を紡ぐ。

 クレアが引こうとする「お友達」の線を、悠々と乗り越えてくるその態度。

 彼の言葉の真意を探ろうとする間もなく、クレアの頬はじわじわと熱を帯びていく。


 ――この求愛ゲーム、難易度が高すぎる……!


 けれど、それでもクレアは、ぐっと踏ん張る。

 表情が崩れないよう押さえ込むようにしながら、最後まで毅然とした態度を貫くのだった。


 そして、テオドールはクレアの手を離し、軽やかに馬車へと乗り込む。

 サヴィエール家の者たちが、馬車の発つのを見届ける中、クレアは深く息を吐いた。


 ――次に彼と会うとき、私はどんな顔をすればいいのかしら……。


 そんなことを思いながらも、彼女は最後まで、涼やかな表情を保ち続けるのだった。


【家族会議(反省会)】


 テオドールの一行が去った後のサヴィエール辺境伯家。

 館の応接室には、シグムント、ベアトリス、サミュエル、そしてクレアの家族が勢揃いし、領地視察の総括――という名の反省会が始まった。


 しかし、会議が始まるや否や、お友達作戦の実行担当者であるクレアが、大声で問題提起を開始する。

「お母様! 何で『お義母様』とか『テオくん』なんて呼び合ってるのよ!」

 クレアは座っていた椅子から立ち上がり、母ベアトリスを睨みつける。

 一方、当のベアトリスは涼しい顔で、にっこりと微笑んだ。

「だって、あんなに礼儀正しくて有能な子、もう義息子にするしかないじゃない! 既成事実を作るのは早い方が良いわ!」

「無茶苦茶な論理展開やめてください!」

 クレアは脱力し、深々と溜息をついた。

 あまりにも勢いのある母の言葉に、反論する気力さえ削がれる。


 しかし、クレアは気を取り直し、矛先を父・シグムントへと向けた。

「お父様も! 何で視察の途中で私とテオ様を二人きりにしたの!」

 シグムントは腕を組み、静かに娘を見つめた後、淡々と答える。

「お前と二人きりにすれば、テオドール殿下はお前に思考リソースを割くことになって、視察で“気づきすぎない”だろう?」

「……え?」

 シグムントは、テオドールの観察眼の鋭さと、会話の巧みさに感心しつつも、同時に警戒していた。視察とはいえシグムント辺境伯にとって都合の悪いことに気付かせないためにも、余計な情報を与えない工夫が必要だった。特に、クレアとの関係がどうなるのか未知数の今は。

 だからこそ、クレアを同行させた――テオドールの注意をクレアに向けさせることで、視察の鋭さを和らげる狙いがあったのだ。

 そのシグムントの狙いは、クレアも理解できるものだった。テオドールは恐ろしいまでの観察眼と洞察力の持ち主であることを、クレアは知っている。それを考えれば、彼の思考を別の方向に向けさせる策は合理的だ。


 ――いや、でもだからといって!


「それは……納得できますけど!」

「なら、いいではないか。いっそのこと殿下を身内にした方が安全まであるぞ」

「納得できるのと、私の気持ちが追いつくのは別問題です!」


 そんな彼女の葛藤をよそに、ここで兄のサミュエルが静かに口を開いた。

「僕は、クレアとテオくんの婚約について、全面賛成に鞍替えするよ」

「……は?」

 クレアはぽかんと兄を見つめた。一番慎重だったはずの兄が、まさかこんな簡単に態度を変えるとは思っていなかったのだ。

「パーティの際に彼と話してわかった。クレアの才気を理解し、尊重してくれている。何より……」

 サミュエルは、拳を軽く握りしめながら続けた。

「王弟殿下と女公爵閣下の関係を理想と言っている者に悪人はいない!」

「……はい?」

 クレアの混乱は深まるばかりだった。

 そう、サミュエルは、アヴェレート王国の王弟ラグナルとカレスト公爵のカップリングに尊さを見出す、推し活紳士なのだった。

 彼にとって、この二人の関係は理想的な関係性の象徴であり、それを肯定するテオドールは「信頼に値する男」なのだという。

 要はサミュエルは、テオドールと妹クレアの組み合わせを『新たな推しカプ』と認知した。

「推し活目線で妹の婚約を推すのやめてください!」

「いいや、僕はクレアの幸せを心から案じて判断している!」

「絶対、絶対に違うでしょ!? 今の発言のどこに私の幸せ要素があったのよ!」

「大いにある! 彼が言っていたことは、まさしく君の未来にとって良い兆しだ!」

「だから、何で『彼が私の才気を理解して尊重しているから』と『推しカプの尊さ』が同列になってるのよ!!」

「冷静に考えてくれ、クレア。推しカプが公式になる時、世界は最も幸福に包まれるんだ」

「お兄様、それ以上言ったら本当に怒りますわよ!」


 クレアとサミュエルの押し問答が続く中、最後にまとめとしてサヴィエール家の今後の方針が決定された。

「お友達作戦を継続しつつ、折を見てさっさと婚約しなさい」

 その場の全員が、異論なくこの結論に至る。


「……何でそうなるのよ!!!」


 クレアの心の叫びが、応接室に響き渡るのであった。

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