第九話:貴族たちを魅了する一夜
【サヴィエール辺境伯家のダンスパーティ】
市場から帰宅した日の夜、サヴィエール辺境伯家の屋敷では、テオドールを歓待するダンスパーティが開かれた。広間には煌びやかなシャンデリアの灯りが瞬き、音楽と笑い声が響き渡っている。周囲を彩るのは、豪華なドレスをまとった貴族たち。近隣の貴族を中心に、多くの人々が集まり、テオドールという異国の王子を迎え入れていた。
その日は、アヴェレート王国の王子という立場もさることながら、学園で噂される「クレアとテオドールの求愛ゲーム」の行方に注目が集まっていた。クレアの婚約破棄騒動を契機に、テオドールが求愛ゲームのお相手として名乗りを上げ、二人の恋愛攻防戦が繰り広げられるという噂が、貴族社会でも広まりつつあった。
クレアは、広間の奥で楽しそうに踊っている貴族たちを眺めながら、フィオーネを見つけた。久しぶりに顔を合わせた彼女に、クレアは嬉しそうに駆け寄った。
「フィオーネ、来てくれたのね! ありがとう」
フィオーネは、クレアに微笑みながら手を差し出す。
「もちろん。クレアのパーティなら、欠席できるわけがないわ。お呼びいただいて光栄よ」
フィオーネの姿は、いつもと変わらず優雅で、しかしどこか落ち着きが感じられるものだった。しかし、彼女がクレアに近づくと、少しだけ眉をひそめる。
「婚約者殿はご欠席?」
フィオーネはその質問に、あまり気にした様子もなく、肩をすくめた。
「うん、都合が悪かったみたい。気にしないで、私は十分楽しませてもらっているから」
クレアは少しほっとしたように頷くが、心の中で微かな不安を感じていた。
そのとき、クレアの兄であるサミュエルと、その婚約者ミネルヴァが二人で歩いてきた。サミュエルはクレアに微笑みかけると、すぐに話しかけてきた。
「クレア、今日の視察はお疲れ様。先ほどテオドール殿下から、視察の感想を伝えられたよ。クレアのおかげで大変有意義だったと」
「ありがとう、お兄様。殿下にも満足いただけたようで何よりです」
「視察で大役を務めたご褒美と思って、パーティの方は肩の力を抜いて楽しんでくれ」
このパーティは、母ベアトリスと、兄サミュエルによって企画されたものだ。母のセンスと人脈、兄の計画力と調整力が噛み合わさり、辺境伯家として申し分ない華々しい場となっている。
そのサミュエルの隣に寄り添うのは、婚約者であるミネルヴァ・グレイシア伯爵令嬢だった。将来の義姉であるミネルヴァは、上品ながらも快活な雰囲気を漂わせる女性だ。
グレイシア伯爵家は、家業として国内貴族同士の経済連携の仲介役を担っている。ミネルヴァも家族の一員として、その家業を手伝っている。
そのミネルヴァが、クレアににっこりと笑いかけてきた。
「お久しぶりね、クレア。会えて嬉しいわ」
「こちらこそ、ミネルヴァお姉様。お元気そうで何よりです。ミネルヴァお姉様の噂は聞いております、先日も侯爵家と伯爵家の事業買収の案件をまとめられたとか」
クレアがそう言うと、ミネルヴァは大きくため息をついた。
「貴族同士の経済連携の仲介役なんて泥臭い仕事だわ。早くサミュエルと結婚して、この役目から解放されたいの」
その言葉に、クレアは少し驚いたように目を見開いた。クレアはミネルヴァの噂を聞いて、密かに憧れを抱いていた。しかしミネルヴァの態度は、どこか軽く、面倒くさそうに見えた。
「なのにこの人、「交渉の現場にいる君が好き」とか言って、私を役目から降ろしてくれないの!」
「君の交渉術は男性貴族にも劣らない。その気高さに僕はいつだって惚れ直すんだ」
「ほら、もう、クレアからも言ってよ! そんなこと言ってたら、いつまで経ってもサヴィエール辺境伯家に嫁入りできないって!」
ミネルヴァは大げさに言うと、サミュエルの腕に寄りかかり、笑っていた。
クレアはその言葉に少し困ったような表情を浮かべる。本人の才覚と意志、そして周囲の期待が噛み合わないこともあるのだな、と苦笑した。
【恍惚へ誘うダンス】
ダンスパーティも佳境に入り、華やかな音楽が広間に響いていた。貴族たちは優雅に踊り、歓談を楽しみながら、ちらちらと舞踏の中央に視線を向けている。
クレアがふと視線を巡らせていると、目の前に差し出された手があった。
それは、テオドールの手だった。
「クレア、お相手願えるかな?」
一瞬、広間が静まる。そして次の瞬間、興味津々といった視線がクレアに集まった。貴族たちが待ち望んでいるのは、隣国アヴェレート王国の王子と、サヴィエール辺境伯令嬢のダンス――つまり、学園で始まった求愛ゲームの続きを、この場でも見ることができるのではないかという期待だ。
クレアは、ほんの一瞬だけ戸惑ったものの、冷静に考え直す。お友達作戦継続中の今、クレアには断る理由はない。優雅に手を取り、テオドールに導かれるまま、ダンスの輪の中心へと進んでいった。
音楽が変わる。テンポのよい曲調が始まる。
そして、始まったダンスは……
――これは大変だわ。
クレアは即座に気づいた。
テオドールのリードは、自由すぎる。
貴族の舞踏は、形式的なステップを正確に踏むことが求められる。事前に決められた振り付けに従い、男女が調和のとれた優雅な舞を披露するのが通例だ。しかし、テオドールは違った。
まるで即興のように動きを変え、変則的なリードを繰り出してくる。普通の貴族令嬢ならば、すぐに混乱してしまうだろう。
しかし――クレアは微笑んだ。
クレアはダンスに自信があった。ただし、今まで披露する機会があったのは、婚約者との格式ばったダンスばかり。本当の意味で、自分の力を発揮したことは一度もなかった。
――ならば、今がその時だ。
テオドールの動きに合わせて、クレアは即座に対応する。変則的なリードを、まるで初めから知っていたかのように受け入れ、しなやかに舞う。貴族の令嬢としての品位を保ちつつも、臨機応変に動きを変え、まるで二人で一つの舞を創り上げているかのようだった。
その瞬間、テオドールの目がわずかに驚きに見開かれる。
しかし、それは一瞬のことで、すぐに楽しげな笑みに変わった。
「そうこなくちゃ」
彼はさらなる変化を加えた動きを試みる。しかし、クレアはすべてに対応し、完全にリードを読み切る。
広間の空気が変わっていた。
ダンスに魅了される者たちが、息を呑み、熱狂し始める。
「すごい……!」
「これほど華やかなダンスは見たことがない!」
次第に歓声が上がり、視線はますます二人に集中していく。観客の中には、感動に息を詰まらせる者もいた。
フィオーネは、手を胸に当てながら、陶然とした表情でつぶやいた。
「私……今、夢を見ているみたい……」
貴族の舞踏会で、これほど観客を魅了するダンスが繰り広げられることは、めったにない。人々はただただ目を奪われながら、二人の舞が終わるその瞬間まで、見届けていた。
【バルコニーの語らい】
ダンスを終えた後も、広間は熱気に包まれていた。クレアは軽く息を整えながら、ふと外の夜風が恋しくなった。
テオドールも同じことを考えたのか、そっとクレアに声をかける。
「少し、外の空気を吸いに行こうか」
クレアは頷き、二人はバルコニーへと向かった。
夜の冷たい風が、まだ高揚の残る肌を心地よく撫でていく。シャンデリアの光が届かない場所では、満天の星がきらめいていた。
「ダンスの名手だったとは、嬉しい誤算だったよ」
テオドールが、柔らかく言葉を紡ぐ。
クレアは少し微笑みながら、そっと手すりに触れた。
「最初から得意だったわけではありませんわ。幼い頃からの反復練習のおかげですね」
「なるほどね。それが今や、僕の出方を見て対応できるようになった、と」
テオドールの言葉に、クレアは少し考え込むように目を伏せ、そして小さく笑った。
「私のダンスの引き出しを全部開けられたような気分でしたわ」
その言葉に、テオドールが肩をすくめる。
「ここまでたくさんの努力が詰まってる引き出しは初めて見たよ」
その言葉に、クレアは少し驚く。これまでダンスを評価されたことはあっても、それは単なる「貴族としての所作」の範疇でしかなかった。自分が積み上げてきたものを「努力」として見てもらえたことが、新鮮で嬉しかった。
そう気づいたとき、クレアはふと微笑んでいた。
「ありがとうございます」
それは、自然とこぼれた言葉だった。
風が吹き、夜の静けさが二人を包み込む。
バルコニーに流れる夜風は、舞踏会の熱気を冷ましながらも、二人の間には、どこか心地よい余韻を残していた。
ご覧いただきありがとうございます。
毎日更新は本日まで、以降は土日更新です。
月〜金は、この作品の親作品にあたる連載を更新しております。アヴェレート王国側の話です。
ご興味があればご覧ください。
拗らせ女公爵と策略王弟の愛と希望の日々 〜政略と社交の狭間で愛し合ってみせます〜
https://ncode.syosetu.com/n3251jx/




