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第五話:親交は食事とともに

【前菜から始まる外堀固め】


 サヴィエール辺境伯家の晩餐会場は、華やかな燭台の光に包まれ、優美な装飾がその格調高さを際立たせていた。天井には繊細な彫刻が施され、壁には淡いパステルカラーの装飾が優雅に彩られている。まるで王侯貴族の舞踏会が開かれるかのような空間の中、長いダイニングテーブルには美しい食器が並べられていた。

 やがて、最初の料理が運ばれる。

 前菜として供されたのは、白身魚のカルパッチョと、ハーブが香る冷製スープ。器に盛られたスープには、浮かべられたハーブが美しく映え、視覚からも楽しめる一皿だった。

 テオドールは丁寧にナプキンを広げ、スープを一口味わう。

 その動作は貴族としての洗練された所作に満ちており、彼が王族であることを改めて感じさせるものだった。

 隣に座るクレアもスープを口にしながら、ちらりとテオドールを窺う。彼はスープの味をじっくりと確かめるように目を閉じ、それから微笑みを浮かべた。

「とても美味しいですね。素材の風味がしっかり活かされていて、余計なものが足されていないのが良い」

「光栄ですわ。サヴィエール家の料理は、伝統的に素材の味を大切にするのです」

 クレアが自然に返すと、テオドールは満足げに頷いた。

 しかし、その穏やかな空気を破るかのように、向かいの席から妙に嬉しそうな声が飛んできた。

「テオくん、気に入ってくれて何よりよ!」

 その声の主は、クレアの母、ベアトリスだった。彼女はにこやかに杯を手に取りながら、テオドールを見つめている。

「ええ、とても美味しいです、お義母様」


 ――え?


 クレアの手が止まった。

 スープを口に運ぼうとしていた手が、止まった。

 しかし、当のベアトリスは全く動じず、「まぁ!」と感激したように手を叩く。

「やっぱり! さすがテオくんね。お義母様って呼ばれるの、悪くないわ!」


 ――悪くないわ、じゃない!


 クレアは慌ててベアトリスを見るが、すでに母のテンションは最高潮。テオドールも、まるで当然のことのように微笑んでいる。

「まさかこんなに温かく迎えていただけるなんて、感激です、お義母様」

「そうでしょう? もう、私はすっかり君の味方だからね!」


 ――だから何の味方なんですか、お母様……!


 クレアは頭を抱えそうになった。

 母ベアトリスにとって、テオドールはただの「娘の学友」であるはずなのに、すっかり「未来の義息子」扱いをしている。

 一方のテオドールも、これはこれで楽しんでいるようだった。

 彼はクレアを口説き落とすために、ベアトリスを取り込もうとしているのは明らかだった。

「お義母様は、普段どのようにお過ごしですか?」

「まぁ、テオくんったら! そんなに私に興味があるの?」

「ええ、クレア嬢のご家族のことを知るのは、僕にとって大切なことですから」

 クレアは思わずテオドールを睨むように見たが、彼は涼しい顔でスープをもう一口飲んでいる。

 テオドールの天然なのか計算なのかわからない振る舞いに、彼女は完全に翻弄されていた。

 そして何より、それを全く否定しない母の姿に、自分の常識の方がおかしいのかと疑わされる。

 サヴィエール家の晩餐会は、まだ始まったばかりだというのに、クレアの心の疲労はすでにピークを迎えつつあった。


【メインディッシュに教育政策議論を添えて】


 前菜が片付き、次に運ばれてきたのは、サヴィエール家が誇るメインディッシュだった。

 大皿に盛られたのは、香ばしく焼き上げられた仔牛のロースト。肉の表面には絶妙な焼き色がつき、切り分けられた断面からは、ほどよくピンク色を残した柔らかな肉質が覗く。香ばしい香りとともに、濃厚な赤ワインソースが美しくかけられ、付け合わせのグリル野菜が彩りを添えていた。

 さらに、パン職人が丁寧に焼き上げたカンパーニュと、香り豊かなバターが添えられ、食卓は一気に豊かな香りで満たされた。


 食前の会話が一段落し、メインディッシュにナイフが入れられた頃、当主シグムントが静かに口を開いた。

「テオドール王子殿下、改めて貴国よりヴァルミールに留学されたことを、歓迎いたします」

 重厚な声が晩餐の場に響く。シグムントの視線は、真正面に座るテオドールへと向けられていた。

 テオドールはナイフとフォークを置き、深く一礼する。

「ありがとうございます。サヴィエール辺境伯閣下のことは、学園でも度々お名前を伺っておりました。こうして直接お話しできる機会をいただき、光栄です」

「ほう、私のことを?」

「ええ。ヴァルミール国内での政策議論では、辺境伯閣下の提言がしばしば参考にされると耳にしております。軍事と経済の両面で、貴族として理想的なバランスを保たれているとの評判も高い」


 シグムントは静かに目を細めると、「なるほど」とだけ返し、ワイングラスに軽く口をつけた。その顔に浮かんでいたのは、微かな満足の色だった。

「では、学園生活についても聞かせていただきましょう。貴国の王子として、ヴァルミールの教育機関に身を置いてみて、何か感じたことは?」

 その問いに、テオドールは少しだけ目を伏せ、軽く考え込んだ。そして、ゆっくりと口を開く。

「ヴァルミールの学園制度は、極めて整備されています。各科目の専門性が高く、学業だけでなく、礼儀作法や社交技術の教育も徹底されている。特に、貴族社会の統制手段としては極めて有効に機能していると感じました」

 テオドールの言葉に、シグムントが軽く頷く。

「確かに。学園は単なる教育機関ではなく、貴族社会の一部として機能している。若き貴族たちは、学業を修めるだけでなく、同時に学園内のヒエラルキーの中で政治を学び、将来の人脈を築いていきます」

「まさしくその通りです。しかし――」

 ここでテオドールは、一瞬、言葉を区切る。そして、再びシグムントへと目を向け、静かに続けた。


「統制の効いた教育制度であるがゆえに、『安定』を維持することに長けている反面、新たな変革を生み出す力は弱いように感じました。貴族社会が成熟し、標準化された教育が行き届くほど、人々は固定観念に縛られやすくなります」

 食卓に、一瞬、静寂が訪れる。


 シグムントは思索するようにナイフを置き、テオドールをじっと見つめた。

「つまり、学園制度は、社会の維持には優れているが、発展には寄与しづらいと?」

「ええ。ヴァルミールの貴族社会は安定しています。しかし、だからこそ、新たな考え方や視点を取り入れる機会が限られる。統制が行き届いている分、既存の枠組みの中で物事を考えることが常態化しているのです」

 その言葉を受け、シグムントはゆっくりとナイフを手に取り、ローストされた仔牛の肉を切り分ける。

 まるでその動作の中で、何かを整理しているようだった。

「……なるほど。確かに、貴族社会が成熟しすぎたがゆえの弊害かもしれない。殿下は、ヴァルミールの学園に身を置く中で、そこまで考えていたのですね」

 シグムントは穏やかながらも、確かな興味を滲ませた問いかけをする。

 テオドールは微笑し、ナイフを再び手に取る。

「学ぶ以上は、そこにある仕組みが何を目的としているのかを考えるのも、学問の一環かと」


「興味深い視点です。確かに、社会を維持するための枠組みは重要だが、それが時に足枷にもなる。おそらく、殿下は学園で学ぶ傍ら、貴国の事情とも照らし合わせていたのでは?」

「ええ」

 テオドールは否定しない。むしろ、シグムントの洞察力を評価するかのように、少し楽しげに微笑んで見せた。

「ヴァルミールの学園制度と、アヴェレート王国の教育方法では、根本的な成り立ちが違います。ヴァルミールでは貴族社会の安定化を主軸とし、一定の水準を満たした人材を輩出することを目的としています。一方、アヴェレート王国では体系立てられた教育機関は存在せず、それぞれの家が必要とする実学を家庭教師や私塾を通じて学ぶのが一般的です」

 若き王子は、まるで経験豊富な政治家のような語り口で続ける。

「ヴァルミールの学園が『貴族社会を維持するための場』だとすれば、アヴェレート王国は『個々の統治者を育てる場』といったところでしょうか。どちらも社会を支えるという点では共通していますが、そのアプローチは大きく異なりますね」

 ここまでの二人の会話を、クレアは真剣に聞いていた。クレアは隣のテオドールを見つめる。


 ――あの学園生活を通じて、そこまで考えていたのね。


 テオドールはただ流されるように学んでいたのではなく、教育の本質と、それが社会に与える影響まで見据えていた。

 クレアは、目の前の少年の奥深さを、改めて思い知らされた。テオドール・アヴェレートという存在の真価を、今まさに感じていた。


【甘くないデザート】


 晩餐も終盤に差し掛かり、テーブルの上には最後の品が運ばれてきた。

 美しく盛り付けられたデザートプレートには、ふわりとした口当たりのムースと、果実のコンポートが彩りを添えている。サヴィエール家の特産であるベリーが使われており、上品な甘みと酸味が絶妙に調和していた。

「これもまた美味しいですね」

 テオドールは、スプーンでひとすくい口に運び、穏やかに感想を述べた。

「お口に合ったようで何よりです」

 クレアも微笑みながら、同じくムースを味わう。先ほどまでの戦いのような食卓のやり取りが落ち着き、食後のひとときは穏やかな雰囲気になっていた。


 そんな中、サミュエルがふと思い出したように声を上げる。

「そういえば、ヴァルミール国内で最近話題になっている歌劇をご存じですか?」

「歌劇、ですか?」

 テオドールが興味を引かれたように顔を上げると、サミュエルは頷いた。

「ええ、アヴェレート王家の王弟殿下と、その伴侶の愛の物語を題材にしたものです。ここ数ヶ月で貴族社会でも評判になっていて、特に女性たちの間では絶賛されていますよ」

「……そうですか」

 テオドールは一瞬言葉に詰まり、それから小さく苦笑した。

「身内のことだと思うと、大変複雑な気分ですが……」

 テオドールの表情には、何とも言えない感情が滲んでいた。叔父のラブストーリーが国を越えて流行しているのだから、無理もない。

「ですが、叔父とそのパートナーは、政治的にも伴侶としても理想的な関係だと思います。僕自身、見習いたいと思っている部分も多いですね」


 サミュエルはその言葉を聞き、納得したように頷いた。

「確かに、王弟殿下と公爵閣下の関係は、多くの貴族にとって理想的な形のひとつでしょうね。互いに尊重し合いながらも、それぞれの得意分野で支え合っている……」

「ええ、叔父は政治の中枢で活躍し、彼の伴侶は公爵として領地経営や法案審議に尽力しています。彼女のような才覚を持った女性が、国の発展に貢献する姿勢は素晴らしいことです」

 テオドールの言葉に、クレアはスプーンを持つ手を止めた。


 ――確かアヴェレート王家の王弟殿下のパートナーって、女性公爵として産業改革したり、インフラ事業に取り組んだりしているのよね?


 つまり、テオドールが「見習いたい」と言ったのは、単に夫婦仲の良さだけではなく――


 ――あのレベルで活躍するパートナーを欲していると……?


 クレアの背中に、軽く冷や汗が流れた。

 テオドールの求める「理想の伴侶」が、単なる社交界の華ではなく、「王国の発展に貢献できる政治的パートナー」であることに気づいたからだ。


 ――貴族の女性として、教養や礼儀を学ぶのは当然としても、国を動かすレベルの仕事を期待されるのは……いやいやいや! さすがに求めるものが高すぎませんか!?


 クレアは密かに動揺しながら、目の前のデザートをじっと見つめる。ムースの甘さが、一気に遠のいていく気がした。

 そんなクレアの内心を知ってか知らずか、テオドールは相変わらず涼しい顔で、再びデザートを口に運んでいた。

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