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第二話:テオドールの夏休み②

【乗馬外交】


 ヴァルミール王宮の夏季休暇は、テオドール・アヴェレートにとっても続いていた。

 もっとも、彼の「休暇」はあくまで学業上のものであり、実態は公務の連続である。アヴェレート王家の王子として、ヴァルミール国内の貴族社会や王宮の動向を探りつつ、同時に自らの求愛ゲーム——いや、国家戦略に組み込まれた「婚約成功ミッション」にも全力を注がねばならない。アヴェレート王家の王子に休みなどない。


 そんなある日、思いがけない人物から声をかけられた。

「テオドール、付き合わぬか?」

 そう言ったのは、この国の主——ヴァルミールの国王エドバルド・フィーリスだった。

 エドバルドはいつもの重厚な衣装ではなく、乗馬用の軽やかな装いに身を包んでいる。

「宮廷の喧騒を離れたいと思ってな。貴殿もどうだ?」

「光栄です、陛下」

 テオドールはすぐに答え、乗馬服へと着替える準備を整えた。

 国王との個人的な時間、それも「宮廷の喧騒を離れる」という名目であれば、単なる気晴らしとは限らない。重要な政治的な話が飛び出す可能性も高い。

「堅苦しいな、テオドール。ラグナル殿下なら、こういう時もっと気の利いた言葉を返してくるぞ」

 馬を用意しながら、エドバルドが軽く笑う。

 テオドールは内心で小さく嘆息した。ラグナルのことを評価する人物はアヴェレート王国内にとどまらず、ヴァルミールでも非常に多い。

 それも当然のことだった。ラグナルはかつて八年間、外交官としてこの国に滞在した。その間、ヴァルミールとその隣国エルゼーンの対立における仲裁役を務め、戦乱の災禍を未然に防いだ。その実績は今でも敬意をもって語られる。そしてその信頼が、今のエドバルドの発言にも現れている。


 ——叔父上と比較されるのは正直荷が重いんだけど……。


 そう思いつつも、テオドールは平静を装い、エドバルドに馬を並べた。


 城門を出てしばらくすると、二人はゆったりと馬を進めながら、青空の下で言葉を交わし始めた。

 この環境は、間者が身を隠す場所もない。つまり、完全なる非公式の会話ができる場であり、互いに腹の探り合いをするには最適だった。

「エリオノーラの件は、貴殿も聞いているだろう?」

 エドバルドが何気なく切り出した話題に、テオドールは即座に思考を巡らせる。

 エリオノーラ姫の件——つまり、彼女がラグナルに想いを寄せていたこと。そして、先日のアヴェレート王宮での社交場で、ラグナルがアデル・カレスト公爵へ公開告白をしたこと。

 その一連の出来事がヴァルミールにも届いているのは、テオドールにとって驚きではなかった。

「はい、残念ながら……」

 テオドールは、あえて控えめな言葉を選ぶ。エドバルドは小さく頷き、視線を遠くにやった。

「あの娘は幼い頃からラグナル殿下を見てきた。多感な時期に、あの殿下と交流があったのだから、心を寄せるのは当然と言えば当然かもしれんな」

 エドバルドの言葉からは、ラグナルに対する評価の高さが滲み出ている。エドバルドは続けた。

「とはいえ、叶わぬ恋を引きずっているわけにもいかん。いずれは前を向かねばならん」

 そして、王はちらりとテオドールを見た。

「貴殿のような聡明な若者が隣にいれば、エリオノーラも悪い気はしないのでは?」


 ——なるほど、そう来るか。


 テオドールは即座に、自分への「探り」の意図を理解した。

 エリオノーラの婿候補として、自分がどれほどの意思を持っているのかを測ろうとしている。

 そこで彼は、あえて素直すぎるほどの本音を口にすることにした。

「恐れ入ります。ただ、叔父上に惹かれるような目の肥えた女性が、未熟な僕を選ぶとは思えませんよ」

 さらっと「叔父上レベルでないと満足しないのでは」と遠回しに逃げる。エドバルドは、ふっと小さく笑った。

「なるほどな。貴殿は”戦場”に出る前から戦い方を心得ているようだ。ラグナル殿下といい、貴殿といい……アヴェレート王家には、どうしてこうも面白い男ばかり生まれるのか」

 エドバルドは愉快そうに言いながら、テオドールの表情を探るようにちらりと見た。


「ヴァルミールの政治には興味があるか?」

 エドバルドがふと問いかける。

「例えば、サヴィエール辺境伯家を通じて、この国での発言力を持つつもりは?」

 テオドールは、エドバルドの探りを感じ取りながらも、即答した。

「クレアを支えるためなら、必要なことはするつもりです。ただ、彼女の立場を奪う気はありません。むしろ、彼女自身が僕を凌駕する可能性さえ視野に入れています」

 王の質問の意図を正確に理解した上で、「ヴァルミールで政治的な野心を持つつもりはない」「クレア・サヴィエール嬢こそがこの国に有益な人物である」ということを明確に伝えた。その回答は王にとって、完全に想定の外側にあるものだった。王は豪快に笑った。 

「なるほど、なるほど。貴殿もラグナル殿下も、どうしてそうも面白いことを言うのか。アヴェレート王家には、己の野心を隠す術を生まれながらに備えているのか?」

 エドバルドはよほど満足したようだった。テオドールもまた、微笑み返す。

「クレア・サヴィエールの名は覚えておこう。それにしても、アヴェレート王家の者と話すと、退屈する暇がない」

 テオドールは、馬を軽く走らせながら、エドバルドのその言葉に密かに安堵した。


 こうした国政レベルでの駆け引きは、テオドールにとって日常であった。国王の要求を躱しつつ、クレアの印象を刻んだ。テオドールにとって、最高の成果を得られた。

 エドバルドとの「乗馬外交」は、静かに幕を閉じた。


【文化外交】


 乗馬外交の翌日、テオドールはヴァルミール王妃が主催する文化サロンへと招かれていた。

 ヴァルミールは文化大国である。物語、詩、歌など、多様な文化が発展し、特に歌劇は総合芸術として、貴族社会における最前線に位置づけられている。こうした文化の中心にいるのが、王妃主催の文化サロンであった。

 テオドールがその場に招かれたのは、単なる客人としてではない。彼はアヴェレート王家の王子であり、その上、ヴァルミールに伝わる物語「いつか王子様が」の話に登場する黒髪黒目の王子様と同じ容貌を持っている。その理由は単純で、テオドールの祖父——アヴェレート前国王ノイアスこそが、その物語のモデルになった人物だったからだ。

 つまり、彼はヴァルミールの貴族社会にとって、物語の中の「理想の王子」そのものなのだ。


 サロンの扉が開き、テオドールが中へ足を踏み入れた瞬間。

「まあ!」

「殿下、とても素敵ですわ!」

「本当にあの物語の王子様のよう……!」

 貴族夫人たちの歓声が広間に響き渡った。

 テオドールは、場の雰囲気を一瞬で把握し、柔らかな笑みを浮かべる。こうした状況には慣れていた。王族である以上、社交界での立ち回りは必須であり、彼はその技術を身につけている。

「皆さま、本日はお招きいただき光栄です」

 優雅に一礼するテオドールに、ご夫人たちはさらに沸いた。


 ——まずは順調、といったところか。


 そんな華やかな雰囲気の中、サロンでは早速文化談義が始まった。

 ヴァルミールの貴族社会では、文学や詩、音楽が重要な社交の要素である。特に歌劇は一流の芸術として評価されており、貴族たちの間では流行の作品を語ることが嗜みとされていた。

 一方、アヴェレート王国の最近の文化的な取り組みとしては、テオドールの姉マルガリータ王女が主導した、工芸展や芸術展が挙げられる。特にこの工芸展で着目された、アヴェレート王国が誇る高級ジュエリー店『エテルニタ』のジュエリーの評判は、ヴァルミールにも届いているようだった。

「エテルニタのジュエリーは、直接お店に行かないと手に入らないと聞きましたわ!」

「それがまた魅力的なのよね」

「ぜひ、一度お店に行ってみたいですわ」

 ご夫人の一人がそう言うと、テオドールは微笑んだ。

「その際は、私が王国をご案内して差し上げます」

 その言葉に、サロンの空気が一気に華やぐ。

「まあ!」

「殿下とご一緒だなんて、夢のようですわ!」

「素敵ですわね!」

 ご夫人たちの歓声を背に、テオドールは表面上は優雅に微笑みながらも、心の中で策略を巡らせていた。


 ——社交辞令だけど、万が一本当に実現することになったら、クレア嬢も参加せざるを得ない状況にしてやろう。


 社交辞令であってもイフを想像し、それを利用して好都合な筋書きを見据える。テオドールの戦略眼が冴える。

 同時刻、遠く離れたサヴィエール辺境伯領にて、クレアが季節外れのくしゃみしていた。


 しかし、サロンの文化談義は、ここで終わらなかった。あるご夫人がふと、別の話題を切り出した。

「そういえば殿下、今この国で流行っている吟遊詩人の歌があるのをご存知?」

 その言葉に、テオドールは何気なく耳を傾ける。

「『王国夫人の最新事情〜蒼珠と雪薔薇の誘い〜』と申しますのよ。貴国から伝わってきたものですわ」


 その瞬間、テオドールの表情がぴしゃりと引き攣った。


 まさか、と思う間もなく、ご夫人たちは楽しげに続ける。

「この歌によると、貴国のラグナル王弟殿下とカレスト公爵は、十年以上前にはすでに秘めた想いを互いに隠し持っていらっしゃったそうですわ!」

「ラグナル殿下は、外交官としてヴァルミールに滞在していた頃も、大変女性人気がありましたの。だけど一切靡かなかったのは、もしかしてカレスト公爵への想いを直向きに持ち続けていたからだったのでは!?」

「アヴェレート王国のご夫人たちが、日々お二人の愛を見守り続けて応援される活動のことを『推し活』と呼ぶと聞きましたわ。他の人の愛と幸せを願う文化って、大変高尚ですわ!」


 ——待て待て待て!!


 テオドールは心の中で頭を抱えた。

 元々この噂は、テオドールの叔父ラグナルが、カレスト公爵と政治的パートナーシップを得るにあたり、その副産物として生じた。その噂をあえて放置したのは、「滑稽なゴシップとして受け止められている方が、むしろ政策批判に使われずに済む」という政治的判断によるものだ。そのツケが回り、ゴシップどころか最新文化にまで格上げされてしまっているのが、現状である。


 ——というか、ご夫人たちの妄想だったはずのものが、現実になってるのが一番問題なんだけど!?


 テオドールはヴァルミールに来て以降、身内の恋愛話から逃れられない宿命を背負っている。そして今日もまた、彼の精神的な消耗が続くのだった。

 しかし、逃げるわけにはいかない。何せ父王から『ヴァルミール内で言及された場合には、その熱狂を覚まさないような対応をするように』と厳命されているのだ。普段なら飄々と抜け道をつくように躱すテオドールも、ことこの件に至っては、「ご夫人たちの妄想が何を生み出すかわからない」という予測不可能性により、慎重に対応せざるを得なかった。


 ——耐えろ、テオドール。ここは笑顔でやり過ごせ……!


 彼は王子らしい優雅な笑みを必死に保ちながら、ご夫人たちの会話を聞き続けるしかなかった。

 留学生テオドールの受難と苦労は絶えない。

アヴェレート王国では、王弟ラグナルとアデル・カレスト公爵のカップリングを愛でる推し活が大流行しています。

https://ncode.syosetu.com/n3251jx/

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