学校に先生はいない、訓導がいるだけ
おはようございます・・・・おはよう、おはよう・・・・おはようございます・・・・・
8時30分、15人の生徒が訓導と呼ばれるこの学校のOBと交わす15回の朝の挨拶が終わると、今日の学校が始まる。
先生ではなく、呼び名は訓導となっている。
この国が皇国と呼ばれた時代の小学校教諭の別称だが、運営の上の方がその呼び名を気に入って、そういうことなったらしい。これは早川さんからではなく、公式に学校案内の沿革に載ってることだから、真偽はともかくとして正式なものになっている。
いまでも運営の上の方は権威ある上の方への忠誠心を公にするため、この妙なシンボルに胸を張っている。
戦前戦後と分岐となってたあの大戦が終わってもうじき100年が経とうとしているのに、そうした国家があぐらをかいてた時代をリアルに懐古するひとはいなくなったのに、疑似の邂逅に己れを重ねサウダージを語ろうとする輩は何時の時代にも生息しているのだ。
大日本帝国のあと共産党に追われた国民党が中華民国に模様替えした台湾
フィデル・カストロの革命でアメリカ人の欲望の裏庭から解放されられたキューバ
20世紀末のソビエトの崩壊で赤い公園から只の西ヨーロッパの風下に追いやられたロシアと周りの衛星国も同じ匂いをさせている。
「解放」か「侵略」かの頭でっかちなイズムとは関係なく、無理矢理剝がされた背中には痛みだけでなく郷愁が残る。背中の痛みは、それがリアルな痛さを経験として味わったのでなくても、リアルな痛さを物語る先達たちの痛みを少しでも同じように感じてると、頷くこと、繋がること、連るむことがこうしたサークル入会の条件だから。
そうしたオジさんたちの絆は固い。
多かれ少なかれの事情は違っても、脆いからこそ固くなる連中がいまでもこの世界を回しているのは何時の時代も同じだ。
そんな奥まった事情まで及ばなくても、生徒たちは入学後のオリエンテーションでその耳慣れない呼び名と簡単な意味を告げられれば、若さ特有の無意識な反骨が頭を出して、拒否反応を示す。
いつの時代も、ハイティーンは加齢臭の混じった胡散臭さへの嗅覚には敏感だから、鼻を背ける。
訓導なんて大戦前の白黒がかった呼び名とはいえ小学校で使ってたものだ。貧乏だった小学生の声や手垢がいっぱい付いてる呼び名だ。親を含め大人たちの都合で入れられたこの学校に帰属意識など持ち合わせてはいない。
皆んなオシャレで多感なハイティーンたちだ。大人の事情で拵えた器に押し込まれる免疫は出来てはいない。
訓導は別称ではなく、蔑称に格下げになる
昭和じゃないから、その先の平成だって終わった令和だもの、制服や髪型で抗いを表すようなストレートなことはしない。
皆んな「おはよーございます」の穏やかな表情で、表だっては訓導と呼んでも裏に回れば、チューコー、ボックン、アメンボーにパフパフ、キンタロー(OGは、色黒の瘦せっぽちはひサロ、白ポチャふっくらだとマシュマロ、バッチリメイクだとアツゲーと、第一印象のままでひねりの効いたのの少ないのが玉に瑕だが)のあだ名で呼ばれ3年間を過ごすことになるOBへの第一印象だ。エレガントさを旨とする令和のハイティーンたちも、あだ名は野暮ったくなる。
野暮ったくなかったら、あだ名じゃなくなってしまうもの。
訓導たちははそれを聞きつけて春を感じる。
あだ名が付いたらその日のうちに訓導たちにフィードバックされる。毎年の春、それは訓導になったOBたちが今年の春を感じる時だ。令和になろうが裏に回ろうが、ハイティーンは可愛いのだ。いっときだけ甘酸っぱい春の花に目一杯顔を埋め、あの子らと同じ17才に戻るのだ。
時間や場所がどんなに変わろうと、訓導と呼ばれる私たちは皆んな17才を通り過ぎてきたのだから。
匂いが立ち込めそうな臭いヤツ
何度手洗いしてもぬめりの取れそうもないヤツ
中には、ウツボが「イキのいい奴」って感じで、プライベートの自分のIDに混ぜ込んだOBもいる。
ニックネームは早いほどキモいほど、訓導たちの4月の打ち上げの華になる。
それでも、まずは今日の一日だ。今日がこけたら明日はない。代わり映えのしない毎日を見せるようにしながら日常という崖っぷちを渡っているのがわたしたち訓導の矜持さ。
今日の教室は、夜明けの5時まで夜営業の待合室に代用されてた室だ。闇に包まれたら今夜がこけたら明日のない女たちが詰めてた処も、朝の前に闇夜を拭き取り、小銭稼ぎのために今朝は教室の室に模様替えされる。
まだ生徒たちは誰も来ていない。タブレットを開け、今日一日の段取りを頭に作っていく。
ついさっきまでの借主は、このあとの利用が朝一番からの学校だからと、後始末の際はいつもより丁寧にチェックしたのだろうけど、ニップレスがひとつソファの隙間に挟まっている。
使ってたのを、わざと外し、そこに挟み込んだ掌が見える。
お客にあぶれたか、付いたお客が嫌だったか思い出しながら悪戯な足跡を残す。片方のニップレスから、顎を突き出し瘦せた三十路過ぎの女がなぞられてくる。
見えないものばかり見てるのが日常だから、少し前の残像にも敏感になってくるらしい。
リモートが増えて、オフィスの需要が減ってきたから、昨晩の余ったオフィスは、お客の需要が来るまでの今夜集めた女たちを押し込んでおく場所の夜貸しニーズに回されたのだ。
集めたものを一定時間押し込んでおくのは、学校も夜の怪しい営業もニーズは同じだから、名残を残さないのを条件に、転々する同士の昼夜使い分けに重宝される。
季節は三寒四温ばかりの春
昨日は屋内とはいっても空調の効かないゲートボール場だったから今朝は快適な方だ。昨今の年寄りはアンチエイジングに余念がないから、屋内ゲートボール場を温かく包み込んだりでもしたら、またネットニュースの餌食にされるような男と女の不祥事をやらかしてしまう。
老いらく、三角関係、他人の妻、痴情、劣情といった、購買層の実年齢がピタリ分かってしまうようなキャッチコピーが、並ぶ。
こうしたお上の意向が反映されやすい施設は、拡散されやすいリスクをどんどん引き算しして外していかなきゃ。表の補助金ばかりでなく裏の事情にしても、お上のぜい肉を裏のすじ肉までしゃぶるのはうちの運営の得意技だから、まだまだ世間で目を付けてなかったゲートボール場の空き時間を確保したらしい。
学校以外のニーズといったら、
転んでも怪我しないように痛くないように贅沢にゴムチップ塗装したゲートボール場なら、いまは高級感ある呼び名に変わった無認可保育園のお子ちゃまたちの運動会で借り手がつくくらいか。
さすがにここまで裏話は、早川さんの中でもマニアックの分類だ。
皆んな、頑張って営業かけてるんだけど、すぐに運営が喜ぶようなコスパのいいマッチングなんてそうそうないのよ。
皆んなとは、此処の訓導たちのことだ。訓導たちがする本務とは別の営業は、教室探しばかりじゃない。
彼らにはたくさんのマッチングノルマが課せられる。
授業場所のマッチングから、お下がり感のない20着単位の制服のマッチング、時には学校案内に載せるようなスペシャリティ講師のマッチングまで
自習と称した生徒たちの自由時間でPCに向かっての大半は、「今日がこけたら明日はない。代わり映えしない毎日が見せられるようにと日常という崖っぷちを渡っているのは、わたしたち訓導の矜持さ」のための営業に振り向けられている。