運営の思惑
「うちって真っ先にオフィスなくした会社なんだから、学校のない学校ってオシャレっぽくない」
1時間って決めたweb会議の58分過ぎたあたりで運営の偉い人が発言してタイムアップになったから、それで執行サイドに移り紆余曲折を経ながら今に至るのが事情らしい。
これも早川さんからの差し込み。
当時のひとなんて誰もいなくなっているからもう皆んな死んじゃったかもしれないからホントかどうかなんてワカランけど
と、最後に他人事みたく丸めるのが早川さんらしい。
早川さんは自分のこと総務の事務って言ってるけど多分ほんとうは運営の偉い人と繋がってるか、その辺りのひとだと思う。
でも、すこしお喋りが過ぎるから、そんなには偉くはないはず。
学校法人でもないこんな会社が学校を運営できるようになったのも国がはじめた規制緩和のお陰だけど、校舎を立てる土地も建物もその両方とも持たなくいいんだから、私立の学校に憑き物の施設整備費積立金なんて保護者から徴収しなくて済むんだから、それを売りにして、授業料のディスカウントだけでなく、毎朝あちらこちらの通学する手間賃代わりの交通費だって、こっそり「キックバックするから」の触れ込みまでくっつけて募集案内出したら、「これが、結構集まってくれたんだよ」と、うまく転んでいってくれたらしい。
運営や保護者の経済的な「大人の事情」が転んでいく一方で別の課題が発生する。そんな危なっかしい年頃の輩たちを問題を起こさずにきちんと3年間「囲っておけるか」である。
お上の見識は、こうだ。
学校とは、校舎という鍵のない刑務所の次くらいに大甘な檻があってこその秩序なのだ。
親たちというよりも、「良識ある風紀に守られてこそ」と感じてる保守層の大多数の腹の下には膜が貼られている。焼肉屋ではハラミと呼ばれる硬い筋肉した横隔膜が。
衆人監視の中で面と向かって問われれば、平等や人権と喧嘩する絵空事を零したりはしないが、その辺りのお上への忖度をエレガントにこなしていくのが彼らに求められるスキルだ。そうしたたくさんの袖の透き間を掻い潜ってくのが腕の見せ所だと、当時の運営たちは知恵を搾ったのだった。
そうした紆余曲折の中で復刻されたのが、制服と黒鞄だ。
「日本経済に支障をきたさない隙間時間ですから」といっても、日常の夜の店や工事現場やらでハイティーンの男女が屯してるのは、自主的に屯ろしてる不純異性交遊を伴った不良少年少女たちと区別つかないからと、様々のキックバックは大目にみてくれたお上なのに、こっちは「目溢し出来ん」のお達しがあった。それで、同じようなweb会議の58分過ぎたあとに別の統轄の偉い人が「いかにも校則きびしいゾって感じの学校の恰好させれば、そうした類とは区別つくじゃない」と発言して、それでタイムアップになったから、執行サイドに移り紆余曲折を経ながら今に至るのが事情らしい。
当時でさえ学園ものの小道具でしか流通してなかった黒鞄と詰襟制服をオリジナルブランドの復刻だった。
保護者には、「余分のお金使って買わなくていいから。会社の制服貸与と一緒で毎年支給して、卒業のときに返してもらえばいいって建前だから」と押し込んだから、いろいろ事情の絡んだ中で子どもをここの学校に通わせてる保護者がほどんどだから、そこはスルーされて綺麗な「復刻の伝統」になっている。
はじめたときが清廉潔白でなかったとしても綿々と続いて伝統に収斂されたと、今の運営たちは詰襟黒鞄には胸を張ってるらしい。
コスパから始まったこの学校も沁み出てくる伝統はあるんだの証だ、と。