金貨の秘密
目を開けば、朝日が登りかけていた。私は慌ててベッドから飛び起き、足場に登って洗面台に立つ。顔を水で洗い歯磨きをしていると、お母さんから声をかけられた。
「おはよう。急いで朝ごはん食べなさいよ」
「ふぁーい」
口の中をゆすぎ食卓に向かう。普段より盛られた蒸かし芋と、大盛りのサラダが目に入る。野菜が規格外なのは仕方がない。『今日』のためにどうしても採れてしまった野菜達なのだ。私は席に着くと、1人手を合わせた。
「頂きます!」
蒸かし芋に調味料をぶっかけて、潰して口に掻き込む。欲を言えばマヨネーズが欲しいが、我が家にはそんなもの買う余裕はない。サラダも同様、味付けされた油をかけて食べる。こちらはなかなかの味だ。慌ただしく朝食を食べ、食器を下げたところで、またお母さんに声をかけられた。
「お父さんとお兄ちゃん、もう市場に馬車で出かけたから。あんたは私と歩いて行くよ!」
「えー!? お父さん、待っててくれなかったの?」
「荷降ろしがあるからね。それに、あんたが寝坊するからよ」
「ぐぬぬ…」
身支度をしながらそんなふうに話をし、お母さんと家を出た。向かうは今日の花形、市場だ。
「さ、今日は『収穫祭』だからね! しっかり稼いだら帰りにお菓子買ってあげるから、頑張りなさい!」
お母さんが私の背中を強めに叩く。よろけたが、何だか気合いが入る。それに『お菓子』という魅惑がある。
「私、頑張って売り子するよぉー!」
私は天に拳を上げて、高らかに宣言した。朝日が昇る。
_________
市場に着くと普段より早く人で溢れかえっている。見れば皆私たちと同じ農民だ。土臭く、泥で汚れた衣服を身につけているから分かる。普段は目立たない私たち農民だが、今日は収穫祭。私たちが主役の日。皆市場で直売所の準備に大わらわだ。商人に品を渡してもいいのだが、大勢の市民が直接やってくる収穫祭では悪手だ。安く買い叩かれてしまう。
「お母さん、お父さんとお兄ちゃん、何処に場所取りしてたっけ?」
「確か今年は西の大通りよ。ツイてるわ」
お母さんが私にウィンクする。要はいい場所を取れた、との意味だ。私はニンマリと笑い返した。お菓子を買ってもらえる可能性が上がったから。
話しながら、私とお母さんは周りの直売所も見ていく。ライバルが何処にどれくらい居るか、価格は幾らか分かってないと、売り子をしても意味が無いから。
「お母さん、あっち! じゃがいも安めに売ってる!」
「でも質がうちより低いね。あれなら大丈夫だよ。……おや、こっちはレタスあるのかい。ちょっと分が悪いね」
「レタス、うちも売るからねー。値段どうする?」
「うーん……、お父さんに相談ね」
頭を悩ませながら品定めしていると、うちの直売所に着く。お父さんが品物を並べながら黒板に価格を書いている。お兄ちゃんは見当たらない。
「お父さん! 来たよ!」
「来たか。周りの店はどうだ?」
「東側の向かいにレタス、南側にじゃがいもが安い所があるよ!」
「あんた、じゃがいももレタスもうちの主力だから、価格考えなきゃ」
「そうだな……」
お父さんとお母さんが話し合いをしていると、お隣さんがやってきた。品物を見れば、これまたうちの主力の一角、人参をもっさり持ってきた。お隣さんがお父さんとうちの人参を見てニヤリとする。
「人参なら負けませんぜ?」
「……望むところですね」
お父さんもお母さんもお隣さんも笑顔だが、見えない火花が見える気がした。仕方がない、この収穫祭で1年の収入の半分は稼がないといけないのだ。お隣さんも、その事情は一緒。だから皆ライバルになってしまう。それに私には『お菓子を買ってもらう』という使命もある。『頑張らねば!』と鼻息を荒くしていると、後ろからお兄ちゃんの声が聞こえる。
「親父! 馬車停めてきた! あとニュースだ!」
「なんだ?」
「北の貴族方が、お忍びでここ来るってさ! 今中央広場で聞いてきた!」
北の貴族。この言葉を聞いてお父さんお母さん、そしてお隣さんも固まった。お金持ちの貴族様が、どれだけ品物を買って貰えるのだろう。そうしたら、どれだけお菓子を買ってもらえるだろう。クッキーは絶対食べたい。マドレーヌやカヌレ、欲を言ってシフォンケーキ……? ヨダレが止まらない……!
私が空想していると、お父さんが私たちに声をかける。ハッと我に返る私。
「おい!」
「ハッ、はいお父さん!」
お父さんが私達家族に喝を入れる。それに皆返事をする。
「今日は稼ぎ時だ! 気張って稼げ!」
「おう! 親父!」
「わかってるわよ、貴方!」
私も腕まくりして返事をする。
「たくさん稼ぐから、お菓子絶対買ってね!」
「狙いはそっちか、お前は!」
お父さんに笑われながら突っ込まれて、つられて私も周りも笑ってしまった。そうこう話していると、広場から大きな鐘の音が鳴った。収穫祭の始まりの合図だ。
さて、大勢お客さんを呼ばないと!
__________
時刻は昼過ぎ。広場からうちの店までの道を、広告と客引きのために何度往復しただろうか。貴族のお客さんは大手に取られがちではあったが、一組だけでも呼べたのは良い方だろう。密かに狙っていた『定期購入の契約』は駄目だった。
「『値段は良いが、質を上げてくれ』って言われちゃあな…」
「うーん、肥料を良くしないといけないのか?」
「それもだが、もっと土を耕さないとだめだろうな。重労働になる」
貴族様に言われた事は当たってる。うちは家族経営だから、質を上げるのはかなり重労働で難しい。牛を数匹飼って耕させれば楽だし飼葉はあるが、牛自体を買うのが高い。裕福では無いうちには夢の話だ。
「牛飼いを雇って耕して貰えればなぁ…」
「お前、牛飼いの連中も安くは無いから無理だぞ」
私の呟きにお父さんがダメだしをする。むくれて私も「わかってるわよ」と突っ込む。
「それより客引きは行かないのか?」
「今はお客さん、お昼だから少ないじゃん。少し休憩」
私は空の木箱の上に座り、少し痛む足を見る。歩きっぱなしでの疲労もあるが、妙にくるぶしの近くが痛い。靴と靴下を脱げば、くるぶしの辺りから血が出ている。よく見れば、靴と靴下にも血が滲んでいた。収穫祭だからと新しい靴を買ったのが裏目に出たらしい。
「どうしたんだ? 靴擦れか?」
見上げればお兄ちゃんが水筒片手に声をかけてきた。
「うん。せっかくの新しい靴なのに…」
「靴は履きなれるから大丈夫。それより靴擦れの手当てだ」
そう言ってお兄ちゃんは水筒の水を靴擦れにかける。染みて思わず悲鳴が出る。
「ぎぁぁぁ! 痛い痛い!」
「お前は大袈裟だな。化膿して後で更に痛い目に合うより良いだろ?」
「せめて『染みるぞ』とか一言声かけてよ!」
「はいはい、染みるぞー」
「今言っても遅いよ!」
お兄ちゃんにグチグチ文句を言いつつ、手当てを受ける。救急箱から絆創膏を取り出して、靴擦れに貼ってくれた。何だかんだと手当てをしてくれる私のお兄ちゃんは、結構優しい方だと思う。
「ありがとー、お兄ちゃん」
「はいはい、今日は店番しながら客引きしてろ。箱に座ったままでいいから」
「お兄ちゃんは?」
「誰かさんが広場までの客引き出来なくなったから、代わりの客引きしてくる」
「やっさしー!」
「はいはい、それよりも店番しっかりやれよ」
「はーい!」
私はお父さんの横に木箱をずらし、そこに座る。いつもよりお行儀良く、にこにこ笑顔も忘れない。
「親父、少ししたら市場に客引きしに行くから」
「おう。そっちはおっかぁと任せる」
そうやり取りして、お兄ちゃんは地面に座って水筒の水をがぶ飲みしている。お父さんは引き続き品物の補充をする。私は足だけしか痛くないから、声を張り上げて客引きする。
「いらっしゃいませー! じゃがいもとレタス、人参ならうちが1番だよー! 見ていってー!」
お菓子のため、まだまだ頑張らなきゃ!
__________
昼下がりも過ぎ、風が冷たくなってきた頃。お客さんもすっかり入れ替わり、夕食の材料を買うための主婦が多くなってきた。
品物の野菜も、売れ残った物を値下げして出来るだけ売れ残りを避ける方向にした。朝持ってきた物の4分の1が残ってしまっている。
「これ全部値下げは、流石に家計が厳しいな……」
お父さんが呟く。これじゃあお菓子どころか、毎日のおやつが蒸かし芋だけになっちゃう。何とかならないかと、お父さんに話しかける。
「お父さん、いつものまとめ売りやったらどう? 良いやつを少し混同させれば、多少売れるかもよ?」
「ふむ……。売れ残るよりはマシか。やるには時間は早いが、始めるか」
お父さんはそう言うと紙袋を取り出し、中に状態が微妙な物を入れていく。ただし、袋の半分までだ。それ以降は状態の良い物を詰めて見栄えを良くする。
「お前も袋詰めしろ。俺は値段考えるから」
「分かった!」
私はお父さんのお手本を真似しながら袋詰めしていく。なかなかお父さんみたいに隙間なく袋詰めするのは難しい。お父さんの品定めと荷詰めの技術はまだまだ見習わないといけない。
私が袋詰めした紙袋を、お父さんは一個ずつ値段を決めて値札をつけていく。時間帯的にまとめ売りする店は少ないのか、まとめ売りを狙う主婦のお客さんが集まり始めてきた。
「あら可愛いお嬢ちゃんね。店番かしら?」
「こんにちは、お姉様! そう、店番です!」
「あらあら、こんなおばちゃんに『お姉様』だなんて、お上手ねぇ〜」
中年くらいの主婦に『お嬢ちゃん』と言われ、私は気分よくお世辞を言う。こういうのは接客に凄く大事だ。
「ところでお姉様、うちのまとめ売り見ていって欲しいです!」
「そうねぇ、じゃがいもが多く入ってる袋はあるかしら?」
「じゃがいもなら……、えっと、これかな? 多めに入れた覚えがあるわ!」
「値段は……、これなら良さそうだわ。これ1袋頂戴!」
「はーい! まいど!」
お金を貰い、商品を渡すと『お姉様』は優しい笑顔で「またね」と言って店を離れていった。私も負けじと大きな声で「ありがとうございました!」と声をかける。こういったお客さんは、対応して気分が良い。中にはあまり良くないお客さんもいるから、こういった良いお客さんが際立って目立つ。
夕刻になり、祭も後僅か。忙しなく客引きと接客を続けていると、品物は僅かとなった。詰め合わせもあと1つとなった時、少しボロボロのフードを被ったお客さんがふらりとやって来た。お客さんは品物が1つしかないうちの店を見て声をかけてきた。
「お嬢さん、品物はこの1つだけか?」
声は若い女の人の声だ。でも口調は男の人みたいだ。私は「そうよ」と答えた。
「ふむ……。さっき主婦に『良い店』を聞いたら『ここがいい』って教えてくれたから来たんだが……。品物は紙袋1つか」
「でもこれ、野菜の詰め合わせなんです! だからお買い得よ!」
「なるほど。ちなみに値引きには応じてくれるのか?」
「値段なら、俺が応じよう」
お客さんと話をしていると、いつの間にかお父さんが私の横に立っていた。
「まとめ売りの段階で、多少値引きをしているんだ。まけても1割くらいが限界だ」
「ふむ。ちなみに中身を少し見ても?」
「買ってくれるなら、だな」
「まあ、そうくるか。なら、買う前提でなら見ても良い、って事だな?」
「買ってくれるなら、な」
お父さんがお客さんにガンを効かせて応対する。少し、いや、かなり強面なお父さんの睨みにも怯むこと無く、お客さんは紙袋の中身を少し漁って品物を見る。何だか緊張する。少し手汗が滲み出る。
「……おい、奥の人参、少し小さくないか?」
「それも含めての詰め合わせだ」
「まあ、ありがちではあるが。これで1割引は高い気がするな。もう少し負けてくれないか?」
「これ以上か……。難しいな」
お父さんがため息をつく。どうしよう、これじゃあお菓子買って貰えないかもしれない……。
「はぁ……」
「なんだ、お嬢さん。若いのにため息つくなんて。恋の悩みか?」
お客さんが私に声をかけてきた。……私が押したら、もしかして。
私は少し俯いてわざと悲しそうに声を出す。
「……これ売れたら、お母さんにお菓子買って貰えるの。でも安く買われたら、お菓子が……」
「……ははっ、お菓子は大事だな」
「ねぇ、お客さん。割引されたら、私お菓子買って貰えないの。お願い!」
私はお客さんに手を組んでお願いした。お客さんは暫くして、ため息を軽くついた。そしてお父さんに向き直った。
「……仕方ない。これでお嬢さんに美味いお菓子買ってやんな。代わりに品物は貰ってくぞ」
そう言ってお客さんはお父さんに何かを渡して、品物片手に去っていった。渡されたものを見たお父さんは、動かない。私はお父さんの手の中のものを見た。私も動けなかった。
「……金貨なんて、初めて見たわ」
「……父さんもだ。」
そう、お父さんの手にはキンキラに輝く金貨が1枚握られていたのだ。当然そんな金額、あの詰め合わせには釣り合わないのだけど、確かにあのお客さんはこの金貨をお父さんに渡してきた。
「何だったんだ、あのお客さん……」
「何だったんだろうね、お父さん……」
呆然としていると、広場の大鐘が鳴る。収穫祭の終わりの合図だ。それと同時にお母さんとお兄ちゃんが帰ってきた。
「ただいま〜。売り上げどうかしら?」
「おかえり! あのね__」
「お前、『あの事』は言うな! 周りに聞かれる」
「どうしたんだ、親父。『あの事』って」
「いや、見せた方が早い」
お父さんはお母さんとお兄ちゃんに、こっそり金貨を見せた。2人も私達みたいに固まっている。
「……貴方、何したのよ? これが手に入ってるって、何かしでかしたの?」
「俺は何もしてないぞ。うちの優秀な売り子が『値引きされたらお菓子買って貰えない』って客に話したら、これが渡されたんだ」
「……これはお菓子買ってもお釣りが来るわね」
そんな話をお父さんとお母さんがしていると、お兄ちゃんがぽつりと零した。
「……王様、かもな」
「え? 何が?」
私がお兄ちゃんに聞くと、「いや、な」と言葉を続けてくれた。
「実はお前と交代して広場で客引きしてる時に、噂で聞いたんだ。『王様がこっそり来てる』ってな。そのせいか、広場に近衛騎士が集まってて、誰かを探してたんだ。近衛騎士が探す相手、って言ったら1人だけだろ?」
その話を聞いた私達は、金貨をまじまじと見る。あのお客さんは、何者だったのか。本当に王様だったのか、ただのお金持ちの人なのか。答えは、金貨だけが知っている。