第九十二話 深紅の瞳
「おや? これは問題ですね」
「だから俺っち言ったじゃねえか。危険なのは二人じゃなくて三人いるって」
声のした方を向くとキーノとエルメシア教の神父であるカルウォンが話をしていた。
「これはマズいな」
蛇女と蛇騎士はどうにかなるにしても、この二人はヤバい。キーノだけでなくカルウォンからも嫌な気配を感じる。
「ふむ。凡夫にしか見えなかったんですけどね。ですが嬉しい誤算です。この男も連れて行くことにしましょう」
狂嵐舞に持ち替えて、近づいてくるカルウォン達との間に嵐を発生させる。
「シェリル。逃げるぞ」
「うん」
しがみついているシェリルを強く抱きしめ俺はその場から逃げ出そうとした。
「無駄ですよ」
「無駄だね」
しかし、嵐の壁を突破してきた二人に捕まってしまう。
「暫く眠っていてください」
カルウォンの手が眼前に迫る。しかしその手を掴む者がいた。
「何しておるんじゃ」
「これは予想より早いですね」
カルウォンはツバキに吹き飛ばされる。そして、少し遅れてシズクさんも現れた。
「ごめんなさい。脱出に時間がかかったわ」
「いえ、助かりました」
二人が現れた事に俺は少しホッとした。実力の底が見えない二人が相手だが、光明が見えてきた。
「あちゃー。嫌なタイミングで出てきたね」
「……キーノ。何分可能ですか?」
「全力でやって三十分くらいかな。ただ、俺っちは一足先に帰らせてもらうけど」
「構いません。あの二人を足止めできれば問題ありませんよ」
「……俺っちはあの兄さんが一番読めないけどな。まあいいや二人は舞台に連れてってやんよ」
キーノから不思議な魔力が放たれた。それと同時にツバキ達が動き出したが、キーノの幻魔法の方が上だった。
気がつくとキーノ・ツバキ・シズクさんの三人がいなくなっていた。
「これで邪魔者はいなくなりましたね」
「二人をどこにやった」
「異空間ですよ。キーノの全力の魔法ですから、そうそう破れませんよ。因みにキーノは足止めに全力を使ったので帰りました」
黙っていれば良いことまで伝えた来てるのは嘘をついているか、俺一人など眼中にないかだな。
「そうか。じゃあお前を倒せば逃げられるな」
「できればいいですね」
余裕綽々な態度にイラッとするが仕方がない。
「シェリル。我慢しててくれ」
「分かった」
俺は狂嵐舞を持ち、泣きそうなシェリルの周りに暴風の壁を作る。
「中々ですね。相手が私クラスでなければ逃げられたかもしれませんね」
「あっそ」
暴風鴉に持ち変えてカルウォンに切りかかる。
「速いけど見えてますよ」
カルウォンは俺の攻撃を躱すと、すれ違いに何発も殴ってきた。
「がぁ!?」
そのまま地面に叩きつけられる。そして、カルウォンの手には鞭が握られている。
「これ結構痛いですよ」
動けない俺に鞭が襲いかかる。鞭とは思えない威力の上に軌道が読めず、俺の体はどんどん紅く染まっていく。
「これで最後ですかね」
「舐めんなよ」
俺は無理やり鞭を握って止めた。
「それ、握らない方が良いですよ」
その言葉と同時に鞭から鋭利な刃が飛び出して俺の手をズタズタに切り裂いた。
「クソが!」
とにかく力の限り風を起こして吹き飛ばす。カルウォンが初めて表情を変えて少しだけ後退した。
「どんどん威力が上がってきますね。これは少し面白い。……ですがそろそろ大人しくしてもらいましょうか」
カルウォンが俺に掌を向ける。俺は何か放たれると思って身構える。
「それ、危ないですよ」
掌に目が現れる。
「さあ石になって下さい」
体から血の気が引いていく。自分の体が石になっていくのが分かる。
「次に目を覚ます時には全てが終わっていますから。頑張ったご褒美にあの少女の隣に立たせてあげますよ」
少しずつ音が遠ざかり、光が消えていく。そして意識も持っていかれそうだ。
「ジュン!」
シェリルの声が聞こえた気がする。…ああそうか。俺がこんなんだから壁まで消えたのか。
「さあ、もう貴女のナイトはいませんよ。それでも抵抗するならこの石像を壊しましょうか」
ああ。俺がシェリルの足を引っ張っているのか。…さすがにそれはダメだな。
『キュキュー!』
『たぬぬー!』
『ベアー!』
『ピヨヨー!』
『ニャアー!』
幻聴か? だけど不思議と落ち着く。それに元気を分けてもらえる気がする。これならこんな石なんて何でもない。
そもそも目があっただけで石になるとか理不尽だよな。目に負けてたまるかよ! 気合いを入れて戦ってやる!
「掴まえた」
「は?」
俺の側にいたシェリルを捕まえるためにカルウォンは目の前にいた。そして俺が動いたのが理解できなかったようで、カルウォンは大きな隙を見せていた。
そんなカルウォンの腕を掴み、そのまま暴風鴉で心臓を突き刺す。
「ぐっ!」
カルウォンの胸には大きな風穴が空いたが死ぬ事はなかった。だけど初めてダメージを与えられた。
「ジュン~」
「悪かったな」
泣き出すシェリルの頭を撫でる。
「シェリル。今のうちに家に入ってろ」
「でも」
「早く」
シェリルは泣きながらもミラージュハウスで隠れてくれた。
「どうやって石化を解いたのですか?」
「気合いと根性。たかが目に負けてたまるかよ」
「たかが目ですか。それではこれならどうですか?」
カルウォンの腕から無数の目が開かれた。それと同時に周囲が石へと変わっていく。だけど俺はそのまま近づく。
「同じだよ」
俺は石になることなく、カルウォンに蹴りを入れる。
「ふふ。あはは。あはははは」
するとカルウォンが笑い出した。
「何が可笑しいんだよ」
「いえいえ。キーノの言葉を信じるべきだと思ったんですよ。確かに貴方は読めない男です。…ところで貴方は私と目を合わせられますか?」
「その糸目は開いているのかよ。閉じているかと思ったけどな」
「ええ、閉じてますよ。私と目を合わせて生きている者はいませんので」
カルウォンの両目が開かれた。その目は血のように真っ赤な瞳をしている。気を抜くと気圧されそうだ。
「これからが本番ってやつか?」
「……貴方は。いえ、まずは戦いましょう」
カルウォンは鞭で俺を狙ってくる。地味にこの武器は厄介だ。速いし重いし痛いし。しかも軌道が読みにくい上に、掴んでも鋭い刃が飛び出してくる。
さらに全ての能力が上昇しているように思える。だけど負ける気はしない。
烏天狗との時のように、俺は今自分の勝利を信じられる。
そして俺とカルウォンの激しい戦いが暫く続く。周囲の森は石になり、空には嵐が巻き起こる。
「ふふ。あはははは」
再びカルウォンが笑い声を上げた。
「気持ち悪いぞ」
「ふふ。そんなことを言わないでくださいよ。生まれて初めて愛や恋を知ったのですから」
……え? コイツ何を言っているんだ? 俺はいつもとは違う悪寒を感じた。
「産まれて初めてなんですよ。人の瞳を見たのは。普通は灰になって消えるんですよ。キーノやあのお方でさえも私と目を合わせてくれません。なのに貴方は真っすぐな瞳で私を見てくる。ああ。何とキレイな物なのでしょう。目には人の意思が宿っている。私にとっては宝石なんかよりも価値があります。このままずっと見つめていたい」
「俺は御免だ」
「そんな事を言わないで下さいよ」
少し調子が崩されたが、気を引き締め直して戦い続ける。そして戦って思ったが、コイツは確かに強いがキーノや烏天狗にも劣っている。さらにコイツの目的はどんどんずれていっている気がする。それなら。
「はぁっ!」
俺が突っ込むとカルウォンは笑みを浮かべて迎え入れる。そして、互いの顔が目の前にあり、俺の武器とカルウォンの拳が互いの胸にぶつかる。
「逞しいですねぇ」
俺の武器はカルウォンを貫き、カルウォンの拳は俺の胸に当たっただけだ。だが、それでもカルウォンは余裕があった。
「いけませんね。このままだと任務を忘れてしまいそうです。至極残念ですが今日は退きましょう」
本当に名残惜しそうな表情だった。そして、一瞬の内に蛇女と蛇騎士の側に移動した。
「後は少女を連れていけば終わりですね」
「どうやってだよ」
「自分から出てきてもらうんですよ」
何をするつもりだと身構えていると、突然シェリルの声が聞こえた。
「痛いよー。ジュン助けて!」
ミラージュハウスから出てきたシェリルは苦痛の表情だった。俺は急いで近寄ろうとした。しかし、俺よりも早く地中から翼の生えた大蛇がシェリルを攫って行った。そしてカルウォンは蛇女と蛇騎士を連れて大蛇の背に乗る。
「それじゃあ残念ですけど私は退かせてもらいますね。必ずまた会いましょうね」
「ふざけんな! 待ちやがれ」
「ああ。本当に真っすぐな瞳だ。貴方に待てと言われると心が躍ってしまいます。ですが、そろそろ邪魔者達が出てきそうなんですよ。次合う時は最期まで戦ってあげますからね。間違っても追ってきたらダメですよ。逃げるためのアイテムもありますのでね」
大蛇が空へと羽ばたいていく。そのわずか後にツバキ達がキーノの技から抜け出してきた。
「無事か!」
「すまん。シェリルが拐われた」
「なんじゃと!」
ツバキとシズクさんは俺と同じく空を見上げる。
「スネークドラゴンね。またとんでもない魔物を手懐けているわね」
「あれだけなら問題ない」
ツバキは勢いよく空を走り出す。俺は慌てて大声を上げる。
「カルウォンの目は見るな。石にされるぞ!」
「厄介な能力じゃな。しかし目を瞑っても妾の方が上じゃ!」
そう言った瞬間。空には嵐が巻き起こる。それも金色に輝く嵐だ。
「神風の結界!? 何であんな技を」
ツバキは嵐に巻き込まれたが力を振り絞って脱出した。それでも少なくないダメージを受けている。
「ええい! 面倒な技を使いおって!」
ツバキとシズクさんは打開策を瞬時に話し合い始める。その間にも俺は魔力を暴風鴉へと送り込む。
「何をしておるんじゃ?」
ツバキがこちらに気がつくと不安そうな顔で問いかけてきた。
「ちょっと追いかけてくる」
「待ちなさい!」
「待つんじゃ!」
二人は俺を止めるが、俺は既に鳳になった暴風鴉に乗りカルウォンを追いかける。
目の前には行く手を遮る、金色の嵐が近づいている。
「頼むぞ」
俺は暴風鴉に語りかけて、狂嵐舞を手にして嵐へ向かっていく。
後ろから俺を引き留める声が聞こえる。それでもここで退いたらシェリルが奪われてしまう。
俺は引き留める声を無視して、金色の嵐の中に突っ込んだ。
嵐の中は異常な空間だ。烏天狗の風よりも凄い。もちろん俺の魔法は遠く及ばない。
「だけど、俺は装備だけは一級品なんだよな」
暴風鴉はこの風さえも切り裂いて前へと進む。狂嵐舞は風を狂わせて俺から遠ざけてくれる。
普通であれば難攻不落の嵐なのだが、風であったために俺には攻略ができてしまう。
「本当、最初の時から俺を助けてくれているな」
武器に感謝をし、俺は嵐を抜けた。そして、カルウォンが俺に気がついた。
「ハハ。アハハハハ。素晴らしい。素晴らしいですよ。一体どうやって? いや、そんなことはどうでもいい! ああ、この胸の高鳴りは何なんでしょう? 貴方になら殺されても良いと思えてきましたよ」
カルウォンが恍惚とした表情で何か喋っているようだが、風がうるさくて聞こえない。それでも碌なことじゃないのは分かる。
「まあ、それよりも。動きを止めないとな」
俺は竜奏剣を取り出して思い切り魔力を込める。スネークドラゴンなら効果があるだろう。
「ギャー!!」
予想通りスネークドラゴンは混乱し始めた。慣れてないため操れはしないが、動きを止めるくらいはできる。
「本当に楽しませてくれますね」
再びカルウォンの目が開かれる。だが、今さら怯む理由はない。
俺はそのまま突っ込んだ。俺とカルウォンが交差する。
すれ違い様にカルウォンは何発も俺に攻撃をしてきた。対する俺は一方的に殴られただけだ。
「……さすがですよ。今回は私の負けですね」
俺の腕にはシェリルが抱えられている。今回はカルウォンを倒すのではなく、シェリルの救出が目的なので当然だ。
「ですが救えるかは別ですよ。気をつけて下さいね」
そう言ってカルウォンは、正気に戻ったスネークドラゴンに乗ってどこかへ飛んでいった。
「痛いよ~」
苦痛で表情を歪ませるシェリルを連れて、俺はツバキ達の元へ戻っていった。




