第八十五話 修行はどこでもできるもの
「では修行を始めぞ」
「おー」
空いている一室を使って修行が始まる。
シェリルも案外乗り気なようで、ツバキさんも機嫌が良い。
「では早速始める。今からやるのはジャンケンじゃ」
……ん?
自分の耳を疑った。おおよそ修業とは思えない内容だからだ。
「妾が先に出すからすぐにそれに勝つ手を出し続けるのじゃ」
ツバキさんがグーを出すと俺達は少し遅れてパーを出す。チョキを出せばグーを出していく。徐々にスピードが上がっていくが、大した問題ではなかった。
そして負けやあいこなど条件が変わるが特に苦戦することも無い。シェリルに至っては楽しんでいるような感じもあった。
「二人ともなれ来たようじゃな。それじゃあ次は順番じゃ。勝つ・負ける・あいこの順番でやっていくのじゃぞ」
この辺りから難易度が少し上がってきた。だがこれは規則的なのでできないわけではなかった。間違える事もあるが正答する方が多い。
しかし次の修行からは次元が違った。ツバキさんが魔力の波長を変えるのでそれに合わせて手を変えていかなければならない。正直言って難しい。今までの戦闘経験のお陰でついていけるが、少しでも気を抜けば失敗するだろう。
「疲れたー」
シェリルがダウンする。だが頑張ったと思う。
「始めからここまでついてくるとはな。凄いぞシェリル」
仰向けに寝転んでシェリルを優しくツバキさんが撫でる。俺はチョコレートを取り出してシェリルに渡す。
「甘くて美味しい」
「妾の分は無いのか」
ツバキさんに睨まれたので急いで渡す。ついでに俺も一つ食べる。思ったよりも疲労が溜まっていたようで甘い物が染み渡る。
「結構真面目にやるとキツイものなんだな」
「当たり前じゃ。どんな事でも全力でやれば疲れるものじゃ。疲れないならばその程度にしかやっていないという事じゃろ」
昔の自分に聞かせてやりたいなと思いながらしっかりと休憩する。
「もう少ししたら再開するぞ。シェリルもやってみるのじゃぞ。完ぺきにこなす必要は無いが、自分の何が悪かったのか考えてみながらやってみるんじゃ」
「分かった」
素直に頷くシェリル。その頭を撫でながらツバキさんは俺の方を向く。
「お主はさらにレベルを上げるぞ。シェリルの修行を十分やったら次はお主の番じゃ。交代しながら行うからな」
次はどんな事をさせられるのだろうか?
シェリルを心の中で応援しながら交代するのを待つ。
「良い集中力じゃったぞ。それではお主の番じゃな。次はただ妾にジャンケンで一回勝つだけで良いぞ」
「へ? それだけでいいのか」
「ああ。簡単じゃろ」
本当にそれだけなのだろうか?
疑いながら普通にジャンケンをする。俺はパーでツバキさんはチョキ。
「ダメじゃな。もう一度行くぞ」
二回目は俺がグーでツバキさんはパー。
「連敗じゃな。何回目で勝てるかの」
その後俺は何回やってもジャンケンで負け続けた。
「ジュン。頑張れ」
シェリルからも応援を受ける。負ける理由は分かっている。俺の手を見てツバキさんが手を変えているだけだ。俺もそれを真似て手を変えているのだが、ツバキさんに上を行かれる。
「まだまだじゃな。反応は悪くないが動きが分かりやすい。精進するんじゃな」
ここで俺はシェリルと交代となる。ツバキさんとの差を思い知った気がする。
シェリルは頑張ってツバキさんの魔力の波長を感じ取っている。そのせいか手がお留守になって失敗する事もあるが、集中力を切らすことは無かった。
「負けてらんないな」
子供のシェリルが頑張っているのに、俺が諦めるわけにはいかないだろう。
俺は気合を入れなおして再びツバキさんに挑む。
「次は勝てると良いの」
「買ってらご褒美でも貰えます?」
挑戦的な態度に付き合ってみる。するとツバキさんはニヤリと笑う。
「いいぞ妾に勝ったらご褒美をくれたやろう」
余裕の表情が崩れないツバキさんに悪戯をしてみたくなった。
「……じゃあ祝福のキスでも頂きましょうか」
「何じゃと!?」
この手の話題には弱いようでだんだんと顔が赤くなっていく。その様子を見て俺は笑ってしまったが、それが癇に障ったようだ。
「いいじゃろ。妾も本気で行くからな」
からかい過ぎたようだ。結局この日はツバキさんから一勝ももぎ取る事は出来なかった。
「戦ったわけじゃないのに、かなり疲れたな」
「ジュン。甘い物が食べたい」
「夕食のデザートに用意しておく。シェリルも頑張ったな」
「うん。頑張った」
頭を撫でると機嫌良さそうにしている。どうしてもベル達を思い出してしまうな。
「妾も頑張ったのじゃから、刺身や天ぷらを食べたいぞ」
「それじゃあ今日の夕食に用意しますか」
有言実行。今日の夕食は刺身・天ぷら・八寸・アサリの釜めし・蕎麦。デザートにはプリンサンデーを用意した。
「刺身も天ぷらも美味いが、ご飯も蕎麦も美味いの」
「どれも美味しい」
二人とも上機嫌で食べており、見ているこっちも嬉しくなる。
「それなら良かった。お代わりが欲しい時は教えてくれ」
「じゃあ妾は同じ物をもう一つずつ食べたいぞ」
「私はエビとカボチャとサツマイモの天ぷらとお蕎麦が食べたい」
結構食べるなと思いながらリクエストに応える。
そして食べ終わったところでデザートを用意する。
「これも美味いの」
「うん。毎日食べたい」
「修行を頑張ったら用意するからな」
「教えている妾には何か無いのか?」
「……美味しいご飯を毎日用意します」
「期待しておるぞ♪」
その後は風呂に入るとシェリルはぐっすりと眠ってしまった。俺とツバキさんは少しだけ晩酌だ。
「ところでお主は今後どうするのじゃ? 王都を拠点にして活動でもするのか? その方がシェリルは喜びそうじゃが」
「残念ながらいかなきゃいけない場所があるから今は一緒にはいられないな」
「…そうか」
何か言いたそうだがツバキさんは何も言わなかった。
だけど俺はいずれここからいなくなる。無責任な事は言えない。そして、ミラージュハウスの生活も五日ほど経過した。
「やったー。できた」
シェリルは遂に十分間間違うことなく手を出し続けられるようになった。
「見事じゃ」
「今日のデザートは豪華にするか」
「えへへ」
嬉しそうにニッコリ笑う。大人のシェリルはクールな雰囲気だが、小さい頃は結構無邪気なんだなと思ってしまう。
「それじゃあ俺も頑張らないとな」
「うん。ジュンなら勝てるよ」
シェリルからやる気をもらって俺もツバキさんに挑んでいく。
「まだまだ負けんぞ」
まあ気合だけで勝てたら苦労はしないよな。結局はボロボロだ。感覚魔法で強化すれば少しは対抗できそうだがそれでは意味がない。
徐々に疲労も溜まってきて考えるのが面倒になってきた。ツバキさんの手の形が何度も変わっていくのが見える。俺の手の動きを見ながら一瞬で手を変えているのはまさに神業だ。
だがそれを確認出来ている俺も中々だとは思う。そして疲れで余計な思考が無くなったためか、奇跡が起きた。
「妾の…負けじゃと」
「勝ったのか?」
疲れて面倒になってきた俺は手の動きも最小限になっていたようだ。そのおかげでツバキさんが読み間違えたのか俺は一矢報いることが出来た。
「ようやく一勝」
俺はその場で仰向けに倒れる。もう数えきれないほどの連敗が続いていたので解放された気分だ。
「ジュン。おめでとう」
倒れている俺の頭をシェリルが撫でる。
「サンキュー。シェリルの応援のおかげだ」
そう言うとシェリルは嬉しそうに微笑んだ。俺はその笑顔を見てから起き上がった。
すると眼前にはツバキさんの顔があり、唇には柔らかい感触がある。
「………」
甘い香りが鼻孔をくすぐり、俺から思考力を奪っていく。
どれくらいの時間かは分からないが、ツバキさんが真っ赤な顔で俺から距離をとる。
「こ、これで良いのじゃろ///」
「え~と。嬉しいですけど、祝福のキスって額じゃないんですか?」
異世界では違ったのだろうか?
そう思っているとツバキさんの顔がさらに赤くなる。
「あ、ああ、うう~///」
ツバキさんはその場からいなくなり寝室へ行ってしまった
「ツバキお姉ちゃん大丈夫かな?」
「まあその内出てくるだろう。とりあえず俺達も休むか」
今日の修行は終わりにしてシェリルとはトランプで遊ぶことにした。
そして夕食の時間になったのでツバキさんを呼びに行ったのだが出てくる気配がなかった。明日になれば出てくるだろうと思い、その日はシェリルと別の部屋で眠る事にした。
翌朝。俺達は朝食を準備しているが、ツバキさんは起きてくる気配がない。
「ツバキお姉ちゃんご飯できたよ」
シェリルが呼んでも出てくる気配がなかった。
どうしようかと考えているとシェリルが口を開いた。
「お姉ちゃん。私も外に出るから一緒にお外に行こう」
その言葉には俺の方が驚いてしまった。
「お外は怖いけどジュンとツバキお姉ちゃんが一緒なら大丈夫。お姉ちゃん達のおかげでもっと一緒に色んな所に行きたいと思ったの。だからお姉ちゃんにも出てきてほしいの」
さすがにシェリルにここまで言われたら動かないわけにはいかないだろう。ツバキさんも少しバツが悪そうだが部屋から出てきてシェリルを抱きしめた。
シェリルは嬉しそうにした後、ツバキさんを引っ張って席に座らせた。
「元気そうでよかったです」
「当たり前じゃ///」
それだけ言うと朝食を摂り始める。
「ジュンよ。すまなかったな」
そして何故か謝ってくる。
「何がですか?」
「昨日の事じゃ。言わせるな///」
「別に俺には得しかなかったんですから」
俺はそう言って笑う。実際に美女にキスをされただけなので不利益は何も無い。何なら悪いのは俺だ。ツバキさんの性格を考えずに冗談を言ってしまったのだから。……後でシェリルに怒られるだろうな。
「そうか。……ところで妾にさん付けは不要じゃ。話し方ももっと楽で良い」
「え?」
「シェリルにとってもその方が良いじゃろ。それくらい考えんか」
「あ、はい。じゃないな、分かったよ」
(あと責任はとってもらうがな)
最後の言葉は俺の耳には届かなかった。そして俺達は久しぶりに外出する事になる。




