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辛党にはなれないけれど。

作者: 江本紅

*フィクションです。


甘い蜂蜜。


酸っぱいレモン。


冷やした牛乳。


このコンビネーション!


なんてすばらしいのでしょう。


生方京子はグラスに入れたラッシーを一気飲みする。ラッシーの作り方としてはレモン汁はいれないそうだが、生方家では入れるようにしている。ヨーグルトを常備していないからだ。牛乳とレモン汁による凝固作用によってそれはあたかもヨーグルトのような食感に変化する。


ラッシーを一気飲みした後、目の前の料理に向き合う。今日は唐辛子の日だ。ということで、家にあるだけの唐辛子を目いっぱい詰め込んだ麻婆豆腐を作ってみた。毎年10月31日は辛いものを食べると決まっている。


真っ赤に染まった豆腐とミンチされた肉は見るだけでもう辛さが舌に伝わってくる。料理が盛られている白い皿には赤いソースがつき、麻婆豆腐の隣に盛ったご飯には微小に飛んだ赤みを帯びた汁がついている。


京子はごくっと息をのむ。先ほどまで味わっていたラッシーを皿の横に置く。着ている黒い服の袖をまくり、スプーンを握りしめた。そしてご飯と赤い食物たちをそれにのせ、口に運ぶ。口に入れた瞬間、舌から強烈なしびれと熱さが伝わり、噛むとまたそれが襲ってくる。でも、よく噛んでから飲み込む。


おっと、気管支に入ってしまった。身体が全力で今口に入れたものを拒否してくる。ようやく飲み込めたころにまたラッシーを飲む。その繰り返しだ。


別に辛いものを食べる練習をするためにこんなことをしているのではない。京子だって、できれば食べたくないのだ。何も目を充血させて涙目になるくらいにしてまで食べたくはない。高校生の時、友人に騙され、とてつもなく辛いガパオライスを食べて以来だ。こんなにがんばって食べるのは。でも、可能な限り食べないと気がすまないのだ。今日だけは。アイツがそうだったように。


アイツは、沢田は本当に辛い物が好きだった。味噌汁には必ず七味唐辛子をこんもりかけていたし、担々麺だって辛さ5くらいのものを食べてた。辛さを知覚する細胞が死んでるんじゃないかってくらい辛い物に目がなかった。京子とは高校生の頃からの知り合いで大学でも一緒にラーメンをすするような仲だった。沢田は身なりに気を使わないやつだった。こちらが指摘しなければ平気で髪の毛を伸ばしっぱなしにするし、服装だっていつも穴の空いたジーンズにTシャツで、ちゃんとした格好をしたのを見たのは入学式が最後だったと思う。Tシャツもなんだかよくわからない文字が書いてあった。


一番衝撃的だったのは、1年の夏休みに会ったときだ。大学に入って初めての期末テストが終わり、同じ必修を取っていた京子と沢田は、テスト終わりに駅近にある辛くて有名なラーメン屋に入った。試験で不正行為が疑われないように、試験中沢田は無地のTシャツを着ていた。が、お手洗いに寄って出てくると、赤いTシャツに黒字で「達成感の塊」と書かれたものに着替えられていた。見る度によくわからない沢田の気持ちを表現したような文字が書かれているので、気持ちを察するのはたやすい。


ラーメン屋にはけっこう並んだ。人気だったらしい。京子としては辛いものではなく、むしろホットケーキのように甘い方が好みだったので、試験終わりのご褒美としては行きたくなかった。沢田に合わせたのだ。券売機で辛さを選べたので、唐辛子1のラーメンを選ぼうとボタンに手を伸ばしたら、横から沢田が「これくらいなくちゃ」と言って唐辛子3を押してきた。切れそうになった。結局、辛さ3のラーメンを食べ切ったはいいが、口の中が辛さに支配され、数分はしゃべれなくなった。ガパオライスよりもダメージが大きかった。見かねた沢田が近くのコンビニでヨーグルトを買ってくれたっけな。


大学3年生になり、お互い就活をし始めたことを機に一時期疎遠になってしまったが、4年生の夏休みに急に沢田の方から連絡があった。その頃には京子も内定先が決まり、ほっとして夏休みを迎えていた。


待ち合わせ場所に指定されたのは、目黒にある寄生虫博物館だった。そんなところ行ったこともないし、ましてや寄生虫博物館なんて趣味を疑う。そう思いながら向かうと、沢田がいつもよりこぎれいな格好をして入口で待っていた。といっても、服装はジーンズの膝に穴が空いていないだけで、Tシャツはいつものよくわからない文字が書いてあるものだった。今日は「中華日和」だ。


こぎれいに見えるのは服装ではなく主に顔の方だった。普段は無造作にまとめ上げられていた髪の毛には今日は櫛を通したようで、なんだか黒光りしている。ゴムもいつもの髪の毛が絡まったやつではなくて、よくわからないキラキラしたものが付いている。妹のものを間違えて使ってしまったのだろう。


沢田はこちらに気づくと「よう」と言って片手を挙げた。京子は沢田の変化に少し戸惑いながらもそれに応じた。「よう」。


「久しぶり。元気だった?」


「うん。そっちこそ風の噂で聞いたけど、大手に内定決まったんだってね。おめでとう。」


「ありがとう。沢田の方も内定決まったらしいじゃん。おめでとう。」


入口にあるパンフレットを手にとり、中に入る。この博物館は2階まであるそうだった。1階にはいろいろな寄生虫がホルマリン漬けにされていたり、寄生虫が入った小動物が展示されていた。


順番に見ていくと、何やら蝶々型の寄生虫に出くわした。


「ねえねえこれ、寄生虫のくせに昆虫みたいな恰好してる。」


見ると、本当に不思議な形をした寄生虫だった。キャプションには「双子虫」と書かれていた。双子虫は合体する相手を寄生対象の上で探す。出会いの確立が低く、お互いに選り好みをする余裕がないため、運命の相手が見つかり次第、2体は融合し、互いの消化系・神経系もつながる。本当の意味で一緒になるのだ。


「まさに運命共同体だね。」


「たしかに。本物の夫婦みたい。」


キャプションの説明書きを読んだ沢田が言う。適当に相槌を打ってみせたが、京子にはひっかかるものがあった。


運命共同体。本当に確かにそうだ。片方が死んだら、自分も死ぬ。相手に命を預けるような行為を覚悟しなければいけない。一生。一緒に過ごすことを決めたら、自らも沈む覚悟を持たなければならない。人間であれば離婚という道もある。だが、それがない双子虫は、彼らはどんな思い出一生を添い遂げるのだろうか。


「どういう関係かな。」


ふいに沢田がつぶやいた。


「…お互いを信頼しあってる関係、みたいな?でも、すごいよね。同じ領域で見つけた相手に必要があったとはいえ、全幅の信頼を寄せちゃってんだから。」


「京子はそういう相手とは会ったことある?」


「いやないかな。てか私はそういうの考えられないかな。まだ。沢田は?」


「んー、そういう意味ではまだ出会ってないかな。京子のことは信頼できると思ってるけど。」


「そういう風に思ってくれて嬉しいよ笑」


「信頼次いでに言うと、もし友達以上になりたいと言ったらどうする?」


ゆっくりと目線を京子の方に移動する。じっと見つめるその黒い瞳にはなぜか嘘をつけないような気がした。


「私?」


無言でうなづく。


「……友達以上か。冗談でしょ。私たち、友達でしょ?」


そう。高校からの知り合いで今でもよく遊ぶ相手。最近は疎遠になってしまったが、こうやって怪しげな博物館にも行けるような相手。友人という呼称であってると、思う。


「そっか。」


そう言うと、急に満面の笑顔になった。


「だよね。友達だよ。うん。2階も見ようよ。せっかくだし。あとミュージアムショップも。」


いつもの沢田だ。多分。階段の手すりに手を伸ばしながら、沢田の後ろ姿を見送る。「中華日和」と書かれたTシャツの裏側には、「日々一直線」という言葉が印字されていた。身体を少し丸めているせいか、「一直線」の文字がしわになって歪んでいた。


次に会ったときは、寄生虫博物館の日から数か月が経ってからだった。どうやら行きたいカフェがあったらしく、一人では入りにくいという理由で誘われた。


一人では入りにくいという理由が気になって、カフェを調べてみる。なるほど。カフェは英国風の外観になっており、列をなしている人々も皆雑誌から飛び出したようなファッションをしている。確かにいつもTシャツとジーンズの沢田にとっては入りにくい場所なのかもしれない。着替えればいいだけの話だと思うのだが。


当日、最寄り駅に行くと、いつもの沢田が見当たらなかった。あたりを見渡していると、時計台の下で手を振っている人がいた。よく見ると、沢田だった。待ち合わせ時間きっかりに着いたはずなのだが、沢田の方は随分と早くについてしまったらしい。気づかなかったのは、風貌が変わっていたからだ。長く肩甲骨まで伸ばしていた髪は耳元まで揃えられ、服装もいつものわけのわからない文字の書かれたものではなく、無地の白Tだった。履いているものも穴が空いていない黒いスキニーだった。


「遅れてごめん。」


「いやいいよ。時間通りだったし。」


「髪切ったんだね。似合ってる。一瞬誰かわからなかった。」


「ありがとう。ちょっと頭をすっきりさせたくて。長年の汚れを取る的な?」


そう言って恥ずかしそうに笑う。


カフェに着くと、もう並んでいる人がいた。テレビで紹介されたとかなんかでもともとあった人気にさらに火がついたようだ。他の客が店内に入るとき、一瞬だがよくメディアでみる芸能人のサインが飾られているのがみえた。もう少しで店に入れるというときに、店員からメニューを渡された。メニューは甘いもの中心だった。


「今日ここにこようと思ったのはなんで?てっきり辛いものしか食べないと思ってた」


メニューから視線を外さずに聞いてみる。


「特に深い意味はないよ。」


沢田も同様に視線を外さない。


「たまに食べたくなるんだよね。」


数分後、席に案内された。ホームページに合った通り、英国風でシックな内装で、食事を運ぶ店員の制服もディズニーさながら可愛らしい装いだった。


食事が運ばれてくるまでは本当にとりとめのない話をした。会社の配属先はどこになっただとか、卒業論文の進捗とか、最近のアニメ情報とか。頼んでいたアイスコーヒーを飲みながら、本当に和やかな時間を過ごしたと思う。頼んでいたフルーツが散りばめられたホットケーキに二人して驚き、それがまた一緒の反応だったものだから店員さんに笑われてしまった。


ケーキがあと少しでなくなるというときに、沢田が急に黙り込んだ。そして、フォークとナイフを置いた。


「すこし告白したいことがあるんだけどいい?」


京子もホットケーキから目線をあげる。口に含んでいた苺やら蜜柑やらを飲み込む。


「ずっと、言いたかったことなんだけど。」


黒い瞳をまっすぐこちらに向ける。


「私は、友人として京子を見ていない。恋愛対象として見てる。もうずっと。」


京子はそれが何を意味するのかわからなかった。


「これからも一緒に笑いあっていきたい。でも、今度は恋人として。」


手にしていたフォークを皿に置いた。


「どうかな。。。?」


じっと見つめてくる。沢田の耳にかけられていた髪が顔にかかった。


「どうって言われても…」


黙ってしまった。好意を感じていなかったといえば嘘になる。多分、随所で示していたのかもしれない。一緒にいて楽しいし、なんなら歴代の彼氏といたときよりも沢田といた方が充実した時間を過ごせていると感じる。


でも。


沢田は、沢田良子は女性だ。彼女のことは、ずっと良い友人として付き合っていた。今まで恋人になってきた人は、友人の紹介で恋人になろうと思って付き合ってきた人ばかりだった。上手くいかないこともあったが、それなりに過ごせていた。今は誰とも付き合っていない。


でも。


沢田は違う。性別は重要ではない。ただ、一緒に友人と過ごしてきた時間が長すぎる。中には、友人から恋人に、という人もいるが、今回の場合複雑だ。20代になって就職も決まってこれから人生を過ごす時間も長い。それを一緒にいて楽しい人と過ごしていけることはどんなにいいことだろうかと思う心もある。


でも。


一緒に過ごす相手として同性を選ぶことは、周囲の人間がなんと言うか。もし同棲を始めるにあたって親に紹介した際には、沢田良子に肩身の狭い思いをさせるかもしれない。友人にはなんと紹介しようか。自分のパートナーと言って紹介したら、彼らはきちんと受け入れてくれるだろうか。


「少し、時間をちょうだい。すぐに回答は、できない。」


逡巡した挙句、出た言葉はこれだった。


そのときの彼女の表情は覚えていない。ただ、一直線に引かれた眉毛が少し斜めになったのはなぜか覚えている。


数日後、彼女が事故にあった一報を受けた。どうやらハロウィンパーティー帰りの酔っぱらいの運転する車にひかれたらしい。運転手は飲酒運転と諸々の容疑で逮捕された。沢田は病院に搬送された後、亡くなった。運転手が言うには、暗い道の横から急に人が出てきてブレーキのかけようがなかったらしい。酔っぱらっていたため自身の不注意だったのかもしれないが。ジャッコーランタンを筆頭とする亡霊たちに沢田の魂も連れていかれてしまった。


あれから数か月が経った。スマホには大学の友人からのメッセージの通知がたまっている。


「大丈夫?」


「無理してない?」


「今度甘いもの食べにいこう!」


メッセージの着信が途絶えないのは当然なのかもしれない。なにしろ、あれ以来、誘いがあっても具合が悪いといって応じないし、授業にも体調が悪いという理由で代替課題を出してもらう代わりに出席していない。ずっと家に引きこもってる。


何て返事をすればよかったのだろう。


ちゃんと返事をすれば沢田も事故にあわなかったかもしれない。ハロウィンの夜は京子と過ごして、事故どころか車にも出くわさなかったのかもしれない。今も授業に一緒に出席して関係ない話で盛り上がっていたのかもしれない。


もし、すぐに回答すれば。


事故にあった日、沢田が何を考えて車道に飛び出したのかはわからない。それは彼女に直接聞いてみなければ解明されない。もうそれを聞く術もない。線香をあげに行こうと思ったが、彼女の家を知らないことに気づいた。あれだけ一緒にいたのに、訪れたことはただの一度もなかった。だが、わざわざ沢田の知人に住所を聞いてまで家族のもとに行き、線香をあげさせてもらうことをするという気分にもなれなかった。


卒業式には出た。社会人になると同時に、ただがむしゃらに働き始めた。仕事量が多い職場だったから、一心に仕事のことだけを考えてればよかった。他のことは考える心の余裕も時間もなかった。


だが、10月31日が近づくと、思い出してしまう。平日で仕事があっても。


辛い物好きだった人。10月31日は大好きな甘いかぼちゃケーキでも買って家で一人でゆっくりしようと思うのに、アイツのことばかり頭に浮かんでくる。だから、ケーキの代わりについ辛いものを作ってしまう。常備してある唐辛子と諸々のスパイシーで。


「あぁ、辛いな、本当に。」


京子の頬に涙が伝った。


「辛いんだよ、ばか。」

ハロウィンのことが出てきたと思いますが、みなさんハロウィンはどうお過ごしでしたか?

私は家に引きこもってました笑。

京子と沢田の物語は少し重めだったかと思いますが、みなさんが楽しい時間を過ごせたらいいなと思います。

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