第六話 雨上がりの遠い空(美嶺のガイド)
【主な人物紹介(観光部部員)】
〔早坂 睦月高校2年生〕
明るく元気な普通の女子高校生。行動力は人一倍あるが向こう見ずな性格のため失敗も多い。幼馴染の美嶺とは昔からの親友。
〔鷲尾 美嶺高校2年生〕
穏やかで少しだけ物静かな普通の女子高生。色白の美人で男子からの人気も高いが、ネガティブで自信が無いため気づいていない。幼馴染の睦月とは昔からの親友。
〔北大路 都古高校2年生〕
京都からやって来た美人転校生。観光への思いは人一倍強いらしく少々意地っ張り。けれど努力家で観光に関する本を練る間も惜しまず読み漁っている。
〔その他)
〔梶谷 五郎理科(生物)教師・睦月らのクラス担任・観光部副顧問〕
〔吾妻 みかげ(あずま みかげ)国語教師・観光部顧問〕
〔早坂 弥生睦月の姉・生徒会長〕
〔嶋 あずさ(しま あずさ)弥生の親友・生徒会副会長〕
第六話 雨上がりの遠い空(美嶺のガイド)
私の名前は鷲尾美嶺です。九月十五日生まれでおとめ座、血液型はB型です。好きな食べ物はサンドイッチで嫌いな食べ物はホヤ。名前の由来は母の生まれ故郷のここ泉市に聳える泉ヶ岳の嶺のように、淑やかで美しい輝く女性に育ってほしいという想いからそう名付けられたそうです。
そんな私は時折、両親の想い通りの女性に育っているのか不安になることがあります。淑やかというよりはただ物静かで、美しいとは到底言えるはずもなく、胸を張れるような輝かしい生き方をしてきたわけでもありません。
名前というのは立派であればあるほど子どもは意識してしまうものです。その典型的な例が私です。私はどのように私を振舞えば『鷲尾美嶺』として生きていけるのでしょうか。どうやって生きていけば『鷲尾美嶺』になれるのでしょうか。
今の段階では知るはずもありません。
というよりも、知ったところでどうすればいいのでしょうか————。
「あ、誰か予約してくれたみたい……」
私の声が部室に響いたのは、ある晴れの日の昼下がりの午後のことでした。
みかげ先生が顧問の先生になっておよそ一週間、私たちは放課後ガイドの練習をしつつツアーの参加者を待ちわびていました。
「がぁ~くぅ~がぁ~くぅ~」
睦月ちゃんは道端で拾ってきたというハンモックの上で、数学の教科書を顔に被せながらすやすやと寝ています。北大路さんはまた難しそうな本を手に取って読んでいました。
睦月ちゃんの鼾と北大路さんがページをめくる音、そして時計がチクタクと鳴っている音。すっかり部屋は静まり返ってしまいました。
「あら、それは良かったわね」
北大路さんがそう言ったのは、私が声を発してからおよそ三十秒後のことでした。あまりにも遅すぎる反応だと思いますし、あまりにもその反応も薄いと思います……。北大路さんと話しているといつもこのように雲を掴んでいる気分になります……。
そう言えば、私は北大路さんと正面を切って話したことがまだ一度もありません。というより何を話せばいいのか分かりません。結局、私と北大路さんの関係は観光部だけだし、共通点も睦月ちゃんくらいしかないので……。彼女はいったい私のことをどう思っているのでしょうか? 稀に気になることがあります。
「ふぁああ~よく寝た~みんなおはよう~」
タイミング良く起きたのは睦月ちゃんでした。起きた後は腕を伸ばしながらストレッチをしているようです。
「あ、睦月ちゃんちょうど良かった。ついさっきツアーの最初の予約が入ったよ」
「え、ほんと⁈どういう人?」
睦月ちゃんは驚きながら言いました。特に北大路さんの反応を見たあとだったので、睦月ちゃんのその反応には心救われます。私はメールで送られてきた参加者の情報を読み上げるような形で話しました。
「えっと、予約してくれた方は男性で年齢は二十三歳、仙台市在住の木村さんだって」
「へ~そんな若い人も興味を持ってくれるんだ~」
「それで木村さんのツアープランの担当はどうするの?」
睦月ちゃんからの答えは案外あっさりとしたものでした。「じゃあ」と言ってから
「美嶺で」
とだけ言葉を残しました。私は驚いてもう一度訊き直します。
「え、私?」
「そう、前にシミュレーションガイドした時もたしか美嶺は二十代男性担当だったからね。ピッタリと思う」
「でも……私男の人と話すの苦手だし…………」
声は語尾に近づくにつれて段々小さくなっていきました。自信がない時の私はいつもこうです。
そんな私に一つ声を掛けたのは、本を置いてから話す北大路さんでした。
「鷲尾さん、あなたはいつまでも苦手を理由にそうやって避けていくつもり?今避けていてもいつか必ず男性の人と関わる機会は訪れるわ。だから今のうちに慣れておくべきではないかしら?」
ぐうの音も出ないというのはこのことを指すのでしょう。私は何も言えませんでした。
「じゃあ木村さんの担当は美嶺で決まりってことで!」
「——はい…………」
こうして私は観光部創設以来初めてのお仕事を任されてしまうこととなったのです。
それからの日々は勉強の日々でした。
「えっと、木村さんは泉市の歴史あるところを見て回りたいんだ……。でも、歴史と言っても何時代が好きなのかわからないし、そもそも泉市にそんなツアーできるほどの歴史ってあるのかな……?」
ツアーまでは一週間、とはいっても使えるのは放課後と昼休みくらいです。私は小さな休みを見つけては泉市の歴史に関する本を読み漁りました。
「へぇ~松森城にはこんな話があるんだ……」
少ないながらにも分厚い泉市に関する本を読み漁り、
「洞雲寺にも逸話があるんだ……」
読み漁り、
「あそこってそういう道だったんだ」
読み漁り————————
毎日が驚きと発見の連続でした。
そして四日後、
「うん、これでいいかな?」
ようやく私は参加者木村さんだけのツアープランを作り上げたのでした。
「えっと、ツアーはあと三日後だから……木村さんには土曜日に来てくださいと送信してと……」
とりあえずここまでは自分でも順風満帆だと思います。あとはガイドの練習をしつつその日を待つだけです。
そして当日、私は集合場所である泉市役所へと向かいました。
———————————————————————————————————————
その日は雨が降りそうなどんよりとした曇りの空でした。コンクリートは灰色に渇いてはいるけれど、雨の降りそうな曇りでした。ちなみに天気予報は50%とそこまで高い数字ではありません。
私はことごとく神様に見放されています……。私の行く遠足は必ず雨でしたし、片や私が風邪で寝込んだ時の遠足は雨降る気配のない快晴でした。先に睦月ちゃんに引かせたスーパーの福引は京都の旅行券でしたし、片や私はティッシュです。本当に私は昔からいつもついてない…………。
「あの…………」
突如後ろからそう声を掛けられました。
「はい、」
「もしかして北高の観光部の方でしょうか?」
「はいそうです」
「あ、私先日予約した木村です」
「あ、き木村さんですか……よろしくお願いします……」
白いパーカーのフードに隠れて顔は見えませんでした。前を通る自動車の音にかき消されて声は届きそうありません。出さなければならないと頭では分かってはいるのに、緊張と不安が喉に痞えて声が出そうにありません。そんな時です。みかげ先生との部室での話が頭の中で再生されました————————。
『鷲尾さんのガイド、私としては一番好きかな~。解説も上手いし何より参加者への配慮が行き届いてる。これはそう簡単にできるものじゃないわね~」
『ありがとうございます』
『けど~やっぱり声が小さいですね~。特に最初の挨拶のところ~』
『す、すみません……』
『謝らなくていいですよ~。それよりもやっぱり初対面の人と話すのは苦手~?』
『は、はい……』
『そうか~、う~ん……』
みかげ先生も悩んでいると、部屋にいた睦月ちゃんは割り込むように言いました。
『ホヤだと思えばいいんじゃない?』
『ホヤ……?』
『だって美嶺、ホヤ見るといつも自分を忘れたように話し始めるじゃん』
『でもそれはホヤが苦手な食べ物であるからであって……』
そうです。私はホヤが大の苦手です。あのグロテスクな見た目と、切った時に飛び出す体液が気持ち悪くて嫌いなのです。言わば食わず嫌いという奴でしょうか。その話になるといつの間にか私は饒舌になってしまっています。
次にみかげ先生は頬に手を添えながら話し始めました。
『たしかに、早坂さんの話も一理あるわね~。緊張したら人を野菜だと思えってよく言うことだし~。一回やってみたらどうですか~?』
————————もうこうなってはやるしかありません。背水の陣です。私は心してやることに決めました。一度目を瞑り心の中で唱えます。
木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村さんはホヤ木村…………
目を開けると、そこにいたのは顔だけホヤのホヤ人間でした。
「……………………」
トゲトゲとしたオレンジ色の頭の頂上部分に入水孔と出水孔。うっすらと体液が表皮から染み出ているのが妙にリアル。あのグロテスクな見た目がほぼ完全に再現されてしまいました……。
「あの~」
だ、ダメだ……独特の生臭さもなぜか再現されてしまっている。ここまでリアルに描写する気は無かったのに……。驚きを通り越して恐怖でした。私は何もできずにむしろ固まってしまっていました。
「あの~」
————でも、睦月ちゃんのアドバイスのおかげで少し緊張がほぐれたような気がします。そうだ、彼はただのホヤ人間。何も恐れることは無いのです。何も性別など関係ないのです。ただのホヤ人間…………。
「はい、どうかなさいましたか?」
もちろん緊張はしますがそれもほどほどに。いつも通りの平常心で話していればそれで良いのかもしれません。
「お名前伺ってもよろしいですか?」
「あ、ええと、これは失礼いたしました。本日はどんよりとした雲が空を覆う中、仙台北高校観光部ガイド付きツアーにご参加いただき誠にありがとうございます。ガイドを務めますのは私、鷲尾美嶺でございます。今日はどうぞよろしくお願いします」
緩やかに頭をそっと下げて、静かにやさしく頭を上げます。
そうしてツアーの第一歩が踏み出されることとなりました。
ツアーの始まり、自己紹介の後に大切なことはこのツアーがいかに良いツアーであるかを参加者に思わせることだそうです。ちなみにソースはみかげ先生です。悪い天気であったとしても不運とは思わせず、まずは泉市は観光地として魅力のある場所だと印象付けることが最初の肝心なポイントらしいです。
それとみかげ先生には『ネガティブな言葉は極力避けよう』ともアドバイスを貰いました。とにかく最初の印象が大切なのです。
「今日は天気が少しだけ悪くて残念に思うかもしれませんが、実は今日行く観光地は雨少し薄暗い方が案外幻想的な景色を楽しめるところだったりします。ちなみに木村さんは泉市へ来るのは初めてですか?」
木村さんは相変わらずのホヤ人間でしたが木村さんは答えてくれました。
「はい、そうです。実は自分が住んでいるところは仙台でもかなり南の方で、あまりこちらの北側に遊びに来ることは無いんです」
「そうなんですね。それは今日一日楽しめそうです。————あと、木村さんは歴史お好きなんですか?」
「ええ、歴史は全般好きなのですが特に自分は…………いや、何でもないです。これ以上話してしまうと熱くなってしまうので……」
鼻息を荒げながら興奮した様子で話す木村さんは本当に歴史が好きなのだと感じました。いまだに私のホヤのおまじないが消えないので顔は見えないけれど、きっと素敵な好青年がそこには立っているのだろうと思いました。
「なるほど、それでしたら今日のツアーは木村さんにピッタリです。本日のツアーのテーマは泉市の歴史探訪なので。それではさっそく行きましょうか」
空は私たちを祝福してくれているのでしょうか、雲のいたるところから神々しい光が漏れ出ていました。けれど神様は心から祝福はしてくれていないようで、まだ西の方は真っ暗な雲に覆われています。風は西から東へと吹くので、あの雲がやって来るのも時間の問題でしょう。
そちらを一瞥してから、ようやく私を先頭に観光部初めてのツアーが始まりました。
最初の観光地に足を踏み入れた時も、空の色は変わらない灰色のままでした。
「はい、ではまずこちらが龍門山洞雲寺となります」
訪れたのは観光部三人でも訪れたことのある洞雲寺というお寺です。実はこのお寺、そのあとさらに調べてみたのですが、かなり歴史のあるお寺なのだそうです。歴史好きの木村さんにはうってつけの場所だと思ったので、ここを始まりのツアー場所としました。
「このお寺の始まりは飛鳥時代にまで遡るとされています。お寺に残された碑文によりますと大化の改新で有名な中臣鎌足の息子、藤原定慧が開創したことが始まりと伝えられています。そして何度も荒廃と再興を繰り返し、今の洞雲寺の姿があるそうです」
私の声は普段から小さいので、できる限り大きな声でハキハキと話しました。聞こえているのか不安になりましたが、今はまだ雨も降っておらず、木村さんはノートとペンを片手にメモを取っていたのでおそらく大丈夫だと思います。ホヤのせいで顔こそ見えませんがその様子は真剣そのものでした。
「こちらをご覧ください。崖に掘られた穴の中に無数の石仏が並んでいますね。実はこの場所、岩谷観音堂と言ってある伝説が残されている場所でもあるんです」
ここでは少し声のトーンを下げます。まるで物語を読むように、ゆっくりと淑やかに音を口から漏らしました。先生や睦月ちゃんや北大路さんに言われたわけではないけれど、自分なりに考えてみた結果です。
「このお寺には大蛇伝説があります。どうやら心中した男女の怨念が大蛇の姿として現れたそうなのです。大蛇は村や畑を荒らし回り、ついにはお寺をも湖の底に沈めてしまったそうです」
一息整えてまたもう一度————。
「困り果てた村の青年はこの大蛇を撃退する手段を探したそうです。すると偶然優れた僧侶様と出会い、法力をもってこの暴れていた大蛇の撃退に成功したそうです」
ゆっくりと、けれど遅すぎない適当なペースで————。
「大蛇のいなくなった湖はそのまま残りました。お寺はもうありませんでした。しかしその僧侶様を中心に湖の水を抜いてみると、かつてあったお寺がまた現れたそうです。それがこの龍門山洞雲寺であり、この岩谷観音堂なのだそうです」
私は話し終えると木村さんの様子をじっと見ました。興味を持っていればさらに話を付け足して、興味がなければ次の話へと進みます。あくまでこれは学校の授業ではなく、観光という趣味の延長。木村さんが喜んでくれていればそれで良いのです。
「あの~一つ質問良いですか?」
「は、はい」
私は少しだけ緊張していました。ひとまず木村さんはこの話に興味を持ってくれているようですが、何を質問されるかはまだ未知数なので……。私は頬を伝う汗に気を取られながら木村さんが話始めるのを待ちました。
「これまで私が見分してきた大蛇伝説の裏には土砂崩れや大雨などの自然災害が関わっていたのですが、もしかしてこのお寺の大蛇伝説というのも自然災害と関わりがあったりするんですか?」
「え~っと……」
答えられない質問でした。もう少し資料を読み漁っておけば良かったと今になって後悔です……。みかげ先生やプロのガイドさんなら何とお答えするのでしょうか? 私はもう一度思い出してみることにしました————。
『鷲尾さんは泉市の歴史探訪ツアーを企画するんですね~面白そう』
みかげ先生は私の計画書を読みながらそう言いました。
『でも難しいんですよね~こういうツアーのガイドって』
『ど、どういうところが難しいんですか……?』
『そうね~やっぱり私たちって歴史の専門家っていうわけじゃないから知らないこととかよく質問されたりするんですよ~。私いつもそれで困ってたイメージがあるわ~』
『先生でも困ったり難しいと思ったりすることがあるんですね』
『当り前じゃな~い。先生も人なんですから~』
『でもそういう時はどのように対応してたんですか……?』
『えっとね…………忘れちゃいました。あはははは』
『え?』
『ガイドやってたのはもう数年も前のことですよ~。忘れるに決まってま~す』
『そ、そんな……』
『でもね~あれかな~』
『あれ?』
『訊いた相手がもし自分だったら、ガイドさんにはどう答えてほしいか。いつもそれを考えて答えてた気がしますね~』
『————————』
————もし自分が相手だったら、私は何を期待するのでしょうか。目を通した文献に載っていなかったから『いいえ、違います』と答えるのか、ここは素直に『勉強不足で分かりません』と答えるのか、嘘を付いて『はい、そうなんです』と答えるのか。
それとも……………………
「私も詳しく調べたわけではないので正確なことは言えませんが、ここ周辺の地域は近年でも度々浸水することがあります。ですから、もしかしたら過去の先人たちが未来の私たちに残してくれた言い伝えなのかもしれませんね」
これで良かったのでしょうか? 私は彼ではないので分かりません。けれど私が相手なら、この答えが一番素敵な答えだと思います。いいえ、一番私らしい答えなのだと思います。
その後も私はガイドをしながらお寺を回って歩きました。終始空は雲に覆われてはいましたが、それでも木村さんは真剣に私の話を聞いてくれていました。私としてもそれはやりやすかったですし、聞いてくれているだけで嬉しい気持ちになりました。これまで頑張ってきた努力の成果をようやく披露することができる、それが何より嬉しくてこのボランティアガイドという仕事にやりがいを感じる瞬間でもありました。
最初の観光地を離れた私たちは幾つかの観光地へと足を運びました。木村さんは相変わらず真面目な様子で参加してくれているので、今のところは予定通りツアーはスムーズに進んでいます。
天気は持ちこたえてはいましたが、それでも刻一刻とあの黒い雲は迫ってきていました。ツアー予定の観光場所はあとひとつ。少し急ぎ足になりながらも私たちは歩きます。
ぽつりぽつりと降り始めた雨はあっという間に本降りとなって、灰色のコンクリートは次第に黒色へと変わっていきました。春ももうすぐ終わりの季節、蛙はグワァグワァといびきのような声で鳴いていました。
最後の観光地、それは松森城でした。
ザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザー
「こちらがツアー最後の観光地、松森城でございます……」
ザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザー
「このお城は…………」
ザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザー
「国分氏という一族が…………」
ザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザー
雨は靴を濡らします。雨は声を遮ります。雨は人の心をも濡らしてしまいます。
まさかシミュレーション通りのことが起こるなんて、あの時の私は思ってもみませんでした。みかげ先生は『耳元と足元に注意してお楽しみくださいませ~!』と言って雨という天気をも味方に付けていましたが、今の土砂降りの雨では鳥のさえずりや虫の鳴き声はおろか、木村さんの声すら聞こえない状態です。本当に私は昔からついてない……。
ザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザー
「では、さっそく松森城本丸へと行きましょう……」
ザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザーザー
元々小さい私の声はどれだけ張り上げようとしても響き渡ることはありませんでした。思うようにガイドもできず、ただ時間だけが流れていきました。
どうして私だけ…………
時折思ってしまうことがあります。
北大路さんの言う通り観光には『魅力・人・運』の三つの要素が欠かせません。ですから運に恵まれた睦月ちゃんならまだしも、運に見放された私にはそもそも向いていない世界だったのかもしれません。
いくらツアーガイドを頑張ったところで、雨が降ってしまえばすべてが水に流れてしまいます。収穫前の林檎が秋の嵐にさらされるように、川を渡る泡沫が弾けるように、結局それらは運次第。ちっぽけな私がどうこうできる問題ではありません。
つまり私は——————————————————————————————————
そんな時、ふと言われた小さな言葉を思い出してしまいました。
『だいじょうぶ、次は絶対に出るよ‼』
————あれはいつのことでしょうか、たしか私がここに引っ越してきて間もなくのことだと思います。
三年生の春の頃、私は小さな駄菓子屋でお菓子を買っていました。
『う~ん、今日もハズレだ……』
私は昔から物静かな子でした。内気で没交渉、転校して間もなくということもあり学校ではいつも一人きりでした。そんな私の心のよりどころがこの手に持っているソーダ味のアイスキャンディー。一度お父さんに買ってもらってから、自分の少ないお小遣いでも毎日買っていた大好きなアイスです。けれど…………
『本当に当たりって出るのかなぁ~』
お父さんには『このアイス、当たりが出るともう一本貰えるんだよ』と言われましたが、一度も当たりは出たことがありません。食べても出てくるのは何も書かれていない棒切れだけです。ですからその当時の私はもはや父のことを訝しんですらいました。
『やったぁまた当たり!おばちゃんもう一本!』
突然その声は私の耳元に入ってきました。声のする方を見れば、そこにいたのは私と同じくらいの歳の元気はつらつな少女です。
『睦月ちゃんまた当たったのかい』
駄菓子屋のおばあさんはゆったりとした様子で言いました。
(あれが当たり棒なんだ……初めて見る……)
私は初めて見るそのあたり棒を、輝かしい瞳でじ~っと眺めてしまっていました。
今思えば当りと言えどたった数十円の当たり棒です。大した価値は無いと見えます。けれどあの当たり棒は小学生だった自分にとっては宝石のように眩いものでした。
『…………』
じ~…………
『…………』
じ~…………
『もしかして、当たり棒欲しいの?』
『⁉』
私はそんなに羨ましそうな顔でそれを見ていたのでしょうか? 今となっては知る手段はありませんが、おそらくそうだったのでしょう。私は驚きと恥ずかしさを隠そうとしながら『う、う~ん』と首を横に傾げました。
次に彼女は私の傍らに置かれたハズレ棒に視線を移したようで、
『もしかして、まだ当たったこと無いの?』
と訊いてきました。私は恥ずかしさを隠しながら『う、うん』と首を縦に振りました。
すると彼女はもう一度自分の当たり棒に視線を移して考えだしました。そして数十秒してようやく閃いたのでしょうか?私に話してきたのです。
『じゃあ出るまでやろうよ!私も一緒に買うから!』
『え⁈』
『あ、まずは名前からだよね!私、早坂睦月っていうんだ。君は?』
『え、えっと鷲尾、美嶺……』
『美嶺かぁ~、良い名前。これからよろしくね!よしじゃあ絶対に当たり引くぞ~‼』
彼女の行動は半ば強引のような気がしなくもないですが、それから私たちは私が当たりを引くまでアイスを食べ続けました。アイスは案外お腹に溜まるもので、たった五つほど食べるだけでもお腹いっぱいになります。ですが…………
『早坂さん、もう食べるのはやめにしない?私もう当たりでなくてもいいや』
苦しそうに言う私に彼女はいつもこう言います。
『だいじょうぶ、次は絶対に出るよ‼』
詐欺師やらペテン師が言いそうな言葉と言われればそれまでなのですが、この言葉には泥のような底知れぬ諦めの悪さが詰まっていました。これまでもこれからも運の悪さを理由に諦めたり投げやりになる私、そんな私を支えたのは紛れもなく彼女のその言葉があったからでした。
日は暮れて駄菓子屋に売っているこのアイスも最後の一本となってしまいました。彼女の方に当たりは出ても私の食べたアイスに当たりは一本もありませんでした。
『よし美嶺、これで出なかったら隣町まで行くよ』
『い、いやそこまでは……』
いざ覚悟をもって食べ進めます。お腹はいっぱいだけれど少しずつ、少しずつ……
『あれ、これって…………』
そこに書かれていたのは、『当たり』でした。
『やったぁ!やっと当たったね!やったよ!やったやった!』
私よりも喜ぶ彼女に、私は笑顔を見せていました。
————そうだ。諦めなければ、次は当たりが出るから…………
「ではこちらへどうぞ」
本丸へと着いた私たちは、近くに建てられていた四阿へと入りました。傘を差している時よりはまだ話しやすく足元を濡らす心配もないここは、私にとっては十分すぎるほどの場所です。
「今はまだ雨が降っているのですが、これからここでこの松森城について少しお話していきたいと思います」
けしてこの状況を不運とは思わずに……
「この松森城はまるで鶴が翼を広げて羽ばたいているような形をしていることから別名鶴ヶ城とも呼ばれています。近くの小学校の校歌ではこの鶴ヶ城の名前が歌の途中に使われていて、昔からこのお城が慕われているのが伝わりますね」
ただ胸を張って自分のできる範囲のことをすれば……
「ここはあの独眼竜政宗とも縁の深い国分氏という一族が住んでいたお城でして、江戸時代には仙台藩の狩の場としても使われたそうです」
きっといつか晴れるから————————
「へぇ~、ではやはり伊達政宗もこの地に足を運んだことがあるんですか?」
「文献が乏しいのではっきりとは言えませんが可能性はあると思います。大崎合戦の際に利用されたこともあったそうですし」
「そうかぁ~伊達政宗公もここの土を踏んでるかもしれないのかぁ~」
木村さんは感慨深げに納得した様子で頷いていたので、私は恐る恐る伺いました。
「木村さんって伊達政宗がお好きなんですか?」
すると彼は興奮冷めやらぬ様子で話し始めました。
「ええ、それはもう本当に大好きなんです。宮城県出身ということもありますが、何よりその生き方に惚れ惚れしていまして————あ、すみませんつい伊達政宗のことになってしまうと口が達者になってしまうもので……」
「いえいえ、そんなことはありません。それより泉市に伊達政宗の祖母のお墓があることはご存じでしょうか?」
「そうなんですか?ぜひ教えてください!」
木村さんは伊達政宗の話をすると、魚に水を与えたように生き生きと話し始めました。私自身、伊達政宗についてはあまり詳しくはなかったのですが、話が尽きた時の対策として秘かに隠し持っておいた小話でした。周りからはいつも『心配性が過ぎる』や『石橋を叩いて渡る性格』と揶揄される私ですが、今回ばかりはその性格に救われる形となったような気がします。
話を続けていると、銃弾のような雨は次第に針柔らかな小雨へと変わり、黒々とした暗雲は次第に霞む白雲へと変わっていました。
「雲から太陽が出てきましたね。一度外へ出てみましょうか」
そう言うと私は四阿から一歩外へと踏み出します。
「泥で滑りやすくなっていますので気をつけてお進みください」
木村さんも続くように晴れた空へと顔を出します。
そして私は、睦月ちゃんが叫んだあの場所で足を止めました。
「わぁ、ご覧ください、今日はとても運が良いですね」
私の言葉に木村さんも頷きました。
「伊達政宗もこんな美しい景色を見ていたんですかね」
私は忘れていたのかもしれません
四阿の下で静かに待っていれば
いつかは晴れるこの空のように
不運もいつか終わりが来るということを
私は忘れていたのかもしれません
必ず明けると諦めなければ
いつかは見える日の出のように
不運もいつか幸運に変わるということを
それが故郷に架けられた
半円を描く大きな虹だと思います
それが私に架けられた
「鷲尾美嶺」への第一歩なのだと思います
「仙台から港の方まで一望できますね」
「はい、ここは私のお気に入りの場所ですから」
七色に煌めく鮮やかな虹は、炯炯と光り輝く太陽の日差しを一身に受けていました。
まるで睦月ちゃんのような太陽は、現れた故郷の街並みを優しく照らしています。
気付けばいつの間にか木村さんはホヤの顔から人の顔へと戻っていました。印象としては鼻が高くて灰色の瞳を持つ紳士的な男性といった感じの素敵な方です。男性と話すのが苦手で始めたおまじないでしたがもう懲り懲りです。
そうして私はお見送りとして最寄りの駅まで向かったのでした。
「鷲尾さんありがとうございました。ツアー費用は無料ということで本日は参加させていただいたのですが、とても勉強になりましたしお話も楽しかったです」
「いえいえ、そう言ってもらえれば嬉しい限りです」
「いやーそれにしても鷲尾さんは本当に準備が良い人ですね」
「え、ええと?」
「雨降る予報は無かったのに、傘やタオルを準備されてて助かりましたよ。それに雨宿りの際の話も事前に準備していましたよね。興味深くて面白かったですよ」
「あ、そ、そんなことないです……」
男性の方に褒められたことのない私は頬を赤くしながら答えていました。
「では、自分はこれで。また機会があれば案内してください」
「はい!ぜひまたお越しください」
彼は改札を潜ると、その後はまたどこかへと消えて行ってしまいました。私も後ろを振り返り、小さなガッツポーズをしてから駅を後にするのでした。
雨上がりの遠い空、そこには広がる虹の架け橋が洗われた大地を結んでいました。
【教えて!キジえもん!! 第七回】
「やぁみんな、おばんですぅ~!またまた教えてキジえもんのコーナーだよ。総支配人を務めるのはこの僕、泉市非公式キャラクターのキジえもんだよ~よろしくねぇ!」
「ということで第七回はコォチラ!!」
『山の寺洞雲寺~!!(パフパフ!)』
「美嶺が言ってた通り山の寺洞雲寺はとても歴史あるお寺なんだ。何度も地震や火事などの災害に見舞われてしまって建て直しを繰り返したんだけど、今もその由緒は引き継がれているよ」
「それとここには色んな言い伝えがあるんだ。例えば天狗が相撲を取ってたとされる相撲場や蛇が出たとされる金龍池。どの逸話も立て看板に書かれてるから結構面白いよ!」
「いや~今回は真面目に話したから疲れたよ。ほんでまずさようなら!」