第五話 1+1=
【主な人物紹介(観光部部員)】
〔早坂 睦月高校2年生〕
明るく元気な普通の女子高校生。行動力は人一倍あるが向こう見ずな性格のため失敗も多い。幼馴染の美嶺とは昔からの親友。
〔鷲尾 美嶺高校2年生〕
穏やかで少しだけ物静かな普通の女子高生。色白の美人で男子からの人気も高いが、ネガティブで自信が無いため気づいていない。幼馴染の睦月とは昔からの親友。
〔北大路 都古高校2年生〕
京都からやって来た美人転校生。観光への思いは人一倍強いらしく少々意地っ張り。けれど努力家で観光に関する本を練る間も惜しまず読み漁っている。
〔その他)
〔梶谷 五郎理科(生物)教師・睦月らのクラス担任・観光部副顧問〕
〔吾妻 みかげ(あずま みかげ)国語教師・観光部顧問〕
〔早坂 弥生睦月の姉・生徒会長〕
〔嶋 あずさ(しま あずさ)弥生の親友・生徒会副会長〕
第五話 1+1=
「ということで吾妻みかげで~す。どうぞよろしくお願いしま~す」
現在部室内は慌ただしいほどの動揺に包まれていた。
「コモンって…………あのコモンですよね?」
そんな睦月は動揺を通り越して狼狽しながら訊いた。
「ええ、おそらく早坂さんが思っているコモンで間違いないと思うよ~」
「え、どうして私の名前を⁉」
「どうしてもなにも隣の梶谷先生からあなたの話はよく聞かされていたからねぇ~。耳にタコができるほどに……」
「隣…………あっ、あの先生!」
睦月は『隣』というその一言で思い出した。口を大きく開けて指を差す。
「いつも職員室では寝ていたので顔だけでは分からなかったのでしょうね~」
言われてみればたしかに梶谷の隣には彼女がいた。顔を見ずともそのきっちりとしたお団子ヘアが何よりの証拠だろう。ようやく点と点が繋がった感じだ。
「ところで吾妻先生、失礼を承知でお聞きしますが、どうして私たち観光部の顧問を務めることになられたのですか?」
都古の問いにみかげ先生はまどろんだ様子で答えた。
「まずそこまで畏まらなくてもいいよ~、みかげ先生って呼んでくれたら嬉しいよ。で、質問は何だっけ?」
「ですから、どうして先生は観光部の顧問を務めることになられたのですか?」
おそらく都古の性格上、もしこのみかげ先生が教師という目上の立場でなければ彼女は憤怒の声を上げていただろう。額の血管からこれは間違いのない事実と分かる。
「ああそうだったね~それで実はね~、私もこの通り睡眠第一主義者として、顧問という名の残業ブラック業務には就きたくなかったのだけれど、梶谷先生がどうしても私にお願いしたいって言うから、断りきれなかったの~」
「梶谷先生が、ですか?」
「ええそうよ~。あの人見た目とは裏腹に結構熱血だからね~」
まず睡眠第一主義という言葉の意味はよく分からないので、その話はひとまず置いておくことにして、それよりもあの梶谷が人に真剣に頼みごとをするなんて思ってもみなかった。たしかに思い返せば梶谷は『顧問の先生はこっちで探しとくから』とは言っていたものの、あの無精で面倒臭がり屋の教師がまさかここまで早く顧問の先生を探し出すとは正直ビックリした。
睦月がそう感心していると。みかげ先生はたった今思い出したかのように言った。
「あ、これ梶谷先生から言うなって念押しされてるんだった~。今の話はナシで~」
「いや先生、それ全部言っちゃったよ…………」
「ともかく、私も顧問をお願いされたからにはしっかりとやんないとね~。で、見た感じ君たちはガイド付きのツアーを計画しているのかな?」
「はいそうです。一人一人の観光客に合ったツアーを企画して、私たち自身がボランティアガイドとしてそのツアーに付き添うって予定です」
みかげ先生は机に置かれた三人の調査ノートを順にパラパラと捲りながら言った。
「へぇ、それは面白そうですねぇ~。よく調べられているみたいだし、これは期待できそう」
「ありがとうございます!」
「あっ、でも早坂さんのノートはほとんど真っ白ね~。ふふふ」
「す、すみません…………」
まさか先生に見られるとは思わず少し恥ずかしくなった。次からはしっかりとメモを取ろう、そう思った瞬間だった。
そうして最後、あれは美嶺のノートだろうか。静かに閉じたそのノートをテーブルに置いて、みかげ先生は閃いた言葉をそのまま口にした。
「そうだ、それじゃあこれから三人にはガイドをやってもらおうかしら~」
「が、ガイドですか?」
都古が聞き直し尋ねると、みかげ先生は瞼を閉じながらにっこりと笑って言った。
「あなたは北小路さん…………だったっけ~? もちろん、私が言っているのは現地に行ってするようなガイドのことじゃないわよ~。三人にはこれから私が適当に設定を言うから、その設定に合ったケースを自分で想像して私にガイドをしてほしいの。言わばシミュレーションってやつね~」
「なるほど……」
「じゃあみんなも分かったみたいだし最初は早坂さんにけって~い」
「え、私⁉」
「そうね……えっーと、場所はノートに書かれてる賀茂神社で天気は晴れ、それと七十代夫婦を案内してるって設定で~」
「は、はい」
睦月は緊張した面持ちでそう返事をした。どうやらこの先生は睦月よりも話を聞かないタイプの人のようである。
シミュレーションその一 加茂神社・晴れ・七十代夫婦・ガイド早坂睦月
「あ~今日ツアーガイドを担当させていただきまする早坂睦月です。好きなものはラーメンで嫌いな食べ物はピーマン、星座はみずがめ座で血液型はAがたで~す。ガイドは今日が初めてですが精いっぱい頑張りま~す……。え、えーっと……」
沈黙の空間に睦月は冷や汗をかく。それもそうだ、ひとつガイドと言われてもガイド初心者が何をすれば良いのか分かるはずもない。
(急に言われても準備してないよ~。でも、今逃げたって来週の今頃はガイドしてるんだから。ここで頑張らないと‼————で、えーっと、これまで見てきたバスの添乗員さんってどんな感じでガイドしてたっけ?あれは手をかざしながら…………そうだ!)
あることが閃いたように頭に浮かんだ睦月は、初めに左手を東へと差し出した。
「えー左手をご覧ください。緑色のイロハモミジが綺麗ですね~。たしか樹齢も何百歳ととても長寿なんですよ。すごいですね~」
(やっぱりガイドといったらこれだよね。気分にも乗って来た!けどあれ……?)
みかげ先生の顔を見てみると、彼女はにこやかな細めの笑顔でこちらを見ていた。しかし、いや、よく見てみるとあれは寝ているのか?鼻提灯が見えるような気がする。
「それとあちら、神社の両脇に立っているのはアラカシの木です。どういう木かは忘れましたが、それでも大きくて立派ですねぇ~。良い香りもする……」
未だに鼻提灯は消えていなかった。しかしそれでも睦月は冷や汗をかきながら続ける。
「ええと、まずあちらで手を洗いましょうか。終わりましたらこれから参拝しますね」
しかし彼女は未だに寝たまま。
「ではさっそく境内に入りましょうか。おっと、ここの社殿は二つもあるんですね。いや~それにしても神々しい……」
(あれは私の話を聞いているのか、それとも聞いていないのか、そもそも起きているのか、それとも寝ているのか、まずあれは本当に先生なのか、違うのか、っていうか私のいましているこれはガイドなのか、いや違うのか…………)
考えれば考えるほど、睦月の頭の中の焦りが膨らんでゆく。それはまるで遊具のコーヒーカップにでも乗っているようにぐるぐると目が回ってしまう。
「えっと……えっと…………」
両手両膝を地につけた睦月の頭には、『ガーン』という青色の文字が並んでいた。
心がへし折られた時、本当に人はこうなってしまうようだ。
「あ……もう……ガイド……したくない……」
「む、睦月ちゃん大丈夫?」
「だいぶ心をやられたようね……」
美嶺と都古が心配している最中、「ふゎぁ~」というあくびとともに彼女はようやく目が覚めたようだ。腕を天に突き上げて体を伸ばしている。
「はい、お疲れさま早坂さん。では次は鷲尾さんにお願いしようかしらね~」
スルーされるのが一番心にズキンと来る。睦月はさらに落ち込んだ。
一方で美嶺は初めから怖気づいた様子で答えた。
「わ、わたし…………ですか?」
「はいじゃあ時間もないことだし、さっそく始めましょうか~。場所は松森城で天気は雨、二十代の男性一人を案内してるって設定でお願いしま~す」
「は、はい…………」
いつものように自信が乏しい美嶺は、おどおどとした表情でみかげ先生を眺めていた。
シミュレーションその二 松森城・雨・二十代男性・ガイド鷲尾美嶺
(睦月ちゃんの失敗した原因はそもそもメモを取っていなかったことが一番大きいとは思うけれど、もうひとつ、与えられた設定をイメージしきれなかったのも大きな原因だったのかな……? なら私は、もっと現実を意識して…………)
この時の美嶺にはあの松森城の景色が見えていた。薄暗い森へと降り落ちるしとやかな雨、水たまりのできた黒っぽい地面、滑りやすそうな坂道。さらには傘を広げた一人の若い男性までもが彼女の瞳には映り込んでいるようだった。
「こ、こんにちは……。今日ガイドとしてツアーにご同行させていただく鷲尾美嶺です。雨がぽつぽつと降っていて残念ですが、さっそく松森城本丸へと向かうことにしましょう」
透き通る小さな声とともに美嶺はその女性の前を歩き始めた。ビニール傘を持ちながら、美嶺はしっとりとガイドを始める。天気は雨、晴れる予兆は一切ない。
「ここのスロープは雨の日はとても滑りやすいので、今日は特に足元には気を付けてくださいね」
(まずはお客様の安全が第一……だよ、ね?気を付けないといけないところはすべて前もって言っておかないと……)
美嶺は一度濡れた足元に注意を促してから歩き始めたようだ。睦月のガイドシミュレーションには無かったイメージの生んだ結果であろう。
「はい……ここから上へ行くと本丸へと辿り着きます。ですが本丸は芝が整備されていないところも多く、草木に付いた水滴が足元を濡らしますので気を付けてお進みください」
(実際に目の前にそのお客様がいると思って……)
しかし美嶺には見えていた。
「今日は遠くまで景色が見えなくて残念ですね……。雨の日ではなければ遠くまで景色を眺めることができたのですが……」
(少しだけ松森城のお話も入れた方が良いよね……。観光地のガイドさんのように)
見えてしまっていたのだ。
「この松森城はまるで鶴が翼を広げて羽ばたいているような形をしていることから別名鶴ヶ城とも呼ばれています。近くの小学校の校歌ではこの鶴ヶ城の名前が歌の途中に使われていて、昔からこのお城が慕われているのが伝わりますね……」
傘に隠れた若い参加者男性のつまらなそうな表情が……。
美嶺はその後、他幾つかの歴史の話をしてから松森城を降りた。声こそ小さかったものの、話の内容は豆知識も入っていてかなり良かったと思う。途中、またあの滑りそうな坂へと差し掛かると、
「お気をつけてお進みください。下り坂は危ないので……」
と注意を促しながらそのまま進む。
「雨って、嫌な天気ですね…………」
そう言って美嶺のガイドシミュレーションは終了した。
パイプ椅子の上で蹲る美嶺の頭には、『ガーン』という青色の文字が並んでいた。
心がへし折られた時、本当に人はこうなってしまうようだ。
「本当にわたし……運ないですよね……シミュレーションでも……雨降るなんて……」
「……………………みれい……………………」
「……………………むつき…………ちゃん…………」
「わ、鷲尾さんまで…………」
都古が心配している最中、みかげ先生は不気味な笑顔を浮かべながら言った。
「はい、鷲尾さんもお疲れさま。では最後は北大路さんにお願いしようかしらね~」
「まぁそうなりますよね」
「あら、顔は自信ある様子ね~」
「いえ、そういうわけでは」
いつも通りの様子で答える都古。みかげ先生もこれまでのようにうとうととした様子。
「ではさっそく始めましょうか~。そうですねぇ~じゃあ場所はボタニカルガーデンで天気は晴れ、小さな子供を連れた夫婦を案内してるって設定で~」
「はい、分かりました」
都古は顔色を一切変えず、ただ冷静な面持ちそう答えた。
シミュレーションその三 ボタニカルガーデン・晴れ・子連れ夫婦・ガイド北大路都古
「はい、ではこれから泉ボタニカルガーデンを案内させていただく北大路都古と申します。どうぞよろしくお願いします」
都古の佇まいは流石といったところだろうか。髪を靡かせた動じることのない玲瓏とした立ち姿は、まるで本物のガイドのような印象を与える。
そしてたちまち左手を北に差し出して彼女は話始めた。
「まず右手に見えますのは七北田ダムにございます。堤高74メートル、総貯水容量920万立方メートル、最大放流量40立方メートル毎秒を誇る泉市唯一にして最大のダムで、ここで溜められた水は泉市民の生活用水はおろか、市内に広がる田園の灌漑用水としても利用されており、泉市の重要な水資源となっております」
都古の笑顔は少々ぎこちなく見えたが、終始気になるほどぎこちないというわけでもなかった。数分見ていたらいつの間にか慣れている程度のぎこちなさだ。
「さらにその奥に聳えておりますのは泉ヶ岳にございます。標高はおよそ千二百メートルほどと、けして大きな山と言えるわけではありませんが、それでもこの七北田ダムに流れ込む七北田川の水源地として古くから信仰があるそうです」
都古はこれから入る泉ボタニカルガーデンの話は一切せず、まずは周りの見える景色から話しているようだった。彼女がそうしている理由を睦月が知るはずもなかったが、どこか彼女の話には聞きたいと思えるような魅力があった。まぁ話の内容はまるで大学の講義やニュースに近いものではあったが。
「ではそろそろ、泉ボタニカルガーデンへと入ることにしましょうか」
その慣れた手つきを見ていると、本当に彼女はこれまでガイドをしたことが無かったのか訝しんでしまう。彼女のガイドには目を引くものがあると、ここで睦月は確信した。
「泉ボタニカルガーデンには季節折々、様々な種類の木々や花、さらには鳥や美しい蝶などの生き物を見ることができます。今の時期は多くの春の花を見ることができますが、ゴールデンウィークを越えて初夏を迎えれば、また異なる華やかな景色を楽しむことができるのでオススメです」
しばらくして彼女は足を止めた。そして右手を広げてそっと差し出す。
そこには一面に広がる淡い赤色をした綿菓子のような花が咲いているようだった。
「こちらをご覧ください。この花はシャクナゲと呼ばれる植物で、ちょうど今のシーズンに見ごろを迎える花です。花言葉には『威厳』や『危険』といった意味が含まれており、これはこのシャクナゲの原産地がヒマラヤの高地であることに起因してます。また、この植物の葉には毒も含まれていて、摂取すると吐き気や呼吸困難に陥る恐れもあります」
彼女はいったいいつそんなことを調べていたのだろうか。それとも元から知っていたのだろうか。相変わらず雲を掴むような人である。
次に彼女は、ブドウの房が逆さになって生えたような花に左手を添えて話し始めた。
「そしてこちらの花はルビナスという南北アメリカが原産の花です。花言葉には『いつも幸せ』や『想像力』といった意味が含まれており、こちらもまた今のシーズンに見ごろを迎える花です。まるで藤の花が逆さになっているような見た目から、別名『昇り藤』とも呼ばれており、昔から日本でも親しまれている花です」
都古のガイドはシミュレーションにも関わらずおよそ二十分も行われた。飽きるということは無かったが、度々都古の解説が暴走することもあった。それでも睦月のガイドと比べれば月とスッポンレベルの差で、三人の中でも一番ガイドっぽいガイドだと思った。
「はい北大路さんもお疲れさま~。もしかしてガイドやったことある~?」
「いえ、本を拝読した程度です」
謙遜とも受け取れるが、実戦経験は一度もないと言っていたので本当のことだろう。
「なるほどね~」
みかげ先生は一度深く瞬きをした後、「ふわぁ~」とまどろんだあくびをしてからもう一度話始めた。
「じゃあ三人のガイドの感想を総括して話しますね~。私としては三人ともそれぞれ個性があって面白かったと思いますよ~。早坂さんは元気で明るいし、鷲尾さんは気遣いで丁寧だし、北大路さんは説明上手でガイドの基礎もしっかりしているし。みんな本当に良かった感じました~」
睦月としてはそれは意外な評価だった。何一つ良い点が無かったと落胆していたのだが、お世辞でも言ってくれた『良かった』という言葉に救われたようだった。
「でもね~三人とも磨けばもっと良くなると思うんですよ~。ちょっと見てて~」
そう言うとみかげ先生は一度後ろを振り返り、髪にピンを留めてからもう一度こちらに振り返った。
「皆さまおはようございます!本日は仙台北高校観光部、ガイド付きツアーにご参加いただき誠にありがとうございます。ツアーガイドを務めさせていただきますのはこの私、寝ることとカツオのたたきが大好きな吾妻みかげにございます。どうぞよろしくお願いいたします」
これまでのまどろんだ雰囲気とはまるで違った。はきはきとした滑らかな言葉は澄み切った声色の風に乗って飛んでいき、垂涎の跡も残っていたあの寝ぼけた顔は、快活な糸目の笑顔へと変わっていた。
睦月は瞬きをする暇もなく、みかげ先生が創った世界へと引き込まれていた。
「皆さま、こちらの神社は賀茂神社でございます。あの伊達政宗が築いた仙台藩の第四代当主伊達綱村が命を下し、元禄九年から十年、西暦で言いますと一六九六年から一六九七年にかけて塩釜神社の方から移動されたのが始まりとされています。時期で言いますとちょうどあの犬公方綱吉が活躍した時代に当たりますね」
まるで部室にあの時の鳥居が佇んでいるような不思議な空間。まるでテーマパークにでも入り込んでしまったかのように溢れ出す高揚感。睦月はさらにみかげ先生のツアーへと引き込まれていった。
「わぁ~右手の方向をご覧ください。堂々としたイロハモミジの枝のから、若々しい蕾が顔を出しているではありませんか。ちなみにこの木の樹齢はどのくらいだと思いますか?」
「はいはーい!」
睦月はツアーに参加した気になって答えていた。ちなみに睦月は答えが分からなくとも手を上げるタイプだ。
「おっ、今日のお客様は積極的ですねぇ~。はい、ではそこのお客様どうぞ」
「百年くらい前?」
「あ~もう少し!惜しいです!」
「え~っと二百年前!」
「はい、正解です!実はこのイロハモミジ、樹齢は二百歳を超えるとされているんです。二百年前といえばあの伊能忠敬がちょうど日本を巡っている頃ですね。彼はこの泉市を通る奥州街道も歩いたとされていますから、まだ小さかった頃のこのイロハモミジを彼も見ていたかもしれませんね~」
そう話を聞くと、あまり意識していなかったあのイロハモミジにも特別感を覚えた。
自分も歴史の一舞台に立っているのだと、そう深く感じさせる。
「続きましてこちらは松森城でございます。本日はあいにくの雨のように思いますが、実は、このような日であるからこそ聴こえてくる音というものがあります。ですから本日は耳元と足元に注意してお楽しみくださいませ~!」
松森城にしとしとと降る雨は、ビニール傘に当たり弾ける。けれどもみかげ先生の声は弾ける音に負けず柔らかな声で聞こえてくる。
「皆さん、こちらが松森城本丸となります。かつてここにはあの伊達氏とも死闘を繰り広げた国分氏という一族のお城があったそうです。今ではその面影はほとんど見られませんが、南北朝時代から戦国時代まで泉市一帯の所領を支配していたようです。自然と松尾芭蕉の一句、『夏草や兵どもが夢の跡』が頭に浮かんで来てしまいそうですね」
細目で笑うみかげ先生のその笑顔。睦月は釘付けになっていた。
遠くの野鳥は騒めくように鳴いて、近くの虫はリンリンと鳴いている。
みかげ先生は少し歩いてからもう一度話始めた。
「また今日見ることは叶いませんでしたが、天気が良い日には右手の方向には仙台の街並みが、そして左手の方向には太平洋を見ることができますので、晴れの日にまた足を運ぶのも良いかもしれませんね」
雨はゆるやかに流れ、静かで暗い空からぽつぽつと滴り落ちる。
「そしてここが泉ボタニカルガーデンにございます。右手に見えますのは泉市民の喉を潤す七北田ダムで、その奥に見えますのが泉市を代表する山、泉ヶ岳でございます。今の季節の泉ヶ岳は青々とした顔を見せていますが、秋には真っ赤に燃えるような紅葉と、冬には真っ白な雪化粧をまとう景色が楽しめますよ」
左手を前にそっと差し出してから彼女は言う。
「ではさっそく泉ボタニカルガーデンの中へと入って行きましょう」
正面ゲートを潜り終えると、みかげ先生は息を吐きだすような声を出して話始めた。
「わぁ、赤いシャクナゲの花が見事に咲いていて素敵ですね。でも実はこの花の葉には毒があるんですよ。当然私は食べたことがないので詳しいことは言えませんが、摂取すると吐き気や呼吸困難に襲われるそうですよ!」
楽しそうに説明する先生に感心しながら聞き入っていた。さらに彼女は指を差す。
「こちらの花はルビナスという花ですねぇ。同じ品種でも様々な色のルビナスが咲いていて綺麗ですね。そしてこのルビナスという花はですね、まるで藤の花を逆さにしたような見た目から『昇り藤』と呼もばれているんです。なんだか縁起のよさそうな花ですね。運気上昇のためお祈りするのも良いかもしれません」
「へぇ~」
睦月は自然と舌を巻いて頷いていた————————。
「はい、とまぁこんな感じですかね~」
突如として始まったみかげ先生のガイドは、その一言でそっと幕を閉じた。睦月を含めた三人は呆気に取られて数秒間ただ声が出せなかった。それはみかげ先生のギャップに驚いたということもあるが、なによりも本物の『プロ』のガイドを見た衝撃が大きかった。
そんな謎の女性吾妻みかげに睦月はひとつ額に汗を流しながら訊いていた。
「先生は……何者ですか?」
「何者ってほどじゃないわよ~。ただあなたたちのノート見て何となくこんな感じの観光地なのかな~って思ってやってみただけ~」
「いや、それでも何というか、プロのガイドさんみたいで本当にスゴかったです!」
「あら、そう言ってくれると嬉しいわ~。数年間松島で観光ガイドの仕事してた甲斐があったわ~」
「え?」
睦月の気の抜けた声は気にせず、頬に手を当てながら笑う先生。次は美嶺が訊いた。
「松島って、あの日本三景の……ですか……?」
「そうよ~もともと私あそこの出身でね~。両親もずっと観光系の仕事やってたから私も嫌々ガイドとして働かされてたんですよ~」
ようやくつじつまが合った。そして睦月は叫ぶように言う。
「プロのガイドさんみたいっていうか、本物のプロじゃないですか!」
「あははは~そうかな~?」
のほほんとした先生はパイプ椅子に座っているが、観光部の三人はけしてそんな様子ではいられなかった。驚きのあまりその場でじっと固まって声が出ない。
だが、睦月は声に出した。
「先生、私たちに教えてください。ガイドのことを!」
風が吹いてカーテンを揺らす。桜の葉がそっと床にこぼれ落ちる。
「私からもお願いします」
「ご指導よろしくお願いします」
続いて美嶺都古の順番で彼女らも頭を下げた。先生は「あらあら」と怯んでいる様子。
「正直ガイドなんて仕事、少し練習すれば誰でもできると思ってました。けれど、ガイドという仕事がいかに難しくて奥が深いか、私、先生のガイドを見て身に染みて知ったんです。だからお願いします。私たちにガイドのことを教えてください!」
深々と頭を下げる睦月であったが、みかげ先生の答えは拍子抜けするほどあっさりと帰って来た。
「当り前じゃな~い。そのために来たんだもん」
ゆっくりと睦月は頭を上げる。みかげ先生は右の人差し指を天井に挙げて言う。
「けどね~、もちろん私はできる限りアドバイスやサポートをするつもりだけど、それは教えることじゃない」
「と言いますと、どういうことですか?」
目を瞑った先生はまた柔らかく温か声で言った。
「私にとっての教えるは1+1=2であると訓えること。けれど、ガイドにはそんな簡単な答えなんてあるはずもない。人が違えばもちろん答えは変わるし、一人が持つ答えもけしてひとつとは限らない。だからあなたたちに教えるのは私じゃない。自身も含めたあなたたちを取り巻く環境ですよ」
先生の満面の笑みは睦月の心に響く。もしかしたら美嶺も睦月も同じことを思っていたかもしれない。それは二人の気持ちを掬うことは叶わないので分からないが、一つ言えることがあるとすれば、それは私たちの初仕事、仙台北高校観光部ガイド付きツアー成功の希望が微かに煌めいたこと。
「あ、そういえばもう一人副顧問の先生もいるわよ~」
「え、そうなんですか?こんなに少ない部活なのに?」
「ええ、今も多分部屋の外に隠れてるわよ~。ね、梶谷先生」
ガチャン ドアが開いて一人の白衣姿の男が現れる。
「あ~もう。あれだ、これならみかげ先生に頼むんじゃなかったな……」
ぼさぼさの髪にしわくちゃな白衣。喉を潰したような声の男————。
「梶谷⁉どうして?」
「どうもこうもあれだ、みかげ先生に頼んだら条件つけられたんだよ————」
今日の朝、職員室にて
『そう言えばみかげ先生、先生って前に松島でツアーガイドをしていたって言ってましたよね?』
『ええ、やってましたよ~嫌々でしたがある程度は真面目に~』
『なるほど、では先生に一つ頼みごとがあるのですが良いですか?』
『観光部の顧問をお願いしたい、ですよね~?』
『⁈————どうしてすでに知ってるんですか?』
『女の勘というやつですかね~ふふふ』
『では話が早い。観光部の顧問をお願いします』
『嫌で~す。顧問なんて激務任せられたら寝る時間が無くなってしまうので~』
『いや、でも……そこをなんとか。あいつらもこれから頑張るみたいですし……どうかお願いします!』
梶谷は深々と頭を下げた。ここにプライドやら自尊心やらそういったものは無かった。
『もう~、そんなに頼み込まれるとこちらも断りづらいですよ~。分かりました、彼女たちのことは私が引き受けます。けれど条件をひとつ良いですか?』
『本当にありがとうございます。それで条件とは何でしょうか?』
『梶谷先生が副顧問をやるってことで~』
「ってな感じでよ、あれだ、これでお前らが問題を起こせば俺が休日パチ屋に行く時間も無くなるってワケだ。本当にひどい話だろう」
後ろ髪をかいて梶谷は少々照れながらそう言った。一方で睦月と美嶺は嬉しさのあまり梶谷に向かって走って行った。
「梶谷~‼」
「梶谷先生!」
「……………………」
「ちょ、お前ら飛び付くな!」
倒れ込む梶谷に乗りかかる睦月。都古は相変わらずの顔でそこに立っていたが、みかげ先生も美嶺も睦月もみんな笑っていた。
「見直したよ梶谷!本当に見直したよ!」
「なんだよ、見直すって……」
「よし、これから初仕事に向けて頑張るぞ~‼」
高らかな声は、斜陽の部室へと響き渡った。
【教えて!キジえもん!! 第六回】
「やぁみんな、おばんですぅ~!教えてキジえもんのコーナーだよ。総支配人を務めるのはこの僕、泉市非公式キャラクターのキジえもんだよ~よろしくねぇ!」
「ということでこのコーナーでは作中では語りつくせない僕たちの故郷の魅力を紹介していくよ。ってことで第六回はコォチラ!!」
『松島~!!(パフパフ!)』
「ようやくみかげちゃんが観光部顧問になったから松島の話ができるね。え?キジえもんは泉市のマスコットだろって?いいのいいの細かいことは気にしない。ってか僕非公式だし」
「松島と言えばまずは何といってもあの奥の細道の松尾芭蕉が美しさのあまり句を詠むことができなかったことで有名な場所だね。広島の宮島と京都の天橋立とともに日本三景にも数えられているよ」
「さらには伊達政宗縁の瑞巌寺ってお寺もあったりして観光名所がいっぱいあるんだ」
「だからみかげちゃんもあんなにガイドが上手かったってワケだね!」
「それとたまに県外から来る人が『仙台駅から松島まで歩いてどのくらい』ってよく訊いてくるけど、東京駅からさいたま市くらいまでの距離はあるから!なめんじゃねーよ!(笑)あとチャリで行っても途中道路狭いし危ないから気をつけろよ!」
〔ってことで今回はこのくらいほんでまずさようなら!」




