表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ようこそ私の故郷へ  作者: 早宮 翠星
ふるさと泉編
1/9

第一話 松森の舞台から飛び降りる覚悟

処女作


【主な人物紹介(観光部部員)】


早坂はやさか 睦月むつき高校2年生〕

明るく元気な普通の女子高校生。行動力は人一倍あるが向こう見ずな性格のため失敗も多い。幼馴染の美嶺とは昔からの親友。


鷲尾わしお 美嶺みれい高校2年生〕

穏やかで少しだけ物静かな普通の女子高生。色白の美人で男子からの人気も高いが、ネガティブで自信が無いため気づいていない。幼馴染の睦月とは昔からの親友。


北大路きたおおじ 都古みやこ高校2年生〕

京都からやって来た美人転校生。観光への思いは人一倍強いらしく少々意地っ張り。けれど努力家で観光に関する本を練る間も惜しまず読み漁っている。


〔その他)


梶谷かじたに 五郎ごろう理科(生物)教師・睦月らのクラス担任〕

〔吾妻 みかげ(あずま みかげ)国語教師〕

早坂はやさか 弥生やよい睦月の姉・生徒会長〕

〔嶋 あずさ(しま あずさ)弥生の親友・生徒会副会長〕

第一話 松森の舞台から飛び降りる覚悟


早朝、私は家を出た。

 ただ漠然と広がる田んぼ道を歩いて、私は最寄りの駅へと向かった。

 駅の名前は泉中央駅。

私の故郷、宮城県泉市を通る数少ない電車駅の一つだ。

泉中央駅から仙台駅までは地下鉄が通っている。

早朝だったこともあり、ほとんど誰も乗ってはいなかった。

地下鉄はおおよそ二十分揺られると、いつの間にか着いているイメージがある。

そして今日もいつも通り

「よし、到着~」

仙台駅へ着くと口が自然に動いていた。しかし今日の目的地は仙台駅ではない。

「新幹線は……と」

青葉城恋歌が発車の時刻を知らせてくれる。私の高揚感は今、最高潮を迎えていた。



仙台駅から新幹線で数時間、天を見上げればガラスの空が一面に広がっていた。

私はただ唖然としてそこに立っていた。声すらも詰まってまともに出て来ない。

聞こえてくるのは見知らぬ言葉。少なくとも日本語ではなかった。

狐につままれた気分だ。日本にいるはずなのに、ここは日本ではないみたい。間違ってロサンゼルスのリトルトーキョーにでも遊びに来てしまったのではないのか。

そう不安になってもう一度帰りの新幹線の切符を確認してしまうほどだった。

しかし『ようこそおこしやす』の文字をこの目に入れた時、ようやく私はここが日本であるのだと実感じた。いや、ここが日本の和の心の起源であり、古の都だということに気付いてしまったのだ。

「ここが、京都か」

突如思い出したかのように呟いた。

なまはげ人形のストラップ付きの緑色のリュックサックを背負って、ついに私は京都観光記念すべき第一歩を踏み出す。

「よっと」

ガラスの天井を潜り抜けると、見えてきたのは京都タワー。それと大きなバスターミナル。燭台と蝋燭が組み合わされたような形をした京都タワーはまるで雅な若女将。私にそっと『ようこそおいでやす』と話し掛け、一抹の不安やら緊張感を和ませてくれているようだった。一方のバスターミナルは観光客へのツアーガイドと言ったところだろうか。日本人なら誰もが知るような有名な観光地から、地元民しか知らないような通な観光地まで。事細かに行き先が示されたそこは、初京都の私にとっても理解しやすくとても楽だった。

ちなみに今日私が行きたい観光地は嵐山と金閣寺、それと清水寺だ。王道過ぎると馬鹿にされるかもしれないが、私にとってはどれも譲れない観光地であった。

まずは初めに嵐山を訪ねるので、さっそく市営83系統のバスに乗って出発だ!

バスに揺られながら目的地へと向かう。


 「わぁ、テレビで見たところだ」

 花舞い落ちる嵐山は、清流桂川に架かる渡月橋を中心にまるで浮世絵のような景色を生み出していた。外国人が見たら「イットイズジャパン‼」と声を揃えて言うだろう。数えきれないほどの人が着物やら浴衣を羽織って、その橋を賑やかな声を響かせて歩いていた。

 「地元にもこんなのがあったらなぁ」

 私は抹茶ソフトと嵯峨野コロッケを両手に持って幸せな顔をしながらそう独り言を言った。言ったというよりはため息のように、ふとした瞬間に漏れ出てしまったと言った方がこの場合は良いのかもしれないが……。

ともかく、冷たいソフトクリームとアツアツのコロッケを交互に食べるのは至福のひと時であった。とだけ最後に言葉を添えておくことにしよう。


 次の目的地は金閣寺。嵐山から金閣寺までは嵐電とバスを乗り継いでおおよそ五十分。一度乗り換える時に迷いそうになったが、近くにいた車掌さんが慣れた手つきで教えてくれたので、予定通りのバスに乗ることができた。おそらく私のように「嵐山~金閣」経由で観光する人も少なからずいるからだろう。最後に「よい観光を」と京都訛りの言葉を乗せながら手を振っていたので、私は軽く会釈をしてバスに乗り込んだ。


無事目的地へたどり着くと、案の定金閣寺も多くの人で賑わっていた。ここは特に外国人が多い印象だ。スマホやパンフレット、中には一眼レフカメラを両手持ったツアー客が続々と園内へ入っていくのが見えた。

なるほど、あそこで券を買ってから入るのか。と感心しながら前の人の背中を追うように、私も金閣寺へ続く砂利道へと入って行く。


「本当に金ぴかなんだ」

つい小学生並みの感想を口にしてしまった私だが、ぜひここだけは許してほしい。太陽に照らされたそれは、これまで見てきた私の金色よりも数倍金色に輝いていたのだ。

圧倒された。歴史は得意ではないので詳しいことは分からないが、それでも見惚れてしまうほど、金閣寺は水面に映りながら美しく煌めいていたのだ。

「美嶺と弥生姉にも送ってあげよっと」

写真を一つスマホでカシャリと撮って、姉と親友にラインで『金閣寺きれい』と送信する。親友の美嶺からはすぐに『いいね』のスタンプが送られたので、こちらも笑顔で『今度は一緒に来ようね』と送った。

一方で意地悪な姉からは『豚に真珠』と返信が来たので一瞬頭に血が上ったが、そんな苛立ちも綺麗さっぱり忘れてしまえるほど、今の私の心には余裕があるような気がした。それもこの美しい風景のおかげ。金閣寺は心の浄化作用も持ち合わせているのかもしれない。

「こんな建物がうちの近くにもあったらいいのに」

ふと言葉を吐いてから次の目的地へと向かうことにした。特別な意味はなかった。


今日最後の観光地は清水寺。バスでおおよそ一時間、うとうとと眠気に襲われながらもようやく到着した最も楽しみな場所だ。太陽はすでに西へと傾いて、清水の舞台へ上がる時にはおそらく空も夕焼け色に染まっている頃だろう。そう思いながらまず私は呉服屋へと足を運んだ。

「ごめんくださーい、着物着ることってできますか?」

元気良く暖簾を潜ると奥の方から一人の着物姿の京美人が舞い降りて、

「ええ着られますよ、お嬢さん」

と淑やかな京都弁で言葉で返事をした。

待ちわびていた言葉が返ってきたもので、私は喜びを隠せずにやけながら

「お願いします!似合うやつをお任せで!」

と今日一のハイテンションで手を突き上げながら言った。

京都へ足を運ぶとしたら、一度は着物姿で歩きたい。彼氏がいない私にも、もやしぐらいには生えている乙女心というものがある。藤柄の青色の着物を着て、古風な非日常を歩くのが昔からの夢だった。

「はぁはぁ」

清水への道は私の想像していた道よりもずっと急な上り坂だった。着物と下駄に慣れていないせいのもあるのか、息を切らしながらそれでも着々と登っていく。観光客の多さは流石と言ったところだろうか。外国人をはじめとして、カップルや学生のような姿も見えてカラフルな印象だ。まぁカップルは、うん。できれば胸が苦しくなるので見たくはないのだが。

「やっと着いた~!」

まるで子供のようにはしゃぐ私は疲れも忘れ、清水の舞台へと駆け寄っていた。覚悟を決めるという意味で、『清水の舞台から飛び降りる』という言葉が昔から使われているが、ここへ来てようやくその『覚悟』というものが分かったような気がする。悪党に追い込まれるなど、それ相応のものがなければ私は飛び降りることはできないだろう。下を見るだけで足がすくむ。だから舞台の下を覗くことはやめることにした。ここからは欄干を掴んで京都の景色を堪能することにしよう。

辺りはすでに夕焼け。古の都にはぽつぽつと光が灯されていた。これまで歩んできた京の町並みは大海のように、淡い光は白波のように浮いてそこに漂っている。

言葉を選ぶとするなら良薬、選ばずに表すなら麻薬と言ったところだろうか。

それほどまでにこの景色には、人の心を癒し落ち着かせる力があった。見ているだけで京都という女性に恋焦がれて虜となってしまうような、そんな景色でもあった。

「私の地元にもこんな景色があったらなぁ…………」

ため息をつくように言葉を並べ、私は溶けるように欄干に寄り掛かり感慨に耽った。

「…………」

美しいことに違いはないのだが、今の私の瞳にはこれまでのようにそうは映らなかった。

その理由は分かるのだが、分かりたくはなかった————。

私は昔から自分の故郷にコンプレックスを持っている。自慢の、誇りたいはずの地元、宮城県泉市であるはずなのに、この景色を見てしまっては並々ならぬ劣等感を覚えてしまう。それが悲しいし何といっても悔しい。

そもそも絶対的な観光の皇帝に、脆弱なる平民が勝負を挑もうとするのがおかしいことくらいは自分でも分かってはいる。分かってはいるのだが、それでも私は…………



凄まじい風がビューっと音を鳴らしながら、私の背中をそっと押した。


 

————ようこそ私の故郷へ————


プルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルル


 目覚まし時計のベルが部屋中に鳴り響き、知らせてほしくもない朝を知らせる。それでもベッドでぐうたらと寝ているのは早坂睦月という小女。今日から高校二年生。本作の主人公である。

 ガチャン。ドアが開く音が聞こえたが、睦月はいまだに爆睡中だった。だらしなく腹を搔きながらずっと寝ている。ドアを開けたのが誰であろうと、今の彼女には到底関係がなかった。

 「睦月、私はもうあずさと学校行くから戸締りよろしく。それと美嶺ちゃんずっと家の前で待ってるから早くいった方が良いと思うよ」

 そう睦月に声を掛けたのは姉の弥生である。睦月とは一つだけ年が離れていて、同じ高校に通う三年生だ。ただ性格は真逆で、彼女はしっかり者の性格であり、なんと生徒会会長も務めている優等生。今もギロギロと目を尖らせて、怠惰な睦月を睨みつけている。

 「うん分かってるよぉ~」

 寝ぼけながら答える睦月に、弥生は何も言わずに部屋から出ていった。春の寝心地は幸せのひと時。『春眠暁を覚えず』とはよく言ったものだと思う。だから、私ももうひと眠りすることとしよう。ふぁぁああ…………。


 「……ちゃん………つきちゃん……むつきちゃん…睦月ちゃん!」

 今度聞こえたこの声は誰の声だろうか。少なくとも弥生姉の冷たく鋭い声ではなかった。どこか温和で優しげな、まるで聖母のような美しい声色。彼女は————

 「美嶺⁉どうして私の部屋に!」

 パッと目が見開いた睦月は、慌てた様子で起き上がった。

 「どうしてって、弥生さんに『睦月はまだ寝てるよ』って言われたから、心配になって来ちゃったんだよ~。そもそも集合時間もとっくに過ぎてるし」

 「あはぁ~ごめんごめん」

 「もー、今日はクラス発表があるからって、早く学校に行こうって言ったのは睦月ちゃんの方だよ」

 まぁ何も言えなかった。言えるはずもなかった。正論を突き付けられると口は自然と閉じてしまうものである。

「はい、これ制服とキッチンに置いてあった朝ごはんのサンドウィッチ。登校のチャイムまではまだ時間があるから、ゆっくり準備して行こう」

 「本当に申し訳ありません」

彼女の名前は鷲尾美嶺。小学三年生からの幼馴染で睦月の一番の親友だ。睦月との会話からも分かる通りおっとりとした優しい性格で、クラスの間でも名前が上がるほど人気がある。特に男子からの支持は絶大で、ストレートに言うとかなりモテているらしい。

まぁ当の本人はほんわかしているので気付いていないのだが……。とにかく紛れもなく睦月の一番の親友だ。

 朝ごはんを食べてから制服に着替え、天辺に生えた邪魔なアホ毛を整えてからいざ出発。ずっと待ってくれていた美嶺には感謝しかない。低い腰で「お待たせしました」と言うと、美嶺は「じゃ、行こうか」と笑顔で言ってくれた。

 桜咲き乱れる春の田舎町。御池には桜が浮いていた。右手には松森城跡と呼ばれる小高い丘が聳えていて、満開の桜がそっと顔を出していた。ひらひらとその桜の花びらが、睦月と美嶺の足元に舞い落ちる。睦月は片手運転で自転車に乗りながら、美嶺はその横を寄り添うように並んで走っていた。

 「そういえばこの前の京都旅行楽しかった?」

 「うん。嵐山も金閣寺も清水寺も全部楽しかったよ。想像通りの京都を見れた感じ」

 「いいなぁ~私が最初に引いてれば京都行けたのに……。どうして先に引いていいよって言っちゃったんだろう」

 「美嶺は昔から運の神様に嫌われてるからね」

 「そ、そんなことないよ~」

 実はあの京都旅行、睦月がスーパーの福引抽選で当たったものだった。睦月は昔から運だけはあるので、抽選やらくじ引きやらジャンケンやら、運だけで決着がつくものは大の得意なのである。

一方で美嶺はというと、昔から運だけはない。あの福引抽選の時も「後から引けば当たりやすい」という謎理論を展開して見事に五等賞のティッシュを引き当てている。本当にかわいそうでいたたまれない。

 「でもやっぱり京都って、こんな田舎の街と比べちゃうと格段に品が違うなって感じがしたなぁ~。さすが観光王国って感じで、異世界に行った気分だったよ」

 「へぇ~やっぱり外国人の観光客も多いの?」

 「それはもちろん! 宮城の観光地とは比べ物にならないくらいどの観光地も凄かったよ。一つくらい分けてくれないかなぁ~って思っちゃうくらいさ」

 睦月はそう話すにつれて段々切なさが増した。実際京都の話をしていると、地元宮城県ないし泉市に誇れるものが一つも無くて悔しいし悲しい。どうして自分の故郷には自慢できる観光地がないのだろうと。顔は自然と楽しく笑ってはいなかった。一方の美嶺は、どことなく切なそうな顔をした睦月のその様子を見て励まそうと思ったのか、いくつかの宮城県の観光地を挙げていった。

 「ほらでも、宮城も泉も良い観光地いっぱいあると思うよ!えっと……青葉城とか?」

 「それ、城ないじゃん。残ってるのも石垣だけだし」

 「じゃあ、他に大崎八幡とかも!」

 「どんと祭の時ぐらいしか行かないよ。みんなズーズー弁話すような地元の人ばっかりだったし」

 「えっと、あ、牛タンもおいしいよ」

 「あれ宮城県の人でもお祝いの時にしか食べないよ……」

 「えーっと……それじゃあ……あっ、ジャスコもあるよ!あそこいっぱいお買い物できるし良い観光地だよ」

 「もはやそれ全国にあるやつだから!ってかそもそもそれ全部仙台の観光地だし!私たちの住んでる泉のものじゃないじゃん」

 図星を指されたのか、美嶺もこれには意気消沈の様子だった。ガーンと頭の上に落ち込みの擬音語が見えたような気がする————。


 ここで簡単に泉市について解説すると、泉市は宮城県のおよそ真ん中くらい、仙台市の北部に位置する中規模の街である。これといった取り柄はなく、ただ田園風景と住宅街だけが無造作に広がった喉かな郊外といった感じだ。それと泉市のどこにいても目を引くのがあの大きな泉ヶ岳という山。まぁ登山家でも何でもない彼女らにしてみればどこにでもあるような普通の山だ。


 ————閑話休題。

 「結局宮城県は外国人が観光に来るような場所じゃないし、ましてやこんな泉市に旅行しに来るような物好きはいないんだよ」

 「うーん、私としては宮城県も泉市も程良い田舎で過ごしやすいと思うけどなぁ」

 「まぁ、そうは思うけどさ、でもできればもっと誇れるような故郷が良かったなぁって思わない?家の隣世界遺産なんだ~とか言ってみたいじゃん」

 「まぁ、たしかに一度は言ってみたいセリフだとは思うけど……。あ、でも睦月ちゃんの隣も松森城だったよね。桜もあるしお城って自慢できるんじゃない?」

 「いーや、自慢できないねあんなの。私は行ったことないけど、虫いっぱいいるらしいしそもそも城無いし」

 睦月は続けて言った。

「あーあ、もうこんな故郷は嫌だ。卒業したら絶対に東京行ってやる~‼」

「睦月ちゃん東京で何かやりたいことあるの?」

「いや、特には。ただ上京さえすれば何かが変わりそうだなぁって」

「東京ねぇ…………」

 京都の話からいつの間にか地元の話になってしまったが、それでも美嶺と話す登校の道は楽しかった。時間を忘れて気が付いた時には学校の校門へと足を踏み入れていた。

 仙台北高等学校、通称北高が睦月と美嶺の通う共学の高校である。正確には仙台市内ではなく泉市内にあるのだが、仙台の北にあるという安直な理由でそう名付けられたらしい。学力も運動も平均的で、たまに個人競技の部活がインターハイに出場するような平凡な学校である。今日校門の前には『関君やり投げインターハイ出場』の横断幕が掲げられていた。本当にそれ程度の陳腐な学校である。


 「間に合ったぁ。まだ発表はしていないみたいだね」

「今年も睦月ちゃんとは一緒になれると良いのだけれど」

 「うん、私も」

 期待と不安が入り混じるクラス発表。高校の合格発表とまでは言わないが、校舎玄関前は異様な緊迫感に包まれていた。朝練上がりの野球部は一番前の特等席を陣取っており、その後ろに他の生徒がまるでお祭りのように密集していた。

 「お、来るぞ!」

 一人の野球部員がそう言うと、待ちわびている北高生はさらにざわめき大きく、彼らのテンションもさらに上がっていった。

 「山田先生早く見せてくれ!」

担当の先生がようやく現れ、盛り上がりは最高潮を迎える。

そしてようやく————

「よし、俺一組だ~!」

の声を皮切りに名前探しが始まった。まず睦月が見つけたのは『早坂睦月』。一組のところに書かれていた。そしてすかさず『鷲尾美嶺』の四文字も探し始める。

 「えっと……あ、あった」

次に睦月が見つけた『鷲尾美嶺』。それは惜しくも二組のところに書かれていた。

 「うーん、残念だったね。今年も美嶺と同じクラスになれると思ったんだけど」

 「こればかりは仕方ないね。私の方は先生誰になるんだろう」

 「一組の方は去年と同じ梶谷だと思うけど、二組は誰だろう。松田先生だったりしたらあたりかもね」

 「そうだったらいいね」

 まぁクラスが異なったとしても私たちの関係に変わりはない。これまでも複数回別のクラスになったことはあるので、睦月も美嶺も同じクラスになればラッキー程度に考えていたと思う。むしろガチャガチャを回す感覚に近く、睦月たちは次の新しいクラスに期待を膨らませながら、新しい二階の教室へと足を進めていた。

 「じゃ、昼休みね」

 「うん、またね」

 そう言葉を交わして睦月はクラスへと入った。新しいクラスには去年同じクラスだった人も多かったので、楽しく話をしつつ席に座った。美嶺がいないのは少し寂しいが、これはこれで十分に楽しい。


 キーンコーンカーンコーン コーンキーンカーンコーン


ホームルームの開始を知らせるチャイムが鳴り響き、新しい担任の先生がガラガラとドアを開ける。はっきり言ってここにガチャガチャを回すような期待感はなかった。なぜなら、それは見覚えのある男だったからだ。

 ぼさぼさの髪にしわくちゃな白衣を着てその男は登場した。年齢は三十路手前といったところだろう。彼の名は梶谷。睦月の予想通りの担任教師だった。一年の頃も担任だった彼は、普段は一切やる気のないテキトーな理科教師だ。

 「今日から一年一組を担当することになった梶谷だ。まずお前らに一つ言えることはあれだ、厄介ごとだけは起こさないでくれ。俺の仕事が増える」

 とまぁこんな調子。相変わらず梶谷は変な奴だなと思っているが、なぜか一部の女子からは熱烈な支持を受けており、今もその女子たちがコソコソと何かを話していた。おそらくカッコイイとかイケメンとか、そういう話に違いないだろう。あれのどこが良いのか。

 「えーっと、俺からの話は以上かな……あ」

 一通りの話を終えると、最後に梶谷は思い出したかのように話を付け足した。手短に話を終わらす梶谷にしては話を付け足すなんて珍しいなと思ったので、耳だけはまじめに向けていた。まぁ顔は窓の外を向けているが。

 「それとあれだ、最後に一つ話すことがある。今日からこのクラスに編入することになった転校生が一人いる。紹介するから入ってきてくれ」

 そもそもこの学校に編入制なんてものがあったこと自体に驚きだが、それはひとまず置いといて、転校生が来るというのは願ってもない話で正直楽しみだった。いつの間にか自然と顔も扉の方を眺めていた。

 ガララララ 教室のドアが静かに開いた。クラスの皆は一斉に目を向ける。

 「…………」

 扇を広げたように滴り落ちる髪を揺らし、颯爽と現れる純白の大和撫子。

 それはあの金閣寺を見た時のように、例え自身が女であっても一目惚れしてしまうほど絶世なる美女だった。幼気な可憐さとどこか大人のような淑やかさも兼ね備えている彼女の風貌は、クラス中の視線を独り占めして離さなかった。湧き上がるようにわぁっと感嘆の声がクラスを賑わせるが、彼女は変わらず毅然として教壇へと上がった。

 ただ————

 「じゃあ自己紹介して」

 「はい。北大路都古、よろしくお願いします」

 あまりにも不愛想に、そして渇いた表情で話すので睦月は違和感を覚えた。とはいってもまだ出会い始め。不思議な子が来たなぁと思いつつその様子を眺めていた。

 「あ、あの北大路さん、せめて前いた学校くらいは言おうか」

 あの面倒くさがりやの梶谷でさえ苦笑いを浮かべながらそう言った。しかし彼女は鋭い目つきとともにため息を一つついて、刺々しくまた自己紹介を始めるのだった。

 「京都祇園東高校、それが私の前にいた高校です。あと、私にはお構いなく。気にかけなくて結構ですので」

 まるで怒っているかのように、彼女は眉間に皴を寄せて話していた。というよりも実際に怒っていたのだと思う。普段は鈍感な睦月であってもそれくらいは分かった。

これにはクラスの人も驚きを隠せないようで、席近くの二人の会話を聞いただけでも「ちょっと難しそうな人」とか「どう接すれば良いんだろう」と口を揃えて言っていた。私もそうだ。できれば距離は置いておこうと早めに思っていた。

 だが、運命というのは私の思い通りにはなってくれない。

 「えーっと、じゃあ北大路さんは……ホームルーム終わったら空いてるそこの席に座って。早坂って奴の隣の席」

それを聞いた瞬間、厄介なことにならなければいいのだがと思っていたが、その悪い予感は残念ながら杞憂ではなかった。すぐに思い知らされることとなる。

 「じゃあ早坂ついでだ、お前北大路さんが慣れるまで付き添ってやってくれ」

 「えっ私⁉」

 「ああ、お前そういうの得意だろう。よ・ろ・し・く・な」

 これほどまでに「よろしくな」の五文字に殺意が沸いたことはないだろう。教師のくせにああいう人任せというか、職務放棄なところが梶谷の悪いところだ。いつか見ていろ、覚えておけ。

 何も言わずに彼女は睦月の隣に座った。不愛想な様子は変わらない。しかしあらためて間近で見ると、私と同級生とは思えないほど垢抜けていて美人だ。目鼻立ちはしっかりして、整っている横顔は京都美人と言われるだけのことはある。少し観察してみることにした。

席に座りある程度準備を済ませると、彼女はスクールバックから分厚い本と普通のノート、それと筆記用具を取り出して、黙々と勉強をし始めていた。こんな生徒、この学校ではまずお目に掛かれないだろうと感心するとともに、やはりどう接してよいのか分からずにただじっと見ている。だが、梶谷も「声掛けてみろ」と目配せをしてきたので、仕方なく睦月の方から話し掛けてみることにした。

 「よろしく北大路さん。私は早坂睦月。睦月って呼んで——」

 笑顔は崩さずに自己紹介をしようとすると、彼女は被せるように言ってきた。

 「私にはお構いなくと言ったでしょう。分からないことは特にありませんので」

 高嶺の花然とした様子に対し、睦月は眉をぴくぴくとさせていた。正直に言うと「なんだこいつ」と思い始めていた。

普通の人なら、ここで彼女との人間関係を築くことは諦めるのだろうが、睦月の場合はその真逆、むしろ仲良くなろうと燃えてしまうタイプだ。こうなっては睦月の方も引くに引けない。この京都美人と仲良くなりたいとより一層思ってしまうのである。

しかしこのままでは埒が明かないので、睦月は『まず雑談から入って仲良くする作戦』に変更することを決めた。

『まず雑談から入って仲良くする作戦』の開始の鐘が鳴った。

「ねぇねぇ、北大路さん好きな食べ物とかある?」

「特には」

「じゃあ嫌いな食べ物は」

「特には」

「うーん、好きなテレビ番組とかは?」

「国営放送以外のテレビはあまり見ないので」

 …………とはいっても話題が特に見つからない。話題を持ち掛けても全て短命に終わってしまう。それに顔と身体はずっと机を向いているため、目線も合うに合わせられない。自己紹介においても趣味に関しては何も話していないので、何を種に始めれば良いのだろうか……。睦月は腕を組んで考え始めた。

そしてふと天井を見上げてから、あることを思い出した。

(そういえば北大路さんは京都出身って言っていたような。よし、そこから話題を広げることにしよう!)

 「ねぇねぇ、北大路さんって京都出身なんだよね。私にもどっかおすすめの観光地教えてくれない?実は私も最近京都行ってさ、今度また行きたいって思ってたんだ」

 睦月としては完璧の入りだった。確実に食いつくだろうと思っていた。胸の内ではようやく心を開いてくれたと期待を膨らませていた。だが、睦月のその楽しそうな笑顔とは裏腹に、彼女は冷酷な雪の女王のような面持ちを浮かべて、書いていた右手をピタリと止めた。

そして彼女はその右手に持っていたシャーペンをノートに押し当てて、顔を真っ赤にしながら睦月を怒鳴ったのだった。

 「観光地観光地観光地って、私そういう京都を貪る連中大嫌いだから‼」

 意味が分からなかった。クラスは一瞬にして静まり返り、皆がこちらをじっと見ていた。睦月はその場にただ固まることしかできなかった。何が起きたんだろうと傍観している気持で、彼女の怒声を直に受けた。だがそんな彼女はつゆ知らず、息を荒げて間髪を入れず怒りを畳みかけた。

 「あと、さっきからこっちをじろじろ見て話さないでくれる?気が散る!」

 ペンを投げ捨てギロリと睨みつける彼女。今なら蛇に見つかったネズミの気持ちが分かる気がする。言いたいことを言ったのか、林檎のように真っ赤になった彼女は教室から出ていった。ますます意味が分からなかった。

 「は、はぁ……」

 その後、睦月はクラスメイトに「大丈夫?」やら「気にすることなんてないよ」と声を掛けられたが、それらの励ましの言葉が頭に入ってくることはなかった。


 ————あれから始業式やオリエンテーションなど、京都からの転校生と話す機会はいくらでもあったが、睦月も含め誰も彼女と話す者はいなかった。ただ徒に時間は過ぎてゆく。そして朝の件は何も無かったかのように、ようやく昼休みが始まった。

睦月はいつも美嶺と食堂で昼飯を済ませるため、チャイムと同時に食堂へと向かった。ちなみに現地集合となっている。

 「はい、醤油ラーメンね」

 「ありがと、おばちゃん!」

 睦月がいつも頼むのは三百円の醤油ラーメン。さっぱりとした懐かしい味を楽しめる私的ナンバーワンラーメンだ。ちなみに食堂の外に置かれた券売機で食券を買ってから中にいるおばちゃんにそれを渡すという仕組みだ。一方の美嶺はいつも通りの自動販売機のメロンパン。お昼、彼女はこれしか食べない。

 「で、その転校生は私が担当することになったわけよ。でもさ、話しかけたら『お構いなく』って言うしさ、話しかけるとどうしてか一方的に怒られるしさ」

 もちろん話題はあの京都からの転校生。美嶺には綺麗だけど不愛想な、まるでバラのような人と伝えた。少し苦手だったとも……それに私の性が邪魔をして、彼女のことが気になって仕方がないということも……。脇道にそれるが、『お構いなく』の声真似はかなり似ていたと自分でも思う。

 「その人、二組の間でも話題になってたよ。すごく美人な転校生が来たって。睦月ちゃんのクラスだったんだ」

 「そ。人と仲良くなるのは得意だと思ってたんだけどなぁ~。心が折れるよ」

 嘆くように話す睦月は、一度ラーメンの汁を啜った。やはりいつ口にしてもこのさっぱりとした汁は鶏ガラのダシが利いていて美味い。もう一度啜ってしまった。

 「それに地元が京都って聞いたからさ、観光地の話とかたくさんして仲良くなろうと思ったのに、『私そういう連中大嫌いだから!』って急に怒鳴られるしさ。もうどうすれば良いのか分かんないよ~」

 「へぇ、『嫌い』って具体的に何のことが嫌いって意味なのかな?」

 「分かんない。地元のこと訊かれたり褒められたりして嫌な人はいないと思ったんだけどなぁ。こんなところが地元じゃ話せるような場所は特に無いけど、京都が地元だったら調子に乗って自慢しちゃうよ」

 「ははは、睦月ちゃんならやりそう」

 「ちょ、美嶺それどういう意味~!」

 久しぶりの食堂飯は最高だった。あっという間に完食してしまいそうだった。

そうして、ちょうど最後のラーメンの麵を啜った頃のことだろうか。睦月の目にはある一人の人物が映った。いや、映ってしまったと言った方が正しいかもしれない。

 「あ」

 気の抜けるような声だった。食べていた麵はそのまま鶏がらの湖へと落ちていった。

 「どうしたの?睦月ちゃん。何か見つけた?」

 「いや、そういうことじゃなくて。あれ」

 睦月は指を指しながら「転校生」答えた。美嶺はそれを聞いて「ああ、あれがぁ」と感心しながら答えた。とても淡白な感じで。

 相変わらず彼女は一人で昼休みを過ごしていた。当然、自己紹介があれでは一人になるのも無理はない。彼女の自業自得とも言えるだろう。だが、睦月にはどうしてもその姿は引っかかった。どこか寂しそうな横顔で、どこか…………

 気が付けば、睦月は席を立っていた。

 「あ、ちょっと睦月ちゃん!」

 

「ねぇ、北大路さん」

 恐る恐る声を掛けると、彼女はまたもや鋭い眼差しで、

 「あんたは、何か用でも?」

と答えた。どうやら認知はしてくれているようで一安心。冷たい態度に変わりはないが、睦月はまた恐る恐るあることを訊いてみることにした。

「えっと、北大路さん食堂の使い方分からないんじゃないかと思って」

睦月が覗き見るように彼女を見ると、彼女は少々顔を赤らめて、後ろに二三歩下がってから言った。

「な、ななななななんでそう思ったわけ?」

 図星だったのか、彼女はかなり狼狽えている様子だった。

「だってここ、券売機は食堂の外にあるのに、北大路さんずっと中をうろちょろしてたんだもん。買う場所分からないんだなって見れば誰でも気が付くよ」

彼女は一度ため息に近い深呼吸をしてから、「し、知ってたわよ」と言葉を吐いて外へ出ていった。知ってはいたが、プライドは遥か上空を見上げなければならないほど高いようだ。

「睦月ちゃん、何話してたの?」

美嶺はメロンパンを片手に持ちながら遅れてやってきた。

「いや、ちょっとね」

 彼女の矜持というか威厳というか、そういうものはなるべく傷つけたくはないので、睦月はお茶を濁して言った。一方で美嶺はその場にしゃがんで何かを拾い上げた。

 「ん?これ何だろう」

 「ちょっと貸して」

 表紙には『Tourism』と達筆な字で書かれているだけで、それ以外、出席番号や名前は書かれていない一冊のノート。一つ捲るとそこにはびっしりと書かれた文字の塊。カラーペンやカラーボールペンなどでカラフルに線が引かれていた。目を凝らして見てみると『ホスピタリティ』やら『PFI方式』やら『FIT』など、読むだけで眠くなるようなアルファベットやカタカナが書かれていた。誰のものかなど到底分かるはずも無かった。

 「何のノートなんだろう、これ。誰か先生のかな?」

 「高校の先生のものにしては少し専門的な気もするけど……」

 パラパラと捲っても、書いているのは難しい言葉の塊ばかり。読む気にもなれなかった。しかしあくびをしながら次のページ、また次のページと開いてみると、半ばとあるページだけ、大きく書かれていた一文があった。

 それは自然と睦月の瞳に飛び込んできた。

 

『私が故郷を変えてやるんだ‼』


堂々と筆で描かれたそれは、眺めているだけで引き込まれてしまうほどに、力強い覚悟が込められていた。まるで私を導く遠い北極星のように、それは私の心に深く突き刺さった。今思えば、この一文は私の運命を変えた奇跡の一文だったのかもしれない。

だが今はそれを知る由もなかった。

「————————」

 「ちょっと!」

 呆然とノートを見開いていた睦月を引き戻す声がした。突如として食堂に響いたその声は、反復して睦月の耳元へと届いた。睦月は驚いて反射的にそのノートを閉じてしまったが、後々思えばどうして隠してしまったのか不思議である。

 「どうしてあんたが私のノート持ってんの‼」

 睦月と美嶺は揃って声がした食堂の出入口を見た。そこにいたのは、まぁ、言わなくてももう分かるだろう。睦月は作り笑顔で話し掛けた。

 「あ、あははは、これ北大路さんのだったんだ。はい、これノート落としてたよ」

 彼女の強い口調にはもう慣れていた。何もなかったかのように、ノートを持っていた右手を前に出す。持っていたそれは瞬く間に奪うように取られたが、こうなることは何となく予想はしていたので、特に驚きはしなかった。

彼女は外の券売機で買ったのか、オムライスの券を左手に握っていた。案外子供っぽいところもあるのかもしれないと思いつつ、その場では黙っていた。

彼女は私たちに背中を振り向けて歩き始めた。なぜか食堂のカウンターとは真逆の出入口の方へと。睦月たちが訝しげに見ていると、彼女は急に凍えるような声色で

 「見たの?」

 と言った。はじめこそその質問の意味が分からなかったが、すぐにあのノートのことだと気が付いた睦月は、特に隠すこともなかったのでそのまま「うん」と頷いた。

途端、彼女は歩くことを止め、握りしめた両手をぷるぷると震わせた。どうしたんだろうか、睦月が声を掛けようとすると、次はトマトのように真っ赤な顔にうっすら涙を浮かべて

「死ね、死ね死ね死ねっ‼」

と今日一番の暴言を吐き捨てられた。

彼女は結局オムライスを頼まずにすたすたと教室へと帰って行った。今まで通り訳が分からない点は変わらないが、今回の叱責が一番理不尽だったと思う。

「え、ええ…………」

雲のように掴みどころのない彼女に、ただただ声にならない声が漏れる睦月であった。


放課後、すべての授業も終わり下校の時間となった。睦月と美嶺はこれといった部活動や委員会には所属していないので、基本毎日そのまま一緒に帰ることにしている。斜陽に照らされた帰り道。コンクリートもオレンジ色に染まっていた。

京都からの転校生とはあれから一言も言葉を交えることはなかった。今日はもう話し掛ける気にもなれなかったし、何より彼女の周りに築かれた空気の壁があまりにも分厚かった。彼女が自ら心への扉を開かない限り仲良くはできないだろう。考えるだけで嫌になる。しかし彼女、北大路都古は少なくとも睦月の脳裏にこびりついて離れなかった。彼女は不思議な点があまりにも多いのだ。

まずどうして地元であるはずの京都の話を頑なに嫌がっていたのか。普通ならあそこまで嫌悪感を抱くことはそうそうない。観光客に親でも殺されたのだろうか。そうでなければ納得できないほど深い恨みがあるように見える。

さらにどうして彼女は人とのコミュニケーションを犠牲にしてまでずっと机に向かって勉強しているのだろうか。そもそも何を独りで勉強しているのだろうか。やはりあのノートに書かれた『Tourism』についてだろうか。さっぱり分からない。

だいたい『Tourism』という言葉は私も初めて耳にするほど、一般高校生には聞き馴染みのない言葉だ。今日英語でやったことだが、「ism」は何かの学問を表すらしい。あれも何かの学問を研究していたノートなのだろうか。

そして最後に、あの一文はなんだったのだろうか……。

これ以上は無駄だと思い、睦月は考えることをやめた。

「ねぇ、睦月ちゃん聞いてる?」

「ん、うん聞いてたよ。イーグルスがファイターズに二連敗した話だっけ?」

「そんな話一言もしてないけど……」

「あれ、そうだっけ?」

とぼけたように返す睦月に対し、その横に並んで歩いていた美嶺は突然睦月の前へと足を運び、そっと悩みを聞くように訊いてきた。

「そんなに京都の転校生が気になるの?」

美嶺は心配した様子だった。『死ね、死ね死ね死ねっ‼』と吐かれた暴言をいまだに睦月が気にしているのだと思っているのだろう。だが、睦月の心情は少し違った。

「ん~まぁそれもあるけど、それよりノートの言葉が引っ掛かってさ」

「ノートの言葉って『私が故郷を変えてやるんだ‼』って書いてた言葉のこと?」

「うん……。あの時何かこう……わぁってなるスゴいこと考えたんだけど、どうにも思い出せなくて。何だったんだろう……」

睦月が思い悩むその時、春花嵐のごとく、吹き乱れ舞い落ちる桜の花。ちょうど睦月の足元には、一片の花びらがひらひらと零れ落ちていた。睦月はその花びらを水を掬うように優しく拾い上げ、そっと黙り込んだ。

「————————」

 突然だった。睦月は自転車を捨て、何も言わずに走り始めた。まるで何かに取り憑かれたかのように。一方の美嶺は「ちょっと、睦月ちゃんどこ行くの⁉」と呼び止めようとしたが、その声は当の本人の耳には入らず、ただ睦月の自転車を直してから追って行くしかなかった。

「はぁはぁはぁはぁ」

車一台分が通れるほどの急な上り坂を登り、背の高い杉林の道へと入ってゆく。

「はぁはぁ。ねぇ睦月ちゃん、どこまで行くの?」

「着いてからのお楽しみ~」

さらに階段を駆け上がり、スロープのような緩やかな小道を登ってゆく。美嶺はすでに疲れ切っているように見えたが、それでも睦月の足は止まろうとしなかった。


 「やっと着いたぁ~!」

「はぁはぁはぁはぁ……もう無理だよ~!」

 両膝に手を添えて息を切らす美嶺に対し、体力だけは無駄にある睦月は両腕を腰に当て、疲れる様子もまったく見せずそこに立っていた。

「初めて来たけど、ここって思ったよりも高かったんだね」

独り言に近い形で話す睦月に対し、美嶺は嫌気がさしているように見えた。半ば呆れたような声で話し始める。

「はぁはぁ、睦月ちゃんが急に走ったから疲れたよ。それに自転車置いていくし」

「あははは、ごめんごめん」

頬を膨らませる美嶺。怒っていても怖さは無かった。

「もう……それにしてもここって?」

そう美嶺が聞くと、睦月はまるでエンターテイナーのように、美嶺の背後に手を咲かせながら言い放った。


「松森城だよ」


落ちていたあの花びらは、ここが故郷の旅人か。

付近では最も高いこの松森城本丸には、淡いピンク色の桜が見事なまでに咲き乱れる。人は睦月と美嶺だけ。

あまりにも贅沢な二人占めだった。


「わぁ、きれい。こんな場所があったなんて知らなかった」


満開に咲き誇る桜と、高台から見下ろす泉市ののどかな街並み。

東にはうっすらと太平洋が夕日に照らされ赤々と光輝いていた。

対して遠い西の方には聳え立つ仙台のビル群と住宅街が、

まるで金色の草原のように広がっていた。

睦月は備え付けられた小さな柵から身を乗り出してその景色を眺め、美嶺は後ろから静かにその景色を覗いていた。

感慨に耽りながら数十秒間、睦月は黙り込むと、美嶺に静かに語りかけるように話し始めた。美嶺はただじっとして聞いているのだろう。

「あのノートの言葉を見た時さ、私気が付いたんだよ。もしかしたら見る気がないだけで、私たちのすぐ近くにも何か誇りにできるようなスゴいものがあるんじゃないかって」

真っ直ぐと、遠い夕空だけを見つめる睦月を、美嶺はどう見ていたのだろうか。温かな視線を送って微笑んでくれているだろうか。おっとりとした目つきで見守ってくれているだろうか。睦月からその顔は見えなかったが、なぜか、そうしてくれているだろうという確信があった。

「だからさ、私決めたんだ。この特段変わったものもない大好きな故郷を、日本で一番の観光地に変えてやるんだって」

「に、日本で一番の……?」

驚く美嶺を差し置いて、睦月はさらに力を込めて話していた。

「うん、そうだよ!私たちがこの故郷を盛り上げる観光部を創るんだよ‼ あの北大路さんも入れて!」

「北大路さんも⁉」

「そう、きっと北大路さんも私たちと同じ気持ちだから!」

「えっ、えぇ…………」

慌てふためく美嶺を背に、睦月は最後に今日一番の高らかな宣言をこの故郷泉市に向けて、いや、この故郷宮城県に向けて大きく叫ぶのだった。

「絶対にそうしてやるって決めたんだ。清水の舞台から飛び降りる覚悟を持って!いや、松森の舞台から飛び降りる覚悟でッ‼」



 

この時、睦月は決めたのだ。

観光部を必ず設立するのだと。

この時、睦月は決めたのだ。

故郷の魅力を世界に知らしめるのだと。

この時、睦月は決めたのだ。

必ずこの故郷を変えてやるのだと。


 

凄まじい風がビューっと音を鳴らしながら、私の背中をそっと押した。






【教えて!キジえもん!! 第一回】

「やぁみんな、おばんですぅ~!教えてキジえもんのコーナーだよ。総支配人を務めるのはこの僕、泉市非公式キャラクターのキジえもんだよ~よろしくねぇ!」

「ということでこのコーナーでは作中では語りつくせない僕たちの故郷の魅力を紹介していくよ。まず第一回はコォチラ!!」

『泉市ってどんなところ~!!(パフパフ!)』

「泉市ってのは人口二十万人程度の中堅都市(宮城県の中では)で、仙台市のちょうど北に位置するんだ。主な産業は農業、それと仙台市のベッドタウンとして宅地開発が頻繁に行われているよ(今はあまり行われていないけど……)。市の木は松、市の花はスイセンそして市の鳥はなんとこの僕キジなんだ。まぁ平凡すぎてつまらない都市だね」

「おっとっと、つい悪口が出ちゃった。これじゃ泉市の役人からまた怒られちまう『これだから非公式キャラは……』ってさ。これ以上話しちゃうとキジえもんの毒舌が止まらないからってことで今回はこのくらいで。ほんでまずさようなら!」


週一投稿予定

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ