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9時間に及んだ手術を終え、やっと会えた莉乃は目を閉じたまま。心配で取り乱す俺たち家族に「一晩かけて、ゆっくりと麻酔が覚めていきます。明日には起きている莉乃さんと話せますよ」と緑色の術衣に身を包んだ医師は言った。
病院の付き添い者用の小部屋で一晩を過ごした俺たちは、身なりを整えもせずに集中治療室へと駆け付けた。だけど、目覚めると言っていた莉乃は眠ったままだ。
「どういうことですか? 今日には目覚めると言っていましたよね? 莉乃と話ができると」
医師に詰め寄る父を止めなければいけないのは分かっていても、父の気持ちが分かりすぎて言葉が出てこない。莉乃の母は、父と俺を交互に見てオロオロとしている。
「今朝、術後の検査をしましたが異常はありませんでした。もうしばらく経過を見ましょう」
しかし、来る日も来る日も莉乃は目覚めなかった。近くのホテルでの泊まり込みも難しくなった。両親は仕事をいつまでも休めなかったし、俺も大学の単位が危なくなっていた。
日中の見舞いはできないでも、仕事や学校が終わるとすぐに病院に行く。スマホはいつでも繋がるようにしておいた。
10日が過ぎた頃、莉乃は集中治療室を出ることになった。俺たちがいつでも見舞えるように個室にしてもらった。治療上はなんの問題もなく、目を覚まさないことを除けば、どんな検査をしてみても異常は見当たらないと言う。
……その目を覚まさないってことが重要なんだろうが!!
医師に対しての怒りと自責の念が代わる代わる俺を襲う。
「蓮は何も責任を感じることはないのよ」
「でも、俺が入院前に莉乃を……」
「あれは莉乃が望んで、蓮はそれに付き合わされただけよ。……責任を感じなきゃいけないのは、丈夫に産んであげられなかった私よ」
「それは違うよ、病気は誰のせいでもないのだから」
俺が鬱々としていると、母が自分を責め、それを父が慰める。
……だめだ。こんな暗いの莉乃は嫌いなはずだ。
絶望に近い感情のまま、視線を彷徨わせる。
「ここ、病院の個室って感じだよね」
「え? えぇ、病院だから……」
何を言っているのか分からないという表情で涙を流したままの母が顔を上げた。
「莉乃淋しいんじゃないかと思ってさ。ほら、俺ら休みでもないとこうやってみんなで来てやれないだろう?」
「えぇ」
考え込むように目を伏せていた父がひらめいたように、ポンと手を打った。
「写真を飾ってあげればいいんじゃないか? 目が覚めたとき、ちょうど誰もいないなんて淋しいだろう?」
「そうね」
「そう言えば、莉乃、入院前の旅行で写真撮ってたな」
機種が違うと分からないという両親の代わりに俺が、莉乃のスマホの写メを現像しにいくことになった。とりあえず、大学に行くのに莉乃のスマホも持って行く。
「莉乃のスマホのパスコードか……。俺に分かるかな」
なんてことはない。まさかの莉乃の誕生日だった。この危機管理能力のなさには、起きたらガツンと言ってやりたい。
スマホの写真アルバムを開くと、いくつもの写真が出て来た。その写真たちには、それぞれ文字が入力されている。
母の写真には「私のお母さん。優しいけど怖い((+_+))」
父の写真には「私のもう一人のお父さん。血が繋がってないなんて気付かなかったよ('◇')ゞ」
「私のもう一人のお父さん。血が繋がってないなんて気付かなかったよ('◇')ゞ」
ドクドクと心臓が脈を打つ。顔が青ざめていくのが分かる。
……気付いていた。莉乃は、親父と血の繋がりがないことに気付いてたんだ。
焦りと恐怖で鳴りやまない動悸を感じながら、画面をスワイプする。祖父母と一緒にとった写メに「お母さんの両親。ずっと知りたかったことを教えてくれた。感謝☆」と。
ゴクリと喉が鳴った。
そこにはどこかの住所と○×霊園『加藤家』と書かれていた。
あのとき、莉乃を見失ったあの時、莉乃は父親の墓参りに行っていたんだ。
こんなときに、本当の父親の死を知ってしまうとは、どんなに辛かっただろう。
だけど、その住所の写メには「また来るね、お父さん♪」と書かれていた。
ふぅーと力が抜けていく。莉乃の強さに、先回りして目隠ししようとしていた俺たちが馬鹿みたいで。
気が抜けて、なぜか、莉乃は絶対に目覚めると確信した。
だって、こんな莉乃だから。どんな辛いことも水たまりを飛び越えるように軽々と乗り越えていく莉乃だから。
絶対に大丈夫。
「それにしても、こんなコメント付きの写真、目が覚めたときに病室に貼ってあったらあいつ絶対に怒るな」
コメント前のオリジナルの写真を探そうとスワイプを続けると、俺と莉乃の写真があった。
「忘れちゃダメだよ。大好きなんだから」
時が止まったように体が固まる。
……莉乃が俺を? いや、まさか、ありえない。俺たちは兄妹なんだから。
ふっと気持ちを切り替えるように画面をスワイプさせると、俺の後ろ姿の写真。
「最近、お兄ちゃんといると恥ずかしいの。なんでかなぁ」
……。
いやいやいやいやいやいやいや、あり得ない。
頭を横に振り、一瞬蘇った自分の気持ちに蓋をする。
「お兄ちゃんのお下がり、もらっちゃった。これって彼シャツ? (〃▽〃)ポッ」
……。
いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、俺のシャツ着た莉乃はかわいいけれども!
「寝てるお兄ちゃん、かわゆす! 莉乃の夢みればいいのに( ..)φ」
……。
いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、俺の寝顔撮るとか、どんだけ!!
「はぁー」
鏡なんか見ずとも赤くなっているのが分かる。その赤みを取り払おうと、とりあえず多めに息を吐いた。
「なんだよ、俺の事ストーカーって言っておきながら、自分じゃん」
莉乃を好きになったのは俺の方が先だ。これは絶対。
5歳の時に急にできたかわいいかわいい妹。莉乃は覚えていないと思うけど、出会って最初のころは俺に人見知りして、母の後ろに隠れてもじもじしていた。
そのうち働くようになった莉乃の母に変わり面倒を見ているうちに慣れてくれて、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」って俺の後ろを付いて回るようになった。
小学生になり、友達と遊ぶのに邪魔になった妹は正直ウザかった。
それが、いつからか、目が離せなくなって。過保護になってしまったと思う。だから莉乃の反抗期は丁度良かった。おかげで俺は目が覚めた。
だって、妹を可愛がりたいという気持ちが、独占欲に塗れて来ていたことに気付いていたから。
いくら血が繋がっていないとはいえ妹だぞ。
そう自分に言い聞かせて、俺は莉乃の良き兄であろうとした。
まぁ、急にツンツンしだしたから良き兄として振る舞う機会には恵まれなかったけど。
……まさか写メの中でデレていたとは……。
「部屋着にするからお兄ちゃんのこのシャツもらうね。大きくてラクチンだから」
ほとんど会話もなかったころに莉乃が唯一話かけてくれた言葉だったから、言葉通りに受け取っていたけど。彼シャツとは。 彼シャツとは……!
***
ぼんやりと靄がかかった視界に祖父母と撮った写真が入った。視線を泳がせると、父の写真、母の写真、兄の写真。
……そうだ、私、手術して……。
……。
……。
……うん……? この写真たち、私が撮った私のスマホに入ってる写メだよね……?
……!! 誰? 私のスマホ勝手に見たの!
うぅー。そんなの決まってるお兄ちゃんだよ。お兄ちゃん以外に人のスマホのロック解除して、写真現像してくるような人、我が家にはいないよー。ううっぅ。
どうしよう……。恥ずかしいよ……。これ見られてるってことは……。うぅぅぅ。
誰に見られているわけでもないけど、恥ずかしすぎる。顔を手で隠したいけど力が入らない。声にならない声を上げて心だけのたうち回っていると、扉の向こうに足音が聞こえて、思わず寝たふりをした。
「莉乃? まだ起きてないのか? どんだけん寝てんだお前は。もう三年分は寝てるんじゃないか?」
え? 三年分? 手術したの昨日じゃないの?
頬にひたりと大きな掌を感じる。その温もりと低い声の持ち主はとっくに分かっている。
「莉乃……、早く起きろよ。親父も母さんも待ってるんだぞ」
その切なそうな、やり切れなさそうな、淋しそうな声に、とりあえず目を開けてあげることにした。
瞳に飛び込んできたのは、切なそうな瞳で私を見つめるお兄ちゃん。目が合ったことに嬉しそうに目を細めて、優しい手で頬を撫でる。
「……莉乃」
「……どなたですか?」
ギョッと目を見開く兄の表情に取り返しがつかないことをしてしまったような気分になる。
そりゃそうだ。手術後、健忘症が出るかもしれないと言われていた私は、冗談でもこんなこと言っちゃいけない。
……でも、恥ずかしいんだもん。あれもこれも全部見られちゃったんでしょ?
「莉乃。俺が分からないのか?」
「は……い……」
心配そうに私を見つめる兄の目が後ろめたくて、つい視線を逸らせてしまう。
「……莉乃? 本当に俺のことが分からない?」
「わ、わ、わ、分からないもん!」
視界の隅で捕らえた兄が不敵に笑った気がして、ぞくりと鳥肌が立った。
……大丈夫。お兄ちゃんに嘘がバレたことなんてないんだから。
「そうか、残念だよ。これ見たら思い出すかな? 莉乃はそうなったときのために日記を残してたんだ」
やっぱ見られてるじゃん!
頑なに兄とは反対方向に頭を向けて、意識朦朧の体をとってみる。
「莉乃? 大丈夫か? ナースコール押すか?」
焦った口調でナースコールに手を伸ばす兄より先に、ナースコールを奪おうと手を伸ばすけど、力が入らない。
「大丈夫です」
「……本当に大丈夫か?」
私の目の前に来た兄がやっぱり心配そうな顔で私を覗き込む。その視線から逃れるように目を伏せた。
「大丈夫だもん」
「……そうか。まだ目覚めたばっかりでしんどいかもしれないから、俺が莉乃の日記を読んであげる。大丈夫。きっと思い出せる」
何それー。拷問なんだけどー。恥ずか死ぬー。
「やめて……ください……」
「ん? なんて……?」
絶対に聞こえてるくせにー!
うぅぅと目を閉じて唸ってみる。今の私にできる反抗はこんなもんだ。だって、体に力が入らない。
「莉乃。俺は誰だ……?」
得意気な兄の瞳に、もう観念するしかない。逃げられないのだから。
「私のお兄ちゃんですー。ごめんなさいーーーー」
「本当だよ。趣味の悪い冗談はやめろよな」
不機嫌そうにドカッと椅子に座った兄は、自分のスマホを触り、父と母に私の目覚めの報告をしている。それは本当に嬉しそうに。私の目覚めを今か今かと待っていてくれたのが分かる。
だけどさ。趣味が悪いのは自分の方だよね? 私のポエムじみたコメント入りの写真……ではないけど、それを見たのが一目で分かる写真をこんなに貼ってくれちゃて。
どうせ、お兄ちゃんのことだから、「莉乃はお兄ちゃん子だなぁ」くらいにしか思ってないんだろうけどさ。
ふんだ!
笑顔で私の様子を母に伝える兄を私はジトっとした目で睨む。
その視線に気付いた兄は電話を切り、嬉しそうに喋っていた笑顔のままで言った。
「莉乃、結婚しよ」
「……はぁ?」
これは夢かもしれない。私はまだ目覚めてなくて。行き場のない私の気持ちがみせた願望。
「莉乃の気持ちは受け取った。結婚……するよな?」
そう言って、私のスマホを私の前にズイっと出す。目に映るのは私と兄のツーショット。
そして「忘れちゃダメだよ。大好きなんだから」の紛れもない私が打ち込んだ言葉。
「……いじわる。そんなお兄ちゃん知らない」
「そうか? で? 結婚……するよな?」
ぷぅっと頬を膨らませて反抗しているのに、知らないお兄ちゃんは止まらない。
「……するよ」
「なんて?」
「もう! 絶対聴こえてるくせに!」
「違う。どうしてそうしたいかを聞いてるんだ」
「……お兄ちゃんだって言ってないじゃん」
むぅっと頬を膨らませたまま湿った視線を投げると、ハッとしたように目を丸くした。
……気付いてなかったらしい。
「莉乃が好きだから結婚したいです」
こともなげにそう言った兄にふにゃっと頬が緩んだ。
「……お兄ちゃんが好きだから結婚したいです」
爽やかな笑顔を見せた兄の顔が近付いてきて、そっと私の唇に触れた。
そして、その幸せなひと時のあと、気持ちを切り替えたように話す兄の話を聞いた。私の気持ちさえクリアすれば、結婚をしてもいいと両親の許可をもぎ取っていたらしい。
……私いったいどれだけの時間、寝てたんだ?
首を傾げる私に兄は言葉を重ねる。
「だけど、ちょっと失敗したとも思うんだ」
「……何が?」
……私との結婚が失敗とは聞き捨てならない。
「だって、莉乃との結婚は莉乃が社会人になってからで、それまでは清い交際をって言うんだ。どんなに少なく見積もっても3年はあるよな?」
「……何を……言ってるの……?」
絶句しそうになった喉からなんとか言葉を絞り出す。
……え? お兄ちゃんだよね? 私が好きな……。
信じられないものを見るような目でマジマジと兄を見ていると、悪ガキみたいな笑顔を貼りつけた。
「ま、それはどうにでもなるか」
「それ……って何……?」
質問には答えず、悪巧みをしているような笑顔のまま。私はその不敵な笑顔に捕まる。
草食系だと思っていた兄は、どうやら肉食系だったらしい。
そう言えば、両想いになったとたん、すぐに私の唇は奪われた。
……まぁ、いいんだけど……ね。




