第六話 初めてのプレゼント
ギーヴレイとシーナが連れ立って歩くのは、実はその日が初めてだった。
村人たちは、余所者がシーナのところに住み着いていることは知っていたが、もともとシーナは村人たちとほとんど交流がなく…というか村人たちがシーナを厄介者扱いして近寄らず、ギーヴレイはそれに輪をかけて村人たちと交流しようとしていなかったため、オキト村の人々にとってシーナは厄介者かつ変わり者のままで、ギーヴレイは得体の知れない怪しい余所者のままだった。
村を出る手前のところで、村長である老人と行き会った。村の責任者である彼もまたシーナを疎んじていて…否、責任者である彼が率先して疎んじているからこそ、シーナは村で孤立を深めていた。
したがって、相手がこちらを嫌悪するのと同程度以上に、ギーヴレイも向こうを嫌悪する。敵意を向けてくる相手に気を使うつもりなどなかった。
そこで村長を完全に無視して村を出ようとしたのだが、その前に村長の方から声を掛けてきた。無論、仲直りの申し出などではない。
「……お主、いつまでこの村におるつもりだ?」
言外に、さっさと出て行ってくれと伝えてくる。村には何一つ迷惑も負担もかけていないに拘わらず、ただ余所者であるというだけで排除しようとするのが閉ざされた辺境の特徴だ。
「期限は設けていない。シーナが一人でも生きていけるようになるまでは共にいるつもりだ」
「一人で…だと?それではこれから何年もここに居座るということか」
村長はギーヴレイの返答に憤った。ギーヴレイからしてみれば、責められる筋合いはないのだが…
「そこまで長く待つわけにはいかん。さっさと出て行ってはもらえんか」
「それは何故だ?私もシーナも、現在は一切村に負担を与えてはいないはずだ。それどころか、決められた税は収めているのだから、貴様らが我らを拒む合理的理由など何処にある?」
すっかり回復したギーヴレイの姿は、辺境の貧相な老人に言いようのない威圧を与える。魔界で、魔王の傍らで、ともすれば破壊衝動に突き動かされて暴走してしまいがちな魔族たちを纏め上げていた彼の風格は伊達ではない。
「し…しかし……しかしそうは言っても、お主が来るまではシーナの面倒は我らで見ておったのだぞ?」
「面倒?最低限にも満たないような食糧を与えるだけが、貴様らの言う「面倒」か」
「さ、最低限でも、儂らも余裕がない中でのことだ!その分の負担はどうしてくれる!?」
何という浅ましい考えだろう。村に所属する幼子一人を養うことを嫌い、自分たちが「余所者」と呼ぶギーヴレイにその負担を訴えるという所業。
だが彼は、シーナの保護者は村人たちではなく自分だと自覚しているので、敢えてそれを追及しようとはしなかった。
その代わり。
「…負担と言ったな。具体的にはどれほどの金額だ?」
「……む?き、金額……か」
途端に口ごもる村長。考え無しの発言であることは確かなようだ。
どのみち、シーナに与えられていた物資の貧しさからすれば、その金額も大したものではなさそうだが。
「分からないのであれば、こちらで算出するぞ。貴様らは、シーナの「面倒」をいつから見ていたのだ?」
もしかしたら計算が出来ないのかもしれないと思ったギーヴレイはそう尋ねたのだが、村長はその質問にも何故か口ごもってしまった。
「いつから……とな?むむ……そう言えば、いつから…だったか………」
耄碌するにはやや早すぎる年齢ではあるが、首を捻っても一向に思い出せない様子の村長だ。そこまで考え込むほどのことだろうかとギーヴレイは訝ったが、いつまでも嫌な相手に付き合うつもりもない。
「…まぁいい。シーナの年齢からすると、仮に彼女が生まれた当初からそうだったとしても、せいぜい十年になるかならないか、だろう。そして彼女に与えられていた物資量を類推するに、年50万イェルクといったところか」
この地域の物価であれば、五十万というのは親子三人家族が左団扇で暮らしていける額だ。シーナ一人には過分な額だったが、後々でとやかく言われたくないギーヴレイは多少の色を付けることにする。
「年間50万イェルクを十年分、500万イェルクを貴様らに支払えばいいのだな?」
「ご…っ500万、イェルク……!」
村からすれば、それはかなりの大金だ。息を呑んだ村長だったが、すぐに欲深さが頭を表して首肯した。
「ま…まぁ、妥当な額だの。しかし、お主にそれが払えるのか?」
「出来ぬ約束をすることはない。貴様らが心配することではないがな」
そう言い捨てると、それ以上の会話はするつもりがないとばかりにシーナを促して歩き出すギーヴレイ。
残された村長は、余所者を排除したい気持ちと大金との間で揺れ動いているのか、しばらくその場に立ち竦んでいた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
オキト村から山一つ越えたところにある、ハーヴェイ市。この辺りの中核都市で、そこまでの大都会というわけではないが、大体の必要物資であれば此処で手に入る。
ギーヴレイがハーヴェイ市に到着した時点で、既に彼はシーナを抱きかかえていた。
…のだが、彼の予想どおりシーナがばててしまったわけではない。
幼子にしては彼女の体力は驚異的で、道中もずっと元気溌剌だった。
ただし、歩幅のせいで歩くペースが遅い。さらに、道中で気になるものがあるとすぐに立ち止まってしまうので、全然先へ進めない。
このままでは街に着く前に日が暮れてしまうので、仕方なくギーヴレイはシーナを抱き上げて移動することにしたのだ。
「うわー、うーわー、いっぱい、人いるね!何か、いっぱいあるね!」
「あまりウロチョロするな」
初めて見る都会に興味津々で大興奮のシーナは、周囲をキョロキョロと見回して、地面に下ろされた瞬間に駆け出そうとするものだから、すぐさまギーヴレイに固く手を握られてしまった。
それでも、彼女の観光も兼ねて出来るだけゆっくり歩いてやる気遣いくらいは見せるギーヴレイである。
道の両側には、様々な露店が並んでいた。野菜を売る店、肉を売る店、雑貨の店、武具の店、占いの店まで。シーナは目移りするようで、急に左右に走り出そうとしてはギーヴレイに手を引っ張られる。
…と、そんな落ち着きのないシーナが、不意に立ち止まった。
「……シーナ、どうした?」
「………………うん」
一つの店の前で、売り棚に陳列された商品をじーっと見詰めている。
それは、雑貨や小物を扱う店だった。
何か気に入った品でもあったのかとシーナの背中越しに覗き込んだギーヴレイは、それを見た瞬間に顔を引きつらせ、しかし地上界でそれはマズいと思い直して平静を取り繕うものの、内心では苦々しさが充満している。
それ…円環の中に鳥のモチーフが配置された、大きめのペンダントヘッド状のアクセサリ。地上界ではある意味最もよく見られるデザインで、聖円環と呼ばれるそれは創世神エルリアーシェを崇拝するルーディア聖教会の祈りと信仰の象徴である。
当然、創世神と対極にある魔王を崇敬するギーヴレイとしては、忌々しい敵の象徴であり、それに対して良い印象を持っているはずがない。
面白くないものを見てしまって不愉快な彼はシーナの手を引いて店の前から立ち去ろうとするが、シーナの眼がそれに釘付けなものだから、そこを動けない。
商品に夢中になっているシーナに、店主も気付いた。
「おやお嬢ちゃん、なかなかお目が高いじゃないか」
店主はそれを手に取って、陽にかざしてシーナに見せる。
「ほら、ここに綺麗な石が付いてるだろ?これ、見る角度で…ほら」
「あ、色が、変わった!」
その聖円環の鳥モチーフの翼の先には、小指の爪よりも小さいくらいの石が付いていて、確かに店主の言うとおり、角度を変えると七色に煌めいた。
「すごい!すごい、キレイ!!」
シーナは大はしゃぎだ。
実際、品自体は大したものではない。石が色を変えるのもカットの仕組みなのか石そのものの性質なのかは分からないが、魔晶石のように強い力を内包しているわけでもないから普通の貴石、しかもこの手の露店に置いてある程度のものだろう。聖円環の素材もおそらく真鍮に銀色のメッキを施しただけ。
だがシーナがそれに心奪われていることは確かで、どうせ買い与えるならルーディア聖教と何の関係もない玩具だとか装飾品の方がギーヴレイにとっては好ましいのだが、しかし自分の気持ちを押し付けるのも可哀想な気がする。
何よりシーナは、ギーヴレイが許可しなければそれを諦めるだろう。最近はおねだり上手になってきたとは言え、どこかで遠慮の線を引いているフシがある。
だからこそ余計に、そんなものはやめておいて他のものにしたらどうだ、とは言いにくいギーヴレイだった。
「お嬢ちゃん、気に入ったみたいだねぇ。どう、お父さん、一つ買ってあげたら?長く使うものだから、気に入ったものが一番だよ」
「父ではない……が、いただこう。いくらだ?」
つい反射的に、店主の売り口上につられて答えてしまった。もう取り下げられない。
「本当は3000イェルクだけど…お嬢ちゃん可愛いから特別に2500にまけてあげよう」
値切られる前にまけるということは、まけた後の値でも十分に利益が出るということだ。無駄な贅沢は好まないギーヴレイではあるが、自分のことではなくシーナのことである上に大した金額でもないので、言われたとおりの金を店主に渡した。
「いいの?おにいちゃん、いいの?」
「いいから購入したのだろう。落とすなよ」
「うわーい!ありがとう、ありがとうおにいちゃん!!」
聖円環を付属の紐でシーナの首にかけてやると、シーナの表情がさらに輝きを増した。
思えばこれが、シーナにとって生活必需品以外で初めて手に入れた、自分の財産。なればこそ喜びもひとしおなのだろうと、ぴょんぴょん飛び跳ねる少女を見てギーヴレイはそう解釈した。