蛇行する人生を歩む女
サイレンを鳴らした救急車が矢継ぎ早にすれ違う。
最初の方こそ、何となくその台数を数えていた友梨香だったが、それが十五台を越えた辺りから、もうどうでも良くなっていた。
「おい、ちゃんと前を見て運転しろー!」
「ハッ、わわっ!」
遠ざかる救急車をサイドミラーで見ていた友梨香は、その声に慌ててハンドルを切る。
大きくふらつく赤い軽ワゴン車。
後続の車にクラクションを鳴らされ、さらに慌てた友梨香はアクセルを戻してしまう。
国道十七号下り線は、クラクションの大合唱が始まった。
緊急事態は事件現場ばかりで起きているとは限らないのだ。
「ううっ、……ごめんね幸村君」
米澤友梨香はこの春に運転免許を取ったばかりの、とんでもなく初心者ドライバーだった。
「俺に顔を向けなくていーから! 前を向け前をー!」
「うん、わかった。でも、先生うれしいんだ……幸村君だけなんだもん、私の隣に座ってくれるのは……うふっ」
「ああ、そうだろうなー! 良く分かるぜぇー! あー、ここ左折専用車線だぜぇー!」
「あわわっ、どうしよう……」
友梨香はチラッとサイドミラーを見てから、ぐいっとハンドルを右に切る。
ミラーの死角にいた後続車のブレーキ音とクラクションが同時に鳴った。
「あーんもう! 初心者マークを付けているんだから、ちょっとは優しくしなさいよー! もうー! いやー!」
友梨香は周りから同時に責められると、破れかぶれになってしまうことがある。怒りのリミッターは意外と低いのである。
助手席の幸村は、やれやれという表情を浮かべて腕を組み、静かに目を閉じた。
頭のリミッターが外れた友梨香には、何を言っても無駄だということが、彼には分かっているからだ。
「……あっ、もっと急がないと、午後の授業が始まっちゃうよね! 私、運転頑張るよ!」
「いやもう諦めろ! 事故ったら行き先が学校でなく病院に変わっちまうぞ?」
「ううっ……それは嫌だよぉー。あ、私は五時間目は空き時間だったぁー、ラッキー! えっと……幸村君は……げげ、加藤先生の英語じゃないの! 英語は頑張るって幸村君言っていたもんね?」
「あー、それはもういいよ。今日は俺サボる。明日から頑張るぜ! 今日は単語テストの日だけどさ、どうせ勉強してねーから点数取れねーし!」
「――――はっ?」
友梨香は、まん丸お目々を見開いて、助手席で腕を組みふんぞり返っている教え子を見た。
「バ、バカヤロー! 前を見ろ前をー!」
「あわわっ」
車は対向車線に大きくはみ出し、再び起こるクラクションの大合唱。
だが、友梨香はアクセルを踏み込んでいく。
660ccのターボエンジンがうなる。
「な、な、なぜ加速するー? テメェー、死にてぇーのかぁぁぁー!」
「私、幸村君のお母さんと約束したんだもん! あなたを卒業までちゃんと面倒を見ますって! 単語テストで点数取らないと英語の赤点は確実なんだからー!」
「うおぉぉぉー、そのまえに俺は人生から卒業しそうだぁぁぁー……」
教え子が騒がしい。
頭を茶髪に染めて、耳にはピアス。
教師を教師としてみない横柄な態度。
汚い言葉遣い。
そんな彼が、少しスピードを上げたら悲鳴を上げる。
これって――
ギャップ萌え?――
私は今、幸村君に萌えているの?――
いや、そんなことは有り得ない。と、友梨香は首を振る。
『ゲロゲーロ』
蛙が鳴いた。
魔法が効いていないときの『ゲロちゃん』は、ぶよぶよした体の蛙なのだ。
後部座席が土や粘液で汚されていくことが心配で、友梨香はバックミラー越しに蛙を何度もチラ見した。
ああ……
ようやく憧れの高校教師になれたというのに……
人生というものは、どうして思い通りに進まないのだろう。
あの日、廃墟の中で――
彼に出会ってしまったことが、全ての始まりだった。
友梨香は三週間前の出来事を回想する。
梅雨入り間近のその日は、雲一つない青空が広がっていた――
――――
――