人生最大の危機
紫色の生地に白いフリルが特徴的な、魔法少女のコスチュームを身に纏った救世主の登場に、地上の人々の目は釘付けになっていた。
ユリカは屋上の手すりに両足をそろえてちょこんと飛び乗り、両腕を大きく広げる。
大きく息を吸い込み、
「私たちの街を荒らす悪い怪獣はぁー、ユリカの愛の力でお仕置きよっ!」
指でハートマークを作り、たわわに実る胸に押し当てる。
ぷるんと揺れるエナメル黒ビキニ。
指のハートマークから、白とピンクのストライプ模様のかたまりが空中に浮かび上がり、それがステッキの形に伸びていく。
「きゃー、ユリカさまぁー!」
「ユリカさまぁー!」
向かい側のオフィスビルから黄色い歓声が飛んできた。
その声に反応した触手が、彼女達に向かって動き出す。
「待ちなさい怪獣! あんたが戦う相手は、ユリカただ一人よ!」
ピタリと触手の動きが止まる。
ユリカの言葉には、怪獣の意識を向けさせる力が込められているのである。
地上から歓声が沸き上がる。
ユリカはステッキを手にとり、派手なアクションポーズでその歓声に応える。
だが、間近で見るとその口元は引きつっていた。
『ユリカー、もっと笑顔を振りまくゲロよ! そんな中途半端な笑顔じゃ、真の魔法少女とは言えないゲロよ! ゲロゲーロ!』
ステッキの根元が蛙の口の形に膨らんで、ゲロゲロとしゃべり出す。
「そんなこと言っても恥ずかしいものは恥ずかしいのよー! たしかにこれ、見た目は魔法少女かもしれないけれど……私たち、やってることはまるで真逆じゃないかな?」
つくり笑顔を眼下の観衆へ向けつつ、ユリカはステッキに反論した。
『ゲロゲロ。人間どもの恐怖心が怪獣のエネルギーの元になっていることはキミも知っているゲロ? だからキミの笑顔で人間どもから恐怖心を取り除いてやるゲロ! そうすれば怪獣をこれ以上巨大化させずにすむゲロー!』
「分かってるよ? それは分かってるんだけどぉー! やっぱり私、こんな大勢の前で戦えないよ……またSNSに写真をアップさせられちゃったら、今度こそお終いだからぁー! 身バレしちゃうからぁー! ううっ」
『泣くなユリカーッ、無理にでも笑うゲロー!!』
ステッキから二本の腕がにゅっと伸びて、ユリカの口を強引に横に広げる。
涙目になったユリカは、あうあうと言葉にならない声を出しながら、給水タンクの裏へと身を隠した。
ステッキはユリカの背中から耳元へにゅっと回り込み――
『大丈夫だよユリカ。今のキミはどこからどう見ても、ナイスなボディーの魔法少女だよ? だから冴えない元の姿のキミの正体なんて誰にもバレやしないさ。キミは今、憧れの魔法少女になったんだゲロ!』
「なんかイケメンっぽい言い方しているけど、言ってる内容は酷すぎるしっ! それに私が魔法少女になりたかったのは小っちゃい頃の話しだからね? もう私、少女って歳じゃないし! ねえ聞いてゲロちゃん、私の今の夢はね――」
『いいかいユリカ、キミはすでに二体の怪獣をやっつけて地球を守ったんだ。もっと自信をもっていいんだ! そして残りの五体をやっつければ、キミたち地球人の勝利だ! さあ、目の前の怪獣をやっつけるゲロよ! 行くゲロー! 魔法少女ユリカーッ!』
夢の話題は無視されてしまった。
だがステッキに励まされたことで、少し気を持ち直したユリカは顔を上げた。
梅雨の晴れ間に輝く六月の太陽。
その近くにぼんやりと見える白い雲のような光――
「私が……地球を……」
『そうだ! キミが地球を守るゲロ! 行くゲロー、魔法少女ユリカーッ!』
ふんぬっと鼻から息を吐き、ユリカはステッキを股に挟む。
ステッキはホウキ型の乗り物に変化した。
ホウキの先にはロケットの噴射口。
「ごめんゲロちゃん。私、もう迷わないよ! 私が地球の平和を守るよ!」
ハイヒールのブーツでタンッと蹴り上がると、噴射口が火を噴いた。
一気に上空へと舞い上る。
眼下を見下ろすユリカの目には、路面に倒れた人々の姿が映っていた。
「くっ……早く皆を助けないと!」
『ユリカ急げ! もうすぐ言葉による呪縛の効果が切れるゲロ!』
「じゃ、いつもの作戦でいっくよーッ!」
ユリカは上空から一気に降下する。
言葉による呪縛が解かれた怪獣は、全ての触手をユリカに向けて襲いかかる。
しかしユリカの勢いは止まらない。
触手を水風船のように弾き飛ばし、突進する。
目指すは、怪獣の本体である。
「ユリカぁー・トルネード・アターック!!」
ぐるぐると回転しながら怪獣の頭に突っ込んでいく。
だが、怪獣の頭はゴムボールのように凹み、その反動でユリカは弾き飛ばされてしまう。
コントロールを失ったユリカは、為す術もなくアスファルトの路面に叩き付けられ、弾み、転がり、止まった。
そこは観衆からわずか20メートルの距離だった。
「ああっ、ユリカさまがぁー」
「だ、大丈夫ですか? ユリカ様――」
「うひーっ、ち、近寄らないでぇぇぇ――ッ」
ユリカは全身全霊の勢いで、観衆が近づこうとするのを制した。
やはり彼女にとっては、自分の素顔を観衆にさらけ出すことが何よりも恐怖なのだ。
米澤友梨香二十三歳。
高校教師になって一年目。
彼女は今、人生最大の危機に直面していた。