新生活
ある日のこと。
突然、おばあさんの家に小包が届きました。嬉しそうに箱を開けてみるおばあさんが取り出したものに、やかんはびっくりしてふたを吹き飛ばしそうになりました。
「うわー、電気ケトルだよね、あれ」
計量スプーンたちが声をひそめて言いました。おばあさんは早速お湯を沸かしてお茶を楽しんでいます。
やかんの心はちくりと痛みました。
やかんがこの家にやってきたのは今から何十年も前、おばあさんとおじいさんがまだ若い夫婦だった頃です。
毎日の湯沸かしはもちろんのこと、麦茶を煮出したり、冬はストーブの上で常にお湯を準備しておき、湯たんぽと協力して夫婦を温めるのも大切な仕事でした。
「おばあさんはもう、あたし達の事いらなくなっちゃったのかしら」
やかんと一緒に働く事が多い、花柄のポットは不安そうです。
おばあさんが寝静まってから、やかんは電気ケトルに話しかけてみましたが、ツンとすまして返事はなし。
それから数日間電気ケトルを観察しましたが、やかんが今までしていた仕事を電気ケトルに担えるとは思えませんでした。
ところが。
電気ケトルが来てからというもの、だんだんとおばあさんの家は変わっていきました。
食器は少しずつ減り、炊飯器や冷蔵庫も小さいものに入れ替わります。別れを惜しむ間もなく、彼らは車でどこかへ運ばれてゆきました。
「……時の流れというやつかのぅ」
仲間内で一番の古株、すり減った木のしゃもじが言いました。
「我らと同じく、主も年をとった。猛がいた頃ならともかく、何もかも多すぎるし、大きすぎるのじゃろう」
猛というのはおばあさんの孫息子です。よく食べる子で、学校帰りに冷蔵庫を漁るのはいつものこと。この家で夕食を食べる時のため、おばあさんはおやつを欠かさず、ご飯も多めに炊いていました。
しかし、今やそれは昔の話。大人になった猛は外で働くようになり、おばあさんの元へ訪れるのも年に数回です。
やかんは、猛の小さな手がお湯を沸かしてカップラーメンを食べていた事を昨日のように思い出しました。お腹にお湯が入っていないと何だかすうすうします。
「ねぇ、じゃあ僕たちの仕事ってもう無いの?」
計量スプーンたちの質問にしゃもじが答えようとしたその時、おばあさんが台所へやってきました。
静まりかえったそこで段ボール箱を開き、おばあさんはそっとやかんを手にとりました。
「今までありがとうね」
別れの言葉と共に、きれいなふきんでピカピカに磨かれて、古新聞に包まれて箱の中へ。計量スプーンたちやポットにしゃもじ、他の仲間たちもどんどん続きます。台所道具をあらかた入れ終わった後は、残った隙間に日持ちのする食べ物や、猛が子供の頃食べていたお菓子が詰められます。
捨てられてしまうのかとやかんたちは震えましたが、新聞紙がカサカサ音を立てるだけ。
「みんな、私の大切な人をよろしくお願いします」
そんな言葉と共に箱は閉じられ、やかんたちは真っ暗闇の中で何も見えなくなりました。
おばあさんが誰か他の人に箱を渡し、車に積み込まれたことは分かりましたが、行き先はどこなのか見当もつきません。
「すみませーん、お届け物でーす!」
「はーい」
どれぐらい走ったでしょうか。うとうとしていたやかんは聞き覚えのある声に目をさましました。
箱が渡される気配と、ドアが閉じる音。
「うわー、懐かしいな、このやかん! ばあちゃん本当に送ってくれたんだ!」
箱が開かれ、まばゆい明かりの元、やかんは大きくなった猛の手の中に収まっていました。
「えーと、花柄のポットとすり減ったしゃもじ……パスタと玉ねぎ、じゃがいもにふ菓子もあるじゃん! やった、これで後一週間は食いつなげる……あ、届いたって電話しないと」
やかんたちが状況に面食らう前で、猛は実に嬉しそうに電話を始めました。
「あ、ばあちゃん? 猛だよ。荷物届いた、ありがとう。食べ物も、ほんと助かるよ。え? 他に必要なもの? いやいや、ばあちゃんの大事なやかんとかを貰えただけで十分だって。それよりどう? 電気ケトルと炊飯器の使い心地は」
電話はなおも続きましたが、どうやら捨てられるという事はなさそうだと、やかんは辺りを見回しました。
おばあさんの家よりは大分狭いですが、ここは猛の家のようです。別れたはずの電化製品が、部屋の隅にいるのを見つけました。
「やぁ、やかんさん。どうやら僕たち、新しいご主人様のために働くことになったみたいだね」
猛が寝たあと、ドアを開け閉めする冷蔵庫に、やかんもふたをカタカタさせて返事をしました。
翌朝、起床した猛は身支度もそこそこに、卵かけご飯とインスタント味噌汁をかき込んで、家を出て行きました。
「猛ちゃん、言ってたわよ。思い出の品があれば、一人暮らしもなんとかやっていけるだろうって」
一仕事終えた炊飯器の言葉に、やかんはピー、と安堵のため息をつきました。