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血脈 ~漢朝五百年~  作者: 菊池竹光
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第二話 単于の風格

 馬だけが友だった。

 劉聡りゅうそうは并州の草原を駆けながら思った。

 曾祖父は南匈奴の単于で、漢に帰順した族人達のまとめ役だった。父も、そしていずれは兄も同じ役目を負うことになるのだろう。劉聡が洛陽へと留学したのも、半分は漢王朝に対しての質としてだ。劉聡と引き換えに并州に戻った腹違いの兄劉和りゅうわは、漢の都をいたく気に入った様子だった。入れ違いに洛陽へと旅立つ劉聡を羨んですらいるようだった。父の、一度は洛陽を見ておけ、という言葉がなかったら望み通り変わってやりたいくらいだった。

 洛陽では勉学に励み、多くの者と交流を持った。得たものは多い。それでも、友と呼べる様な者は現れなかった。息が詰まる様な都での日々の中、遠駆けに出るわずかな時間だけが劉聡にとって慰めであった。弟の劉乂りゅうがいが代わって洛陽に住まうことで、ようやく并州への帰還が認められたのだ。


「聡、帰ったのか」


 三年振りの屋敷は何も変わってはいなかった。

 馬ごと乗り入れた庭先で、一つ上の兄劉恭りゅうきょうが優しい笑顔で迎い入れてくれた。


「恭兄上」


 劉聡は馬から飛び降りると、兄の元へと駆け寄った。


「変わらないな、お前は」


 劉恭が目を細めながら言った。口元には変わらず笑みを浮かべている。

 同じ母から生まれたこの兄とは、よく似ていない兄弟だと人に言われた。劉聡自身も、病弱でいつも柔和な眼差しを湛えた劉恭と自分に、似ているところなど一つとして見出せはしなかった。それでも兄弟の中で一番劉聡のことを理解してくれるのは、劉恭なのだ。


「……恭兄上もお変わりなく」


 また少し、痩せたかもしれない。劉聡よりも三つ年長だから、二十三歳になっているはずだ。身体つきに年相応のたくましさは感じられなかった。

 視線から劉聡の思いを察したのか、劉恭は否定する様に強く首を横に振った。

 本来、父の嫡子である劉和の次に洛陽へ留学するのは、次子である劉恭のはずだった。劉聡とは違って、元々学問を好んだ劉恭である。本人もそれを望んだし、劉聡も劉恭には都が合うのではないかと考えていた。劉聡が代わりに行くこととなったのは、病弱な兄を案じる母の願いを断り切れなかったためだ。


「後から来る荷車に、洛陽で手に入れた書物が積んであります。恭兄上への土産です」


「従者達を振り切ってきたのか? 本当に、お前は変わらないな」


 劉恭が、いつも顔に浮かべている柔和な笑みとは違う、本当に楽しそうに破顔した。


「どうせ俺は成長していませんよ」


「いや、聡が聡のままでいてくれて、私は嬉しいよ」


 劉聡がわざと拗ねたように言うと、劉恭は慌てた様に言い足した。今度は、劉聡が笑う番だった。劉恭も気付いて、共に笑いはじめた。


「騒がしいと思えば、帰ったか、聡」


「父上」


 庭先に父劉淵りゅうえんが姿を見せた。劉聡は思わず威儀を正した。


「御挨拶が遅れて申し訳ございません。劉聡、只今戻りました」


「良い、そう硬くなるな。ここは洛陽ではなく、并州なのだからな」


 深々と一礼した劉聡を、劉淵の手が制した。


「はい。……お久しぶりです、父上」


「うむ」


 劉聡は顔を上げると、父の手を取って再会の喜びを直截に表した。握った手の平は力強い。劉淵は、鬢に混じる白いものが幾分増えた様には見えるが、健勝そのもののようだった。

 夜には、一族の者総出の宴席が設けられた。

 兄弟姉妹だけでなく、顔も覚えていない様な叔父や叔母の姿もある。洛陽で学問を修めた劉聡を皆が一様に褒めそやし、漢の都の話を聞きたがった。

 訳知り顔で口を挟む劉和に、不安顔で耳をそばだてる劉乂。男たちは都の政情を知りたがったし、女たちはその文化に興味を惹かれるようだった。


「…………」


「質問攻めに疲れたか、聡?」


 宴席の主役を劉和に譲り渡して、中庭でひとり杯を傾けていた劉聡に声が掛けられた。


「父上」


 父、劉淵であった。草地に足を組んで座っている劉聡に倣って、劉淵も地面に直に腰を落ち着けた。


「そういえば、曜のやつの姿が見えませんでしたが」


 劉曜りゅうよう。遠縁の親戚だが早くに父を亡くし、以来この家に引き取られ兄弟同然に育った。特に劉聡とは同い年ということもあって、好敵手でもあり親友でもあるような関係だ。劉恭とはまた違った意味で肝胆相照らす仲というやつだった。


「そうさな。我が家の千里の駒は、今頃どこを走っていることやら」


「何かあったのですか?」


「お前が家を出て退屈したようでな。ふらりとどこぞへ出掛けたきりだ。何やら事件に巻き込まれたなどと言う噂も聞くが」


「そうでしたか。―――まっ、あいつならどうせ元気にしているでしょう」


 劉曜の顔を思い浮かべると、あまり深刻な気分にもならなかった。


「……洛陽はどうであった?」


 しばし黙って杯を傾けていると、今日何度目になるか分らない質問を父が繰り返す。


「さすがは三百年の都、街も人も、何もかもが華やかでした。全ての物が集まり、人は生きることを楽しんでいる」


 洛陽は光武帝によって漢朝が再興されて以来の都であった。

 実際には短い期間ではあるが、彼の大乱の際に前漢の都である長安に一度は遷都し、さらに許昌へと遷されている。しかし、漢民族の心の中にある都はずっと洛陽であったようだ。


「……そうか」


 小さく頷いた父の眼が、違う答えを求めていることに劉聡は気付いた。その眼に、促される様に口を開く。


「しかし私の、いや、俺の居るべき場所はあそこではないと、そう感じました」


 単于の血が、悲鳴を上げていた。

 洛陽には全てがあった。学問を志せばどこまでも高く、快楽を貪ればどこまでも享楽的に堕ちていけるだろう。屈することは容易く、そしてそれは己が血を否定することだと思った。

 劉聡は全てを拒絶して、并州の何もない、しかしどこまでも広大な草原を求めた。それでも、父に勧められ洛陽に行ったことは無駄ではなかった。単于の血を強く意識させてくれたのは、草原ではなくむしろ洛陽の地だったのだ。


「……そうか」


 父がもう一度静かに頷いていた。






 それから数日は、激しく馬を責めるだけの時を過ごした。

 黒風と名付けた愛馬は、かつては人を寄せ付けない悍馬として知られた馬だった。今は腿の締め付けで命じるだけで、どこまでも劉聡の望むままに駆ける。体の毛も鬣も曇りなく深い黒一色だが、その下の体躯は思うさま駆けることが出来る喜びに紅潮している。

 遠駆けから戻ると、父に客人があった。


石勒せきろく殿」


「劉聡殿。これはご立派になられましたな」


 石碌が胴間声を上げてぺこりと頭を下げた。まるで似合わない丁寧な言葉遣いが、妙な愛嬌を生み出している。

 父への用件はすでに終わったのか、石勒は劉恭の私室でくつろいだ様子でいた。三十をいくつか超えただろう男盛りの肉体は、以前と変わらぬ頑健な厚みを誇っている。

 石勒は羯族と呼ばれる匈奴の一部族の出で、小部落を束ねる家系の生まれだ。しかし一時に漢人の奴隷となっていた時期があったという。主人にその器量を認められて、自由を得たのだ。

 劉聡が初めて会った時は、どのような経緯によるものか馬の行商をしていた。

 不思議な男がいる、と言って劉聡に石勒を紹介したのは、兄劉恭であった。兄の言ももっともなことで、石勒は行商人でありながら、ほとんど文字を読めなかった。算術も、難しい計算となると途端にあやふやになる。ある程度注文通りの馬を納め、適当に代金を徴収する。それが石勒という男であった。

 当然、そんな商売が長続きするはずもない。劉聡が最後に合った時には、石勒は名の知れた盗賊となっていた。ただ、襲うのは漢朝の役所ばかりである。それだけに広く手配書が回り、一層名を知られることとなっているわけだが、漢に帰順した異民族からの評判は良かった。義賊などと、持てはやす向きもあるようだ。元々、異民族への税の徴収は、漢民族に対するものよりもずっと厳しい。石勒は全てではないにせよ、強奪した金の一部を、彼らにばら撒くような真似をしていた。喝采を送りたくなる気持ちも解るというものだった。


「劉聡殿が洛陽よりお持ち帰りになった書物、読ませて頂いております」


「聞かせて、の間違いでしょう」


 石勒の言葉に、劉恭がすかさず口を挟んだ。

 盗賊となった石碌が、今も頻繁にこの屋敷を訪ねる理由のひとつがそれであった。

 石勒は文字こそ読めないまでも、書物の内容を頭に入れることは好きなようだった。数カ月に一度は必ず屋敷を訪れて、数日泊り込んでは劉恭に本を読み聞かせてもらっていた。劉聡が洛陽に留学する以前からの習慣だが、それは今も続いているらしい。出自から性格までまるで正反対の二人だが、不思議と気が合うようで兄も嫌な顔一つせずに終日石勒の相手をしていた。

 兄だけでなく父や他の家族の者も、この胡乱としか言いようのない盗賊が屋敷を出入りすることを黙認している。劉聡も、この奇妙な男が嫌いではなかった。

 夜になると、石勒を招いての密やかな宴席が設けられていた。劉聡と劉恭、父劉淵と弟の劉乂という、男だけの宴席である。長兄の劉和だけは、元奴隷と言う石勒の出自を蔑む気持ちがあるようで、宴にも参加していなかった。

 まだ酒の味を知らない劉乂は舐めるようにしか飲んではいないし、劉恭も酒には弱かった。必然的に、父劉淵と石碌、そして劉聡とで回し飲むという形になった。

 先日の宴席とは違い、漢民族の作る多種多様な酒は無く、匈奴に伝わる馬乳酒ひとつきりがあるだけだ。それほど強い酒ではないが、独特の酸味を放つ馬乳酒は馴染まない漢人からすると、野卑た蛮族の飲み物ということになるらしい。

 大杯に注いだ馬乳酒を一息に煽るというのが、匈奴の酒盛りのやり方である。


「劉聡殿」


 石勒が空の大杯を劉聡に手渡し、そこになみなみと馬乳酒を注いだ。劉聡は無言で口を付けるや、杯を傾けた。

 癖の強い馬乳酒は、劉聡が洛陽で嗜んだ酒と比べると、到底旨いと言えたものではない。それでもこうして馬の乳で作った酒を飲み干す度、かつて草原を駆けに駆けた伝説の単于の姿を、自分の中に見出せる気がするのだ。

 劉聡は幾分誇らしい気持ちで、空になった杯を父に突き出した。






 深更、劉聡は黒風の嘶きに目を覚ました。

 黒風は一声鳴いただけで、屋敷の中はそれきり静かなものだ。劉聡は寝台の横に無造作に立て掛けられた長剣を掴むと、部屋を抜け出した。

 廊下に出ると、直ぐに石勒とかち合った。目配せをし、共に足音を忍ばせて馬屋へと向かう。屋敷が官兵に囲まれていると、石勒が劉聡の耳元で囁いた。


「三十人ほどはいましょうか」


「一体、何故?」


 口を衝いて出た疑問は、屋敷を取り囲む官兵の目的を問うものではない。石勒の手配書は、この辺りにも当然出回っているのだ。疑問は、石勒の逗留を何故官兵が知るところとなったのか、ということである。


「すまぬ。息子が役所に連絡したようだ」


「父上」


 馬屋で話し込む二人に、静かに劉淵が歩み寄って来ていた。

 父の言う息子が、四人兄弟の誰を指しているのか。それは問うまでも無い事だった。


「弟が戻ったことで、家を継ぐ者としての責任感が暴発したのだろう。石勒殿、すまない」


「お気になさらずに。それよりも御家に御迷惑をお掛けすることになるのではないかと、それが心配です」


「賢しいところのある息子なれば、すでに話は付けてあるのでしょう」


「ならば良かった」


 微塵も屈託を感じさせない朗らかな口調で言うと、石勒は自分の馬を引き出し、跨った。


「どうなさるお積もりです、石勒殿」


「正門と裏口に十人ずつ。塀沿いに十人。騎兵もいるようです。馬無しで逃げ切るのも厳しいですし、ここは正面突破といきますよ。敵さんの馬は大したものではなさそうですし、抜けてさせしまえば逃げ切るのは難しくはありません」


 劉聡の問いに軽い調子で返すが、石勒は鍛え抜かれた肉体を持ってはいても、武芸の達者というわけではないはずだった。たかが十人とはいえ、指揮を執る者もいる一応の軍勢である。容易く突破とはいかないだろう。


「―――ならば俺が血路を開きましょう」


 劉聡は剣把に手をやって、自分でも驚くほど事も無げに言っていた。

 黒風を引き出し、飛び乗る。父は何も言わない。

 そのまま正門に向かい、騎乗のままで門を押し開けた。官兵がすぐに寄せて来る。

 剣を抜いた。劉聡の剣は、馬上で振るうために普通の剣より拳三つ分ほども長い。その長さに負けないように二枚重ねの厚みも持つ。常人では満足に振るうことも難しい長剣を、劉聡は上段に構えた。

 官兵が、びくりと威圧された様に動きを止めた。遠巻きにして、槍先を向けてくるだけだ。犯罪者を捕えるための役所の人員であり、官軍の正規兵と格好こそ同じだが、戦に出たことも無い者達である。

 傲然と、劉聡は行く手を阻む兵とも言えぬ者達を睨み据えた。騎兵が三騎に、徒が七人。石勒の言った通りだ。騎兵の馬は、どれも驢馬よりは幾らかは増しといった程度のものだ。

 騎兵のなかの一人、一応の指揮官らしき男に目星をつけると、劉聡は黒風を真っ直ぐに踏み込ませた。

 黒風の蹄が地を踏み締めるのと、振り下ろした剣が“馬の鞍”を打つのが同時だった。男の身体が、“左右に”崩れ落ちた。

 頭頂から股下まで、兜も具足も諸共に両断していた。

 蜘蛛の子を散らすように、劉聡を囲んでいた者達が走り去っていく。主を失った馬だけが、きょろきょろと視線を彷徨わせていた。


「お見事。剣術もさることながら、一瞬で敵を呑んだ威の放ち方は百戦錬磨の猛将が如き。劉聡様は、戦の経験が御有りかな?」


「……いえ、ありません」


 考えてみると、劉聡自身も戦に出たことなど無いし、人を斬ったのもこれが初めての事である。劉聡は初めて人を殺したという事実よりも、酷く冷静でいる自分自身に戸惑いを覚えていた。


「なるほど。単于の血ですな」


 石勒はそこに何の疑問も抱かないのか、うんうんと大きく頷いた。


「しかし、これからどうします? 劉聡様の顔を見た者を逃してしまいましたが」


 一転真剣な表情で、石勒が問い掛けてくる。

 家のことを思えば、罪人として自ら役所に赴くか、自刃して果てるべきなのかもしれなかった。だが、劉聡には死ぬ気も捕まる気も無かった。つまらぬ小役人一人で贖い切れるほど、劉聡は自身の命を軽く見てはいなかった。

 もっとも、劉聡の曽祖父は幼き日の興武帝を助けたこともある英傑だった。匈奴の出とはいえ劉家は漢室の名門の家柄である。このことで一族郎党に害が及ぶということは無いだろう。


「屋敷を出るしかないでしょうね。石勒殿、あなたの盗賊団に俺を加えてはくれまいか?」


「それは―――」


「聡よ」


 何事かを言い掛けた石勒を遮る様に、背後から父の声が響いた。


「お前は一族の血を、単于の血を誰よりも色濃く受け継いでいる。恐らくは彼の大乱を戦い抜いた我が祖父よりもな。私はそれが嬉しくもあり、少し悲しくもあった」


「父上」


 実際にその地位にあった祖父よりも濃い単于の血を引いていると、父は告げていた。父が言いたいのは、匈奴の王位を意味する単語としての単于ではないのだ。今も劉聡の胸を焦がす、英雄の血のことだ。


「行くがよい。どこまでも続く草原が、お前を待っている。―――石勒殿、息子を頼みます」


「よろしいのですか? 私は私の目的のために、劉聡様を利用するかもしれませんよ」


「事ここに至っては、そういう星回りであったと思うより他あるまい」


 父と石勒が、なにか劉聡には解らぬ事情を話していたが、耳には入って来なかった。劉聡の心は、すでに見果てぬ荒野へと飛んでいた。


「さあ、早く行くのだ。正面の兵こそ打ち払ったが、まだ他に官兵はいるのだからな」


「はい、父上。恭兄上と母上、……和兄上と乂、姉上に妹達にも、よろしくお伝えくださいっ」


 駈け出した。後を振り返ることはしなかった。単于の血が、前へ前へと劉聡を駆り立てていた。

 しばし暗闇を駆けると、何処からともなく現れた騎兵三騎が寄り添うように並走した。


「劉聡様、御心配なく。仲間です」


 そろそろと長剣の柄へと手を伸ばした劉聡を、石勒が押し留めた。


「仲間?」


「はい」


 騎兵は馬足を速め、二人を先導するように駆けた。石勒の無言の頷きに従って、劉聡は騎兵の後に続くこととした。

 それからも、数里行く度にふらりと騎兵数騎が現れ、劉聡達を先導した。

 気付けば、劉聡と石勒を含め二十騎の集団となっていた。騎兵はしっかりとした訓練を受けた者たちの様で、二人を中心に陣形を組んで進んだ。


「劉聡様、先程の御父上の御言葉、どう思われた?」


 駆けながら、唐突に石勒が問うた。最後の三騎が合流してからも、かなり駆け続けている。危地は完全に脱出したと考えて良いのだろう。


「父の言葉? 一族の血の話ですか?」


「いや、それも無関係では無いが、劉和様のことです」


「兄の? ……石勒殿には申し訳ない事をしたと、そう言うよりほかない」


「それはもう良いのです。私が聞きたいのは、劉和殿は本当に責任感から暴走したのだとお思いか、ということです」


「さて、どうでしょうか。恭兄上ならばともかく、和兄上と俺は年が離れていたこともあって、それほど親しく遊んだという記憶もありません。俺が和兄上の心中を理解し切れているとは思えませんし、父が言うのならそうなのでしょう」


「そうですか。私にはまた別の理由があったように思えたのです。例えば、私は御兄弟の中では劉恭様と劉聡様、特にお二人と仲良くさせて頂いておりました」


「―――っ」


 石勒の言わんとしている事に思い至り、劉聡は息をのんだ。


「それは……」


 反駁しようとした、その言葉は続かなかった。

 劉和が、自分や劉恭を直接害するとは、劉聡には思えなかった。ただ、盗賊である石勒との仲を言い立てその立場を危くする。それぐらいの事はあの兄ならするかもしれない。


「しかし、何故です? 後継ぎは黙っていても和兄上です」


「……そうですね。私の考えすぎかもしれません。ただ御父上が言われた通り、あなたが他の誰よりも色濃く単于の血を受け継いでいるということ、それだけはお忘れなきよう」


 それきり、石勒は口を閉ざした。

 単于の血。かつて草原に覇を唱え、漢の高祖劉邦をも打ち払った伝説の冒頓単于は、父にさえ命を狙われたのだ。父と異母弟、その郎党を悉く葬ることで、冒頓は単于として立った。


「…………」


 朝日が、昇り始めていた。

 陽光に照らされた草原を駆けるうち、劉聡の鬱々とした心にもようやく日が差してきた。何はともあれ、旅立ちだった。


「石勒殿、だいぶ来ましたが、これから何処へ?」


 四十里ほども、ほとんど休みなく駆け続けていた。黒風の脚にはまだまだ力があるが、他の馬はそろそろ限界だろう。


「……そうですな。まずはこのまま北に長城を抜け、鮮卑の地。次にそこから西進して羌族の地にでも身を寄せますか」


「鮮卑? 羌族? 石勒殿、一体あなたは―――」


 劉聡も、長城の外に漢人からは異民族と呼ばれる者達の住まう大地があることは、知識として知ってはいた。しかし石勒は、劉聡より遥かに広い絵図を、実感を伴って描けているようだった。


「さあ、行きましょう、劉聡様。あなたにはこれより、多くの人や物、大地を見てもらいます」


 石勒が、分厚い手の平を劉聡へと差し伸べた。

 海のものとも山のものとも、あるいはこの広大な草原のものとも知れない、胡乱そのものの男が口にした魅力的な言葉に、劉聡は差し出された手を握り返した。


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