第一話 曹姓の若者
救国の英雄の血を引いていた。
家柄だけで将軍になった、そう思われることだけには耐えきれなかった。だから、誰よりも武術を磨き、軍略を学んだ。兵達にも他の軍とは比べ物にならぬほど厳しい調練を課したし、常に前線で戦い続けて来た。
今、眼下の荒野では二つの軍が対峙していた。銅鑼が鳴らされて、両軍が一斉に動き始める。進軍に乱れは無い。両軍陣形を保ったまま、先陣と先陣が触れ合った。
「関靖将軍」
王真が馬を寄せてくる。
二千ずつの歩兵のぶつかり合いの調練だった。関靖は丘の頂からそれを見下ろしている。横陣同士での、完全な力押しの構えだ。兵達にはきつい調練だろう。
二千は、いずれも王真の旗下の隊だった。王真は関靖の下にいる将軍である。十以上も年長で関靖が若輩の頃には仰ぎ見たこともある将軍だが、位階が逆転してからはこちらを尊重する態度を崩すことはない。とは言え、物腰に卑屈さはなかった。
王真は歩兵四千に加え騎馬隊千騎の総勢五千を率いている。関靖の下には他に黄礼という将がいて、同じく五千を率いていた。関靖自身の旗下は八千で、そのうち三千が騎兵である。
「いかがでしょうか?」
「ああ。よく調練を積んでいる」
ぶつかり合っていた二千の、一方の陣形が崩れ始めた。決壊した堤に水がなだれ込むように、横陣が崩れ始める。
「また、あの百人隊か」
「やはりお気付きになりましたか」
百人隊がそれぞれ二十組。その中に、これはと思う隊が一つあった。進む時も、引く時も、常に厳しいところに身を置いている。そして、ほとんど犠牲を出していない。今も決壊の元となった陣形の乱れは、その百人隊の攻めで出来たものだ。
「あの百人隊を率いる者の名は?」
「はい。―――曹順、と申します」
王真が迷い無く答えた。
「曹?」
「はい、曹順です。昨年の羌族との大戦での働きで、百人長に上げました。それ以降も―――」
王真が、曹順の戦歴を上げていく。
「それで、まだ百人長なのか?」
卓越とした戦功と言って良かった。関靖をして目を見張るほどである。部下の掌握は将としての務めとはいえ、ほとんど澱みなくその戦功を並べたてたのは、王真自身も曹順を気に掛けているということだろう。
「はい。その、やはり色々と問題があるかと思いまして」
「……曹、か」
漢朝五百年。高祖劉邦の血筋は絶えることなく、今も脈々と受け継がれていた。
漢王朝にとって二度目の滅亡の危機、その突端が開かれたのは今から百二十年ほども前になる。中華全土を覆い尽くす大乱があった。そんな中で頭角を現し、帝を傀儡としてこの国を牛耳ろうとした者の姓も、曹だった。そして四十年近くも続いた乱世を終結へと導いたのが、漢室の血を受け継ぐ一人の英雄と、彼と血よりも濃い絆で結ばれた英傑達だった。関靖の遠い祖先である関家の開祖も、そんな英傑の一人である。それ以来、関家は漢朝随一の武門として今日まで続いていた。
対して曹家は、戦乱より数十年の間、不遇を極めたと言っていいだろう。英明で知られ、戦乱の末期には自ら陣頭に立って天下平定に努めた聖君、興武帝劉協も彼の曹賊の存命中は傀儡とならざるを得なかったのだ。妻も忠臣も逆賊として誅され、曹家の者に雁字搦めにされた、その憎悪は凄まじいものがあった。長命を誇った興武帝が身罷れたのは戦乱より三十年の後、今より数えてちょうど五十年前となる。乱世終結から興武帝の逝去までの三十年間は、彼の激しい憎悪故に、曹姓の者が官途に就く道は完全に断たれていた。諸事に抜かりなく史上の名君として光武帝と並び評された興武帝の、唯一の失策といっても良いかもしれない。そしてそれは、彼がまぎれも無く名君だったがゆえに、現在でも暗黙の慣習として残されていた。興“武”を奉る名君故に、軍では特にその傾向が強い。未だに、ある一定以上の重任に就く者に曹姓の者は出ていなかった。
「張武」
「はっ」
関靖は、従者の一人の名を呼んだ。義弟の息子で、十代半ばとまだ年若いが騎馬隊の指揮には光るものがある。
「あの百人隊、どう見る?」
「……隊というよりも、そのうちの一人が気になります」
「そうか」
張武は、やはりまだ若い。隊としての働きよりも、個人の武勇に目が言ってしまうのだろう。百人の中に、関靖の目にもこれはと思う武人が一人いた。
歩兵二つがまたぶつかりあった。やはり、いい動きをする。関靖は、曹順の百人隊の動きを、じっと眼で追った。
「……王真殿。この後は騎馬隊と歩兵のぶつかり合いの調練だったな?」
少し試してやろう、という気持ちになっていた。
関靖は王真の騎馬隊一千騎を率いて、調練場に立っていた。正面には歩兵四千が、鶴翼に陣を組んでいる。中軍に二千、左右前方に張り出した両翼にそれぞれ一千。
調練の内容は単純だった。中軍にぶつかった騎馬隊を、左右の翼を閉じて包囲する。それだけだ。中軍が騎馬隊の突撃にどれだけ耐えられるかが、成否を左右する。曹順は当然中軍、それも最前列に配されていた。
「張武、まず行ってみるか?」
「はっ」
五百騎を率いて、張武が駆けた。真っ直ぐ、あの百人隊を目指していく。
張武が先頭になって、錐の形で駆けていく。用兵もさることながら、張武はそれ以上に己が武勇に絶対の自信を持っている。この隊形は、自分の率いる騎馬隊のもっとも力を発揮する形だと思っているはずだ。
対する曹順の百が、きゅっと小さくひとまとまりに固まった。
張武の騎馬隊が、曹順の百に迫る。ほとんど触れるか触れないかというところで、百人が一斉に槍代わりの棒が突き出した。張武の馬がさお立ちになる。連鎖して、後続の騎馬隊も動きを止めざるを得ない。
そこから見事に馬を立て直して、歩兵の中へと斬り込んでいったのは武人としては流石と言って良い。しかし、指揮官としては明らかに誤りであった。
百人隊の陣形が微妙な変化を見せている。騎馬隊をただ突き離す構えから、引き込み取り囲む構えに。気付かず跳び込んだ張武の姿が、歩兵の波の中に没入した。
「頭に血が昇り過ぎだ」
戻ってきた張武に、関靖は一言だけ告げた。討ち死に扱いの張武は、馬を引いた徒で練兵場の隅へと向かう。気落ちした背中に、それ以上の掛ける言葉はない。張武もそろそろ、自ら考え、自ら成長していかなければならない時期に差し掛かっている。
張武の率いていった騎馬隊の大半は無事に戻ってきていた。関靖は、あえてその兵を吸収することなく、残っていた五百騎のうち百騎だけを伴って真っ直ぐに曹順の百人隊を目指した。
ぶつかる直前、百人隊の持つ槍がかすかに波打ちだった瞬間、関靖は馬首を返した。距離を取って、また百に対して駆け、引き返す。もう一度。関靖は、同じことを都合三度繰り返した。
四度目。今度は引き返さずに斬り込んだ。張武と同じく、関靖が先頭を駆ける。百が“ほぼ”一斉に棒を掲げる。関靖は、ほんの一瞬棒を突き出すのが遅れた一角に狙い過たずに踏み込んだ。
調練用の棒を左右に振るって道を斬り開いていく。向かう先には、百人隊の指揮官―――曹順。そして、寄り添うように長身の兵。調練の間中、目を引く働きを見せていた武人だ。先刻は張武を討ち取ってもいる。両手に一本ずつ棒を持っている。張武と打ち合った時の棒の扱い方は、槍のものではなかった。恐らくは元々の得物は戟。双戟使いであろう。
武人として滾るものはあった。押し殺して、棒を大きく一振りすると関靖は長身の兵と曹順の横を駆け抜けた。そのまま中軍二千を突き破るのは、さして難しいことではなかった。
「入れ」
「失礼します」
一礼して幕舎へと足を踏み入れた男は、意外なほど小柄だった。あれほど果敢な動きを兵達に強いていた男とは、到底信じ難い。絵に描いたような偉丈夫と人から囁かれる関靖と並べば、大人と子供ほどの差もあるだろう。
「曹順か?」
「はっ」
男が短く答えた。雍州の軍権を一手に担う関靖を前に、さすがに緊張の色が見える。しかし、真っ直ぐ関靖を見返して逸らさない瞳からは、不敵な光が感じられる。
「姓を、偽ろうとは思わなかったのか?」
そうしている者がいることは、関靖の耳にも届いていた。それを咎めようと思ったことは無い。
「軍人として、稀代の軍略家と同姓であることは誇りです」
藪から棒の質問にも、曹順は動じた様子もなく答えた。一瞬、その問いには飽きたとでも言いたげな、不遜な表情を覗かせている。
奸臣なれど、彼の曹賊がこの国にもたらしたものは多い。乱世の中で簡略化された祭祀に、農政改革。門外漢の関靖には理解の外のことだが、文学や音楽、果ては酒の醸造法にまで彼の人の足跡が残されているのだ。
そしてなにより、彼が編纂を加えた兵法書は今も最上のもののひとつであり、今なお読まれ続けていた。彼の大逆人が軍略家として稀有な才能を有していたというのは、紛れもない事実なのだ。優れた軍人としての一面も持つ興武帝が兵法の指南書として旗下の将にそれを薦めたという逸話は、帝の大度を表す歴とした史実として伝わっている。そして少なくとも、あれほど憎み抜いた男の残した書を、ついに興武帝は禁書とすることはなかった。
「百人隊の長には、軍略など無用のものだ」
関靖は、一瞬覗いた不遜な表情になど気付かないふりで言った。
挑発的な物言いにも今度は特に気にした風も無く、曹順は軽く頷いて見せた。
「だが、用兵は見事だ」
「しかし、関靖将軍には通用しませんでした」
「そうだな」
歩兵百と騎馬隊百騎では元々の力も違う。しかし騎馬隊百騎が五十騎であったとしても、あるいは十騎であったとしても、曹順の百を抜くことは可能だっただろう。
ただ三度も牽制をして、突入の機を計った上での勝利だった。実戦で、初見の相手にそこまでの用心を持って当たることは少ない。あくまで曹順の実力を見越した上での勝ちだった。
―――張武のことは言えんな。
調練を思い返すに、関靖は覚えずそう自嘲した。あれでは歩兵四千による鶴翼の陣の調練にまるでなっていない。中軍二千のうちのわずか百人の隊と、関靖の力比べでしかなかった。
「……お前の軍歴も聞かせてもらった。大したものだな」
「ありがとうございます」
「それだけに王真殿はお前を持て余しているようだ。百人を率いる今のままなら問題ないが、千人を率いるようになればそれなりの功を上げることもあるだろう。そうなれば、お前の名は都にも届く。お前をどこまで昇進させて良いものか、王真殿はいたく頭を悩ませておいでだ」
「そうですか」
暗に、このままでは昇格の望みは無いと告げたつもりだった。気付いていない、というわけでもないのだろうが、やはり曹順に気落ちした様子は無い。むしろ、挑む様な視線を関靖に向けて来る。
「何故、軍に? 厚遇はされない。そんなことは解り切っていたことだろう?」
「それは、……深く考えたことはありません。幼き日より聞かされてきた英雄豪傑達の物語に、いつかは私も戦場に立つものと自然と思い定めておりました」
その英雄豪傑の中に、彼の逆賊の名も含まれているのか。口の端まで出かかった言葉を、関靖は飲み込んだ。英雄譚に思いを馳せたのか、瞳を輝かせている曹順を見ると酷く詰まらない問いに思えたのだ。二十をいくつか超えているはずだが、その表情からは幼さすら感じられる。
「……何故我が軍を選んだ?」
彼の逆賊の首を討ったのは、関家の祖であると伝えられていた。同姓の英傑として彼を慕っているのなら、あえて関靖の軍を選ぶ理由は無い。
「関家と張家、あるいは蜀王家軍の内、最も戦に近く、最も手柄を挙げられそうだと判断したからです」
曹順は一転真面目な表情で解り難い返答をしたが、関靖にはそれで得心が行った。
ここで言う張家とは関靖の従者を務める張武の家のことだ。現在の当主張文は関靖の義弟で、張武の父である。関家と共に漢朝の二大武門と言っていい。
蜀は、彼の大乱平定の最大の功労者に―――正確には彼の死後その息子に―――与えられた封地である。三代の王位と自治を許されており、現在の蜀王劉玄は彼の英雄から数えて四代目、最後の蜀王ということになる。遠く漢室の血を引くとはいえ、皇族以外の者が王位に就くことは彼の逆賊を置いて他に例は無い。またその封地は蜀一郡にとどまらず、益州全十二郡が与えられているというのも異例中の異例であった。そこには当時の政治的な背景も絡んでいるとは言われるが、彼の英雄の卓犖とした勲功があったればこその異例であることに間違いはない。
開祖の誼に因んで、劉玄と張文、そして関靖の三人は義兄弟の契りを結んでいた。劉玄がその長兄であり、関靖、張文と続く。
三家に共通していることは、独立色の強い軍を有するということだ。蜀王家軍はもちろん、関家張家両武門も官軍の中にあって軍閥とでも言うべき独立性を保っていた。官軍全体を見渡せばそれが旧害と化していることは関靖にも解ってはいるが、それで両軍が練度を保ち、漢室の誇る鋭鋒足り得ていることも事実であった。
「なるほど。百人隊の長で終わるつもりは無いということか」
独立色が強い。つまりは関靖の判断である程度の無茶は通るということだ。そもそもここ雍州の軍は曹姓というだけで蔑むような空気は薄い。実際に異民族からの侵略を受け、戦に明け暮れている以上、何よりも実力が物を言うからだ。曹姓であるというような瑣末なことを気にするのは、将軍とは名ばかりの戦も知らない様な中央の者たちに多い。とは言え、如何に関靖自身が気にしないといって、曹姓は曹姓である。用いれば中央では関靖に対する批判も出て来るだろう。
「関靖将軍は才があれば使って下さる方だと、そう拝察致しました」
口調こそ丁寧だが、やはり挑む様な視線。自分を使うだけの器量はあるのか、そう曹順は問い掛けて来ていた。
不遜な態度が不快ではなかった。握り締めた拳から、曹順の緊張が伝わって来るからだ。曹順が自らの進退を賭けてこの場に立っていることが、関靖にも否応なく理解出来た。軽く姿を見てみよう、その程度心算で呼び出した関靖の方が、多少の後ろめたさを覚えていた。
改めて曹順を見据える。まだ若い。自分の半分ほどしか齢を重ねてはいないのだ。真っ直ぐこちらを見つめて返してくる瞳が、関靖には幾分眩しかった。
小気味良い、悪く言えば小賢しい用兵と、曹姓であることで見誤っていたのかもしれない。初め、不敵と見えた瞳の光は、今はただ強く真摯なものと思えた。少なくとも目の前のこの若者には、自らを偽り上手く立ち回って昇格しようという考えは皆無であろう。自らの才覚、能力だけを丸裸で関靖にぶつけに来ていた。
国境を鮮卑族の兵が侵している、という報告が入った。
ここ数年、羌族、鮮卑族をはじめとする異民族の侵攻が絶えず続いていた。大半は国境の守備隊だけで討ち払えるような、百人、二百人単位の小規模なものだが、時に千を超すような集団による大規模な侵攻もある。今回は三千騎と、他に五百ほどの歩兵も動いているようだ。昨年の羌族による大侵攻以来、こうした大規模なものが増えて来ていた。時に、複数の異民族が連係した様な動きを見せることもあった。そして、ただ暴れ回ると言うのでなく、兵糧や武具を奪っていく。今回も、歩兵五百というのは戦闘に参加する軍ではなく、略奪した物資を運ぶための人員だろう。何かが起こり始めている。そんな予感があった。
関靖はすぐさま旗下の八千に出動を命じた。
雍州の北端、国境付近で三千騎同士でのぶつかり合いとなった。関靖は一度崩れて見せると、追撃を受ける形で兵を引いた。十里ほども進むと、敵騎馬隊は追撃を止め、引き上げていった。三千騎だけで漢の領土内深くに入り込むことを嫌ったか、あるいは伏兵を警戒してのことか。関靖もおもむろに軍を返した。
三千騎は、残してきた歩兵五百と合流するため、ここまで追撃してきたのと同じ経路を進んでいく。通過したばかりの道である。関靖からの追撃を恐れてか、敵騎馬隊は警戒した様子も無く馬を飛ばしていく。
そこを、伏していた三百が一斉に立ち上がった。同じ進路を一度は駆け抜けているのだ。伏兵は予想だにしていなかったのか、三千騎が大きく乱れた。関靖の騎馬隊は、そこに後方から突っ込んだ。
敵はすぐに潰走を始めた。関靖は騎馬隊を一千騎ずつ三隊に分けて、追撃を掛けさせた。一千は敵がさらに細かく逃げ散れば、五百、百の小隊に分かれて、執拗に追い縋る。そして、三百以外の残る歩兵は国境付近にすでに伏してあった。敵軍は再び伏兵と騎馬隊による挟撃を受ける形になるはずだ。
供回りの五十騎だけを側に残した関靖は、戦場に目をやった。伏兵三百。新設したばかりの曹順の隊だ。関靖は、曹順を自身の率いる関家軍本隊へと編入させていた。百人の長から三百人の長にまで引き上げている。今までに上げた功を、正当に評価したという形だ。
三百の陣形は、三千の騎馬隊と向かい合った後にしては、ほとんど乱れていない。軽い怪我を負った者はいても、欠けた者、戦えなくなった者は一人もいない様だ。もし一人でも欠けていれば、そこから陣が崩れ、十や二十の犠牲は出ていただろう。陣形がしっかりと作れている証だった。
騎馬隊通過後の素早く密やかな潜伏も、作戦通りとは言え見事なものである。
曹順が一歩、関靖の元へと進み出た。
「よし、次に行くぞ」
五十騎と三百で、これから敵歩兵五百を撃つ。
「はっ」
短く返すと、曹順は兵をまとめた。三百は駆け通しのはずだが、不平の色は無い。兵の士気を上手く保つことも、校尉以上の者には求められる資質である。その点でも、曹順に不足は無いようだった。曹順と共に王真より譲り受けた元から彼の指揮下にあった百人だけでなく、新たに加わったばかりの二百もしっかりと統率がとれている。
関靖は歩兵に合わせた通常の行軍速度よりも幾分速く、馬を走らせた。三百が粛々と駆け足で続いた。
野営を張った。昼夜兼行で飛ばしてきた軍である。幕舎も持って来てはいないが、寒い時期ではないので兵達は苦にもしていないようだった。周辺に放った斥候と歩哨、捕虜とした百人余りを見張る兵以外は糧食を取っていた。火を使うことも許してあるので、食事はそれほど味気ないものではない。焚かれた火を囲むようにして、兵達がいくつかの集団を作っていた。
兵に問うと、目的とする集団の位置はすぐに知れた。新参でもあるし、やはりどこか軍内で浮いているところもあるのだろう。
「曹順はいるか?」
「はい」
火を囲む者達の中から、二人が立ちあがった。曹順と、もう一人は長身の兵だった。見張りの兵以外には自由を許しているというのに、兜すら脱いではいない。
他の者にもすぐにこちらが誰だか知れたのか、直立して威を正す。関靖はそれを手で制すると、曹順を誘って集団から少し離れた。長身の兵も付いてくる。
「典斐、戻っていろ」
「……はい」
曹順の言葉に短く返すと、典斐と呼ばれた兵が集団の中へと戻っていく。その声は妙に高い。体型も、背こそ高いが線の細い印象がある。目深にかぶった兜が顔を半ば隠しているが、少年と言っていい年齢なのかもしれない。
「あれは、お前の傍らで双戟を振るっていた者だな?」
「はい」
「相当な豪傑と見たが、親しいのか?」
「幼馴染です。軍に参加したのも一緒でした」
友を誉められたことが嬉しいのか、曹順の声音が一段高いものとなった。
もう一度、関靖はその兵に目を向けた。兵の中に混じってしまうと、意外なほどその姿は目立たなかった。その類稀なる武勇と、傍らに常に小柄な曹順がいることで戦場では実際以上に大きく見えるが、長身とはいってもそこまで際立ったものではないようだ。あるいはやはり少年で、まだまだ成長過程にあるのかもしれない。
「新しい隊はどうだ?」
「新しく加わった二百も、皆よく動いてくれます」
「百人隊の指揮と比べてどうだった?」
「急に手足が伸びた様な、そんな感じです。ただ、持て余してはいないと思います」
関靖から見ても、動きに疎漏は感じられなかった。三百がこれだけ自然に扱えるなら、少なくとも五百までは上手く率いて見せるだろう。
一千以上の指揮には、また別の才能が必要だった。一万以上ともなれば、百や三百の指揮とは全く別物となる。その時、曹順が如何なる働きを見せてくれるのか、それはまだ想像もつかない。
「関靖将軍?」
黙している関靖を訝しく思ったのか、曹順が呼び掛けた。関靖ははっと我を取り戻した。
気付けば、千、二千の兵を曹順に与える様を、そしていずれは万余の兵を率いて自分と同格の将軍として立つ姿を、関靖は当たり前のように思い描いていた。
「どうかなさいましたか?」
「……いや、何でも無い」
不思議なことに、関靖にはそれが突飛な空想とは思えなかった。