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第1章 2話:白音は見た!

 きゅうりの漬物をもきゅもきゅと静かに噛み砕きながら、私はスマホの画面越しにそのうしろ姿を見つめていた。背中を預けた体育館の外壁が冷たい。

「にゃー、にゃにゃー? にゃーにゃにゃーにゃー?」

 そこには猫がいた。

 しかし今「にゃーにゃー」言っていたのは猫ではない。猫と戯れる一人の男子生徒が、文字通りの猫なで声を出していた。

 ちなみに今、私のスマホは動画撮影モードになっていたりする。

 いや、だってあまりに面白い光景だったからつい、ほぼ無意識に。

 私にだって、面白い出来事に遭遇したらとりあえず写真や映像に収めてみるイマドキ女子的なところがあるのだ。多分。

 まあ、アップロードするSNSのアカウントも、見せて笑い合う友だちもいないんですけどね。

 本当は「人の弱みは握っておくに限る」が私のモットーだから撮ってるだけ。 まだこれが弱みとは限らないけど、普段の彼の振る舞いを見る限りは誰かに見せたい姿ではないだろうと思う。

 本人と交渉して削除を条件に何か言うことを聞いてもらおうか、誰かに売ってお金にしようか……と考えていると、かわいがられていた猫が突然こちらに駆け寄ってきた。

 すると当然、猫に逃げられたその人はこちらを向くわけで――。

「あ」

「え」

 驚きに見開かれた甲斐先輩の目と、私の目がばっちり合ってしまった。

 ふくらはぎにすり寄ってくる猫を一撫でしてから、私は何事もなかったようにスマホを降ろしてポケットにしまった。代わりに箸を持って卵焼きをつまむ。

「ちょっ、ちょっと待てぇい!」

 甲斐先輩は動揺のあまり声が裏返り歌舞伎役者みたいな発声になっていた。そのままずかずかとこちらに歩み寄ってくる。

「……卵焼きほしいんですか?」

「違うわ!」

「そんなに怒らないでください。好きなのあげますから」

「弁当の話じゃない!」

「……? 飲み物は飲みかけのお茶しかありませんけど」

「お前……喧嘩売ってんのか……」

 適当にはぐらかそうとしただけだからそんなに怒らないでほしい。……いや、普通怒るか。私でも怒る。

 私の前までやってきた先輩は、美男子が台無しの引きつった顔で、地べたに座る私を見下ろした。背も高いし脚も長いし本当にスタイルいいなぁ。

「い、今さ……もしかして撮ってた?」

 硬い声で聞いてくる先輩に、私は肩をすくめた。

「ああ、いえ。動画撮影モードを起動しながら画面越しにながめていただけです」

「それを撮ってるって言うんだろうが!」

「ばれましたか」

 言いながら卵焼きを頬張る。さすがにこんなので煙に巻くことはできなかったようだ。

「馬鹿にしやがって……今すぐ削除しろ」

「それが人にものを頼む態度ですか」

「そっちこそ、それが先輩に対する態度か」

 学年はリボンの色でわかる。でも私は長く生きていれば生きているほど偉いなんて非合理的な理屈には屈しない。世の中にはもっと純然たる力があるのですよ。

「消してほしければ誠意を見せてください」

「誠意と言いながら親指と人差指で輪を作るな!」

「私のスマホ、『誠意』って入力すると『お金』に変換できるように辞書登録してあるんです」

「そんな女子高生世界にお前だけだよ……」

 そんなことはないんじゃないかな。建前上はともかく、本音の部分では誠意とお金をイコールで結ぶ人は決して少数派じゃないと言える自信がある。

 まあ辞書登録の話はただのジョークなんだけど。それでも世界に何人かはいるんじゃないかと思いますよ、先輩。

「先輩、私はこの動画を某チューブに投稿してURLを学校中にばらまいて再生報酬で小銭を稼いでもいいんですよ」

「どこまでも金かよお前」

 言って先輩は頭を抱えた。どこまでも金なのは私じゃなくて世界の方だと思う。世界がそうだから私もそうなっただけ。私の場合そこに愛情とか友情とかの不純物が計算に入ってこないからわかりやすいのかもしれないけど。

 先輩は観念したように大きなため息をつくと、真っすぐに私の目を見つめた。そして意を決したように深々と頭を下げた。

「お願いします。動画を消してください」

 私はポケットからスマホを取り出した。

「……顔を上げてください」

 私は優しい声音で言った。先輩がゆっくりと頭を上げる。

 スマホの画面の中に、何かに期待するような表情の先輩が映った。

「ちなみにずっと撮影中だったのでさっきの恫喝する先輩の声も入ってます」

「お、お前……」

 先輩は心と脚を折られたように、その場にへなへなと座り込んだ。

 うーん……こんなところでご飯を食べざるを得なくなった元凶相手とはいえ、いくらなんでも少しやりすぎたかもしれない。いくらイケメンで勉強できて運動もできてなんか腹立つからって、ここまですることはなかったか。

「すみません。ちょっと調子に乗りました」

「……消してくれるのか?」

「いいえ、消しはしません。でもよっぽどのことがない限りこれをどうこうする気はありませんよ」

「よっぽどってどんなだ」

 疑いの目で恨めしそうににらんでくる先輩に、私は小首をかしげた。

「先輩だけじゃないんですよ。私、クラスの女子がタバコ吸ってるところとか、男子がコンビニ前でビールの缶と一緒にたむろしてるところとかの写真持ってるんです」

「悪魔かお前は」

「それもみんな、何かに利用しようと思って持ってるるわけじゃないんです。ただ、人の弱みを握っておくとほんの少しだけ安心できるので」

「…………」

 先輩は難しい顔で私を見つめていた。発言の真偽を、私の真意を確かめようとするような視線だった。

 そのまま十秒ほど見つめあう。いっぱしの女の子ならドキドキして胸から心臓飛び出して、沸騰した顔から湯気が出るとこなんだろうけど。残念ながら私はそうじゃない。

「――かわいそうなやつだな」

 罵倒されるかと思ったら同情されてしまった。いや、これも罵倒の一種かもしれない。まあどっちにしたって私の心に響いたりはしない。私の心はそんなガラスみたいに脆いものでも美しいものでもない。

 先輩はそれだけ言い残して体育館裏を去っていった。

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