第1章 9話:そう簡単には……
学校を出た私は先輩の自転車の後ろに乗って夜風を受けていた。
流石に前向きに座って抱きつくのは嫌だったので、横向きに座って流れる景色をながめている。バランス感覚がいい方でよかった。
「あ、次の十字路右です」
「はいよ」
ここに来るまで方向指示以外の会話は1つもなかった。多分先輩は私に落ち着くための時間をくれたんだと思う。
おかげさまで、私はもう十分にいつもの私を取り戻していた。……多分。
だから私は、世間話でもするように切り出した。
「先輩」
「うん?」
先輩もやっぱり何気ない口調で応じる。だから私もまた、いたずらを思いついた子供のような軽い調子でその提案をした。
「私、先輩のしもべになってあげてもいいですよ」
先輩は一瞬黙り込んでから声を上げて笑った。
「はは、そうか」
「もちろん、形だけですけどね」
先輩は冗談だと思っているだろうか。でも今の私にはそんなあやふやな伝え方しかできないから、それでいい。今はそれでいいんだと思う。
「それでお前への嫌がらせが止めば、俺も安心だ」
「そうですね。うまくいくといいです」
今先輩はどんな顔をしてるんだろう。見てみたいけど、見るのが怖くもある。呆れていないだろうか。疎ましく思っていないだろうか。
「じゃあ明日からよろしく」
「ええ。王子としもべのふり、ちゃんとやってくださいね。じゃないとみんなに疑われます」
「なんだよ、そこはお互いに協力するところじゃないのか」
笑って抗議する先輩に、私は先輩が認めてくれた私で応えた。
「嫌ですよ。私はそう簡単に先輩なんかにいじめられたりしませんから」
先輩は今、どんな顔をしているだろう。
私は今、どんな顔をしているだろう。
月明かりに照らされる私たちの表情が、陽だまりにまどろむ猫のようであったなら、きっとそれはとても幸せなことなんだと思う。