メリーさんは0距離
静まり返った夜。マナーモードの携帯電話が必死に震えている。俺は応答ボタンを押して、そっと耳に当てた。
「もしもし? 私メリーさん。今駅にいるの」
俺は通話を切り、ため息をつく。
電話をそばに置きテレビの電源をつけた。すると、もう一度振動音が聞こえてくる。俺はまた、通話に出た。
「もしもし? 私メリーさん。今あなたの家の前にいるの」
俺は携帯電話をソファに落とし、玄関へと向かった。のぞき穴には誰も映っていない。戻ってインターホンのカメラを確認するが変わりはない。
そのとき、ソファから呼び鈴が鳴り出す。俺は、三度その声を聴いた。
「もしもし? 私メリーさん。今あなたの後ろに――」
話を最後まで聞かず後ろに振り返る。しかし、人影も何かがいた形跡もない。俺はただ、着信を待った。
俺が携帯電話からその声を聞くことはなかった。
「もしもし? 私メリーさん。今あなたの――中にいるの」
直接耳元でささやかれた。脅かすように、おどけるように。その瞬間から体が動かない。それどころか意思とは関係なく動き出す。そして、勝手に口を開いた。
「よっしゃー憑依成功! 私の勝ちぃ! 避ける暇もなかったようね」
俺の体は片腕を突き上げる。固く閉ざされたまぶたからは、その満ちた感情を誰もが理解するだろう。初めから抵抗するつもりもなかったが言わない方が良いか。
「久しぶりのミルクプリンだー!」
「あぁ、良かったね」
「安心しなさい。食べ終わったらすぐに体を戻してあげる。濃厚なミルクの味を堪能することね。でもクリーミーなのど越しは私が全部味わっておくわ!」
同じ体の中で感覚の所有権を奪われた俺は、慣れと諦めで高揚した声を聞くに徹する。健やかに伸びる笑いは体を重くするが、心は軽くなる気がしなくもない。
「それにしても、わざわざ駅まで行かなくても良くない?」
「それじゃあメリーさんっぽくないじゃない」
「アンタとの共通点幽霊ってだけだけどな」
なんのこだわりか知らないが律儀なことだ。さしずめ、やりきった後のご褒美と言ったところか。着々と準備を進め、カップのふたを取り、スプーンを構える。
「いっただっきまーす!」
もしもし、うちのメリーさんは今俺の中にいます。体が戻る前にチョコレートの場所でも教えてやるか。とびきりビターなやつのをな。