静かな絶望
そんな懐かしくも思い出したくない記憶の断片を私が見てると、私の意識が唐突に暗闇に引き戻されました。
顔を上げると、ニコラスが未だに私の前に立っています。
私はそのニコラスの顔を見た後、視線を下の方に移していきます。
そして、ニコラスの様子がさっきまでとは変わっているのに気が付きました。
お腹の部分が、真っ赤に染まっています。まるで私の記憶と連動するかのように。
ニコラスの身体が、私の方へと倒れてきます。
私は咄嗟にニコラスの身体を支えました。
「やはり、アリス様も成長なさっているのですね」
「ニコ…ラス…」
「こうしてあの時とは違い、私の身体をしっかりと支えてくれます」
ニコラスの声が私の耳にはっきりと伝わってきます。
「あの時は痛かったな…」
ニコラスが私に囁いてきます。
顔を私の耳元まで近づけながらゆっくりと。
「すごく痛かったんですよ。ナイフが背中に刺さって……」
「ええ…そうで…しょうね」
「死にたくなんてなかったなぁ」
「分かっていますわ。全てはヴァニタスが、ヴァニタスの女が悪いのです」
私はニコラスの身体を優しく抱きしめました。
待っていてくださいね、ニコラス。あなたの仇であるあの女はもういませんが、それでも、私が必ずヴァニタスを、この状況を生み出した元凶のヴァニタスの男を必ず殺しますから。
私がそう思いニコラスの身体を寝かせようと、腕を動かした時です。
ニコラスの口が開きました。
「なにを言っているのですか?」
「えっ」
ニコラスの唐突な言葉に私の身体が固まります。
「私が死んだのは、アリス様のせいですよ」
「……」
私は一瞬何を言われたのか分からず、ニコラスの顔を伺います。
すると、ニコラスの顔が穏やかなものとはうって変わって、私を憎むように睨みつけていたのです。
ニコラスはそんな私を気にすることもなく耳元で囁き続けました。
「アリス様が無知でどうしようもない程に力が無かったから私が死んだんです」
「ニコラス何を言って……あなたを殺したのは、あのヴァニタスの女で私では」
「あなたですよ!」
途端に私の身体がニコラスによって押し倒されます。
倒れた私に対してニコラスは見下したような目つきで見てきます。表情は憎しみに満ちていました。
「あなたがヴァニタスのことを知っていれば、あれほど簡単に近づくこともなかった。そうなれば、あの女があなたを襲おうと思うこともなかったんですよ」
「それは……」
「私やご両親が教えてくれなかったとでも言いたいんですか?」
私は目を見開きます。
その様子に満足したようにニコラスが笑いました。
「それは違いますよ。アリス様が知ろうと思えばいくらでも教えてあげましたよ。しかし、あなたは一切知ろうとはしなかった。自分が無知なのを知らずに、ただただ私達に守られて、毎日楽しく何も考えずに過ごしていましたね」
「……」
「全部はあなたの無知が招いたこと!アリス様のせいで、あの女の人の人生は狂い、私は死んだ」
ニコラスは高々と語り続けます。
私はニコラスの言葉に何も言えないでいました。
「なのに、あなたは自分の事を棚に上げ、ヴァニタスを憎むという、お門違いもいいことをし始めた」
ニコラスが私の顔に近づいてきます。
「残念でしたよ。本当に。何にも分からないんですね。アリス様は」
そうしてニコラスはニヤッとバカにしたような笑みを浮かべます。
目の前にいるのはニコラスではありません。あの男がダークミストで見せている、幻想だと言うのは普通ならすぐに分かったはずでした。ニコラスがここまで言う人ではないことも、私が一番理解していたはずなのにもかかわらず、この時の私にはニコラスの言葉が衝撃的すぎて、冷静な判断が出来ていませんでした。
ニコラスの言葉に対して、私は何の理由もなく納得してしまいます。
私のせい。
全部私が招いたこと。
そんな考えが私の頭を支配します。
「あなたはそんなことも知らずに、あの男の親友を見殺しにしたんです」
「私の…せいで…」
「ええそうですよ。そんなあなたに親友を殺されたというあの男の言い分に、どこかおかしいところはありますか?私はないと思いますよ」
「そう…です…ね」
私の口が勝手に動いていきます。
ニコラスの言葉にはどこにも間違ったことなどないと、この時の私にはそう思えたのです。
「憎む対象はヴァニタスではありませんよ。ましてや、あの男でもない。この世でアリス様が一番憎まなければならないのは、アリス様自身ではありませんか?」
「……は…い…」
私の肯定の言葉にニコラスの表情も満足といったものに変わります。
「ご自分を憎み続ける。それはさぞお辛いことでしょう。誰も助けてくれません。誰も、あなたのことなど信じないでしょうね。だって、あの男に言った通り『人殺し』の王女様なんですから」
ニコラスが私の心に語り掛けてきます。
生きている間、ずっと憎むべき人物がついてくる。一生付き合っていかなければならない。鏡を見れば、私を見ることになる。忘れることなど許されない。罪の鎖がずっと付きまとってくる。
ニコラスの言う通り、そんなのどれほど辛いでしょうか。考えただけでも、嫌な気分になります。
身体が震え、寒気までしてきました。
私が今まで生きてきた意味は何だったのでしょうか。
私がヴァニタスを憎むのは違っていた。憎むべきはヴァニタスではなく私自身だった。
生きている価値などない。何もわかっていない私は今までバカにしてきたヴァニタス以下ではありませんか。そして、こんな私を慕う人などいるわけがありませんわ。私はずっと一人。だって人殺しだから。
私の中にそんな考えが生まれた時、それを悟ったかのように、ニコラスが私の耳に優しい声をかけてきました。
「そんなアリス様を私がお救いいたしましょう」
「ニコラス……」
「私の手によってね!!」
ニコラスが邪悪な笑みを浮かべ、腰の剣を抜刀します。
その瞬間、私の周りの暗闇がはじけ飛びました。
しかし、そんなこと私には見えていません。ニコラスの立っていた場所には、未だにニコラスが立っています。私の記憶の中のニコラスではなく、あの男が変化したニコラスですが。
私は抵抗することなく、その場に倒れたままニコラスの振る剣をただただ見つめていました。
このままいけば私は死にます。
ですがそれがどうしたのでしょうか。
こんな私など死んで当たり前。
生きる価値などないのですからね。
「チェックメイトだ」
ニコラスが口角を上げ、私を殺そうと剣を振り抜いてきます。
私は剣を見つめたまま、自分が死ぬのを待ちます。
因果応報。人殺しの最後なんてこれでいいのです。
静かな絶望に包まれた私は、なんの抵抗もなく自分の死を受け入れました。




