呼び出し
「今日はありがとうございました。おかげで、なんだか気持ちが楽になりました」
リーリンはそう言うと、コップのお茶を飲み切り、部屋から出ていくため椅子から立ち上がった。
「いいんですよリーリンさん。いつでも来てください。またお話ししましょう」
立ち上がるリーリンに対して、ミリンダは一緒に部屋の扉まで歩きながら、そんなことを言っている。
二人は、結構な時間、楽しそうに話していた。始めこそ、リーリンの不安を取り除くためにアルバがミリンダに頼んだことだが、最後の方はミリンダもリーリンとの会話を楽しんでいたようだ。
比較的口下手だと自覚しているアルバだったが、流石にすべてのことをミリンダに丸投げするわけにもいかず、ミリンダとリーリンの会話に少しは参加しようと思っていた。
しかし、初めこそ本当に他愛ない話だったために、アルバも会話に入っていけてはいたのだが、だんだん話の方向がアルバのことになってきたことで、アルバは二人の会話に入っていけなくなったのだ。
ミリンダもリーリンも、一番の盛り上がりを見せていたことで、アルバは少し恥ずかしくなってしまい、会話の後半は黙ってコップのお茶をただひたすらに飲んでいただけだ。
そんなアルバに代わってミリンダのおかげで、リーリンの表情も徐々に明るいものへと変わっていった。
だが、やはり明日の事が完全に気にならなくなるということはなく、会話が途切れると、すぐに眉を下げて不安そうにしているリーリンの顔を何度か見た。
会話も盛り上がっていたのだが、もう遅い時間になったことで、リーリンはミリンダとの会話を切り上げ、自分の部屋に戻るため、立ち上がったというわけである。
リーリンはミリンダが開けてくれた扉の前に立つと、アルバの方に振り向く。
「アルバさん。明日、私は大丈夫でしょうか?」
胸の前で、片手を強く握りしめているリーリンが、真剣な眼差しで椅子に座るアルバのことを見つめている。
アルバはそんなリーリンに対して、椅子から立ち上がると、近くまで歩いて行った。
近くでリーリンの目を見る。その目は不安で潤んでいた。
「モンスターが怖いか?」
「はい……それもありますけど、うまく訓練できるかも不安で。私、授業の時みたいに魔法が撃てなくなるんじゃないかって。他の自警団の人達に迷惑かけちゃうんじゃないかって思うんですよ……」
リーリンは今はない自分の武器のことを想っているのか、右手に視線を送っている。
魔闘科での初めての実践訓練。リーリンは、自分に迫るロイボアに対して、恐怖のあまり魔法を撃つのに時間がかかってしまった。
またあの時みたいに、自分のせいで誰かに迷惑をかけてしまうんじゃないかと心配しているのだ。
さらに、自警団は魔闘科のクラスとは違い、アリスが学園でも実力があると認めた面々が揃っている。そんな中でモンスターが怖いからといって、魔法を発動できないなんて自体には、なりたくないのだろう。
授業ではモンスターは一体だと決まっている。だが、森に入るということは、どこからモンスターが襲ってくるかも分からない。誰かが必ず守ってくれるとは限らないと、リーリンは思っているかもしれない。
本当なら、まだ実践訓練の授業を少ししかやっていない、リーリンの様な生徒を森に連れて行くなんてしないはずだ。もっと、時間をかけて、それこそ、魔闘科の授業のように徐々にモンスターに慣れてから、全員が万全の状態になった時に、森での訓練を実施すべきだった。
しかし、アリスはそんな時間が待てないほどに焦っている。学園からヴァニタスを、アルバを追い出したい一心で、リーリンの様な生徒がいるのを分かったうえで、今回の訓練を強行したのだろう。
あのライラが、簡単に頷くとは思えないからな。一回だけでアリスの意見が通ったとは思えない。
「上手くやろうと思わなくてもいい」
アルバは不安そうなリーリンの気持ちを和らげるために、比較的柔らかい声音を意識して言う。
「モンスターとの戦闘で大事なのは、生きて帰ってくることだ」
「そうですけど……」
「どうしようもなくなったら、誰かに助けを求めればいい。訓練という名目なら、誰かは必ず安全確保のために動いているはずだ」
森に行くといっても、それは『訓練』だ。
焦っているアリスでも、流石に安全の確保は最優先に考えているはず。
いくらアルバを学園から追い出したいと思っても、自警団のメンバーに怪我をされてはアリスとしても本末転倒になってしまう。
そこはしっかりとしているはずだ。だから、強行ともいえる今回の訓練も、ライラの許可をとれているのだろう。
「俺の言葉が信じられないなら、アリスを信じればいい。アリスが自警団、リーリンのことを進んで危険な目にあわせると思うか?いざとなったら、あの自分とヴァニタス以外には優しい王女様が、身体を張って助けてくれる」
「……はい」
アルバよりもアリスのことを近くで見ているリーリンにとっては、アリスを信じろといった方が分かりやすかったようで、少し考えた様子を見せた後、すぐに納得してくれた。
「分かりました。私、明日はアルバさんとアリス様を信じて、無理ない程度に頑張ります」
リーリンは固くなった身体から少しだけ力を抜くと、まだぎこちないまでも笑顔を見せてくれる。
「ああ。それでいい」
アルバはそんなリーリンに安心したように一度そう言うと、部屋を出ていくリーリンを見送った。
ミリンダは遅い時間なので、リーリンを寮まで送って行くとアルバに一度確認を取った後、アルバが頷いたことにより、リーリンと一緒に部屋から出ていった。
一人になったアルバは、もう一度ゆっくりと椅子に腰を下ろし、お茶を一口飲む。
結局、一番危険なのは、気持ちに余裕がないときなのだ。そう思うと、リーリンの心に少しでも余裕が生まれただけよかったのだろう。
アルバが出来るのはここまでだ。後は、自警団やアリスに託すしかない。
とはいっても、あの王女様のことだ。そこら辺はしっかりとしていることだろう。
アルバはミリンダが帰ってくるまで、一人部屋で刀の手入れをして待っていることにした。
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次の日。
アルバがいつもよりも少し遅い朝食をミリンダと食べ終えた後、学園に向かうために寮の部屋から出る。すると、ちょうど訓練場を横切り、学園の外を目指している集団を目撃した。
アリスの自警団だ。
先頭をアリスが歩き、後ろにはメンバーが綺麗な列になって歩いている。
その中には、昨日アルバの部屋を訪れたリーリンの姿が見える。武器のステッキを手に持ち、真剣な面持ちで、列を乱すことなく歩いて行く。
そしてそんな生徒達の一番後ろには、なんとカインがついて行っていた。
どうやら、アリスは自警団の護衛にカインを起用したらしい。
そんな、生徒先生合わせて約十数人の団体は、アリスのもと、全員学園から出ていった。
アルバとミリンダがそれを学園に向かいながら見送っていると、不意にアルバは誰かの視線を感じて学園の窓の方に視線を向けた。
すると、学園の一番上。理事長室にあたる窓から自警団の出発を見ていたらしいライラが、窓越しに学園まで歩いてくるアルバを見ていたのだ。
アルバと目が合ったライラは、ここまで来いというように手招きする。
アルバはそれを見て、学園に入るとすぐ、近くの階段を上って理事長室のある四階まで行く。
理事長室の扉をミリンダに開けてもらい、中に入った。
「なにか用か?」
アルバは理事長室に入ってすぐ、窓枠に腰を預けて、学園の下に目線をやっているライラに声をかけた。
「よく来てくれた」
ライラはアルバの言葉に、窓枠から身体を離し、アルバに向きなる。
「アリス達が今日、森への訓練に向かった」
「ああ。知ってる」
「そうか」
「よく許可を出したな」
「私としては未だに許してはいない。生徒を国外に出すなど、理事長として許すわけがない」
ライラは、いつもの椅子に座りながら、珍しくずっと外を気にしたように窓の先を見つめている。
「だったらなんで……」
「アリスが何度も頼みに来たんだ。ここ最近毎日のように、ここまで来てな」
ライラはアルバにその視線を戻すと、疲れたようにため息をこぼす。
「私がいくら『ダメだ』と突っぱねたところで、あの頑固なアリスは一切引かなかった。毎日、授業が終われば私のところにまで来て、何度もお願いしますと頼み込んできた」
アルバはそれを聞いて、なんとなくその時の情景を思い浮かべていた。
アリスの提案にライラは冷たく取り合ってくれない。しかし、それでもアリスは何度も何度もライラのところに訪れては、王女なのに頭を下げていたのだろう。
自警団の訓練もあるというのに、その時間を割いてまで。
「流石に、そこまでしている生徒の願いを突っぱね続けるわけにもいかない。ただでさえ、今私はヴァニタスを学園に入れたことで、生徒達からよくは思われていないからな。だから私は仕方なく、アリスに条件を出した」
「その条件は?」
「一つは、王女が国外へ出ることへのダリアンへの確認。二つは、森での訓練が自警団のメンバーの総意であるという証明。そして、三つ目が必ず護衛をつけること」
ライラの言ったことは全て、必要なことだった。王女が国外へ出ることに、いくら学園の生徒という立場であろうと、王様であるダリアンの許可は必須だ。そして、アリス個人の暴走でないことも確かめる必要がある。
さらには、学園の生徒の身を守るための護衛も大切だ。いくら学園でも実力者が揃っていたとしても、生徒である以上守らなければならないのだから。
「私としてはダリアンが許可しないと思っていたが……」
ライラがそこで眉をよせ、苛立ったような顔になる。
「あの親バカは私に『娘の意見を尊重します』とか言って、アリスに賛成した。さらに、アリスは私が条件を出した次の日には全ての自警団の意見を紙にまとめて、私の前に出して来たんだ。護衛もカインに任せたといってな」
そして、机の上にある紙束をアルバに見せてきた。
「それで、ライラが断る理由がなくなったてわけか」
「まぁな。理事長なんて立場じゃなかったら、私はずっと突っぱねられていたんだがな」
理事長は、生徒を第一に考えなければならない。
多くの生徒の賛同の声。一国の王の許可も出たところで、ライラには断り切れなくなったのだ。
生徒第一の姿勢が、ここにきて裏目に出たことになる。
「それで仕方なく。私は今回の訓練を許可したってわけだ」
ライラは不服そうに言う。
「護衛に騎士をつけなかったのか?」
「つけるつもりでいた。だが、あの森のモンスターであれば、護衛は一人でも十分すぎるぐらいだ。カインは魔闘科の授業で、大人数を守るにも慣れている。実力も折り紙付きで、もってこいの人材だ」
「そんなに強いのか」
アルバは驚いた声を上げる。
あの優しそうなカインが、ライラでさえ認める強さをほこっていたとは、正直思いもしなかった。
「あいつは元王宮騎士だ。レオナルド程じゃないが、それなりの強さと、確かな実践経験を持った実力派だ」
「意外だな」
「仕方ない。今は私の頼みで先生という立場になってしまっているからな」
しかし、少し考えれば不思議なことじゃない。
王宮直属の学園の先生なのだ。そこらの連中には比べ物にならないぐらいの実力者揃いなことは、想像できる。
「だったら問題ないんじゃないか?」
「まぁな。それに、アリスに気づかれないように、ダリアンが王宮騎士の数人を、森に向かわせる予定にもなっている」
そこまで厳重に安全対策が行われているのなら、何も心配することはない。
アルバはライラの話が終わると、何も考えず理事長室から出ていこうとする。
「だが」
すると、ライラがまだ話があるとして、言葉でアルバの動きを止めた。
アルバがゆっくりとライラに振り向く。
「森に向かうはずだった王宮騎士は今、街に出た生徒の警備にあたっている」
そう言って、ライラはアルバに対して、ここに呼び出した本当の意味を口にする。
「アルバ。今から王宮に行ってもらう」
「どういうことだ?」
「ダリアンから呼び出しだ。少々、困った事態になっていてな」
「……」
「学園のことは気にするな。私がいれば問題はない」
そうして、ライラはアルバに対して、魔法を使う。
アルバの視界がぐらりと歪み、足が浮いたように地面を感じられない。
「事情はダリアンに聞け。頼んだぞ」
アルバの視界が完全に変わる前、ライラのそんな声が耳に届いた。




