アリスの評判 ヴァニタスから見たら
アルバとミリンダが互いに、前に置かれたサンドウィッチを食べている間、エルと母親はアルバ達に一声かけて、店の奥に消えていった。父親に昼食を届けに行くという。
アルバ達には何気なくそのことを伝えていたが、心は不安でいっぱいなんだろう。
離れていく間、母親とエルの手はずっと繋がれたままだった。
そんな二人を見ていると、向かいに座るミリンダがポツリと呟く。
「不安そうな後ろ姿を見ると、どうしても自分に何かできないのかなって思っちゃいます」
それはミリンダの本心だった。
しかし、その発言に答えられる人間はここにはいない。
ミリンダはもちろん、アルバ、エマまでも同じ気持ちでいるのは確かだ。
すると、エマが静かにミリンダの言葉に返す。
「私達にはもう何もできないよ」
「そうだね。あとは、エル君とお母様次第……」
ミリンダは心配そうに、店の奥を見つめたままだ。
「父親の状態はどんなだ?」
アルバはエマに顔を向けそう聞いた。
同じ家で暮らしているのなら、父親の様子も目にしているはずだ。
エルや母親に聞いても良かったが、母親のあの様子を見てしまっては、流石に直接聞くのは憚られる。
「命の危機は逃れたってぐらいかな」
エマは店の奥へと送っていた視線をアルバに向けながらそう答えた
「少しは料理も食べるようになってきてるけど、一口二口ぐらいだしね」
「まだまだか」
「でも、エルもお母さんも頑張ってるよ。毎日店の営業が終わってすぐに、キッチンを使って二人でお父さんの夕食を作ってるんだから」
そう言うエマからは感心したような雰囲気が伝わってくる。
すると、店の奥からエルと母親が出てきた。
「どうでしたか。お父様は」
そんな二人を見て、ミリンダは立ち上がって聞く。
「はい、なんとか少しだけですが昼食は食べてくれました。今は部屋で寝ています」
「そうですか。よかったですね」
「はい」
ミリンダに答えた母親の顔は、さっきまでとは違い、明るい表情をしていた。
片手はしっかりとエルと繋いでいる。
「お皿、片付けますね」
母親はアルバ達がサンドウィッチを食べ終えたのを確認すると、エルと繋いでいた手を離して、テーブルに置かれた皿を片付けようとする。
「いや、私が片付けるよ。お母さんはエルと休んでいてください」
しかし、それをエマが遮った。
母親の手を止めて自分が皿を二枚持って歩き出そうとしている。
「……はい。分かりました」
「エルもそうだけど、お母さんも無理したらダメですよ」
エマはそんな言葉を残して、店の奥にお皿を持っていく。
そんなエマを母親は無言で見つめたまま静かに頭を下げた。
「私達も休憩しよう」
皿を片付けに行ったエマは、戻って来るなりそう言って、アルバ達の近くのテーブルに、水の入ったコップを三つ置くと、椅子に腰を下ろす。
「いいんですか?」
母親の方は、アルバ達の事を気にしたように見ていた。
エルはすでにエマの向かいの席に座っている。
「いいのいいの。この二人の事は気にしなくて」
「でも……」
「お母様も座ってください」
エマの言葉にも母親は渋った様子を見せるも、最後はミリンダに背を押される形になり、エルの隣の椅子に座る。
全員が椅子に座ったところで、エマが唐突に口を開いた。
「それにしても、なんで私に隠していたの?」
「なにがだ?」
「決闘の事だよ」
分かっているだろと、言葉の最後に付け加えて、エマはミリンダとアルバを見つめてくる。
「驚かされたよ。まさか、レオナルドの相手がアルバだったなんて」
「ごめんね。言うタイミングがなくって」
ミリンダが軽く身体の前に手をあわせて謝る。
「なに?アルバ兄ちゃん、誰かと戦ったの?」
すると、エルが目を輝かせながら食いついてきた。
「そうだぞーエル。この兄ちゃんはつい最近決闘したんだ」
「ほんとに!?」
エルはアルバを無邪気に見つめる。アルバはそれに静かに頷くと、エルは「すげー」と言いニコニコした顔を向けた。
「それって、前にエマさんが見に行ったっていう王宮で行われた決闘のことですか?」
母親が記憶を辿るようにして呟いた言葉に、エマが反応する。
「そうそれです」
「じゃあ、王宮騎士に勝ったってことですか……」
母親が圧巻というような顔をして、アルバを見る。
「思い出した!」
エルが何か思い当たることでもあったように大きな声でそう言った。
「エマ姉ちゃんがハラハラしたって言ってたやつだ」
「そうそう。私は正直途中で負けるって思ったけどね」
「まぁ、俺だって負けるかもって思ったさ。レオナルドの強さはとんでもなかったからな」
「でも、勝っちゃったんですよね?」
「ああ。ぎりぎりな」
エルの母親にそう聞かれ、アルバは肩をすくめて答えた。
強がっているというわけではなく、事実を言っただけだ。
しかし、そう言ったアルバをエルはずっと、憧れのような視線で見ていた。
そしてそれは母親の方も変わらない。
「やっぱりすごいですね。王宮騎士に勝つだなんて……私達ヴァニタスでは考えられません」
「どうやって勝ったの。すごい魔法を使ったとか?」
エルと母親がそれぞれの反応を見せているのを見て、アルバとミリンダは少しだけ違和感を覚えた。
特にエルの発言は気になった。『魔法を使った』と言っている。
「魔法は使えないぞ」
アルバはエルの言葉を否定する。
すると、エルと母親は同時に動きを止めた。
「あれ?気づいていなかったんですね」
ミリンダはその二人の様子にそう呟くと、ゆっくりと口を開く。
「アルバ様は、エル君達と同じ『ヴァニタス』ですよ」
ミリンダの言った言葉に、エルと母親は一瞬目を見開く。
「うそ……」
「兄ちゃんも俺らと同じ」
まるで信じられない者でも見るかのように、アルバを見たまま口を開けている二人。
「そっか。普通分からないよね。魔力見えなんだから」
そんな二人をエマまでも驚いたように見ている。
しかし、考えてみればアルバもミリンダも誰も、アルバのことをヴァニタスだとは言っていない。ヴァニタスは魔法と使える人から見れば、一発で分かる。それに慣れ過ぎて今まで考えたこともなかったが、魔力が見えないヴァニタスにとってみれば、相手がヴァニタスだろうかどうかなど分からないのだ。
アルバが前に森で助けた男性の事を、ヴァニタスだと認識できなかったのと同じことだ。
エルと母親も、アルバの事をヴァニタスだとは思っていなかったみたいである。
「すげ……すげぇ!!アルバの兄ちゃん、ヴァニタスなのに王宮騎士に勝ったんだ!」
母親よりも早く正気に戻ったエルは、興奮したようにアルバの近くにまで来る。
子供らしく、アルバを憧れの眼差して見つめていた。
「私もそう思います。ヴァニタスでも王宮騎士に勝てる人が、この王都にもいたなんて」
「……アルバ様は王都国民ではありません」
母親の言ったことにエルの相手をしているアルバに変わって、ミリンダが静かに答える。
「やっぱりそうなんですね」
「はい。ヴァニタスの国、グリードからいらしたんです」
「グリード……聞いたことないですね」
母親は申し訳なさそうにアルバを見てそう言った。
王都で暮らしている以上、ヴァニタスの国のグリードのことなど知らなくても仕方がないだろう。
「こらエル。落ち着きなさい。アルバさんに迷惑でしょ」
「はーい」
母親はすぐに表情を戻すと、アルバの刀や身体を興味深く触ったりしているエルに向かって注意した。
エルは素直に母親の言うことを聞き、自分の席に戻る。
「それで、決闘に勝ったってことは、学園の関係者になったんだよね」
「ああ」
「ってことは、仕事中か何かじゃないの?こんなところでゆっくりしてて大丈夫?」
そう言うエマは、大まかにメイン通りの方を向いている。
今日が学園の休みであることを知っているようで、メイン通りに戻らなくていいのかと言っているようだ。
「大丈夫だ。今日は休暇みたいなもんだから」
アルバはエマに事実を言うと、コップに入った水を飲む。
冷たい水が、身体の中に染み渡る。
「学園って?」
エルがエマに対して首をかしげながら聞く。
どうやら学園のことはエル達はよく知らないようで、母親も初めて聞く言葉にエルと一緒にエマの説明を待っている。
「王族とか貴族の子供が通うとこ」
「はい。そこでアルバ様は、生徒の方々の安全を守っているのです」
「ふーん」
エマとミリンダの説明に、エルはそう言った後、アルバに対して何かを心配するような視線を向けてくる。
「アルバ兄ちゃん大丈夫?」
「なんでだ?」
「だって、王族とか貴族ってあんまり……」
そこでエルは眉を寄せて黙ってしまった。
エルの言いたいことはそこまででよく伝わってくる。
自分達を同じヴァニタスだからと、アルバのことを気にしてくれているらしい。
アルバはエルにどう返そうかと少し悩んだが、正直に言うことにした。
「まぁ、大丈夫って言ったら嘘になるだろうな。現在進行形で、俺は学園から追放されそうになってるわけだからな」
アルバの言った言葉に、ミリンダ以外の三人が言葉を失っている。
しかし、エマはすぐに何かを察したようにアルバを見た。
「な、なんで!?だって、アルバ兄ちゃんは決闘に勝ったんだよね。強いってことじゃんか!」
すると、エルが憤慨したように声を上げた。
今にも立ち上がりそうなエルの身体を、隣の母親が押さえる。
「そうだとしても、世の中には強さだけじゃ解決できないこともあるんだ」
エルを諭すようにアルバはそう言った。
でも、エルはそれで納得するわけがない。未だに怒りが抑えきれないように、言葉を出し続ける。
「おかしいよそんなの!だって、王宮騎士って王都の誰よりも強いってことでしょ!?それに勝ったアルバ兄ちゃんが守ってくれるんだ。文句が出るなんて俺……俺……!」
悔し涙だろうか。大きく見開かれた瞳は、怒りとは裏腹に潤んでいた。
エルのその態度に、ミリンダは悲しそうに顔を伏せる。
エマはただ黙ってそれを見ているだけだ。
しばらく、悔しそうな顔のまま、母親になだめられていたエルだったが、すぐにその表情は落ち着きを取り戻してくる。
エルだって、アルバが学園から追放されそうになっている理由は、すぐにでも分かっていた。ヴァニタスなら誰だって簡単に想像できただろう。しかし、自分達を助け、王宮騎士にも勝ったアルバは、エルにとっては恩人以上の存在になっていたのだ。頭では分かっても、心では認めたくはなかったのだろう。
それは、逆の意味で学園の生徒と同じだった。
エルが落ち着くのを待って、アルバは口を開く。
「ありがとなエル。俺のことでそこまで怒ってくれて」
「別に……」
「それで、アルバさんはどうするんですか?このまま学園から出ていくんです?」
「そのつもりはない。だけど、俺を追放しようとしている奴が少し厄介でな……」
「厄介……誰なんですか?」
「……」
エルやエルの母親から向けられる疑問の視線に、アリスの名前を出して良いものか少し悩んだアルバだったが、その悩みはエマによって潰される。
「もしかしてだけどそれって、王女様。アリス様だったりする?」
エマが唐突にそう言ってきた。
やっぱりエマは薄々気づいていたみたいだ。元王宮騎士なだけに、それなりに王族のことは知っているらしい。
アルバはエマの言ったことに首を縦に振り、肯定の意を示した。
「やっぱりね。学園から追い出そうなんて普通の生徒じゃ、たとえ思いついたとしてもどうしようもないもん。それをやるっていったらアリス様ぐらいだと思った」
学園にアリスがいることは、王都のほとんどの人が知っていることだ。
エマもそれは変わらなかったようで、アルバの発言ですぐに、アルバが言っているのがアリスのことだと思い当たったようだ。
「ああ。それで、アリスについて何か知ってることがないかと思って、ここに来たんだが」
ここでアルバは初めて、コリンズに来た理由を口にした。
「どうして、アリスがあそこまでヴァニタスを嫌うようになったか、何か分からないか?」
アルバは主に、元王宮騎士のエマに向かって問いかけた。
エマはアルバの言葉に少し考える素振りをした後、アルバに向き合う。
その表情はいまいち良くはなかった。
「悪い。私もよく分からないんだ」
「そうか……」
これで、手詰まりになってしまった。
エマが知らないのであれば、もうアルバの頼れる人は他にいない。
だが、エマの言葉はまだ終わっていなかったようで、「だけど」と言い、自分の言葉に付け足すように口を開く。
「だけど、アリス様がヴァニタスを嫌い始めたのは、少し成長してからだったみたいってことは、誰かから聞いたことはあるよ」
「なるほど」
「子供の頃、それこそエルぐらいの歳の時は、あの両親と同じようににこやかに笑う女の子だったみたい」
「……意外だな」
「まぁ、今の様子しか知らないとそう思うよね。ある時からか、アリス様は今みたいに真面目になって、あまり心から笑わなくなった。そんなことを前の仕事の時の先輩が言ってたように気がする。あんまりはっきりとは覚えてないけど」
「いや、助かったよ」
エマの言ったことが本当なら、エルよりも少し成長した時期に、アリスの身に、心境を変える何かがあったことは確定したことになる。
アルバが思っている通り、ちゃんと理由があったのだ。
それを確かめるには、もう本人かアリスの両親、ダリアンとサマリーに聞くしかない。
「アルバには悪いけど、私が見る限り、アリス様は別に悪い子じゃないと思うけど?王都の王族としては当然っていうか、まぁ、そんなとこ」
「それに、とても綺麗な方ですから」
すると、エマの発言を肯定するように、エルの母親がエマの言葉に付け足す。
それに、少なからずアルバは驚いた表情をしていた。
てっきり、ヴァニタスが嫌いなアリスのことを、ヴァニタスであるエルの母親は嫌っていると思っていた。しかし、それは違ったようだ。表情を見ても、母親が嘘などついているようには見えない。
「何となくですけどね。悪い子にはどうしても見えないんです。なんででしょうか?」
自分でもその理由は分かっていないのか、エルの母親はそう言いながら首をかしげた。
アルバにもその理由は分からない。だが、もしかしたら子供を持つ親として、何か感じることがあるのかもしれない。
だが、そんな母親とは対照的に、隣に座るエルの表情は強張っていた。
「俺は、あの人嫌い」
ポツリと呟く。
「だって、俺達を見る目が街の奴らと同じだったんだ」
「会ったことがあるのか?」
そんなアルバの質問に、エルではなく母親が答える。
「はい。一回だけですけど、主人がああなって路地裏生活をするようになった時に、会っているんです」
「アリスがヴァニタスに会いに来た……?」
信じられないことにアルバが少し困惑していると、すぐに母親が否定する。
「いえ、会いにというよりも、ヴァニタスの現状の視察のため、路地裏に訪れた王様の付き添いで来たと言った方が正しいですかね」
「なるほど」
「そん時にね、アリスって姉ちゃんが俺たちのこと睨んできたんだ。別に何もしてなかったのにさ」
その時のことを思い出したかのように、エルの口調が少し荒くなる。
「同じだった。街にいる奴らと同じように、俺達のことをバカにしてきた」
だんだんと落ち着きのなくなるエルを、母親が優しく頭をなでることで抑えていた。
そのおかげか、アルバの話の時みたいに取り乱すことはない。落ち着いたまま話せている。
「王宮の人間はみんな同じだ。違うのは王様だけだよ」
最後に小さくそう言ってエルはアルバの方を向く。
「だから、アリスなんて人に負けないでよ」
「分かっている。初めから負けるつもりはないから、安心しろ」
アルバは自分の席から立ち上がり、こちらを向くエルの頭をくしゃくしゃと力強くなでる。
「だから、エルも頑張れ」
「うん!」
エルの元気のいい返事を聞くと、ミリンダにアイコンタクトで店から出ることを伝える。
ミリンダがアルバの目をまっすぐに見てそれを察すると、会計のために、エマに近づく。
慣れたようにエマはミリンダとの勘定を済ませる。
アルバとミリンダが店の扉に手をかけたところで、後ろにいるエルから声をかけられた。
「また来てよ!」
「ああ。暇なときにな」
「絶対だからね!」
「分かった」
エルの大きな声に見送られ、アルバ達は店を後にする。
「メイドの姉ちゃんもね!」
すると、最後にエルがミリンダに向けて大きな声を上げた。
それにミリンダは嬉しそうに振り向くと、
「はい。また来ます。お父様にもよろしくお伝えください」
そう言って頭を下げた後、身体前で小さく手を振った。




