エル家族の新しい門出になるかもしれない
「話してくれてありがとう」
思い出したくない辛い現実を、心を痛めながら話してくれた二人に、アルバは感謝を述べる。
エルは未だに母親の胸の中から顔を上げる気配はない。仕方ないだろう。
小さい子供には、自分の父親に起こったことは衝撃が強すぎる。
それでも、アルバに話してくれたことが、エルの精神的な強さを物語っていた。
アルバはもう一度父親を見る。
ボロボロの服は周りの人たちと変わらない。自分の事を語っていた家族の方を見てはいるが、その目の黒目は何を見ているのか分からない。家族の事も分からなくなってしまっているかのように、ただただ無表情に見ていた。
何も食べていないのか、頬は痩せこけて、手足も細くなっている。立ち上がることも出来ないように思えるほど、父親は人間らしくなかった。
「食べ物はどうしてる」
父親の表情を見ていて、アルバは思ったことを、母親の方に聞いた。
エルと母親の方は、まだ生気があるだけに、どうしているのかアルバは気になったのだ。
「食料はなんとかなっているんです。今の王様になってから、街の店で買うのが難しい私たちヴァニタスのために、毎日ヴァニタスが生活する近くの道に野菜や果物が置かれるようになったので」
母親はそう言って儚げな顔を上げる。
ダリアン王の想いが形になっている証拠でもある。しかし、同時に一国の王だろうと、ここまでのことしか出来ないのが現状であることも分かる。
王都のヴァニタス問題がどれほど根強く深刻なのか、まざまざと見せつけられたようだ。
「エルと一緒に毎日取りに行っては、どうにか食べ繋いでいるのですが……主人の方は、それに一切口をつける様子はないのです」
母親の方は、やせ細ってしまった父親の方を見て悲しい表情を浮かべる。
かつて愛した人間が、このようになっていくのは見ていて耐えられないものだろう。
「あんなに私の料理、美味しそうに食べてくれたのに……」
当時の事を思い出したかように、母親はその悲しい顔に、少しだけだが柔らかい表情が垣間見える。
エルの事もあるだろうが、母親の父親を見る表情で、こんなになってしまっても愛していることが伝わってくる。見捨てず一緒にいることもそれが理由だろう。
父親のこんな姿をエルに見せることはあまり良いこととは思えないが、家族の事を大好きだと嬉しそうに語ったエルを、父親と離すことなんかできなかったのだ。
両方大事な母親にとっては、毎日心が押しつぶされるような気分だっただろう。
エルもそんな両親を見て、自分が守るんだという意思が強くなったはずである。
「ミリンダ」
アルバはそんな家族の姿を見て、父親の様態を見ようと思った。
このままいけば、この父親の命はもう長くないだろうことはアルバにも分かる。
せめて父親が今どういう状態なのか分からないかと思い、アルバは、最初に来たところから動けないでいるミリンダに声をかけた。
「……は、はい!」
ミリンダは突然自分に話が向いてきたことに、気づくのが遅れる。
慌てたようにアルバに返事をした。
「父親の容体って、大体でいいんだが見れるか?」
「はい。大丈夫ですよ。魔法を使いますけど……」
ミリンダは事もなげに答える。
メイドとして、仕える人のいざっていうときに対応できるように、数々の知識を頭の中に入れている。体調を崩した時の対応もしっかりと心得ているのは当たり前である。
ミリンダがエルたち家族の方に歩いてくる。
「……」
しかし、ミリンダの足は少し歩いたところで止まってしまった。
父親の前に、先ほどまで母親の胸にいたはずのエルが立ちふさがったのだ。
「えっと……」
ミリンダも困ったようにアルバとエルの両方を見る。
「エル君。そこを退いてもらえませんか……?」
「……」
ミリンダはエルに対して優しく声をかけるが、エルは父親の前から退こうとはしない。
黙ったままそこに立っているエル。
そんなエルの様子を母親はただ見つめている。
「あのー」
「……嫌だ……」
ミリンダが困り果てていると、エマから小さな声が漏れる。
エルは今まで俯いていた顔を上げてミリンダを見る。
「嫌だ!」
大きな声でミリンダに向かって叫んだ。
「でも、お父様の容体を見るには……」
エルの様子に気おされるようにミリンダは答える。
「そんなこと言って、父ちゃんに魔法で何かするつもりだろ!」
エルはさっき泣いたことで赤くなった瞳に力を入れて、ミリンダを睨む。
「そのようなこと私はしません」
ミリンダもエルに応えるように、激しく首を振り、エルの言葉を否定した。
だがエルは納得していないようで、ミリンダを睨みつけたままだ。
「嘘だ。俺は信じないぞ」
エルは頑なにミリンダの言葉を信じようとはしない。
エルの今の表情はアルバに対して最初にしていたのと同じだが、エルのミリンダに対する言葉は、アルバの時よりも強い気がする。
「どうして……」
ミリンダはエルの様子に困ったように肩を落とした。
アルバもエルの態度には疑問が残る。ミリンダはアルバと一緒にここに来た。それをエルは分かっているはずである。アルバに対して警戒を解いたときに、ミリンダに対しても大丈夫だと思ったが、そんなアルバの考えは間違っていたようだ。
エルはアルバの時よりも警戒しているように見える。
個人的に何かあるのかもしれない。
「俺、知ってるんだぞ。その服装。王宮メイドってやつだろ」
エルはミリンダの服装を指さして、そう言った。
「王宮の人間なんて信用できない!!」
そのままの勢いで、ミリンダを睨みつける。
アルバはエルの言葉に納得がいった。アルバはエルたちにとってみれば、どういう人間なのか見ただけでは分からない。だからこそ、優しく自分の頭を撫でたアルバは危険じゃないと認識できたのだろう。
しかし、ミリンダはそうじゃない。メイド服に身を包んでいることで、安易に自分の身分を伝えているようなものである。
日ごろ不当な扱いを受けているエルたちには、王宮に対する憎しみは強い。そのために、いくらアルバが連れていたとしても簡単に信じられないのだ。
さらに、ミリンダが魔法を使うと言った発言も相まって、エルの警戒心が上がった。得体のしれない魔法を、父親に使われるのは我慢できなかったのだろう。何をされるか分かったものじゃない。
しかし、このままエルの父親を放っておくわけにもいかない。ミリンダの力は必要だ。
アルバはエルに語り掛ける。
「エル。ミリンダは大丈夫だ。信用していい」
アルバはエルに分かりやすいようにゆっくりと言った。
「でも……」
エルはアルバの言葉を受けて困ったように表情を曇らせる。
アルバの言葉は聞きたいが、王宮関係者は信用できないといった感情がエルの心の中でせめぎあっていた。
「大丈夫だ」
アルバはもう一度エルに対して分かりやすく言った。
すると、エルはアルバに向けていた視線をミリンダに戻す。
ミリンダもエルの目をまっすぐに見つめると
「私に、大好きなお父様をまかせてくれませんか?」
エルを安心させるように、優しく微笑んだ。
「……わかった。いいよ」
エルはミリンダの気持ちが伝わったのか、そう言って父親の前から身体を退かす。
「ありがとうございます」
ミリンダがエルにお礼を言って、父親の近くまで歩いてくると、膝をついた。
「ちょっと失礼しますね」
ミリンダは父親の手前で手をかざすと、精神を集中させた。
父親の身体が仄かな光に包まれる。
その様子を、エルは心配そうに見つめている。隣には母親もついていて、親子そろってミリンダを見ていた。
しばらくして、父親の身体から光が消えると、ミリンダがエルたちの方に振り返る。
「終わりました」
「どうだった?」
父親の容体がどうなっているのかアルバはミリンダに聞く。
エマと母親も黙って、ミリンダを待っている。
「やはり、栄養失調ですね。身体の力や免疫力も低下していて、このまま放っておくと、お父様の命は、もう長くはありません……」
「そうか」
ミリンダの口から、残酷な言葉が伝えられた。
エルと母親は黙ったまま父親を見ている。少し取り乱すと思っていたが、そんなことはなかった。
日々弱っていく父親の姿を見ていたら、嫌でも分かっていたのだろう。
「魔法で治したりは……」
アルバは少しの希望をもってミリンダに問いかける。
しかし、ミリンダが首を縦に振ることはなかった。
「それはできません。魔法は見える傷や汚れを取ることは可能でも、亡くなった人を蘇らせるようなことができないように、心の病を治すこともできないのです」
ミリンダは申し訳ないように目線を落とす。
「何か、お父様の心に直接語り掛けるような何かがあれば、もしかしたら変わるかもしれませんが……」
ミリンダがそう、ポツリと呟く。
心が壊れてしまった人を治すのには、その心に響く何かがないと、難しい。
「何か思い当たることってありませんか?」
ミリンダも希望を込めてエルたちを見る。分かるとしたら、家族である二人しかいない。
しかし……
母親の方は思い当たることがないようで、顔を覆ってしまった。
「…あるよ…」
すると、必死に思い出そうとして黙っていたエルの口から言葉が漏れた。
「ほんと…?」
母親がエルを見つめる。
「うん。俺にね、父ちゃんが言ってたことがあるんだ」
エルは確かに頷いた。
「母ちゃんには内緒って言われてたんだけどね」
そう前置きをして、エルは母親の目を見て話し始めた。
「父ちゃんにね。なんでそんなに頑張れるのって聞いたことがあるんだけど、その時父ちゃん楽しそうにこう言ってたんだ。母ちゃんの美味しい料理を食べて、エルと母ちゃんの笑顔を見ればそれで幸せなんだって」
楽しそうに母親に向かってエルは語った。父親の想いを。
母親はそれを受けてついに、泣き出してしまう。
ミリンダももらい泣きしそうになっていた。
アルバはそれを聞き一つの案が頭の中に思いついていた。
どうなるかは分からないが、何もしないよりはマシだろうと思い、エルと母親に向く。
「エル。喫茶コリンズってとこ知ってるか?」
アルバに問いかけにエルは戸惑い気味に答える。
「知らない……」
エルは首を振る。
「そうか。コリンズは俺たちがここに入ってきた道を抜けて、右に曲がってまっすぐ行ったところにある。木の立て看板が目印だ。そこに、家族を連れていけ」
「でも、扉開けれないよ……」
エルは不安そうにアルバを見つめる。
「大丈夫だ。コリンズの扉は魔道具じゃない。そこにいって、エマっていう女性が出てくるから、事情を話して、お父さんにお母さんの手料理を食べさせるんだ」
アルバのその言葉でミリンダにも、アルバの考えが伝わった。
ミリンダもエルに向かって言葉をかける。
「もしかしたら、大好きなお父様が帰ってくるかもしれませんよ」
優しく微笑む。
エルはまだ不安そうにしている。
母親はエルの言葉で、泣き崩れてしまっている。これまで我慢してきた気持ちが一気に溢れ出たようだ。父親の傍から離れられない様子である。
頼めるのはエルしかいない。
「大丈夫だ。エルは強い」
エルを勇気づけるように、アルバはエルの肩に手を置く。
「家族、守りたいんだろ」
アルバは語り掛けるようにそう言った。
エルは強い。アルバに疑いの声はない。得体も知れないアルバたちに対して、家族を守りたいという一心で、立ち向かってきたんだ。なかなか、この歳でできることじゃない。
だからこそ、アルバはこいつなら大丈夫だと信じれる。
アルバの気持ちが伝わったのか、エルは顔を上げると、頷いた。
「分かった。俺に任せてよ!」
エルは胸を張ると、元気に歯を見せて笑った。




