それは全部ソラゴトだ【お試し番】
ちまちま書いてはいたのですが、公開まで漕ぎ着けない気がするので、一部分だけ公開して一区切りつけようと思います。好きな人には好きなテイストの作品かもしれません。
高校最後の春休みも終わりという時のことだ。僕は怪物に出会った。
いや、出会ったという表現はなんだか可笑しい気がするので訂正しよう。僕は怪物にぶつかった。
その日僕は、10年来の友人である神凪明日陽の家に向かうといったところだった。彼女の家に向かうために、最近新調した自転車を軽快に走らせ、坂を下っていた時だ。
僕も警戒を怠っていたとはいえ、それなりにブレーキはかけていたのだ。しかしタイミングが悪かった。気付いた時には、飛び出してきた歩行者を轢いてしまったのだ。
正面衝突。
相手を殺しかねない大事故。僕も自転車から投げ出され怪我を負ったものの。その歩行者に比べれば、ごくごく軽い怪我だったといえるだろう。直ぐに起き上がり、轢いてしまった歩行者を見る。カーディガンに付いたフードで隠れて見えにくいが、頭から流れ出た血は、彼女の肩口の開いたシャツの襟首を赤く染め、デニムのズボンは泥で汚れている。
一瞬で脳裏が凍りついた。
思考の追い付かない頭を使いながら、震える手で自分のスマフォを操作する。
救急車! 救急車!!
呼び出すのは119番。一刻も早く救急車を呼ばなくては、恐らく彼女の命が危ないのだ。
ガタガタといまだに振動を止めない手を、もう片方の手でしっかりと押さえスマフォを耳に当てる。二回のコール音が鳴り終わると同時に、男の人の声が流れた。
「もしもし! 今女の人を轢いちゃって! 頭から血が出てて! きゅ、救急車を呼んでください!!」
要領を無い言葉に、その人はまずその轢いてしまった彼女が息をしているのかどうかを確認してくる。僕は言われた通り彼女が倒れている場所を見て、確認をしようとした。
そう。確認しようとしたのだ。
「……あ……れ?」
彼女が倒れていたであろうところには、誰も存在していなかった。あるのは僕の倒れた自転車だけで、そこで事故があったことは物語っていた。
あれだけの事故。頭から血を流し、倒れていた彼女。その彼女が何事もなかったように立ち上がり、僕を無視して一人でに帰ったと言われてもまったくもって信用できない。信用できる要素もない。
不可解だ。
ゆっくりと立ち上がり、腕をだらりと下げた。スマフォが繋がっていることも忘れ、僕は彼女が横たわっていた場所に手を触れる。まだ温かい、なんてことは言えないが。確実にここで倒れていたという証拠は存在した。
アスファルトを黒く汚した、彼女の血だ。
倒れていた。本当に倒れていたんだ。それなのにどこかに消えてしまった。音もなく、僕に気付かれることなく、まるでそこに居なかったかのように。
そんな奇妙な感覚になっている時に、突然影がかかる。ふと上を見上げてみると、そこには僕が轢いたはずの彼女が、満面の笑みで立っていた。
「どうもどうも人殺しさん? さっきはよくもウチを轢き殺しちゃってくれましたね?」
~黑齣~
「どうしたんですか人殺しさん? まるで幽霊にでも出会った人のように、鳩が豆鉄砲くらったような顔をしてますよ? あれですか? もしかしなくてもウチのことが幽霊に見えるんですか? 駄目ですよ? その歳……いや人殺しさんの年齢がわかるわけないんですが、その歳で網膜に影響を及ぼすほど目を悪くさせちゃ。あれでしょ? 夜中とかに本とか読んでたクチでしょ? あれ凄く目を悪くさせるんですからしちゃ駄目ですよ? 本を読む時とテレビを見る時は、部屋を明るくして離れて見ないとですね」
マシンガントークのように捲し立てられた言葉の数々に、とうとう僕の脳が悲鳴をあげる。完全に処理不足だ。このままでは色々と奇天烈なことを口走ってしまいそうだ。まずは落ち着く必要がある。そうだな。深呼吸をしよう。
「深呼吸をしていいだろうか?」
「構わないですけど、あなたは深呼吸をするときにわざわざ人の許可を得なければいけない、残念な思考の持ち主なんですか? もしそうだったのならば、ウチは君に構わないよと言った言葉を、すぐさま訂正したいと思っているんですが、それでも構わないですか?」
「構わなくない。僕はそんな他人の許可がなければ、生きていけない人間じゃない」
そう言って三度大きく深呼吸。脳内正常。心拍数良好。よし。
「さてと。先ほどはさすがに取り乱したのだが、まあそれは死に直面しそうな人がいて、その原因を作ったのが僕なのだから、そうならざるおえないと言えるだろう。まあその話は今はいんだよ。それよりお前の話だ」
彼女は首を傾げる。
改めて見ると可笑しいところしかない。血で汚れたはずのシャツは綺麗になっていて、泥だらけのデニムはまるでおろしたてのように新品だ。そしてなにより、頭から血を流していない。
普通に見て異常しかない。
「何で生きてる?」
「死んだからでしょ?」
「それは答えになってないだろう?」
「それはあなただけの考えだからでしょ?」
まったく内容が噛み合ってない。
「じゃあ言い方を変えよう。僕がお前を轢いたのは事実なのか?」
「それは疑いようもない事実ですね。ウチはあなたに無残にも轢き殺されましたよ。まあウチの不注意って言われれば弁解のしようもないほど事実なんですけど、それで一概にウチが悪者って言われることはけしてないといえますよ? だってウチは歩行者で、あなたは自転車に乗っていたのだから。こういう場合に注意を受けるのは、殺人兵器に乗っていたあなたの方になるんですから。まったく日本の法律はどこか歪に狂ってます」
一概にそうとは言えないのに、そうだろうと思ってしまうのは、僕が生粋の日本人だからだろう。実際に非を負ってみるまでは、わからないことが多すぎる。
「つまり僕は本当に人を殺してしまったんだな。そうならば、例え事故とはいえ罰せられるべき対象になるんだろう。少年法に守られているけど、それ相応の罪をかぶるとするよ」
まさかこんなことで僕の人生が狂わされるとは思ってもみなかったけど、人生なにが起こるかなんてわからないんだから、きっとこんなことが起こりうることもあるのだ。
「あなたは何を先走ってるんですか?」
「えっ? だって僕は……お前を殺したんだぞ?」
「ええ殺してくれました。でもそれ……証拠とかまるでないですよね? だってウチはこうして生きている訳ですし」
「あ……」
確かにそうだ。今この瞬間にもし僕が警察に出頭したとしよう。例えばこんな風に――
あの。さっき人を殺したんですけど、なんかその人は生きてるみたいなんですけど、でも殺しちゃったんで罪を償わせてください。
精神病院は回れ右だ!
――そう。こんな風に。
いやいや待て待て。こんな頭可笑しいことを僕が言う訳ないじゃないか。そもそも死んでるのに生きてるなんて説明したら、過失致死じゃなくてたんなる暴行罪とかそんな感じになってしまう。それに今目の前に居るこの人は、ピンピンしてるんだ。暴行罪すらならない。
でもまあ……証拠がない以上ごちゃごちゃと考えるのは面倒というものだ。
「確かに僕はお前を殺したと証明ができない。警察に行くのは全くの無駄骨だと逆に証明されてしまった。むしろ気付かせてくれて感謝と言ったところか」
「そうですよ、存分にウチという存在に感謝してください? あなたはウチのお陰で人殺しというレッテルを張られることなく、この先の人生を無駄にすることなく、のうのうと生きていくことができるんだから。それこそ神に感謝をするようにウチに感謝するのです。さあまずは跪きましょうか。そうして祈りましょう? ウチという恩人様に」
まったくもって感謝しかないのは確かなのだが、これとそれとはまったくの別物だろうなということしかわからない。確かにこいつは人生の恩人でもある。だが忘れているかもしれないが、この一連の事故は僕だけのせいでもない。そしてこの人が死んでいない以上、僕一人が罪を被ることはもうないと言ってもいい。
「ああ感謝はしよう。でもそこまでじゃない。確かにお前が生きていることは素晴らしいことだし、僕もできる限りの恩恵を授けたいとも思っている。だがよく考えてくれ、一連の流れをよく思い出してくれ。そもそもなんで僕がお前を轢いてしまったのか? それは一重に二人の不注意がもたらした不運な事故に他ならないからだと僕は思っている。現状、僕がお前に感謝をしなきゃいけないのは当たり前だ。だがお前もお前で先ほどの行為をしかと反省するべきだと考える」
「……それもそうですね。だけど感謝して欲しいんだから、感謝して欲しいんですよ。もうこの際跪けとか頭を垂れろとまでは言わないけどさ、ありがとうぐらいは言ってもいんじゃないですか?」
確かにそうだ。僕は自分のことばかり、罪を並列にすることばかりに頭を働かせていたみたいだ。恥ずかしい限りだな。
「そうだな。ごめんなさい。そしてありがとうございます」
「うん。いいよ。そういえば、どこかに行くところだったのですか? もしかして“轢き”止めちゃった?」
「ああうん。轢き止められたよ、文字どおりね」
というより。轢き止めたのは僕の方か。
「言ってくれるね~」
言わせた本人が何を言っているんだ。
とはいっても、彼女の意志を組み取って言ってしまったのは僕であり、つまり綺麗に彼女に誘導されてしまったのは僕である。
非常に不愉快な気分だ。
「轢き止めたけど、それはもうこの際いいよ。過ぎてしまったことをグダグダと引きずるのは、僕としても避けたいことだから」
「轢きに引きをかけた高度な洒落ですね。ウチよりもあなたの方がダジャレの才能があったみたいです。これは感服と言ったところですかね?」
「僕はそこまで狙い澄まして発言ができるほど頭はよくないぞ?」
というより、話が前に進まない。
進まないと言うよりは、彼女が意図的に進めていないのか、それとも無意識にこの会話を楽しんでいるのか――彼女でない僕がそんなことわかりえるはずないのだけれど、でも、意図してでも無意識でも、これ以上この場に留まるのは僕として非常に困ることだ。
僕はこれでも急いでいる。
神凪明日陽の家に行くためにこうして、暑くなり始めた昼下がりの道路を、自転車に跨り漕いでいたのだ。僕は別に自転車が好きな人類ではないので、年がら年じゅう自転車に乗ってなければいけない訳ではない。ただ時間がなかったから、歩くだけでは間に合わなかったから。だから僕は、僕の家から直ぐでもある彼女の家に、わざわざ自転車でいこうとしていたのだ。
お陰さまでこんな目にあってしまったが。
もちろん神凪明日陽の家に行くのには目的がある。そもそも、目的もなく人さまの家に押し掛けるのは、僕は気分的に好きではない。電話で済ませられるなら電話で、メールで済ませられるならメールで済ませるのが僕だ。ただ今回に限って言えば、それで済ませられなかったから、仕方がなく彼女の家にいくことになった。
「悪いけど。これ以上道草くってる場合じゃないんだ。轢き止めて悪かったけど、これ以上僕を引き止めないでくれ」
自転車を起こし、投げ出されていた鞄を籠に放り、再度跨る。衝突した時にハンドルが曲がったようだったが、まあ走行する分には問題ないだろう。
「ああ悪かった悪かったです。それは悪いことをしてたんですね。本当に急ぎだったとは……。長話に付き合わせました。それじゃあまたね――遊里道皐君」
彼女はそれだけ言って、僕が降りて来た坂道を登って行く。対象に僕は、自転車で坂を下って行く。
かなり時間をくってしまった。明日陽のやつ呆れてなければいいけど……。
「あれ?」
可笑しい。今の会話で少し可笑しなところがあった。当たり前すぎて、逆に見落としそうな、そんな違和感。彼女は言ったのだ。
「僕は彼女に、いつ名前を言ったっけ?」
ここで彼女を追いかけていたら、僕のこれからは何か変わっていたのだろうか。いや、変わらなかったかもしれない。変われるはずがなかったのかもしれない。なんせあの時、あの瞬間。彼女が生きていた事実をきちんと問い詰めなかった時点で、僕がこの問題に巻き込まれるのは必然だったのだから。