序章
僕はいつの間にか学校の図書室に立っていた。
誰もいないあの図書室。
窓から日が沈んでいくのが見える。その夕日は、異世界で見たあの夕日に比べ、えらくちっぽけなものだった。
ローガンからもらった麻袋も持っていたし、首にはロザリオもかかっている。
あれは夢なんかじゃない。
テーブルの上にあの時の大学ノートがあの日のまま置かれていた。
1ページ目をめくってみるが何も書かれていない。2ページ目も、3ページ目も……。
もうこのノートには、僕を異世界に連れて行ってくれる力はない。
ローガンの言う通り、一度帰ってくれば2度とあの世界には戻れないのだろう。
「でも、僕は戻ってきた……」
僕はこっちの世界を選んだ。
「冒険は……もう終わりだ……」
何とも言えぬその感情を抑えつけるため、僕はそう自分に言い聞かせた。
僕は約3日間を異世界で過ごした。
異世界での3日は、こちらでの1日に相当するらしい。
理由は僕が家に帰ったその日、1日学校をさぼったことを両親にこっ酷くしかられて問い詰められた。
偶然にも両親が留守にしていた1日で助かった。
普通だったら行方不明という事で警察沙汰だ。
次の日担任の先生にも呼び出されたし、スクールカウンセラーの所にも無理矢理行かされた。
何か悩みはないか、いじめられてはいないか、悪い奴らとの付き合いはないかなどを聞かれたが、僕は曖昧に答えやり過ごした。
僕をいじめていた不良達については、何故か手出しをしてこなかった。
たぶん先生に呼び出されたりしたもんで、今は僕に手出ししない方がいいと様子をみているのだろう。
その後は異世界に行く前と同じ退屈な生活。びっくりするくらい『平穏な』日々を送っていけた。
なんならいじめがない分平和だ。
一週間が経ち、なんだかあの出来事がもうずっと遠い日の事に思えてきた、ある朝の事だった。
朝リビングに降りていくと、テレビでニュースキャスターが僕の住んでいる地域のすぐ近くの地名を読み上げていた。
「……行方不明になっているのは宇田川緋那乃さん16歳。
宇田川さんは一週間前から行方不明になっており、
宇田川さんが消息をたったと思われる場所には宇田川さんが使っていたバッグと、
白紙の大学ノートが置かれていたとの事です。
警察は事件性への関連も考慮し……」
その日は学校にいる間中、ずっとあのニュースのことを考えてしまっていた。
一週間前から行方不明?
僕が異世界に行った日とだいたい同じだ。
それに、白紙のノート……。あの時僕を異世界に連れて行ったノートはいつの間にか白紙に変わっていた。
つまり、宇田川さんっていう女の子は、もしかして異世界に飛ばされたんじゃ……。
いや、まさか……あんなノートがいくつもあってたまるものか。
それに、仮に行方不明になった女の子が異世界に飛ばされていたとしても……僕にはどうにもできない……。
元の世界に帰ってきた後、魔法でまた異世界に戻れるんじゃないかと試してみた。
もちろん、空間転移の秘術は使えるはずもなかった。
それどころか小さな炎さえ出すことは出来なかった。
ローガンが言っていた通り、異世界と違って魔素が少ないのかもしれない。
あの世界ではあんなに凄い事ができたのに……。
教室で机につっぷし、ずっとそんな事を考えていた僕は、突然背後から美しい声に名前を呼ばれた。
「桐島銀一郎くんよね?」
「は、はい!?」
急に背後から声をかけられ素っ頓狂な声を出してしまう。
慌てて振り向くその先には、校内でも有名な才色兼備の美少女、天音深鈴アマネミスズが立っていた。
「うえぇぇぇぇっ!!」
クラスでも冴えないこんな僕に、あの天音さんが声をかけてくるなんて……。周りからも注目を浴びてしまっている。
「桐島君、いきなりでごめんなさい。あなたに話があるの」
天音さんは上目遣いで僕をじっと見つめる。こんな風に言われて断れる男子高校生はこの世にいるはずがない。
「は、話?」
彼女はどんどん騒がしくなっていく教室を見渡し、眉間に軽く皺を寄せた。
「人が多い、ここじゃ……。来て!」
「えっ?」
彼女はいきなり僕の手を掴むと、無理矢理僕を引っ張り、教室から連れ出した。
彼女と僕は、廊下を、階段を、ぐんぐん駆け上がる。
息を切らし彼女と僕は屋上のドアを勢いよく開いた。
「はぁ、はぁ、はぁ、ここなら誰も来ない」
そう言って汗を拭い笑ってみせる彼女を見て、僕はドギマギしてしまう。
「桐島……銀一郎君……」
「は、はい!」
天音深鈴は次の瞬間、いきなり笑顔を消し去り、さっきまでの彼女を見ていたら想像も出来ないほど、恐ろしく、冷たい口調でこう言った。
「私はあの日……図書室でずっとあなたを見ていた」
図書館!?あれ以来図書館には近寄っていない。
つまり図書館というのは僕が異世界に行った日の事だ。
「な、なんの事?」
咄嗟に嘘をつくが、そんな嘘が通用するはずもない。
「とぼけないで!」
天音はそう言って僕の襟首を掴み、グイッと僕の顔を引き寄せた。
もう少しで顔がくっつきそうになり、余計に緊張してしまう。
「一週間前、あなたは『あのノート』を見つけた」
「な、なぜノートの事を……」
ノートのことまで知っているとは、もう言い逃れは出来そうになかった。
天音は耳元で囁いてみせる。
「だ、か、ら、見てたって言ってるでしょ」
「わ、分かった。分かったよ!だから離してくれよ」
僕がそう言うと、天音はパッと手を離す。
「早く話しなさい」
「……たぶん話しても、信じてくれないと思う……」
それを聞いた天音は、意地悪く笑ってこう言った。
「信じるわよ。そのノートの1ページ目には『ノートは1ページずつしか開けない』そう書かれていたんでしょ」
「ど、どうしてそこまで!」
「やっぱり、そうだったのね」
僕はまんまと天音の誘導尋問に引っかかった。
「……天音さんはいったい、何を知ったんだい?」
天音はふーっと溜息をつき、次の瞬間いきなり、自分の服をガバッとめくり上げた。
綺麗なおへそが見えた。
「う、うわ!」
天音は構わず背中の方から、一冊の大学ノートを取り出した。
僕は驚いた、まさか……。
「桐島くん。私もあなたと同じく、あの大学ノートを持っているの」