奇妙な大学ノート
これでもう何度目になるだろう。
校舎裏に呼び出されるのは。
もう何度目になるだろう。
クラスメイトから脅されて、お金を取られるのは。
「いやぁー、桐島君、いつも悪いね」
桐島銀一郎、それが僕の名前だ。
不良に囲まれた僕は、渋々財布から千円札2枚を取り出した。
その途端、林田はそれをバッっとひったくるように取り上げる。
「はっ、なんだよ!たったこれだけ?」
林田は僕から奪った千円札をピラピラと振って他の2人に見せる。
「そんな事言ったって、それ以上持ってないんだから仕方ないだろ!」
と、言ってやりたいのはやまやまだが、そんな事を口に出そうものなら殴られるに決まっている。
だから僕は下を向き、ぐっとおし黙っていた。
林田が騒ぐだけならまだいい。今僕を囲んでいる3人の不良の中のリーダー格、内山田が機嫌を損ねたらタダじゃ済まない。
内山田は空手をやっているらしく、この間お腹を殴られた時はしばらく息ができなくて、このまま死んでしまうんじゃないかと思った。
僕が内山田を恐れ震えているのを察してか、カツアゲした不良の内の一人、小栗が、林田をなだめる。
「まぁまぁ、落ち着けよ。
銀一郎君も今日はたまたま持ち合わせが無かっただけだって、な?」
そう言って僕に厭らしく笑いかける。
小栗はずるい奴だ。こう言えば僕がまたお金を持って来るのを分かっている。
金を持ってくるのも嫌だ、殴られるのも嫌だ。
でも断る事は出来ない。
弱いから。
「うん、明日はもっと持ってこれるよ……」
弱い僕には選択肢が無い。
こう答えるしかない。
「だったらまた明日、同じ時間、この場所だぞ」
そう言い残し、奴らはやっと僕の前からいなくなった。
「はぁー」
思わずため息が出る。
あの2000円は今日親が家にいないからと食事代にくれたものなのだ。
2000円なら食事をしても余るし、漫画でも買おうと思っていたのに……。
うじうじしていても仕方ない。食事は冷蔵庫にあったハムでもかじっていよう。
漫画は無理だが、代わりに図書室で本でも借りて帰ろう。
弱くても切り替えだけは早い。これが僕の長所だろうな。
ああでも、明日お金、どうしよう。
落ち込みながらも、僕は図書室に足を運んだ。
うちの学校の古くて汚い図書室は利用者が少ないということで、図書委員すら廃止されてしまい、近々改装工事も決まっている。
誰もいない図書室は、静かを通り越しもはや不気味だ。
学校のすぐ近くに綺麗な市立図書館ができてしまったのも図書室衰退の理由の1つだろう。
僕以外にここを利用しているとすれば、リア充カップルがここで逢引しているのを一度見た事がある。
その時は慌てて帰ったが、それ以降は誰とも出くわしていない。
人に会うのが好きじゃない僕にとって、ここは好都合だ。
何か面白そうなものはないかと思って本棚を探すが、目ぼしいものは見当たらない。
それでも暇を持て余した僕は、だらだらと本棚を眺めていたところ、本と本の間に入り込んでいる一冊の大学ノートを見つけた。
なんでこんな所にノートが?
僕はノートを手に取り、何が書いてあるのかパラパラっと流し読みしようと思ったのだがページがのりか何かでくっついているのかそれができない。
「あれっ?」
不思議に思い、今度は一枚ずつめくってみると、すんなり開いてくれた。
ノートの1ページをみて、僕は思わずヒッと声をあげてしまった。
「ノートは1ページずつしか開けないよ」
僕がその一文を読むと、文字わじわりと光を帯び、消えてしまった。
白紙になったページを見て一瞬固まってしまった。
僕はもう一度パラパラと流し読みしようと試みるがノートは開いてくれない。
恐る恐る一枚ずつ開いてみると、すんなり開いてしまう。
「だから言っただろ、開けないって」
当たり前の様に、文字は僕が読むとまた光を帯び消えた。
何かトリックがあるに違いないと思って、今度は何ページか飛ばして開いてみようとしたがやっぱり駄目だ。
仕方なく3ページ目を開くと、なんの問題もなく開けてしまう。
「そろそろ信じてくれたかな」
なんだかおちょくられているみたいだ。
不気味に思いつつも僕は黙って次のページをめくってしまう。
「突然だがこのノートは魔法のノートだ。
怖くなったのならここでノートを閉じて、すぐにお家へ帰ることだ。
明日の朝にはすっかりこのことは忘れてしまっているだろう」
魔法?にわかには信じられない。
しかし、ノートが一枚ずつしかめくれない事は事実。
文字が消えた事も事実。
このノートは普通じゃないのは間違いない。
……仮に……魔法のノートだとして、何故こんな所にある?
魔法のノートって何ができるんだ?
得体の知れないこのノートに僕は恐怖を感じた。
しかし、次のページには何が書いてあるのかという好奇心が抑えられない。
僕は震える手でまた一ページめくる。
「まだたくさん話さなきゃいけないことがあるんだけど、まぁ見てもらった方が早いよね。
次のページでこのノートは終わりにしよう。
次のページをめくった途端君はもうこの世界にいない。
別の世界に飛ばされる。
それでもいいなら……さぁ、次をめくるんだ」
魔法なんて、あるはずがない!
そう思っているはずなのに、次のページに触れる僕の手はガタガタと震えていた。
本当に、本当に……これが魔法のノートだったら?僕なんかが、別の世界とやらで、1人でやっていけるのか?元の世界には帰って来れるのか?
父さんと母さんは心配するよな?学校は?今日の夕飯は?そうだ、明日の放課後持っていくお金は?
頭の中がめちゃめちゃだ。考えが全然まとまらない。でも僕は、別の世界という言葉に、抗えないほどの魅力を感じていた。
「別の世界……そこに行けば……ナニカが変わるかもしれない……」
僕はゴクリとツバを呑み、ノートの最後のページをめくった。
ページをめくったその瞬間、ノートから眩い光が吹き出し僕を包んだ。
あまりの眩しさに、僕は思わず目をつむた。
光が出ていたのはほんの一瞬だった。すぐに目蓋が光を感じ無くなった。
次の瞬間、目を瞑っている僕の頬に、図書室にいては感じるはずのない冷たい風がふっと吹いた。
恐る恐る目を開けると、いつの間にか僕は草原にいた。
そこにあったはずのノートもいつの間にか無くなっている
本当に、別の世界に来てしまった。
それも一瞬で……。
恐ろしい程に大きく美しい太陽が、ゆっくりと大地に姿を隠そうとしている。
夕刻だ。
図書室にいた時間は確か5時頃だった。
時間は向こうと一緒なのかもしれない。
ここが異世界である確証はまだない。ひょっとしたら地球の別の場所に飛ばされただけかもしれない。もしくはとても鮮明な夢なのかも……。
いろんな事がありすぎて、胸がいっぱいになり、感情が溢れ流れ出す。
止めようと思って慌てて頬を拭うが、身体中が水になってしまったみたいに、いくらでも涙がこぼれ落ちた。
涙で歪む視界の中、遠く離れた先におそらく小さな町であろう、薄ぼんやりした光を見つけた。
完全に日が暮れてしまう前にあそこにつかなくては。
ここが本当に異世界だとしたら、弱虫のままではいられないのだから。
異世界に来て初めて知った事。
上履きで草原に来てはいけない。
街灯もないので、日が完全に沈んでしまったらまずいと思い、走って町に向かおうとしたのだが、滑ってバランスを崩した。
転ぶ寸前の所で何とか踏ん張る。
異世界に来て早々泥だらけになるところだ。
だいたい異世界に来たってのに学生服のままっていうのはいただけない。異世界に飛ばすのならそれらしい剣と鎧くらいはサービスしてくれるべきだ。
なんてくだらない事を考えられている訳だ。
少し気持ちが落ち着いてきたようだ。
1時間は歩いただろうか。
僕はなんとか日が沈み切る前に町に着くことができた。
町についてまずホッとした出来事がある。
町には民家の他に、様々な店が並んでいたが、その店にかかる看板の文字がなんと見慣れた日本語だったのだ。
並んでいる建物は西洋風なのだが、言葉は日本語だ。
奇妙なことだが、今は何故異世界に日本語があるかという問題については考えないことにした。
それよりも今は、今日泊まる宿や夕食の事を考えるべきである。
日が沈む前とはいえ辺りは薄暗く人も疎らだ。通り過ぎる人はジロジロと僕の事を見るが声はかけてこない。
この学生服が悪目立ちの原因だろう。町の人は中世ヨーロッパの様な格好をしているのだ。そんな中真っ黒な詰襟を着ていては奇異な目をされても仕方がない。
町中じゃ目立つ。どこかに入って、そこで情報収集でもするのがいいかもしれない。
まだ灯りのついている店はもう少ない。
もちろん宿屋には灯が付いていたが、お金を持たずに入るのは気がひける。
宿屋以外でどこか、と思っていると
「武器屋」
と飾り気のない看板をかけている質素な店を見つけた。
武器!
その言葉に妙に異世界を感じる。
中を見てみたい!
好奇心を出している場合ではないのは分かっているが、どうしても中に入ってみたくなった。
「お邪魔します」
できるだけ申し訳なさそうに店に入るが、店主と思わしき体格の良い白い髪の老年の者は、こちらに見向きもせず、熱せられた鉄を、カチンカチンと打ち続けている。
店には至る所に、立派な剣だの槍だのが飾られている。かっこいい……。
剣や槍が普通に売っているなんて、やっぱりここは異世界に間違いない。
一生懸命に作業しているこの老人の邪魔をしたくなかったので、僕は後ろでしばらく待つことにした。
体感では20分くらい?
作業を終えた老人はふーっとため息をつくとこちらに体を向け僕の方を見つめた。
僕に気がついていない訳ではなかったのか。
老人の真っ直ぐな目に僕は何を言えばいいのか分からなくなってしまった。
そもそもこっちの世界のお金もない。普通見ず知らずの得体の知れない人間を無償で助けてくれる様な人がいるだろうか。
せめてバッグをこの世界に持ってきていれば、ノートを開く前に事前に準備していれば……今となっては、悔やんでもどうにもならない。
先に口を開いたのは老人の方だった。
「その服は……?」
「あっ、えっと、これは……」
僕が戸惑っていると、老人は優しい声でこう言った。
「別の世界から来たのだろう?
大丈夫だ、初めから分かっている」
「えっ?」
なんで僕のことを知っているんだ?
老人は僕の心を読み取ったようでさらに続ける。
「古い友人からの予言と約束だ。
お前がここに来た時助けてやってくれとそいつに言われてな。
俺はローガンだ、お前は今夜俺の手伝いをするといい」
あまりのことに、やっぱり言葉が出てこない。
老人はボリボリと頭をかきながら言う。
「裏から水を汲んできてくれ。飯にしよう」
まだ事態を上手く飲み込めなかった。
もしかしたらこの老人は僕を騙そうとしているのかもしれない。
一瞬そんな考えが頭をよぎったが、僕は今知らない世界にいて、頼る者もいないのだ。
偶然か運命か、幸か不幸か、なんだか訳知りの者にいきなり出会えたのだ。
この機を逃してはならないと僕は食事の仕度や、水汲みの手伝いをして、このローガンという老人の世話になることにした。
そうはいっても、普段家で何もやっていない僕は、ほとんど役に立たなかった。
むしろ失敗もしたので仕事を増やしてしまったかもしれない。
それでもローガンは全く怒ったりしなかった。
「僕、桐島銀一郎っていいます」
「……。そうか」
食事の準備中と食事の時間を通して、僕たちの間に交わされた会話はこのくらい。
ローガンはあまり多くを話さなかった。僕もあまり話す方ではないし、その夜はあの話をするまで、沈黙の時間が多かった。でも嫌な沈黙じゃなかった。
あの話というのは、ローガンの友人と予言の話だ。
眠る前に明日の下準備をするらしい。たぶん仕事の準備だろう。
僕はそれを手伝いながら、思いきってローガンに話してみた。
「あの、ローガンさん。
さっき言ってた予言と約束の話、詳しく聞かせてもらいませんか?」
ローガンはその言葉を聞いてしばらく黙っていたが、僕の目を真剣に見つめこう言った
「……そうだな。俺は話さなくちゃあならないし、銀、お前も聞いておくべきだろうな……」
ローガンは作業をやめ、安楽椅子に深々と腰をかけ、パイプに火をつけた。
「座りなさい」
ローガンは向かいの椅子を進めた。
僕が腰掛けたのを確かめると、ふーっと深い煙を一つ吐き、ローガンはポツリポツリと昔話を始めた。