ありがとう
はじめて書いた小説で改行などはほとんどしていないので読みにくいとは思いますが、ご了承下さい。
「お父さん、長い間ありがとう。そしてこれからもよろしくね。」と娘の香織は涙ながら手紙をよんでくれた。そう、香織は今日新たな道へと踏み出したのだ。白いウェディングドレスを着て手を震わしながらも私に手紙を読んでくれた。さかのぼること7年前あれはとても暑い夏の日
「行ってきまーす。」と元気良く自転車に乗り学校に向かった香織。そのとき何か背筋がゾッとした。そのときは特に気にせず香織を見送った。やはりイヤは予感は的中した。
いつもどおり夕方には部活でヘトヘトになって帰ってくるはずなのだが、日が落ちた20時になっても香織は帰ってこない。おかしいと思い私は家を出た。家から学校までは自転車で40分と少し遠い。さらに家は山の上で人気も少ない場所にある。車を走らせ10分道路にうずくまってる香織を発見。香織は体を震わせながら泣いていた。この子は生まれつき視力が悪く球技もできない目であった。さらに暗い所では急激に視力が低下するのであった。その日はいつもより部活が遅くなり暗い道を帰っていたため周りが見えなくなってしまってたのである。香織を車に乗せ家に帰った。この出来事は初めてではなかった。香織が中学に入り帰りが遅くなると家にたどり着けないことはよくあった。香織は
「お父さんには心配かけたくないから。」青春の真っ直中、恋愛や友達と一緒に会話しながら下校するのも楽しみの一つかなと思いあえて迎えには行かなかった。しかし、今日は違っていた。家について
「お風呂沸いてるから入ってきな。」と私が言うと香織の口から聞いたことない言葉が。
「お父さん、まだ家ついてないの?」その言葉を聞いた時、私はびっくりした。そう香織は暗いところだけじゃなく明るいところでも目が見えなくなったのである。私はテレビをつけて香織に言った。
「家についてるよ。ほら、テレビでお笑いやってるじゃんか。」香織は言った。
「うん、声でわかった。でも、テレビ見えない。」そこで私は香織が失明したことに気づいた。それから夜間の病院に車を走らせた。診断結果は
「はっきりわからないので後日眼科で見てもらって下さい。」とのこと。帰りの車の中は重い空気が漂う。重い口を開く香織。
「お父さん、どうしたら視力上がるんだろうね。」私は返す言葉がなく香織を抱きしめた。翌日、眼科に行くと原因がわかった。
「この子は精神的にきてましたね。たぶんそれがちょうど暗い日と重なり目が見えない不安からショックを受けたようです。」とのこと。香織には診断結果は伝えませんでした。医師が言うにはまだ若いし精神的に落ち着いてきたら見えてくることもあるとのこと。で私はそれを信じることにした。香織は学校を休ませ私も仕事を休む日々。
香織の目は全く変わらず過ぎていく日々。
半年がたち最近は点字を覚えたり一緒に外に出かけたりとできるようになった。
しかし、1ヶ月前までは朝から晩まで部屋にこもり泣いていた。
親として私は何をしていいかわからず私はいろいろ調べた。
とある本屋に立ち寄った際に『失明からの転機』という本をみつけた。
それは交通事故によって両目の視力を失った一人の男性が書いた本であった。
1ページ1ページ点字と日本語で書いてあった。
その人も香織とどうよう急に視力をなくしたそうだ。彼はそれを克服し今は作家として毎日を過ごしているそうだ。すぐさまこの本を買って帰り1行ずつ香織に点字を触れさせながら読ませた。香織は泣きながらその本を読んでいた。それからだ。香織は目が見えなくても生きていけるできることはあると。ピアノを習い始めた。学校は盲学校へ転校させ昼間は昔の通り学校へ夜は家でピアノのレッスンと大忙しだ。
香織が失明してもう1年と半年がたった頃香織は点字を全て覚え学校の教科書を私に読んでくれた。
私は涙をふきながら聞いていた。
失明の原因は私にあるのに香織は誰も恨まず自分の目をまた見えるようにと小さなことから努力していたのである。
私が知らない間にもピアノもうまくなり作詞・作曲もできるようになていた。
高校に入学した年の私の誕生日の日には曲をプレゼントしてくれた。
もちろん作詞作曲は香織。題は『世界は一つ』¨お父さん顔を上げてごらん私はここにいます。暗闇の中で羽ばたく私。右も左もわからず泣いていたあのころ。母の命を預かり生きてきた私。重かった。怖がった。つらかった。泣きたいときは泣けばいい。我慢はいらない。自分には正直になれ。の言葉身にしみている。
お父さん顔を上げてごらん。私はここにいます。暗い世界、明るい世界全く別物であるが私は同じ。世界は一つ。お父さんありがとう。これからも迷惑かけます。元気にいこう。¨という歌を香織は歌ってくれた。もう涙が止まらなかった。香織はその日にもう一言話した。
「お父さんとキャッチボールがしたい。」と。女の子である香織は野球というものに興味はなかったはずだがボールをとるということがしたかったらしい。目の見えない香織には不可能なことであった。私はそのとき
「いずれ2人で野球できる日は来るよ。」と言った。香織は
「きっとね。」っと笑顔で返した。16歳の夜だった。誕生日が過ぎて2ヶ月が過ぎた頃、香織の帰りが1時間くらい遅くなってきた。しかし、私の不安とは逆に毎日ウキウキしている香織。最近は、何かを意識しているような感じ。そのときは私は気づいていなかった。香織に彼氏がいることを。高一の体育祭の日いつもはギリギリまで寝ている香織が1時間も早く起きてきた。何をするかと思えば
「弁当、香織がつくる。」たまに一緒に料理はしていたが今日は一人で作るらしい。遠くから見ているとしっかり作っている。砂糖を舐めて
「甘っ。塩じゃないし。」とか一人でボソボソ言いながら。私が
「今日はどうしたの?」と聞いても
「別に。」と答えて包丁を動かしていた。出来上がった弁当箱は3つ。お父さんのと香織のとあと一つは?大好きな彼の分だったのだ。そこでやっと気づいた私。心の中では嬉しい気持ちと何か宝を奪われたような苦しい気持ちとが入り交じっていた。私はとっさに
「今日は見に行けない。弁当は仕事に持って行くわ。」と言ってしまった。香織はキョトンとした顔でうなずいた。それからということ休みになれば彼氏とデートと私は一人部屋の掃除に家事、洗濯の日々。ついこの前までは
「お父さん、お父さん。」と寄ってきてたのにやっぱり香織も女の子だなと思った。時はたち、香織は高校二年生になり進路を考えないといけない時期にきていた。私は目の見えない人でもできることを薦めた。しかし、香織は
「ピアノの先生か保育士がいい。」と言った。始めは反対していた私であったが香織の熱意に負け挑戦させてみた。それから香織は休みの日になると彼氏とは遊ばずピアノを弾いたり勉強したりと自分の夢に向かい一生懸命取り組んでいた。高校三年になり、保育科を希望した香織に絶望的な出来事が待っていた。それは担任からの一言だった。
「入学できても目が見えないと保育士には慣れないんだよ。」とのこと。香織は自分の部屋で泣きじゃくっていた。今回は私もどうしようもなくて側についているだけであった。香織が生まれてきて始めて口にした言葉であった。
「香織はなんで目が見えないの。なんで友達とバスケやバレーができないの。私なんか何もできないじゃん。生きてる意味ないし。」私は今まで不満を溜めていたと思うと申し訳なかった。それから香織は変わってしまった。部屋に引きこもり何もしない毎日友達、先生がきても会わないし話しもしなかった。高校三年にもなろうかとした頃、私は香織に話をした。「おまえにはいつかは話さないとと思っていた。香織はお母さんを知らないはずだ。写真では見たかもしれないが現実の記憶はないはずだ。おまえのお母さんもね体が弱くて子供は産めませんって言われてたんだよ。それでも私の体はどうなってもいいからって子供を授かりたい。って言ってたんだよ。それでね香織を授かってお母さんの両親には産むことを反対されたさ。でも、お母さんはね、この子は私の命が宿ってるのおろすわけにはいかない。
といつもは優しいお母さんがあの時は怖かった。でね、香織を産む日の3日前からお母さんは熱を出してねお母さんも香織も危ないって言われててね容態も良くならずに香織の出産をしたのさ。香織がおなかから出てきたときはねお母さんも笑顔で迎えてくれてありがとう大きくなるのよって言ってたよ。香織を抱きながら息を引き取ったんだ。お母さんは産めないと言われながらも香織をこうやってこの世に送り出したんだよ。さぁ、今度は香織の番だ。おまえはこのまま諦めるのか。やってもいないのに逃げ出すようになれってお母さんは教えたのかなぁ?」と私は香織に話した。香織は真剣な目で私を見ながら聞いてくれた。次の日香織は言った。
「私、保育士になるから。見といてよ。」
「あぁ、やってみ。結果はどおあれ必ずおまえのためにはなるから。」と私は返した。そして保育科に入学した香織成績もトップクラスで言うことなしではあったがやはり目のことで不利であった。しかし、保育科に入学した頃から香織の目には異変が。ある日の視力検査の時であった。香織の口から
「右・左・・わかりません。下・上・・わかりません。」周りの友達は驚いた。もちろん香織もびっくり。今まで真っ暗だった視界にまた光が戻ってきたのだ。視力はまだまだ回復したわけじゃないけど明らかに見えるようになっていた。その日家に帰ってきた香織からは
「お父さん。保育士なれるかも。」との声。
「急にどうした?」と風呂を上がってきたばっかりの私は返した。
「髪ぐらい拭きなよ。ビショビショじゃん。」と香織。
「ごめん。ごめん。今、乾かすから。」とドライヤーを手に取ろうとしたとき私は気づいた。
「香織。おまえ見えるのか?お父さんの顔見えるのか?」と聞いた。香織は
「まぁね。はっきりはわからないけどね。」長かった。香織に視力が戻り始めたのだ。それから少しずつ香織は視力回復のため時間を費やし保育士の試験を受けるときには裸眼で左0.3と右0.5まで回復してきた。メガネやコンタクトをつけると左は0.5くらいまでしか上がらないが右は1.0まで見えるようになりぜんぜん支障もなくなってきた。とうとうこの時がやってきた。香織の初仕事。夢は叶った。保育士になれたのだ。
子供達と戯れ笑顔で過ごしている香織を見た私は言葉にできないくらい嬉しかった。香織も生活に不自由がなくなり一般的な生活を送れるようになったころ。悲劇は起きた。私は仕事中倒れてしまった。病院に運ばれた私を香織は先回りして待っていた。私は声を発せれなくなっていた。香織の声が小さく聞こえる。手の温もりは感じれていた。入院生活も半年が過ぎ私は話すこと聞くこともできなくなり会話は手話や紙に書いて伝えていた。そのころよく私は香織に
「結婚していい家庭をつくれよ。おまえの花嫁姿がみたいな。」と伝えていた。そう、私にはもう時間がなかったのである。香織には伝えてはいなく医師にも
「言わないでくれ。」と伝えていた。それから3ヶ月後。私は息を引き取った。香織が働き始めて二年が過ぎようとしていた頃であった。香織は泣いた。泣きまくった。私は香織が元気なだけで嬉しかった。唯一の心残りは香織のウェディングドレス姿を見れなかったことだ。私が息を引き取って1年後香織はあの弁当を作ってあげた彼と永遠の愛を誓った。香織は毎日、笑顔で過ごしていた。