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5:水晶の記憶 ~memory of crystal/後編

 久し振りに足を踏み入れた工房の中は、油と煙草の匂いがした。


 リィズリットの師匠――二代目の『魔女』の工房は、『魔女』の家から離れた場所にあった。その為、工房に行くためには、一度家を出る必要があった。


「……はぁ、当たり前だけど、前に一度入った時と変わってないなぁ」


 工房の中は真っ暗だった。リィズリットはドアのすぐ横に用意されたスイッチを押すと、室内に明かりを灯す。


 工房の内部は、自分のそれより圧倒的に煩雑としていた。完成された『魔法』や、製作途中のもの、更に、リィズリットにも理解の及ばないものも山のように放置されている。それは、工房をして人が作業をするスペースと表現するのではなく、物品を保管する為の倉庫と形容するのが適切と思えるほどである。溜息が自ずと零れてしまう。この中から目的の物を探すのは、自分の部屋を例に挙げるまでもなく困難だと明確だ。


「しっかし……師匠掃除しなさすぎ」

「それをご主人様が言われても説得力の欠片もありませんよ」

「あたしは自分の工房だからいいの。他の人に使わせるつもりはなかったし」

「リズおねーちゃんはこっちのおへやはつかわないの?」

「あー……それはね。あたしがまだ半人前だから、使わないようにしてるんだ」


 きょとん、とミリアは首を傾げる。


「ここはあたしにとって師匠の工房であると同時にね、『魔女』の工房なの。初代のばーちゃんも使ってたって聞いたし、それを継いだ師匠も使ってたから。あたしも『魔女』を継いだには継いだけどさ、なし崩し的っていうか、まだ自分でも納得できてないんだ。師匠みたいに上手くできないし」


 リィズリットは恥ずかしそうにミリアから顔を逸らして、ぽつぽつと語る。頭に思い浮かぶのは、先日のロナージュの〈携帯電話〉の件や、今まさに現在進行形であるミリアの〈水晶の箱〉のことだ。


 常に『師匠なら』と云う想いは胸の中で燻ぶり続けている。師匠が事に当たっていれば、自分の苦闘など無かったかのようにスマートに解決しているだろうと、ふとした切っ掛けで考えてしまう。


「あたしは、師匠が近くにいるって思うと、甘えちゃうんだ。師匠が生きてたうちに一人前になれなかったのも、きっとそのせい。こうして『魔女』を継いで、何の気なしに師匠の工房を使ってたりしたら、たぶんあたしは一生かかっても一人前になれないと思った。だからね、あたしが本格的にここを使うのは、あたしが一人前になってから、かな」


 リィズリットは目を閉じて、大きく息を吸った。油と煙草の匂いが口いっぱいに広がると、肺と胸を満たしていった。瞼の裏には遠い日の師匠の姿がある。この広い工房にいて、ただ一人の『魔女』であった大柄の男。その背中は大きい故に、果てしなく遠く小さく見える。だからこそ、追い付きたいと、肩を並べたいと願うのだ。


「リズおねーちゃん」


 呼びかけられた声に、リィズリットは瞳を開くと、ミリアへと視線を向けた。小さな少女は、リィズリットを真っ直ぐに捉えていた。 


「おねーちゃん、かっこよかったよ? わたし、『まほう』はむずかしくてわかんないけど、おねーちゃんがすごいことをしてるってことは、わかったよ? さっき〈すいしょうのはこ〉をなおしてるおねーちゃんは、ほんとうに『まじょ』みたいだった」


 水晶のように透き通るその双眸に、偽りはないと、リィズリットは思ってしまった。純粋な気持ちだ、と自分自身が知っている。何より、かつての自分がそうだったのだから。


「――ありがとう」


 その眼差しを裏切れはしない、とリィズリットはぐっと奥歯を噛み締めて、広い工房を見据えた。


「よしっ、探すよ! 一人前になるんなら、ミリアちゃんのお願いぐらい簡単にこなさないとね! 目標はミリアちゃんが入りそうなぐらいの大きさの道具箱っ! あたしは左側を探すから、エイプリルは右側をお願い」

「了解しました、ご主人様」

「わたしは?」

「ミリアちゃんはあたしのお手伝い! はい、そうと決まったら捜索開始!」


 号令が部屋の中に反響して、三人は道具箱の探索を始めた。




「――あったぁ!」


 工房の中に歓喜の声が鳴り響いたのは、昼を伝える鐘の音を越えて、夜の訪れを知らせる鐘が丁度鳴る頃だった。


 山のように積み上がっていた『魔法』や、その素材たちの奥に隠れるようにしてその道具箱は置かれていた。


「あらあら。このような所に隠れていたのですね」

「ったく、あのバカ師匠……。なんでよく使うはずの道具箱をこんな所に置いてるんだか」

「二度目となりますが、それをご主人様が言われても説得力の欠片もありませんよ」

「ちらかってるようにみえて、どこになにをおいてるかわかるんだよね」

「あー……さすがあたしの師匠だ」


 とほほ、と溜息を吐いて、リィズリットは道具箱の前に屈み込むと、その表面を優しく撫でた。冷たくてざらりとしていたが、どこか師匠の温もりが残っているような気がした。


「さーって。何はともあれ御開帳!」


 かちゃり、と簡素な鍵を外して、リィズリットは道具箱を開ける。詰め込まれていたどこか懐かしい空気が舞い上がった。


「おおお……」


 道具箱の中身に、リィズリットは喉の奥から声が漏れ出してしまった。

 内部は二段構造になっているようだった。すぐに目に入ってくる上の段には、あらゆる工具が並んでいた。自分の持つそれより一回りは太いグリップのねじ回し。大きな手に合わせて型の残るニッパーやペンチ。油汚れ一つ残っていないスパナやレンチ。それ以外にも、ハンマー、リーマ、やすり、ノギス、メジャー、半田鏝などが多岐に渡ってその中には納められていた。その全てが使い込まれた形跡こそあっても、使用による劣化は殆どと言っていいほどになく、まるで宝石を思わせる輝きは、一目でそれが一級品であることを理解させた。


「きれい……」

「……うん。師匠の宝物、だったもんね」


 リィズリットは、壊れ物を触る様な淑やかさで、それらの道具ひとつずつに触れていく。それが一巡終わると、すうと息を吐いて、ぎゅっとその手を握りしめた。

 そして、目を閉じて小さく一度頷くと、上段を外して傍らに置いた。


「……」


 言葉はなく、リィズリットは下段を目で探す。

 下の段は、『魔法』に使用する細かな部品が所狭しと詰められていた。中にはリィズリットの知識に無い部品も多く収められている。僅かにリィズリットが理解できたのは、それらの部品がクズ山で手に入るようなものではなく、ましてや簡単に作り出せないものだと云うことだった。


「――っ、これ!」


 リィズリットは部品の海の中、きらりと輝くものを見つけて、それにようやく手を伸ばす。触れた瞬間、がさりとしたビニールの感触を指先に感じた。取り出して、覗き込む。中には、小さな円盤状のレンズが入っていた。


「あったよ、ミリアちゃん! これで〈水晶の箱〉を直せる!」

「わ、わわっ、リズおねーちゃん」


 透明なビニール袋に入ったレンズを握りしめると、リィズリットはその勢いのまま隣の少女も抱きしめていた。


「えへへ。ごめん、つい嬉しくなっちゃって」

「……あれ? おねーちゃん。なにかくっついてるよ?」


 リィズリットはミリアの視線を追って、自分の手のその下を見た。そこには確かに何かがぶら下がっていた。


「何だろ、これ」


 もう片方の手でひょいと掬い上げる。それは丸い円筒状の厚手の紙に包まれたもので、完全に密封がされているようだった。それはまるで――


「……ん? これ、もしかして……フィルム?」


 そうだ、とリィズリットはつい先刻の自分の行動を思い返す。あの壊れた〈水晶の箱〉に入っていたフィルムを、自分も全く同じように処理していたではないか。


「でも、なんで……………………あ」


 ぴしり、と砕けた硝子が元に戻るように、リィズリットの中で何かが繋がった。


 それはかつての記憶だった。全て思い出したと勝手に思い込んでいた、最も大事な――笑えるようになった思い出だった。


「ああ……そ、っか。師匠、そういうこと、だったんだ」


 両手に師の忘れ形見を握りしめ、リィズリットは目を閉じて囁く。知れず、頬には一筋の涙が線を描いていた。


「おねーちゃん、どこかいたいの?」

「ううん。大丈夫。でも……少し、胸が痛いな」


 小さな少女へ、リィズリットは優しい笑みを渡す。


(――師匠。ようやく、あたしがやるべきこと、本当に分かったよ。ごめん。師匠にして貰ったことなのに、今まで忘れてた)


 師匠との差をこれまで漠然と考えていたと、リィズリットは理解させられる。『魔女』としても、人としても、その器の大きさを、今にして知らされた。


(かなわないな……)


 そう考えていると、工房の入り口で物音がした。向けば、そこには見知った青年が立っていた。


「よ。こんな所にいたのか。向こうの明かりが無かったから、どこに行ったのかと思ってたぜ」

「アーウィンっ!」


 リィズリットは手に掴んでいたフィルムの包みを投げた。アーウィンは咄嗟に受け止めるとそれをまじまじと見る。


「頼まれごとは完了――って、何だよこれ!?」

「アーウィンっ。もう一つ、貸し、作る気はある?」

「はぁ!? 帰ってきたばかりだぞ、少しは休ませ――」


 言いかけて、アーウィンは「ちっ」と舌打ちをする。


「分かったよ。で、次はなんだ?」

「それと同じのが、あたしの机の上にもあるから、合わせて二つ、ミリアちゃんのお兄さんに渡してきて。フィルムだって言えば、どうすればいいかたぶん分かると思うから」

「……はぁ、ったく人使いが荒いやつだよ。またとんぼ返りか。貸し一つ追加でも足りねぇぞ。絶対返せよ、お前が一人前になってからでもいいからな」


 手をひらひらと振ってアーウィンは背を向ける。その背中に向かって、リィズリットは精一杯の言葉を投げつける。


「あたしを誰だと思ってんのよ! 師匠の後を継いだ、三代目の『魔女』なんだからね!」







「――できた」


 夜明けを告げる荘厳な鐘の音が遠く響く頃、リィズリットは手の中に輝く『魔法』の完成を告げた。


「んぅ……おねー、ちゃん……?」


 まどろみの声と共に、ソファーの上で寝ていたミリアが顔を上げた。リィズリットはその寝ぼけ眼に「おはよう」と声を掛けると、両手で支える〈水晶の箱〉を掲げて見せた。


「なおったのっ?」


 はっと目を見開いたミリアが、朝の静けさに響く声を上げる。そして、とことこ、と駆け寄ると、(水晶の箱〉を覗き込んだ。


「うん。直ったよ」


 言い終えて、リィズリットは自らの手の中にある〈水晶の箱〉をもう一度眺めた。


 きらり、と朝の光に輝くのは完成されたシルエットで、到る所に目立っていた傷や破損は綺麗になくなっている。大きく蜘蛛の巣を描いていたレンズも、今では太陽の光を反射するほどに磨かれた、透き通るそれに代わっている。

 その完全な姿は、リィズリットの記憶の中にある、かつての師匠が所有していたものと寸分の狂いもなく一致していた。それはミリアも同じだったようで、元通りの姿にほっと安堵の息を吐いた。


「ご主人様、ミリア様、お早うございます。お客様がお見えです」


 それを見計らってか、ドアの向こうからエイプリルの声がした。


「え、ちょっと待って! 誰ー?」

「アーウィン様と、ミリア様のお兄様であるセシル様です」

「おにい、ちゃん……?」


 完全に目が覚めたように、ミリアは目を見開いて扉の向こうを見た。


「待ってて貰って。すぐに行く!」


 リィズリットはリビングへとそう言って、困った顔で立ち尽くすミリアを見た。


「その前に。これ、持って」


 リィズリットは〈水晶の箱〉を渡す。ミリアがしっかりと掴んだのを確認して、リィズリットは口を開いた。


「――『魔女』リィズリットは契約に則り、『魔法』の修復を終えた。ここに依頼の終了を宣言する。従って〈水晶の箱〉は依頼人へ返却する」


 これまでと違う、凛とした雰囲気を纏うリィズリットにミリアは粛然とする。だが、リィズリットはふっと息を吐いて、口角を上げる。


「ここから先はミリアちゃんがやることだよ。あたしは『魔女』で、『魔法』を作ることしかできないから。ミリアちゃんはどうして『魔法』を修理してもらいにきたの?」


 大きな金色の瞳をリィズリットは見つめる。瞳に映る影は、波のように揺れて、ミリアも小さく首を振った。

 リィズリットはミリアの頭を撫でて扉の向こうを見やる。同じようにミリアも扉へと視線を向けると、小さな頭が上下した。




 リィズリットたちがリビングに出ると、アーウィンが手を揚げて簡単なあいさつをし、もう一人の少年が立ち上がって恭しい丁寧な礼をした。


「お邪魔しています。僕の名前はセシル。妹のミリアが大変お世話になりました」


 線の細い少年だ、とリィズリットは思った。その顔つきは、ミリアを成長させて少しだけ凛々しくしたように、とても似ていた。ミリアの輝く金髪を、少し薄くしたような銀色の髪を襟元ほどまで伸ばしているため、どこか中性的な印象すら覚える。体格も隣のアーウィンと比べれば丸太と棒切れぐらいの差を感じさせて細く、格好によっては自分よりも女の子らしく見えるのではないかと、リィズリットは思わされた。


「あたしは、この森の『魔女』。『魔法』を作っている仕事をしているわ」

「ええ、存じております。あの人と同じですね」


 セシルの言う「あの人」が、師匠を示しているとリィズリットはすぐに理解できた。そしてそこに流れる懐かしい空気を感じて、リィズリットは少し胸が痛くなった。


「あの、師匠が……」

「……はい。それも存じてます。本当に、残念です」


 セシルは目を伏せて、胸の前でゆっくりと十字を切った。宗教観の乏しいリィズリットではあったが、その行為が師匠を偲ぶものだと理解でき、セシルに対して好印象を抱いた。


 リィズリットはそんなセシルとかつての師について色々と語りたいと思ったが、それを振り払って、自分に隠れるようにしているミリアの肩を叩いた。揺れる金色の瞳が向くと、リィズリットはこくりと頷いて、ミリアの肩を前に押した。


「……あ」


 とて、と中心に躍り出たミリアが息を漏らして、正面のセシルを見た。


「ミリア」


 セシルは優しい声で呼び掛けた。だが、それも重圧となったのだろう、ミリアは肩を縮こまらせて、俯いてしまう。

 決して短くない時間が流れた。誰も、何も言葉を発することなく、ミリアの言葉を待っていた。


「……おにいちゃん」


 儚い声が、静けさに沁み渡る。


「――なんだい、ミリア」


 優しい問いかけと共に、セシルは膝を地面に着いて、ミリアと視線を合わせた。


「……これ。リズおねーちゃんに、なおしてもらったの」

「……うん。元通りになったね」

「リズおねーちゃん、すごかったの。わたし、ぜんぜんわからなかったけど、すごくかっこよかった。それで、いろんなものも、みたよ。こうぼう、ってところにもはいったよ。いっぱい『まほう』がおいてあったの。ごはんもたべたよ。パン、おいしくて、いっぱいたべちゃった。エイプリルおねーちゃんがつくるごはんも、すごいおいしかった。それで、それでね……」


 ぽつりぽつり、と朝露が滴って落ちるように、ミリアは言葉を紡いでいく。きっと、ミリアはあの大きな金色の目に涙を浮かべているんだろうな、とリィズリットはその小さな背中に思った。


「わたし……わたし……」

「……」

「……ごめん、なさい」

「ミリア……」

「ごめんなさい……おにいちゃんの、だいじな『まほう』こわしちゃって……ごめん、なさい」


 最後は鳴き声にかき消されて、言葉になっていなかった。それでも、セシルは頷いて、ミリアの頭を撫でると、抱きしめて背中を優しく叩いた。


「ごめん、なさい。おにいちゃん、ごめん、なさい」

「ミリア。僕は、怒ってないよ」

「でも……」

「人がいつか必ず死ぬように物はいつか壊れるんだ。だから、仕方の無かったことなんだよ」

「うぅぅ……」

「それにね、ミリア。僕がもし怒るとしたらね、きみが僕に何も言わず一人で行ってしまったことだよ。いなくなったとき、僕がどれだけ心配したかわかるかい。『魔法』はこうして壊れても直してもらうことができた。でもね、きみの代わりはないんだよ。きみが怪我をしたり、もし、事故で死んでしまったりしたら、僕はどうしようもなくなって、とても悲しくなる」

「ごめ、ん、なさ、い……」

「ミリア。何事も無くて良かった。ありがとう。僕の為にここまで来てくれたんだね」


 ミリアは大声で泣いていた。まるで窓を打つような雨の激しさだと思った。そして、それを優しく受け止めるセシルは、雄大に広がる大地のような力強さを思わせた。


 しばらくしてセシルの胸に顔を埋めて泣いていたミリアが落ち着いてきた頃、セシルは立ち上がるとリィズリットへ視線を向け「ありがとうございます」と礼を述べた。


「〈水晶の箱〉も元通りに修理して頂いて。あと、フィルムまで届けてもらって」

「あ、そうだ。渡したフィルムは……?」

「ええ。現像かと思って、してきました」


 セシルが言い終わると、アーウィンが紐で縛られた四角い紙の束を投げて寄越した。リィズリットはそれを受け取ると、紐を解いて中を確認する。


「現像の際に見させて頂きました。それは、昔の写真、ですね」

「……うん。ねぇ、ミリアちゃん、これ見て」


 リィズリットはしゃがみ込むと、まだセシルに引っ付いていたミリアに一枚の写真を掲げた。ミリアは真っ赤に腫らした目を擦りながら、それを見る。


「昨日、言ったよね。写真は二回撮った、って。これ、一回目の写真。あはは、あたしひっどい顔で写ってる」


 写真の中の幼いリィズリットは頬を膨らませて、そっぽを向いており、見るからに不貞腐れているのが見て取れた。リィズリットはもう一度笑って


「そりゃ、こんな写真撮られたら蹴飛ばしたくもなるよね」と続けた。

「師匠はね、〈水晶の箱〉を時間を切り取る魔法だ、って言ってた」

「それは僕も聞きました。「この今を切り取って、保存することができる――」」

「忘れてしまう今日を、明日に持っていける。楽しいことも、悲しかったことも切り取って、自分の心の外に置いておけるように。そうすれば、後から見た時に、思い出すことが出来る。楽しかった思い出も、悲しかった記憶も」

「……だから、僕は絵を描くことを諦めて、写真を撮るようになった。絵の魅力を、この〈水晶の箱〉が補えるわけではありません。それでも、別の魅力があるって、そう聞いた時に思えたんです」

「でも……かなしいこと、いやなことは、おもいだしたく、ないよ……」


 ミリアは掲げられた写真を見て、言った。確かにそれは間違いではない。だからこそ、リィズリットやミリアは〈水晶の箱〉を壊したのだ。


「うん、師匠は、その後にもこう続けてたの。だけど、悲しい気持ちがずっと続くわけじゃない。いつかは、それを気にしなくなる時が来る。そうやって、もう忘れ去ってから、もし見るようなことがあれば、あの時はこんな情けない顔をしてたんだ、って笑えるはずさ。って」


 リィズリットは写真をくるりと自分に向けて「あはは、本当だよね」と笑った。


「あたしはね、それを聞いて見方が変わったの。『魔法』って単にすごいだけじゃないんだ、って思えた。それで、どうしても写真を撮りたいって師匠が言ってた意味がようやく理解できたの。だから、二枚目の写真で笑うことができたんだ。次は、ミリアちゃんの番」


 リィズリットは写真の束の半分をミリアへ手渡した。それは、〈水晶の箱〉に入ったままになっていたフィルムを現像したものだ。


「今見たくないのなら、すぐに見ないでもいいと思うよ。いつか、ミリアちゃんが見れるように、心の整理が付いたら見ればいい。写真の中の時間は進みも戻りもしない。ずっと、撮った時のままで残ってくれているから」

「……うん。でも、もう、だいじょぶだよ」

 ぎゅっとミリアは写真の束を抱きしめると、大粒の涙をひとつ、床へと落とした。そして、束の中から一枚引きぬいて、リィズリットと同じように掲げた。

「あはは、へんな、かお」

「ほんと、あたしに負けないぐらい、変な顔」


 言い合って、二人ともに笑った。


「さーって、ひと段落ついたところで俺は帰るぜ。昨日から走りっ放しでもう眠いんだよ」

「何言ってんのよアーウィン」


 一目散に外へと向かっていたアーウィンを捕まえてリィズリットは言う。


「こっからが一番大事なの」

「おい、待て。まだ何かあるのかよ」


 ジト目を向けるアーウィンにリィズリットは「ふふん」と笑う。次いで、周りのエイプリル、セシル、そしてミリアへとそれぞれを見やる。


「決まってんじゃない。みんなで写真撮るのよ」


 リィズリットはそう言って、笑った。

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